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第9話『ヤンデレ地獄のプロローグ』

「依織……」


 丸襟のブラウスに膝丈のスカート。清楚な服装なのに圧迫感が凄まじい。

 重い空気の中、俺は誤魔化すように挨拶を返した。


「こ、こんにちは……」

「ブロックしたよね、わたしのこと」


 いきなりそれを切り込んでくるか……。

 次の学校で話そうと思っていたのに。まさか休日を返上してまで家に押しかけて来るとは思いもしなかった。


「いやだって、さすがにあんな鬼電されても迷惑だし……」

「そっか。迷惑なんだね、わたし。じゃあもう、死んだ方がいいね」

「は?」


 なんだその極端な思考回路は。


「いいの。もともと今日で死ぬつもりだったから。こんな迷惑なわたし、生きてても仕方ないし。地球の酸素も有限だからね。迷惑なわたしが死んだら、ちょっとは世界がエコになるよね」

「なんでそんなぶっ飛んだ話に……」

「そこの道路で轢かれてくるから、最後の迷惑ぐらい許し――」

「わ、わかった! わかったから! 解除するよ! 全然迷惑じゃない!」


 なんだなんだ依織のやつ。まるでというか、完全に別人なんだが。

 マジでやりかねない雰囲気だったので、俺はスマホをポケットから取り出した。依織のブロックを解除して、その画面を見せる。


「ほら、解除したから!」


 すると、依織の顔から冷たさが嘘のように消えた。


「本当? 迷惑じゃない?」

「迷惑じゃない」

「わたしのこと、嫌いになってない?」

「なってない」


 嫌いではない。怖いとは感じているが。


「良かった」


 依織が安堵の息を吐く。目には涙が滲んでいた。


「ごめん。本当にごめんね。でも、要が来夢ちゃんの家に行ったって聞いて、頭の中が真っ白になっちゃって……」

「ああ……」

「それで昨日の夜におかしくなっちゃって……要にあんなメッセージ送って、電話もたくさんかけて……でも出てくれなくて、既読も途中でつかなくなって……」

「言っとくけど、天宮とはなにもなかったぞ。ただ見舞いに行っただけだから」


 それを伝えると、依織から張り詰めていた空気が抜けていった。


「本当?」

「本当」

「わたし、要のことが心配で。来夢ちゃんみたいな悪い女に騙されちゃうんじゃないかって不安で仕方なくて……」


 悪い女って。変な女ではあるが、天宮って悪い女なんだろうか。ああでも、発信機を仕掛けるのは普通に悪いことか。


「騙されてないって」

「本当?」


 この短いやり取りの中で、何回「本当?」と確認されたのだろう。質問攻めで息苦しい。


「本当だよ」


 依織はホッとしたように肩を落とすと、深呼吸を挟んでから言った。


「話したいことあるんだ。上がってもいいかな?」


 マズい。リビングには夜美先輩がいる。今の依織にそれを見られるのは、なんとなくヤバい気がする。


「いや、それはちょっと」

「なんで」

「来客がいるから」

「誰」


 声が急に低くなる。一歩前に出て、玄関を覗き込まれる。そこには夜美先輩のヒールが並んでいた。

 しまった。証拠隠滅を忘れていた。


「その靴、女物だよね?」

「えっと……」

「誰」

「せ……先輩」


 あまりの威圧感に事実を漏らしてしまう。嘘をつける雰囲気ではなかった。


「先輩? 生徒会長さん?」

「まあ……」

「どうして家にいるの」


 もう質問責めにするのやめて……怖いんだって……。

 俺は泣きそうになりながら声を絞り出した。


「その、急に家に来て……」

「お邪魔します」


 え?

 俺の横をすり抜けて玄関に不法侵入。依織は無言でローファーを脱いだ。


「ちょっ! 依織!」


 制止する間もなく、依織は廊下を進んでいく。小走りでリビングに向かう背中を、俺は慌てて追いかけた。


「あら。あなたはたしか」


 ソファに座っていた夜美先輩が依織の方に目をやった。心愛も驚いたように依織を見ている。

 ああ。対面してしまった。


「青鳥くんの――」

「幼馴染です。誰よりも特別な」


 先輩の言葉に被せるように、依織は語気を強めて言い切る。その対応に、先輩は不愉快そうに目を細めた。

 依織が俺に振り返る。


「どういうこと。なんで生徒会長さんがいるの」

「元、ですけれど」


 先輩が訂正するが、依織はそんなの聞いちゃいない。

 一歩、また一歩と距離を詰められ、爪が食い込むほどに腕を掴まれる。


「要。説明して」

「説明もなにも、勝手に来たんだよ」

「日曜日に? 女の人が? 要の家に?」


 目を見開いた顔が、下から覗き込むように迫ってくる。

 近い近い。息がかかるほど近い。


「おかしいよね? 普通じゃないよね? 要、生徒会長さんにつきまとわれて大変って言ってたのに、なんで自分から家に入れてるの?」

「いやだから、入れたわけじゃなくて、勝手に上がり込まれたんだよ。今の依織みたいに」

「じゃあなんで追い返さないの? また八方美人?」

「…………」


 痛いところを突かれる。返答に窮していると、夜美先輩が立ち上がった。悠然とソファから離れて俺たちの横に立つ。


「依織さんでしたっけ。少し落ち着いてはいかがですか?」

「落ち着いてます」

「とてもそうは見えませんが」

「生徒会長さんには関係ありません」

「青鳥くんに関することなら、私にも大いに関係があります」


 ギロッと、依織が先輩を睨みつけた。


「どういう関係が?」

「将来を誓い合った関係ですので」

「は?」


 依織の顔が引き攣る。俺も思わず声を上げた。


「誓ってませんよ!」

「誓っているはずですが」

「デタラメ言うの本当にやめてくれません!?」


 依織が俺と先輩を交互に見る。


「仲良さげにして……」


 その眼差しには明らかに動揺が宿っていた。


「生徒会長さんと本当に……?」

「いや違うって。依織、昨日からマジでどうかしてるぞ。こんなの先輩の妄言だって、普通に考えたらわかるだろ?」

「でも家にいる」

「それは、だから勝手に」

「第二の実家なのですから、いるのは当然でしょう」

「あの先輩、マジで余計なこと言うのやめてください」


 本気のトーンで窘めるが、手遅れだったのかもしれない。

 依織の顔色がどんどん悪くなっていく。震える唇から言葉が漏れた。


「わたし、ずっと要のこと見てたのに……」

「依織?」

「幼稚園の頃から一緒だったのに!」


 うわっ、びっくりした。

 急に声を荒らげられた。緩急の差が激し過ぎる。


「一緒に砂場で遊んだのに! 一緒にお昼寝したのに! 手だって繋いで!」


 そんなことあったけ……まあ、依織が言うからにはあったのだろうが、幼稚園の頃の出来事など鮮明に覚えているはずもない。

 しかし、それを正直に言ったらガチで殺されさそうな剣幕が今の依織にはある。どうしよう。

 俺の返答を待たず、依織はさらに捲し立てた。


「お昼休みに転んで泣いてたら要が慰めてくれた! 大丈夫? 痛くない? って優しくしてくれた! 小3のときだって、わたしが給食こぼしちゃったとき、要だけは一緒に片付けてくれた……!」


 小学生の頃の話になると、さすがに記憶には残っている。そういう過去は事実として存在していた。


「他にもたくさんたくさん、ふたりだけの想い出があったのに! なんでわたしじゃないの……!?」


 そういえば、メッセージでもそんなことを言っていたような。どうして依織を選ぶ選ばないという話になっているのか。俺たちはただの幼馴染なのに。


「今の高校に進学したのだって要がいたからなんだよ!? わたし、ずっとずっと要のこと好きだった! 大好きだった!」

「は……?」

「だからもう、我慢するのやめる」


 それは、本当に唐突だった。

 前触れもなく、宣告もなく。

 そして一瞬だった。

 俺の唇に、温かいなにかが触れたのは。


「ははっ……、あははっ……!」


 依織は自分の顔を両手で挟みながら、瞳孔の開いた目で俺を見上げた。


「キスしちゃった……! 要とキスしちゃった……! やった、やっちゃった……!」


 羞恥を紛らわすように忙しなく足踏みしている。


「どうしよう、どうしようどうしよう……!」


 俺も先輩も心愛も、凍りついたように動かない。動けない。

 そんな中、依織はうっとりと俺を見上げる。直後、霊でも乗り移ったみたいに真顔になった。瞳の奥に光は見えない。


「もう一回」

「あっ……、え……?」

「もう一回する」


 うなじに腕を回され、躊躇(ためら)いなく顔を引き寄せられる。

 瞬時に唇が重なる。さっきより強く、深く。

 異物感が口内に宿った。歯茎をなぞられる感覚。唾液が混じり合う粘着質な音が、体内から鼓膜へと伝わっていく。

 それが何秒続いたのか俺自身にもわからない。唇と唇の間に、透明な糸が垂れ落ちた。


「ばっ、バイバイ要……! 告白の返事、待ってるからねっ……!」


 羞恥に顔を赤く染めた依織が、それだけ言い残して逃げるようにリビングを去っていく。

 玄関の扉が閉まる音を、耳鳴りの中で遠く聞いた。


「――――――――」


 リビングに残された俺たちはしばらく動けなかった。今しがた起きた出来事を、誰もが飲み込めずにいる。全員フリーズしてしまっている。

 最初に動いたのは心愛で、無言のままソファから立ち上がった。


「こ、心愛……」


 そこで俺も我に返り、心愛の背中に呼びかける。だが、心愛は微動だにせずに2階への階段を上っていく。


「いっ」


 次に動いたのは夜美先輩だった。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!」


 その場にへたり込みながら夜美先輩は絶叫した。指を差される。


「なっ、なんですか今のは! 青鳥くんが……! 私以外の、他の女と……! それも目の前で……!」


 先輩が胸を押さえて苦しそうに呼吸を始める。


「はぁっ、はぁっはぁはぁっ……!」


 浅く短い息遣い。過呼吸になりかけている。俺は先輩の肩に手を置いた。


「せ、先輩。大丈夫ですか?」

「気分が悪い……吐きそう……」


 口元を押さえている。額には脂汗が浮かんでいた。


「私の青鳥くんが……こんな……もう限界です……、今日は帰ります……」


 先輩が覚束ない足取りで立ち上がる。壁に手をつきながら、よろよろとリビングを出ていった。

 きっとこの日からだ。俺の生活が大きく豹変したのは。ギリギリのところで保たれていた平穏が、依織の介入によって一気に瓦解してしまった。

 去年のドタバタなど序章に過ぎなかったらしい。

 その日を境に、俺は生き方を捻じ曲げなければならなくなった。


 ――監禁されないため。

 ――殺されないため。

 ――誰も死なせないために。


 ヘラった女たちに飴を与え続ける高校生活が始まってしまったのだ。

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