第3話『気遣い上手な幼馴染と不登校なヤンデレ妹』
放課後。ホームルームが終わった瞬間、俺は一目散に教室を飛び出した。
俺の逃走スキルはこの1年間で飛躍的に向上している。たぶん、某逃走バラエティー番組で最後まで逃げ切れるぐらいには。
だが、世の中そんなに甘くはなかったらしい。
「青鳥! 一緒にかーえろっ!」
昇降口には最強のハンターが待ち構えていた。
もちろん天宮である。
「悪いけど今日は用事が……」
帰宅部ノーバイトの俺に用事などないが、とりあえず誤魔化してみた。
「ならあたしも一緒に行く!」
「ひとりで行かなきゃいけない用事なんだ」
「ひとりじゃ危ないよ! もし青鳥になにかあったらどうするの? あたしが守ってあげなくちゃ! ほら、これで安心!」
意味不明な理論で腕にしがみつかれる。
お前が一番危険だってのに……。
しかし不意に、俺の腕から重量が消えた。
「醜い虫が青鳥くんに集っていますね」
いつの間にか現れた夜美先輩が、俺の体から天宮を引き剥がした。
この人もこの人で神出鬼没だ。
「夜美先輩……」
天宮があからさまに嫌そうな顔をする。
「青鳥くん、目的地まで送ってあげましょう。車を用意してあります」
「車?」
「リムジンを用意しました。快適ですよ」
さすが綾倉家の次期当主。
高校生の送迎にずいぶんと大層な話だ。
乗らないけど。
「青鳥はあたしと帰るんです! 邪魔しないでください!」
「あなたこそ邪魔です。青鳥くんは私と帰る約束をしているのですから」
「してません」
一応訂正しとく。だが、ふたりは聞いちゃいなかった。
「青鳥はあたしのです!」
「私の」
「あたしの!」
「私の!」
じーという睨み合いの末、昇降口で取っ組み合いが始まった。
天宮が先輩の髪を引っ張り、先輩が天宮の頬を押さえつけている。
周りの生徒たちが、触らぬ神に祟りなしとばかりに逃げていく。
今のうちだ。ふたりが揉み合っている隙に、俺は昇降口から脱出した。
そのまま全力疾走。一切振り返らず、駅まで息を切らしながら走り続ける。
定期で改札を通り、駅のホームに上がる。
ちょうど電車が来るところだった。
「――あっ。要だ」
ホームに並ぶ列から名前を呼ばれ、最後尾に見知った姿を発見する。
柔和な笑みと、丸みを帯びた優しい目元。
肩まで伸びた髪が春の風に揺れている。
身長は俺より頭ひとつ分ほど低く、体格も遠目だと中学生に見えるぐらい小柄だ。
「依織か」
音塚依織。小中高、なんなら幼稚園までずっと一緒だった幼馴染だ。
俺の学内における交友関係の中で、唯一、依織だけは常識人と言っていい。
あの変人たちとは違う、俺にとって憩いのような存在だった。
「なに、また逃げてきたの?」
「察しがいいな」
「顔に書いてあるよ」
電車が到着する。
扉が開いて、俺たちは一緒に中へと乗り込んだ。
「「青鳥!」くん!」
声に振り返ると、天宮と夜美先輩がホームの階段を駆け下りていた。
間一髪のところで電車の扉が閉まる。
セーフ……。
取り残されたふたりは、窓越しから恨めしそうに俺を睨んでいた。
「うわっ……」
発車して数秒後、ポケットの中のスマホが暴れ出す。
ブーブーブーブーと連続的なバイブ通知。
見なくても送信者などわかる。
俺は内容も確認せずにスマホの電源を落とした。
扉の脇に、依織と並んで立つ。
平日の帰宅時だから混んではいるけど、電車の中は静かだった。
「大変だね、いつも」
「お前だけだよ。まともな意見を言ってくれるのは」
同級生のやつらはこの異常事態を、すでにあって当たり前の日常として捉えている。
だからこそ、大変な状況を「大変」と労ってもらえるのは、それだけで救われた気分になった。
「わたしは要の味方だから」
そういえば、中学の頃もぼっちだった俺をなにかと気遣ってくれていた。
改めて礼を言っとこう。
「いつもありがとな」
「どういたしまして。でもさ」
依織の声が真面目なトーンに変わった。
「来夢ちゃんと生徒会長さんのこと、あんまり甘やかしちゃ駄目だよ? 嫌なら嫌って、嫌なことはちゃんと言わなくちゃ」
「わかってる。けど……」
窓の外に目をやる。
流れていく景色を、ぼんやりと眺める。
「ふたりとも突き放すと余計に悪化するんだよな。それに……」
嫌かと言われると、嫌じゃないと思ってしまう。煩わしいし面倒臭いけど、心の底から疎ましいかと聞かれると……。
これはたぶん、俺の悪いところなんだと思う。
「それに?」
「なんでもない」
隠したはずの内心を見透かされたのか、依織は呆れたように嘆息した。
「要の優しさって、時々毒になるよね」
「毒?」
「相手にとっても、要にとっても。まるで鞭と飴みたい」
なんだそれ。
鞭を打っているつもりも、飴を与えているつもりもないのだが。
ガタンと電車が揺れる。
よろける依織の頭が、俺の胸にぶつかった。
「大丈夫か?」
「……ありがと。けど、そうやって誰にでも優しくする癖、本当にやめた方がいいと思うよ」
「ああ……」
バツが悪い。
俺は顔を逸らした。
「わたしは優しくされるの好きだけどさ」
情けない俺を、依織は寛容の精神でフォローしてくれた。
こういう気遣いがあのふたりにもできたらな……。
「善処するよ」
「善処じゃなくて、実行しなくちゃ」
耳が痛いことこの上なかった。
電車が俺の最寄り駅に着く。
扉が開いて、人が降りていく流れに乗る。
「じゃあまたね」
「またな」
手を振る依織に、俺も軽く手を上げた。
*
最寄り駅から10分ほど歩いて自宅に到着。
ただいまと言いながら靴を脱いで、2階の自室に向かう。
階段を上がり切ると、妹の部屋のドアが開いた。
「おかえり、お兄ちゃん」
妹の心愛が顔を出す。
背中まで伸びた髪は手入れが行き届いておらず、今はボサボサになっている。
中学3年生にしては幼い顔立ちで、パジャマ姿なのも相まって小学生に見えなくもない。
「ただいま」
「なんで連絡くれなかったの?」
ため息が漏れそうになるのを、俺はどうにか噛み殺した。
日常生活に報連相を求めないでくれよ……。
「メッセージ送っても既読つかないし。既読無視より未読無視の方がキツいんだよ」
「悪い。ちょっと電源切ってて」
「見せて」
「えっ」
「今すぐスマホ見して。少しでも変な間があったら許さない」
「…………」
つまり、本当に電源が切れているのか確認したいと。
ポケットからスマホを出す。
妹は、俺の一挙手一投足に目を凝らしながらそれを受け取った。
画面をポンポンとタッチ。
「ほんとだ」
「だから言ったろ」
「でも、なんで電源切ってるの。私にはお兄ちゃんしかいないのに」
心愛は不登校中だった。
本人曰く中学2年生の夏休みに友人関係でトラブルがあったという。
以来、中3の現在に至るまで一度も登校していない。
今は家族だけが唯一の話し相手だから、「お兄ちゃんしかいない」という言はあながち間違いではないのかもしれない。
「わかってる」
「わかってないよ」
指先で袖を握られる。
心愛は上目遣いになった。
「お兄ちゃんがいないと、本当にひとりになっちゃう」
「大丈夫だって。人生ひとりでも案外やっていけるし」
「そういう話じゃないのに」
「次から気をつけるよ」
家でも学校でも執着心に揉まれる毎日。
俺には安息地など存在しなかった。




