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第24話『初めての夜、ふたりだけの秘密』

 視界に広がるのは、据わった瞳でこちらを見下ろす依織の顔だ。逃げようともがく俺の抵抗を、依織は体重ごと封じ込めていた。

 ここで流されたら絶対に駄目だ。提示したルールも更生プログラムもすべて茶番になってしまう。


「依織……! どけって……!」


 肩を掴んで押し戻そうとするが、びくともしない。

 華奢な体のどこにそんな力があるんだよ……。


「わたしが相手じゃ嫌……?」

「嫌とかそういう話じゃなくて! 順序ってものがあるだろ! 付き合ってもいない、まだ更生プログラムの途中だぞ!?」

「大丈夫、このことは誰にも言わないから。キスのときみたいに、他の女に自慢したりもしない」


 あれは自慢だったのか……。

 いや、それよりも今は。


「だからってこんな……!」

「誰も見てないよ。ここにはわたしと要だけ。ふたりだけの秘密。それにね、要」


 依織の手が、俺の胸板を這うように降りていく。

 下腹部の辺りでそれは止まった。


「要だって男の子だもん。ひとりでそういうことしてるでしょ?」

「はぁっ!?」

「女の子だって――わたしだってたまにしてるよ? だから、これはその延長線上みたいなもので。ひとりでするか、ふたりでするかの違いでしかないよ」

「全然違う!」


 滅茶苦茶な理屈だ。童貞でもそれぐらいはわかる。


「でも、わたしも要も傷つかない。エッチしたからって、責任取って付き合えなんて言ったりもしない。だからさ、一回お試しでヤっちゃおうよ」

「なに言って……」

「これ」


 スカートのポケットに手を突っ込んだかと思うと、依織はなにかを取り出して俺の眼前に掲げた。

 正方形の小さなパッケージ。

 ……おい。マジかよ。

 避妊具じゃないか。


「ちゃんと持ってきたから……いいでしょ?」

「待て依織。とりあえず話を――」


 言葉は形を成す前に消えた。


「んっ……!?」


 抗議を紡ごうとした唇が物理的に塞がれたからだ。

 驚いて息を吸い込んだ隙を依織は見逃さない。依織の舌が俺のそれを捕らえ、粘っこい塊に口内を蹂躙される。

 まつ毛が触れそうな距離で、その瞳は潤んだ熱を帯びて俺だけを映していた。

 抵抗しなければいけない。それはわかっている。でも、酸素が足りないせいか、頭の中がボーッとして体が思うように動かない。


 ――ああ、もう。


 正直、疲れた。拒絶しても説得しても、ルールを作っても、結局のところ暴走は止まらない。

 だったらもう、流れに身を任せてしまった方が楽なんじゃないか。

 腕から力が抜ける。


「ふふっ。やっと静かになってくれた」


 俺が抵抗を諦めたのを察したのか、依織は緩やかに上体を起こした。愛でるような視線で俺を見下ろしながら、その指先が胸元のリボンに向かう。

 リボンに次いでボタンを、依織は躊躇うことなく外していく。

 止めなくちゃいけないのに、止める気力が俺にはなかった。


「来夢ちゃんや生徒会長さんみたいに大きくないけど、許してね」


 床に落ちた制服に続き、最後の砦だった下着さえも取り払われた。

 初めて目にする女子の生身。幼馴染として長い時間を共にしていたはずなのに、そこにいるのは俺の知らない依織だった。

 胸を晒した依織が、こちらに覆い被さるように体を落とす。


「要。大好きだよ」


 堕ちる。底のない沼へ。

 抗いがたい熱と共に、理性は暗闇へと沈んでいった。


        *


 倦怠感と罪悪感。天井の明かりを見上げながら俺は動けずにいた。

 ――事後。そう、事後だ。

 やってしまった。マジでやってしまった。

 女子の体。依織の体温。それを直に知ってしまった。

 指一本動かすのも億劫なのに、頭の中だけは妙に冴えている。


「……すごかった」


 俺の体にしがみつく依織が噛み締めるようにつぶやいた。隔つ物がなにもない生身で、二の腕に腕を、左脚に両脚を絡めながら。

 目線を横にやれば、すぐそこには無防備な顔がある。

 あれ……。依織ってこんなに可愛かったっけ。


「思ったより痛くなかったし、すごく幸せだった。夢みたい」

「…………」

「ねえ、要」


 肘を立てて上体を起こした依織が、こちらを見下ろしながら言う。


「エッチしたぐらいで付き合えなんて言ったりしないよ。わたし、来夢ちゃんみたいに面倒な女じゃないから」

「……ああ」


 助かる。助かるが、そんな思考をしてしまう自分が嫌になる。

 他の女子の名前も、今は聞くだけで耳を塞ぎたくなった。


「でもね」


 依織がスッと目を細める。

 瞳の奥に昏い光が灯った気がした。


「これでこの先なにがあろうと、わたしと要はお互いが初めての相手だよ」

「――ッ」


 依織は笑う。雪のように儚くて、背筋が凍るほど純粋な笑顔で。


「一生、忘れられないね」


 そう、くさびを打ち込むような言葉を残して。


「今日は帰るね。生徒会長さんのことだから、日付変わった瞬間に来てもおかしくないし。長居は禁物」


 明日は水曜日、つまり夜美先輩の担当日だ。

 しかし……果たしてもう、このルールに意味なんてあるのだろうか。


「このこと、勘繰られないように頑張ってね。ふたりだけの秘密なんだから」

「…………」

「ふふっ。悩んでる要もかっこいい」


 依織はベッドから立ち上がると、散らばった服を拾い始めた。

 俺も体を起こすが、着衣を進める依織の姿を呆然と眺めていることしかできない。腰元を押さえつつ、依織は右手でスカートのファスナーを上げた。

 初めて知った女の体が、制服を着て、見知った幼馴染に戻っていく。


「着替え、ジロジロ見れられると恥ずかしいんだけど」

「あっ。悪い……」


 慌てて目を逸らす。


「まあ、要ならいいけどね。――終わったよ」


 視線を戻すと、着替えを終えた依織が髪を手櫛で整えていた。


「じゃあ要、今日はありがとっ」


 屈託のない笑顔を見せると、依織は爆弾のような言葉を置き土産にした。


「来週の火曜日もシようね」

「はっ……?」

「バイバイ」


 俺の返事を待たず、依織は軽やかな足取りで部屋を出ていく。

 扉の開閉音を遠く聞いて、寝室に静寂が訪れる。


「…………」


 心愛に、天宮に、夜美先輩に、明日からなんて顔向けすればいいんだろう。

 全部夢なら良かったのに。そう思わずにはいられない。

 だが、シーツに残る体温とゴミ箱に捨てられた残骸が、逃げようのない現実を俺に突きつけていた。

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