第23話『火曜日、すなわち音塚依織デー』
あのふたり組と別れて以降、天宮はずっと上機嫌だった。
映画を見終わったあとは近くのファミレスで夕食を済まし、俺たちは駅前で解散することに。
「またね、青鳥!」
満足げな笑顔で手を振る天宮を見送りながら、俺はようやく一息ついた。
自宅マンションに戻ったのは20時過ぎだった。
ひとり暮らしを始めて早1週間。日常生活には慣れてきたが、誰も待っていない家に帰るというのは今でも少し寂しさを覚えてしまう。
シャワーを浴びて、あとは寝るばかりの状態にしてベッドに横になる。
今日は疲れた。全力の天宮と一緒にいるのは、思った以上にエネルギーを使う。
でも、投げ出すわけにはいかない。卒業までやると言った以上、責任を以てやり通さないと。
ベッドに寝転がりながらスマホを眺めていると通知音が鳴った。
『お兄ちゃん』
『今日、学校行ったよ』
おお。不登校だった心愛が学校に行った。
ひとり暮らしを始めてから初めてのことだった。
荒療治ではあったけど、俺がいなくなったことで心愛は間違いなくいい方向に進んでいる。
『偉いな』
返信すると、すぐに既読がついた。
『木曜日、楽しみにしてるからね』
心愛の嬉しそうな顔が目に浮かぶ。
この調子で頑張ってくれれば、心愛もきっと変わってくれるはずだ。メンヘラ更生プログラムは、少しずつだが確実に効果を上げているようだった。
スマホを置いて目を閉じる。
明日は依織の番だ。今日は早めに眠るとしよう。
ベッドの上で意識が遠退いていく。
――ブーン。
スマホのバイブ音で目が覚めた。時計を見ると午前0時、ちょうど日付が変わったばかりだ。
通知を確認する。
依織からのメッセージだった。
『火曜日だよ、要』
『今日はわたしの日』
『ずっとずっと待ってた』
『楽しみにしてるからね』
日付が変わった瞬間に送ってくるとは……。
俺は既読をつけて、スマホから目を離した。
返信はしない。どうせ数時間後に会うのだから。
再び目を閉じて、今度こそ眠りについた。
*
翌朝。天宮と同様、依織も朝から押しかけてくると思ったけど、そんなことはなかった。
それどころか、学校に着いても、昼休みになっても依織は姿を現さない。
担当日なのに接触してこないとは、これはこれで拍子抜けだった。
――そうして迎えたその日の放課後。
帰り支度を終えて、教室を出ようとしたそのときだった。
「要」
「うわぁっ!」
出た直後、教室の入口に控えていた依織から声をかけられた。
びっくりした。
わっ、と人を驚かそうとするやつの立ち位置じゃないか。
「一緒に帰ろ?」
だが、当の本人は至って冷静だった。
今日は依織の日だ。断るという選択肢は存在しない。
「いいけど……」
「やった」
仄かに笑いながら依織はつぶやく。
……その静けさが逆に恐怖感を演出していた。
昇降口を抜けて、学校から駅までの道を並んで歩く。
その間、お互いずっと黙ったままだった。
会話のきっかけを探していたのだろう、依織が不意に口を開く。
「ねえ、要」
「んっ」
「このあとさ、家に行ってもいい?」
「家?」
「うん。要の新しい家、まだ見てないから」
依織が足を止めた。
「幼馴染として心配なの。ちゃんとご飯食べてる? 部屋、散らかってない? 洗濯物、溜めてない?」
「質問責め」
「あっ、ごめん……。嫌いにならないで……」
窘めるように口を挟むと、依織はしゅんと顎を引いた。
曜日ルールと同様に、4人には個人個人にルールを設けている。
そして依織に課したのは『質問責め』と『自死発言』の禁止だ。
「嫌いにはならないけど、その癖はマジで治した方がいいと思うぞ。俺と付き合う云々以前に、周りから人が離れてくだろうし」
「わたしのこと心配してくれてるの?」
「そりゃまあ……」
「嬉しい」
頬を赤く染める依織。
また小さな飴を与えてしまったかもしれない。
変な展開になる前に、俺は話を戻すことにした。
「今のところはちゃんとやれてるよ。飯は外食で済ますことが多いけど、家事とかは家でも手伝ってたし」
「外食ばかりじゃ体に良くないよ。わたしが夜ご飯作ってあげる」
「えっ」
予想外の申し出に、俺は間の抜けた声を上げてしまった。
首を横に振り、やんわりと否定する。
「いや、いいよ別に。そこまでしてもらうのも悪いし」
「駄目。今日はわたしの日でしょ? これは、わたしがしたくてすることなの。要の体、心配だから」
押しが強い。
ふたりきりになれる場所。誰にも邪魔されない空間。
依織が求めているのは、そういう時間なんだろう。
結局、俺はため息をついて折れた。
「わかったよ。でも、材料とかどうすんだ? 冷蔵庫の中、マジでなんにもないぞ」
「スーパー寄ろうよ。一緒に買い物。楽しいでしょ?」
「いいけど……飯食ったら帰れよ?」
「うんっ!」
依織にしては珍しい、歯を見せた快活な笑顔。
やっぱり今日の依織は少し不気味だった。
*
学校帰りに寄ったスーパーで、依織は迷わず食材をカゴに放り込んでいく。
野菜、肉、調味料。まるで主婦みたいだった。
ふたりでマンションに帰宅すると、依織は一目散にキッチンに向かった。
制服の上からエプロンを巻く姿に、俺は思わず見入ってしまう。
家庭的な格好は、依織の柔らかい雰囲気にとても似合っていた。
しかしエプロンを持参していたとは……最初から作る気満々だったんだな。
やがて出来上がったのは、シンプルな肉じゃがと味噌汁、ほうれん草のおひたしとサラダだった。
ダイニングテーブルに並べて、向かい合わせで一緒に食べる。
依織の料理は、優しい味がした。
食後、俺は椅子に持たれながら満足げに息を吐いた。
「ふう。ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
そう言って、依織は卓上の皿を片付けようとする。
俺はそれを止めた。
「いいよ。依織が帰ったあとに自分でやるから」
「でも」
「さすがにそれぐらいはやらせてくれ。与えられてばっかりだと肩身が狭い」
「わかった」
依織は素直に頷いて、皿を置いた。
「今日はありがとう。送るよ、駅まで」
夜道は危険だ。解散の流れに持っていこうとするが、依織はふと、視線をリビングの奥――寝室の扉の方に向けた。
気になる様子で、じっと見つめている。
「どうした?」
「要の部屋、まだ見てないから。気になるなーって」
言いながら立ち上がり、依織はリビングから寝室の方にすっと歩き出す。
閉めていた扉を勝手に開けて、中に入ってしまう。
「ちょっ……!」
プライベート空間を見られるのが恥ずかしくて、俺は慌ててその背中を追いかけた。
寝室に入った依織は、部屋の中央に立ってぐるりと一回転する。
「へえ、意外と綺麗にしてる。ちゃんと片付けてるんだね。要、えらい」
「依織、そろそろ――」
言の葉は、途中で途切れることになった。
唐突に全身に訪れた浮遊感。
依織から腕を引かれ、抵抗する間もなく体が傾く。
俺はバランスを崩して、腕を引かれるままにベッドに押し倒されてしまう。
「おい! なにし――」
再び言葉が途切れる。
今度は依織の唇によって。
「ねぇ。要……」
間近に見えるのは真っ赤な表情だ。
そんな、発情したような顔で依織は囁いた。
「女の子の体、興味ない……?」




