第11話『脅迫』
意識を取り戻して最初に感じたのは、尻に走る鈍い痛みだった。固い床に座らされているらしい。脚を伸ばした姿勢で、背中は壁に預けられている。
動こうとした瞬間――。
ジャラジャラと金属音が鳴った。
「えっ……」
瞼を持ち上げると、視界がゆっくりと明瞭になっていく。両手首には鉄の枷が嵌められていて、太い鎖で壁に繋がれている。両足首にも同じような枷。鎖の長さは1メートルほどしかなく、歩き回ることは不可能だった。
ここは……独房?
コンクリートっぽい壁に囲まれた部屋。天井に吊るされた豆電球がぼんやりと光を放っている。まるで地下牢だ。
そして、
「お目覚めですか、青鳥くん」
俺から3メートルほど離れた場所に椅子が置かれている。そこには夜美先輩が、やはり優雅に足を組んで座っていた。
部屋の隅には、杏子と呼ばれていた女も控えている。
「せ、先輩……」
声が掠れる。
「ここ、どこなんですか」
「安心なさって。私の屋敷の地下ですから」
先輩はあっさりと答えた、
「私有地、というやつですね」
「全然安心できませんって!」
助けを呼んでも誰にも届かないってことじゃん……。
とにかく、今の夜美先輩はヤバい。今までは言動がおかしかっただけで直接的な被害はなかったけど、これはもう、冗談で済まされる話じゃない。
「先輩! あんた前に天宮に言ってましたよね!? 自分は紳士的だって!」
「言いましたね」
「こんなの紳士どころか狂人ですけど!? マジで洒落になってませんって!」
監禁。余裕で犯罪だ。天宮のストーカー行為なんて可愛く見えるレベルじゃないか。
本気で怖い。体が震えている。
しかし先輩は、俺の怯えた様子を見ても表情ひとつ変えなかった。
「私が甘かったんです」
淡々とした口調で言う。
「最初からこうしておけば良かった」
「は……?」
「天宮さんに加え、あんななりふり構わない幼馴染まで相手となると……もう、私も手段を選んではいられません」
それで監禁?
……狂ってる。完全に頭のネジが外れてしまっている。
「落ち着いてください! 警察沙汰になったら先輩の人生終わっちゃいますよ!?」
「脅迫ですか?」
「当たり前の主張をしてるだけです!」
先輩が小さく笑う。上品な笑い方だけど、目が笑ってない。
「誰が通報するんですか? 青鳥くんはここにいるのに」
「…………」
たしかに、少なくとも現状は学校をサボったとしか思われない。夜になるまで騒ぎにはならないだろう。
「とはいえ、学校には連絡しといた方がいいでしょうね。杏子」
「はい、お嬢様」
「学校には休むと連絡を。青鳥くんの音声を使って、彼のことも伝えてあげてください」
俺の音声ってなに……?
「承知しました。理由はいかがいたしましょう」
「風邪でもなんでも適当に」
「かしこまりました」
スーツの女が一礼して出ていく。鉄の扉が軋みながら閉まった。
ふたりきりになる。豆電球の光が、先輩の顔に妖しい影を落としていた。
「――――」
先輩がなにかに気づいたような顔をする。そのまま制服のポケットに手を入れると、見覚えのあるスマホケースが出現。俺のスマホだ。
「いつの間に!」
「車の中で拝借しました」
先輩が画面をタップする。パスコードが必要のはずだが……。
「あの、なんで普通に操作してるんですか?」
「私が青鳥くんのパスワードを把握していないわけがないでしょう」
プライバシーのへったくれもない。
「あらあら」
先輩が画面を見ながら眉を顰めた。
「早速おふたりから連絡が来てますよ。それも大ッッッッ量に」
天宮と依織からか……。
スクロールを終えると、先輩は低い声で言った。
「モテモテですね、青鳥くんは」
そこで先輩の表情が、一瞬だけ恐ろしいものに変わる。
「妬ましい」
「ひっ……」
嫉妬に狂った女の顔。すぐに涼しげな顔に戻ったが、今の一瞬が脳裏にこびりついて離れない。
「けれど、もう安心です。おふたりともブロ削しておきましたから」
「えっ!?」
あのふたりをブロ削なんてしたら、絶対に後々面倒なことになるのに。ただ、今は今後のことなど考えている場合じゃない。
――殺される。
そんな雰囲気が、この瞬間には漂っている。
早くどうにかしないと……。
「これでお邪魔虫は消えましたね」
次の瞬間、先輩はスマホを床に投げつけた。
「ひぃっ……!」
ガシャン!
と、液晶が割れる。さらに椅子から立ち上がった先輩が、ローファーの踵でスマホを踏みつけにする。
バキッ! バキバキッ!
完全に破壊されるまで、何度も何度も踏みつけていた。
「ああ……俺のスマホが……」
「安心なさって」
靴底についた破片を、先輩は擦りつけるように振り払った。
「すぐに最新機種をプレゼントしますから」
「あんた! 安心なさってって言えば、なんでも許されると思ってんすか!?」
「安心なさって」
先輩が微笑む。ゾッとするほど美しい、狂気を孕んだ笑みだった。
「許しなど不要ですから」
「は?」
「青鳥くんに求めるのは隷属です」
「れ、隷属……?」
日常生活ではまず聞かない単語だ。
「奴隷になれってことですか?」
「私だけを見て、私だけを愛して、私のためだけに生きて欲しい。それだけです」
嫌だ……そんな飼い犬みたいな人生は。
「先日、青鳥くんに答えを出してもらうのが一番手っ取り早いと言いましたが、あれは訂正しましょう」
俺の目の前まで来ると、先輩は目線の高さを合わせるようにその場にしゃがみ込んだ。
「こうするのが一番手っ取り早かったですね」
細い指先で頬を撫でられる。
「青鳥くん。私のものになってください」
逃げようとしても鎖が邪魔をする。壁に背中が当たって、これ以上は後退できない。
「私を愛していただけるのであれば、すぐにでも解放してあげますよ。簡単でしょう?」
「いっ、嫌です……」
「そんな返答は求めていません」
脚を伸ばした俺の下半身に、先輩が跨るように脚を八の字にして座る。吐息が顔にかかるほどの距離だ。
「大丈夫。きっとすぐに、はいしか言えない体になりますから」
なにそれ。調教でもされるのか。
先輩は、おもむろに制服の懐へと手を入れた。ハンカチでも取り出すかのように、いつも通りの優雅な所作だった。
しかし、そこから出てきたのはハンカチなどではなくて。
「せっ、せせ先輩……それは……?」
プラスチックの物体。カチカチッという音と共に現れる銀色の刃。
カッターナイフの先端を、夜美先輩は俺へと向けていた。




