第1話『プロローグ』
あの日、傘を差したことがメンヘラ地獄の始まりだった。
「いやぁぁぁぁぁ……っ! 捨てないで! あたしを捨てないで……!」
雨が降る校舎裏。
屋根下のアスファルトで、女が男の脚にしがみついている。セーラー服を乱しながら、懇願するように男の顔を見上げて。
「なんで!? どうして急に別れるなんて言うの!? 高校別々でも遠距離で続けようって約束したじゃん! 駄目なところがあるなら全部治すよ!? もっと好きになってもらえるよう頑張るよ!? だから捨てないで! お願いだから捨てないでぇっ! 本当になんでもするから……!」
「お前おかしいんだよ。色々と」
膝にへばりついていた女が、無造作に振りほどかれた。
「じゃあな」
そう言い残して、男は逃げるように雨の中を駆けていく。
「待っ……きゃっ!」
女が男の背中を追いかけようとするが、途中で足を滑らせてしまったらしい。
そのまま泥の地面にダイブ。雨に打たれながら動かなくなってしまう。
「…………」
……おお。叫び声を聞いて見に来てみたら、中学の卒業式にとんでもない修羅場を目撃してしまった。
しかもフられたあの女子生徒、俺たちの学年でトップレベルに美少女だった天宮来夢だ。
同じクラスになったことはない。面識も皆無だから顔しか知らないけど、あんな美少女でもフられることってあるんだな。
「なんで……どうして……あんなに尽くしたのに、あんなに好きって伝えたのに……」
すすり泣く声と地面を殴る音が重なる。
ザーザーと雨が強まる。このまま放置というのはさすがに後味が悪い。
自分が差していた傘の下に、うずくまった背中を入れる。
「風邪引くぞ」
「え……?」
天宮は見るからに困惑していた。
しまった。ちょっと気障だったか……。
ぼっち男子が中学最後の悪足搔きとばかりに声をかけてしまったけど、これは完全に失敗したかもしれない。
そんな後悔の中、下から間の抜けた声がした。
「はわっ」
はわ?
次の瞬間、天宮の顔は劇的に歪んで――。
「はわわぁぁぁぁっッ♡♡♡♡♡」
まるでメシアを見上げるように、なんていうと大袈裟かもしれないけど、俺を見上げるギラついた目を見て、当時の俺はそう思った。
その眼差しが狂人のそれと知ったのは、高校に入学してからのことである。




