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過去ツアー         :約3500文字 :SF :タイムトラベル

作者: 雉白書屋

 ――いやあ、実によかったよ。恐竜狩り。あれは絶対に行くべきだねえ。

 ――火山の噴火ツアーは行った? 町が溶岩に呑み込まれる瞬間、ぞくぞくしたわあ……。


「……つまらん。実につまらん」


 夜、無人タクシーの後部座席で、男は肘を窓枠に置き、流れゆく街の灯りを半眼で追いながら呟いた。

 現代。人口こそ減少したものの、科学技術の発展により、人々はおおむね不自由のない暮らしを手に入れていた。価格帯に差はあれど、誰もが一体以上のアンドロイドを所有し、ネットに接続すれば、娯楽も知識も刺激も、すべて指先一つで手に入れられる。端末が旧式であろうと廉価品であろうと関係ない。ネットに繋がりさえすれば、見える景色は同じだ。金持ちと貧乏人の格差は依然として存在していたが、『退屈』という一点においては、誰もが平等であった。


 少し前までは――。

 しかしある日、ついにタイムトラベルが現実のものとなった。

 過去への干渉がもたらす影響は未知数であり、同時に取り返しのつかない危険を孕んでいる。よって政府は、驚くほど迅速に法整備を進め、厳正な審査を通過したごく一部の企業にのみ、限定的なツアーの運営を許可した。

 表向きの名目は『国民の精神的充足を目的とした娯楽』。だが、その運営企業の役員名簿に政治家の親族が名を連ねていることが関係しているのは、誰の目にも明らかであった。


 ツアーの参加費は庶民にとっては、まさに夢のまた夢。到底手の届かぬ金額だった。だからこそ金持ちは我先にと申し込み、体験談を饒舌に語った。現代において『特別な経験』を語れることほど、価値のあるステータスは存在しないのだ。


 男もまた、その種の話を友人たちから嫌というほど聞かされた帰りだった。

 原始の匂いを嗅ぎながらの恐竜狩りに、滅びゆく都市を安全圏から眺めるという背徳的な高揚感。なかでも人気なのは原始時代らしい。最新のガジェットを携え、原始人たちの前で“奇跡”を披露し、神として崇められる。そんな優越感を味わうのだという。

 時空はタイムトラベルのたびに枝分かれしていく。よって、意図しない限りツアー客同士が出くわすことはないし、原始人たちがすでに奇跡を見飽きている、などという無粋な事態も生じない。


 なんとも子供じみた遊びだ――そう言いたいところだが、実際に体験したことがない者が口にすれば、待っているのは『ただの酸っぱい葡萄』だという嘲笑だけだ。その体験談がどこまで事実に即しているか問うたところで、やはり同じこと。返ってくる言葉は『行けば分かるよ』。


「クソッ、絶対に行ってやる……」


『目的地を変更いたしますか?』


「今のは独り言だ! 馬鹿AIめ……」


 男は吐き捨てるように言い、シートに深く身を沈めた。

 その日から、彼は執念深く情報を集め始めた。表のニュースではなく、裏の噂話を。夜更けのバー、ネットの片隅に沈む匿名掲示板、怪しげな会合、会社を追われた元記者――。

 そしてついに、ひっそりと名を潜める小さな会社の存在にたどり着いた。

 郊外の古びたビル。看板はなく、外壁には無数の亀裂が走っている。エレベーターは足を踏み入れた途端に軋み、思わず一歩退くほどだった。

 階段を下り、錆と塗料の欠片が散らばるドアをノックすると、「は~い」と間延びした返事が返ってきた。

 中に足を踏み入れると、部屋の奥に置かれていたのは、一人用の小さなカプセル一台だけ。どう見ても、正規のツアー会社の設備には見えなかった。

 丸いゴーグルをかけた老人が、薄く歪んだ笑みを浮かべて言う。


「ひひひ……ええ、本日は当ツアーにご参加いただき、まことにありがとうございます」


「前置きはいい。それに、ツアーと言っても、おれ一人だけじゃないか。本当に大丈夫なんだろうな?」


「ええ、もちろんですとも。これからあなたが向かわれる集落の人々は、まるごと滅びる運命にあります。未来への影響は一切ございません」


「ふん。そのあたりは、きっちり法に則っているわけだな」


「そのあたりは、だなんて。うちはれっきとした合法企業ですとも。ひひひ。ええと、営業許可証は確か、その辺りに……」


 老人はそう言いながら、錆びた机の上に重なった書類やら部品をがちゃがちゃと漁り始めた。


「建前はいい。約束したとおり、向こうでの体験以外は誰にも話さんよ」


「ひひ、どうも。何せ、うちは選ばれた方しか受け付けておりませんので……では、どうぞ」


 老人はカプセルを開け、促した。

 男はふんと鼻を鳴らし、カプセルの中に横たわった。選ばれた方のみ――ただの営業トークだろうが、悪い気はしない。そもそも、なんやかんや言っても、この瞬間を楽しみにしていたのだ。次第に唇の端がつり上がり、その表情に高揚が滲み出てきた。

 だが次の瞬間、ガンと乱暴な音を立てて蓋が閉まると、顔が強張った。直後、ジジジジ……と耳障りな電子音が鳴り出し、眩い閃光が走る。さらに内臓を直接掴まれて揺さぶられるような、激しい振動が全身を襲った。


「お、おい! 本当に大丈夫なんだろうな!?」


 男は目を固く閉じて叫んだ。鞄を胸の前でぎゅっと抱え込み、万が一蓋が外れ、身体が宙に放り出されないよう足をピンと伸ばして踏ん張る。老人が何か言ったようだが、蓋と唸り続ける音に阻まれ、言葉として届くことはなかった。


 ――や、やはり信用ならん!


 男は手を伸ばし、蓋の内側に触れる。押し開けようと、ぐっと力を込めた――その瞬間、嘘のように音も震えも途絶え、ふっと空気が変わった。

 閉じたまぶたの裏に感じる、やわらかな陽の光。肌を撫で、鼻腔をくすぐるのは、土と青草の匂いを含んだそよ風。金属の気配はどこにもない――外だ。

 ゆっくりと目を開けると、男は小高い丘の上に身を横たえていた。起き上がった途端、生命の匂いが押し寄せてきた。眼下には原始の森が果てしなく続いていた。そして、少し離れた場所に土と木で形作られた小さな集落が見えた。


 どうやら成功したらしい。男は大喜びで、丘を駆け下りた。

 村にたどり着くと、わらわらと原始人たちが集まってきた。男は手早く翻訳機を調整し、さらに人を呼び寄せる。木の槍を持った原始人が最前列に並んだところで、鞄から道具を取り出し、高々と掲げてみせた。

 火を生み出し、宙に立体映像を浮かべ、エアシューズで地面を蹴って跳び上がる。

 その効果は想像以上だった。初めは警戒と戸惑いの色を浮かべていた原始人たちの目が、次第に見開かれていく。やがて恐怖と畏敬が混じり合った表情で、一人、また一人と地に伏し、頭を垂れていったのだ。


「ほほう、これは……いい!」


 喉の奥から抑えきれない笑みがこぼれる。

 神として崇められる快感。男も瞬く間に、この娯楽の魔力に取り憑かれたのだった。

 だが――。


「おかしいな……そろそろ時間のはずだが……」


 興奮する原始人たちを尻目に、男は腕時計を何度も確かめた。

 戻るべき時刻はとっくに過ぎている。それでも、身体にも周囲にも変化はない。そもそも、どうやって帰るのか。正規のツアーなら、タイムゲートなるものが開かれ、それを通って移動するらしいが、周囲にも丘の上にも、それらしいものは影も形も見当たらなかった。

 不安がじわじわと胸を締めつけていく。背筋を冷たいものが這い上がり、指先がかすかに震え出した。

 もはや、威厳も何もどうでもいい。男はおろおろと辺りを見回した――そのときだった。

 突然、眩い光が出現し、裂けるように空間に穴が開いた。そして、その向こうから次々と人が姿を現した。

 男はほっと息を吐き、安堵の表情を浮かべて駆け寄った。


「ああ、助かった……。迎えに来てくれたんだな。……あ、まさか、あんたら警察か? いや、それでもいい。助かった……」


 男は震える声でそう言い終えると、大きく息をついた。

 しかし、彼らは何も答えず、口元に薄い笑みを浮かべた。そして、互いに顔を見合わせると、堪えきれないというように声を立てて笑い始めた。

 呆気に取られる男。やがてその中の一人が小型の機械を操作すると、軽く咳払いした。


「あー、あー、通じるかな? 私たちは君よりも遥か未来から来たんだ。君がこの時代に取り残されたという情報を掴んでね」

「ふふっ、本当だったのね。大金を払った甲斐があったわ」

「ふふふ……」

「ははは……」


 未来人たちは、ふわりと宙に浮かび上がった。淡い光をその身にまとい、重力という概念そのものを嘲弄するかのように、自由自在に空を舞い、光の軌跡を描く。

 その遥かに進んだ技術を前に、原始人たちと同じく、男もまたただ呆然と立ち尽くし、目を奪われるほかなかった。

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