第6話 背中
小屋の掃除も終わり、二人で山を下り、山の麓の神社へと向かった。
鳥居をくぐった瞬間、
あたりの空気がすこしだけ、でも確かに変わったのを感じた。
まるで別の世界に迷い込んだような、
時が止まっているような、そんな静寂に包まれている。
あかりは慣れた足取りで社殿の前まで行き、
長い間手を合わせていた。
「雪也さんはお参りしないのですか?」
急に背後から声をかけられ雪也は振り返った。
そこにはまるで最初からいたかのように、
巫女装飾を纏った美琴が立っていた。
前に真白と来た時にも似たようなことを聞かれたなと思いながら
「なにを願えばいいのかわからないんだ。」
と雪也は正直に答えた。
「大丈夫です。雪也さんなら。
この村に呼ばれた雪也さんなら、きっと。」
美琴はただ静かにそう呟く。
どういう意味なんだ?と雪也が聞きかけたところで
「あっ、美琴っち!今日も寒いね~。お掃除お疲れ様~!」
参拝を終えたあかりの元気な声にかき消されてしまった。
美琴の言葉は気になったが、仕方なく話を切り替え、雪也はあかりに尋ねた。
「なにをお願いしたんだ?」
「ふふっ、お願いじゃなくて、お礼を言ってたんだよ。」
「お礼?」
「私はね、神様にお願いはもうしないって決めてるんだ。
お願いしちゃうと、叶わなかったら
『なんで神様は言う事聞いてくれなかったんだろ』ってなっちゃうでしょ?」
「願い事が叶うかなんて最初から期待してないけどな。 まあでも、お礼か…そうだな。」
「そうそう。だからいつも、山を下りてから『今日も無事に過ごせました、ありがとうございます。』
ってお礼を言うようにしてるんだ。」
あかりは社の背後にそびえ立つ雪花峰を見ながらそう言った。
「それでいいんです。人それぞれの向き合い方で、大丈夫なんです。」
美琴は雪のように静かで透き通った声で呟いた。
あかりや美琴に促され、雪也も社の前に立った。
古くはあるが、その分厳かな雰囲気を纏っている。
目をつむり、手を合わせ、境内の静寂に身を任せてみる。
「なかなかおもしろい考え方だな。感謝だなんてな。」
そうか、願わなくてもいいのか。
そう思うと、肩の荷が下りたような気がした。
雪也は今日一日の無事を感謝し、目を開けて振り返った。
「そういや雪也は花月館に泊まってるんだろ?」
あかりはニヤリと笑いながら雪也にそう言った。
雪也はどこでそれを?と驚いた。
「村のみんなが『シュッとした顔の男が村に遊びに来たらしい』って噂してたんだ。
せっかくだし花月館まで送って行ってやるよ。私も女将さんと真白ちゃんに用があるしね!」
「、、、村の情報網恐るべし。」
雪也はやれやれと首を振りながら、
あかりと共に花月館に向かって歩き出した。
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「おかみさーん、真白ちゃーん、遊びに来たよ~!
近くの猟師さんからもらった猪肉も持ってきた~!」
あかりはガラガラと花月館の扉を開けて入っていく。
どうやらよく来ているらしい。
「まあ、ありがとう!今日は牡丹鍋にしましょう。
雪也さんもお外は寒かったでしょう、さあさあ、はやく上がって!」
とあの落ち着いた女将さんの声も跳ねるほど、真っ赤で鮮度のよさそうな猪肉だった。
夕餉は女将さんの言った通りの牡丹鍋で、
薔薇色の猪肉を熱々の鍋にくぐらせ、みんなで頬張った。
外の空気がグッと冷えている分、
温かい鍋が雪也の身体中にじんわりと染み渡っていく。
あかりや真白、女将さんと鍋をつつきながら話した何気ない会話が、
雪也の心もまた満たしていった。
一体いつぶりだろうか、ずっと、こういう時間を待ち望んでいたような。
いやそんな綺麗なものではなくて、
こういう時間にずっと飢えていたような、そんな気がした。
ひとしきり食べたおわったあと、
「んじゃ雪也、明日もまたよろしくな!」と
雪也が「一体なにを」と言う間も断る暇もなく、あかりはさっさと帰っていった。
「あかりちゃんもすっかり元気になって本当に良かったわ。
あの頃はどうなることかと思っていたけど。」
玄関の外であかりの後ろ姿を見送りながら、女将の雪乃さんが安堵したように呟く。
雪也はどういうことかわからず、目で真白に訴えた。
真白は話していいか一瞬迷ったようだが、
「実はあかりちゃん、3年くらい前に叔父さんを事故で亡くしているの。
雪山で。」
と足元の溶け固まった雪を見ながら答えた。
「あかりちゃん、もともと村の外に住んでたんだけど、幼い頃に両親を亡くしたみたいでね。
それで叔父さんに引き取られて、この村に来たの。でもその叔父さんまで……」
雪乃さんがそう話を続ける。
それを聞いた瞬間、雪乃さんの声が遠ざかり、
―――雪也の意識は幼い記憶、小春の姿を呼び覚ました。
「ゆきやくん、今日は何して遊ぶ?」
「ゆきやくん、今日はあの鉄塔まで冒険しにいこうよ!」
毎日のように一緒に過ごした小春の明るい笑顔。
それがある日を境に次第に表情が曇るようになった。
「...」
最後の小春は何も言わず、まるで睨むかのような鋭い視線で僕をじっと見ていた。
幼かった雪也は「こはる、」とただ彼女の名前を呟くことしかできず、
小春は親に手を引かれて町を去っていった。
なぜ、小春は最後に別れの言葉を言ってくれなかったのだろう。
なぜ、あんな目つきで僕のことを見ていたのだろう。
なぜ、僕はなにも言えなかったのだろう。
あの日以降、疑問や不信感、自身の無力感、そういったものがごちゃまぜとなって、
雪也の心の奥底で燻り続けている。
―――雪乃さんの声が戻って、聴こえてきた。
「村のみんながあかりちゃんを心配してたんだけど、強い子だし、もうきっと大丈夫ね。」
と雪乃さんは温かい眼差しであかりの背中を見ていた。
あかりの背中に、幼き頃の小春と自分を重ねる。
ほんとうに、もう大丈夫なんだろうか。
あかりの後ろ姿は先程より少し寂しく、小さく見えたような気がした。
それから幾日か、あかりと一緒に山小屋周辺で過ごす日々が続いた。
あかりは作業の合間に、スノーブーツの靴紐の結び方、
アイゼンの装着方法、疲れにくい歩き方に至るまで、
わかりやすく丁寧に教えてくれた。
大きくなってからというもの、一日一日は同じことの繰り返しになっていく。
コピー&ペースト
コピー&ペースト
コピー&ペースト
自分の人生が無味乾燥な日々の繰り返しに思えていた雪也にとって、
あかりとの日々は毎日が新鮮で、驚きの連続だった。
リュックには重いものを最初に詰めるのではなく、最後に詰めたほうが重さを感じない。
といった技を教えてもらったときには、
今までの常識がひっくり返されたような気がして、驚きを隠せず雪也は目を丸めてしまった。
そんな雪也の表情を見てあかりは満足そうに微笑んだ。
雪也はあかりの様々な知識の影に、幼き日に両親を亡くした過去と、
叔父さんに育てられたその年月を思わずにはいられなかった。




