第3話 花月館の夜
どうも、meibanです。少しずつ書きながら、三週連続で投稿ができたのが、まず嬉しい限りです。
今回は真白の気持ちが溢れる話です。
思い返せば作者も似たような気持ちになったことがあり、どこか他人事には思えない場面です。
どのように真白と雪也は進んでいくのか。気になるところです。
冬の空は白く曇り、雪がぽたぽたと降り続けていた。
花月館の仕入れのため、真白と雪乃は市場へ出ていた。雪也も荷物持ちをかって出て、三人で雪道を歩いた。
「真白ちゃん、今日は元気ねぇ」
「はいっ! 今日はこれと…これと…、あと大根を二本ください!」
真白は大きな声で笑顔を作り、元気に返す。
けれどその声は、少し上ずって聞こえた。
「真白、もっとはっきり。聞き取りにくいわ」
すぐ隣から雪乃の声が飛ぶ。
「……はい!」
真白は慌てて笑顔を取り繕い、もう一度大きな声を張り上げる。
村人は口々に「真白ちゃんは雪乃さんにそっくりねぇ」「立派な跡取りになるわ」と褒めた。
そのたびに真白は「ありがとうございます!」と笑顔で答える。
けれど、背中がほんの一瞬だけこわばるのを、雪也は見逃さなかった。
帰り道。
真白は母の隣で荷物を抱え、「私が持ちます!」と先に手を伸ばしていた。
雪乃は「重いのに」と呟きながらも任せる。
雪也は横を歩きながら、真白の笑顔の端に小さな疲労の影を感じ取った。
言葉にすることはなかった。
けれど、その笑顔が「無理して作っているもの」だと、胸の奥で強く感じた。
「真白…」
館に戻ると、雪乃は帳簿の確認へ向かい、真白は買ってきた野菜を片付けていた。
雪也は囲炉裏のそばでその姿を眺めていた。
真白はにこにこと楽しそうにハミングを口ずさんでいたが、動きはどこかぎこちなかった。
「……疲れてないか?」
雪也がぽつりと声をかけると、真白は驚いたように振り返り、すぐに笑顔を作った。
「だ、大丈夫です! 全然平気です!」
元気そうに見せたが、湯呑みを片付ける手が小さく震えていた。
しばし沈黙が流れ、真白は視線を落として呟いた。
「……私、頑張らなきゃいけないんです」
それは雪也に向けた言葉というより、自分自身に言い聞かせるようだった。
雪也は返す言葉を見つけられず、ただ囲炉裏の火を見つめた。
真白の背中は、笑顔で塗りつぶした影が揺れて見えていた。
ーーー
夕暮れが近づくころ、雪は細かくなり、空気は少し湿っていた。
花月館に戻ると、真白は台所で母の手伝いをしていた。
手際よく包丁を動かしているが、表情はどこか硬い。
昼間、市場で見せた笑顔が思い出せないほど、静かな横顔だった。
囲炉裏の前に座り、雪也はただ、その背中を見ていた。
湯気の向こうで、真白の手がほんの少し震えているのがわかる。
「真白、休んだほうがいいんじゃないか」
声をかけると、彼女はすぐに首を振って笑った。
「大丈夫です。母に怒られますから」
その言葉の中に、笑いと諦めが同居していた。
火の粉がぱち、と弾けて、真白の頬を一瞬だけ赤く染めた。
しばらくして、彼女がふと呟いた。
「お母さん、最近よく眠れてないんです。
宿のことも、村のことも、全部自分で抱え込んでて……。だから私が、ちゃんとしなきゃって」
「......優しいな」
「優しくなんてないですよ。ただ、そうしないと怖くて」
雪也は返す言葉を探して、見つからなかった。
火の音だけが静かに鳴っていた。
その沈黙の中で、真白は少し俯いて言った。
「絵を描いてるときだけは、考えなくて済むんです。
でも、それも……悪いことなのかなって思ってしまって」
その言葉に、胸が痛んだ。
僕も昔、同じことを思っていたからだ。
楽しかったことを考えないようにする。...あの苦しさを、僕は知っている。
真白はそれ以上何も言わず、立ち上がって部屋へ戻っていった。
廊下に灯りが揺れて、静かに消える。
その背中を見送りながら、雪也は火の揺らぎを見つめていた。
吹雪の夜の音が遠くで鳴る。
あの子はきっともう、溢れそうなんだ。
そんな確信が、胸の奥でひそやかに広がっていた。
ーーー
夜。
花月館の廊下は、しんと静まり返っていた。
ただ一室だけ、灯りが漏れている。
机にかじりつく真白の姿があった。
鉛筆を握る手は震えていたが、目は必死に未来を見据えていた。
白い紙に描かれるのは、雪に包まれた村、そして灯籠の光。
「今度はどんな絵を描いてるんだ?」
雪也はそっとふすまを開けて部屋に入り、真白に話しかける。
「もう!びっくりしましたよ。ノック?ぐらいしてください!」
ーーーそのとき、廊下の奥から足音が聞こえた。
帳簿の確認をしていた雪乃が、物音を聞きつけて部屋に現れる。
「……また描いていたのね。あら、雪也さん。」
その声は静かで、けれど決して柔らかくはなかった。
「お母さん……」
真白は慌ててスケッチブックを閉じる。
だが机の上に散らばった紙が、全てを物語っていた。
「真白。宿を継ぐのは、あんたの務め。
料理も宿のことも、まだ覚えることは山ほどある。
そんな時間があるなら、少しでも手伝いなさい」
真白は唇を噛み、胸にスケッチを抱きしめた。
「……わかってるよ。わかってるけど……!」
震える声。
けれど、抑え込んでいた想いがせきを切ったように溢れ出す。
「私、絵を描きたいの!
この村の景色を残したい! きれいな灯籠を書いて、この村のことを多くの人に知ってもらいたい。
それが……私の夢なんだ!」
雪乃の眉がかすかに揺れた。
しかし次に返ってきた言葉は、鋭い刃だった。
「夢は素敵。でも夢だけでは人は生きていけない。
真白、あんたにはこの宿を継いでほしいの。お父さんの思いなのよ。」
「でも…そんな、違う…違う!勝手に決めたことじゃない!!」
真白の叫びが、館の静寂を破った。
「小さい頃からずっと、“宿を継ぐんだ”って言われ続けてきた!
でも一度だって、私のやりたいことを聞いてくれたことなんてなかった!
お母さんは……私のことを見てくれなかった!」
雪乃の瞳が大きく揺れる。
けれど、それを受け止めきれず声を荒げる。
「私はずっと、あなたのために…」
「違う! 私は宿の娘でいる前に、一人の人間なんだ!
花月館のためだけに生きるんじゃない!
私には……私の生きたい未来がある!」
真白の涙があふれて止まらなかった。
ぽたぽたとスケッチに落ち、鉛筆の線をにじませる。
それは、夢を諦めたくないと叫ぶ真白の心そのものだった。
きっとこの葛藤に一番心を痛めているのは雪乃さんだろう。
真白にとってもずっと避けてきたやり取りなのかもしれない。
年を取るにつれて現実味を帯びてきたからこそ、必要な場面だと雪也は理解する。
雪乃は唇を結び、視線を逸らす。
怒り、悲しみ、そして言葉にできない愛情が瞳の奥でせめぎ合っている。
「……もう、休みなさい」
それだけを残し、雪乃は部屋を出て行った。
閉じられたふすまの音が、真白の胸を締めつけた。
真白はいてもたってもいられなくなり、玄関から外へ飛びだした。
その背中を追って、雪也は必死に走り出す。
シリアスな現場に立ち会い、真白と雪乃さんが醸し出す重たい雰囲気に圧倒される。
吹雪が頬を打ち、足元の雪が軋む。
やがて小さな祠の前で立ち止まり、その場に崩れ落ちた。
「……っ、ぐす……」
両膝を抱え、泣き声を殺そうとするが、嗚咽が止まらない。
肩が細かく震え、涙は凍りつくように冷たい。
祠が月明かりに照らされ、二人の影を雪の上に落とす。
雪也は言葉もなく、真白の隣に腰を下ろした。
黙って自分の上着を脱ぎ、彼女の肩にそっと掛ける。
真白は涙に濡れた瞳で顔を上げた。
「……雪也さん」
掠れた声。
「私……どうしたらいいのかわからない。
夢を追ったら宿を裏切ることになる……。
でも、宿だけに生きたら……私じゃなくなっちゃう……」
雪也は少し俯き、雪を見つめながら静かに言った。
「君が決めたことでないと、きっとずっと逃げてしまうことになるんじゃないかな。」
真白は、少し考えたようにして、答える。
「私は、絵を描くことが好き。この村の風景や、雪灯籠の絵を描いていくうちに
私の悩みも不安も全部形にすることができて、救いになってるんです。」
「でも…、日に日に私はあの宿の後継ぎなんだって意識するようになって、
私はお母さんと比べられる毎日。」
うつむきながら聞いている雪也に続けて、真白は絞り出すような声で言った。
「それで、お母さんからは注意をされてばかりだけど、村の人たちからは、お母さんを助けなきゃね。っていわれて、
私がこの宿を継ぐ以外考えられないんだって思ってしまった」
雪也はしばらく黙り込んでしまった。
客観的に見ていたら、真白が好きなことをやるのが一番だと言いたい。
ただ、真白にとって花月館のことは同じくらい大切で、揺れているのだろう。
「そうか、だからあんな夜中に隠れて描くようになったのか」
「絵を描きたいって思わないように、絵を描くことを考えないようにしてたんです。
でも、夜静かになったとき、どうしよう、どうしようって怖くなってしまって…」
真白にとって絵を描くことは、未来への不安から現実逃避して、自分を守るためのものだった。
雪也は真白の隣で、しばらく何も言わなかった。
雪の匂いを吸い込み、肺が冷えたところで口を開く。
「家に帰っても誰もいない夜が長かった。片づいているのに冷たい食卓。テレビの音だけが元気で、誰も笑っていなかった。
両親は離婚して、再婚して、それでも誰かが僕の皿に一番綺麗な焼き魚をのせるようなことはなかった。……だから、ここが羨ましかったよ。」
「忙しないのに、暖かそうで。人の匂いが残ってて」
真白の泣き声が、少し弱まる。
僕は続けた。
「夢は、飯にならないかもしれない。でも、飯だけで生きるのは、僕には無理だった。
……真白の絵が、誰かのあたたかさになるかもしれない。少なくとも、僕のあたたかさにはなる」
「そんな……こと、言わないでよ……っ」
真白は大きく息を吸って、言葉を吐き出した。
「私、ずっと我慢してた。お母さんの前でいい子で、宿の前で頼りになる子で、村の前で優しい子で……でも、私だって、私のままでいたいよ……!」
声が千切れそうなほど高くなった。
「絵を描きたい。好きだって、言いたい。役に立たなくても、私が好きだって、ここにいてもいいって……!」
僕は返事の代わりに、彼女の背に片腕を回した。
驚いたように肩が跳ね、それから、何かが切れたみたいに、彼女は僕にしがみついた。
冷たい夜の中で、泣き声だけが熱かった。
僕は彼女の頭をゆっくり撫でた。毛糸の匂い、味噌の匂い、寒さで鼻が効かなくなってくる。
欲しがるだけだった手が、誰かを支える形になる。そんな夜が来るなんて、思ってもみなかった。
泣き続ける時間は、長かったのか短かったのか、よくわからない。
泣き終えたあとは、世界の輪郭が少しだけ柔らかくなる。
こういう場面ではきっと、"自分の好きなことをやればいい"と言うのが通例だと思う。
でも、あえて雪也は"何も"言わなかった。
夢と現実を目の前に、真白が後悔なく考えて決めないといけないことだと思う。
悩むことは必要だ。そしてそれには苦しみが伴う。
他人は、その決断を後押しするのみだ。
「……本当に、ずるい人ですね。雪也さん。」
泣き笑いの顔。
その笑みはまだ弱々しいが、確かに温もりを取り戻していた。
雪也の胸に、幼い日の記憶がよぎる。
小春の声
ーー「雪也くんの笑顔が一番好き」
あの時、心の底から湧き出てくる幸福感。
言葉は、ただ空気のように受け流されるものもあれば、時に人の心の隙間に入りこみ輝くものがある。
ずっと決断を恐れ、逃げ続けていた。
一人ぼっちの殻に閉じこもり、不条理な現実を受け入れ、無情な日々を過ごしていた。
ーーー僕にも…言葉が救ってくれた経験がある。
忘れていたものが、今、少しずつ蘇ろうとしていた。
吹雪は止まない。
それでも、二人が並んで座るだけで、世界の冷たさは少しずつ溶けていく気がした。
白い夜の中で、ただ温もりだけが確かに残っていた。




