この場所は、あなたに譲る
本編、いつも隣にきみがいた、の 麗華目線のスピンオフです。
本編のNコード N6980LA
リンク先 https://ncode.syosetu.com/n6980la/
夕暮れが近づく遊園地。
ライトが徐々に灯り始め、カラフルな光が二人の顔を優しく照らす。
遊園地の喧騒とは裏腹に、麗華の表情はどこか静かで決然としていた。
「本当は気づいてた」けど「信じたかった」「ちゃんと向き合ってほしかった」
麗華は今日この遊園地で、勇真との別れを切り出す決意を固めてきた。
勇真と麗華が手をつなぎ歩いている。観覧車のシルエットが遠くに見え始める。
勇真が何か言いかけるのを遮るように、麗華が明るい声を出す。
麗華「ねえ、せっかくだし……あれ、もう一回乗らない?」
彼女が指差したのは、前にも乗った回転系のライド。決して目玉アトラクションではない。
勇真、少し意外そうな顔で笑う。
「珍しいな。もう観覧車行くかと思ってた」
麗華、軽く笑う。どこまでも“いつも通り”を演じて。
「だってさ、観覧車って最後に乗るから意味あるんだよ。 もうちょっと遊ばなきゃ、今日が終わっちゃうでしょ?」
笑顔。しかし目元は少し赤い。勇真は気づかないふりをする。麗華の声が、ほんの少し震えていたことに。
麗華は小走りで先に行く。
いつもより少し早足なのは、背中を見せてしまえば顔が隠せるから。
(泣いちゃダメだ。絶対に、泣かないって決めたんだから)
(もう少しだけでいい。ほんの少しだけ……)
(最後の最後まで、私は“いつもの勇真の彼女”でいたい)
ライドの列に並ぶ二人
前に並ぶカップルたちは、写真を撮ったり、手をつないでいたり。
そんな光景に目をやりながら、麗華は必死で笑顔を保っている。
「次はあれ乗ろうよ、わたあめも食べてないし。
ほら、アレ似合ってたじゃん、あのヘンな帽子」
勇真が苦笑する。
「また被らせる気かよ……」
「うん、記念に撮っとこ。……ね?」
その「記念に」という言葉に、勇真が少しだけ目を細めた。
でも、何も言わない。
ライドに乗り込む直前麗華が勇真を振り返る。
夕暮れの光を受けた彼女の笑顔は、少しだけ陰っている。
ライドが動き出す。
風に髪がなびく中、麗華は笑う。
その笑顔の奥に、誰にも見せない涙が隠れていた。
その少し先に、“最後の観覧車”が待っていることを感じながら
夜のライトにてらされた観覧車乗り場の前で
麗華は迷いを振り払い、話し始めた
「勇真くん」
麗華は声を少しだけ震わせながらも、はっきりと話し始める。
「今日まで一緒にいてくれてありがとう。たくさんの思い出ができて、嬉しかった」
勇真は突然の言葉に、動揺を隠しきれなかった
とっさに勇真は状況を悟り麗華の手を握り返した。彼女の瞳に宿る強さと優しさに胸が締めつけられる。
「でもね、私、もうあなたの心の場所がわかってる。凜ちゃんのこと、ずっと見てた」
「いつも、なにをするのも勇真からではなく私からだった」
「好きだけじゃ足りないとわかったんだ」
遊園地のざわめきが一瞬遠くに感じられた。
「だから、私、ここで身を引くことにしたの。あなたが本当に好きな人のために、道を空けるのが私の幸せなんだ」
「でも、好きだった。」
「だからがんばって『いってらっしゃい』と言えるよ」
麗華は観覧車のチケットをそっと勇真の手に渡した。
「これ、二人の最後の乗車券。これからは、あなたと凜ちゃんの幸せを願ってる。」
勇真は言葉が出ず、ただ頷くことしかできなかった。
観覧車がゆっくり動き出す。
二人は窓越しに遊園地の夜景を眺めた。
麗華はそっと勇真の手を握り、微笑む。
「ありがとう、勇真くん。あなたの笑顔が大好きだった」
観覧車が一番上に来た時麗華がつぶやいた。
観覧車の中に、ふたりきりの沈黙が落ちる。
ただ、遠ざかっていく遊園地の光が、麗華の頬を照らしていた。
その光の中で、彼女は小さく呟いた……
「この観覧車が下に着いたら、お別れだよ」
気丈にそう話した麗華だったが、あふれ出す涙をこらえきれなくなった
無情に、観覧車は地上に降り、麗華は静かに勇真の手を離した。
かすかに揺れるゴンドラの扉が、音もなく開いた。
「さようなら……」
麗華は振り返らずに一歩、二歩、そして三歩。
涙を袖でそっと拭いて、でも歩く速度を落とさない。
その歩幅は普段よりわずかに狭く、
けれど早くなりすぎないよう、かろうじて均整を保っていた。
振り返っちゃだめ。振り返ったら、絶対に崩れてしまうから。
(だいじょうぶ、大丈夫。
歩ける。まだ歩ける。私はちゃんと、自分で選んだんだから……)
スロープの先には、まだ人の賑わいがあった。
屋台の明かり、アトラクションの音、子供の笑い声──
世界はまだ“楽しい”空気に包まれているのに、
麗華の中だけ、全てが終わっていた。
泣き崩れて、見られてしまうわけにはいかない。
(私は、ちゃんと最後まで、“勇真の彼女”でいなきゃ……)
(かっこ悪いまま、終わりたくないよ……)
麗華は遊園地の出口に向かって、歩き出す。
背後の足音が遠のいていく。
誰かの笑い声に混じって、彼の気配が、ゆっくり消えていく。
「さようなら……」
誰にも聞かれないように、
自分にだけ聞こえるように、彼女はもう一度だけ言った。
それは、何よりも静かな、
だけど誰よりも本気の別れだった。
遊園地を出た麗華は、
まるで夢から醒めたように、無言で駅へと歩いた。
肩越しに聞こえていた笑い声や音楽は、もう背後に遠い。
華やかなライトも消え、彼女の周囲には、ただ淡い街灯の明かりだけが灯っていた。
最寄り駅のホームに着き、ベンチに腰を下ろし、ひとつ深く息をつく。
(どうして、こんなに寒いの……?)
ふと自分の腕を抱く。
風が吹いているわけでもないのに、体の芯が冷えていた。
電車がホームに滑り込む。
ブレーキの音がやけに大きく響いた。
扉が開く。
麗華はゆっくりと立ち上がり、誰にもぶつからないように静かに乗り込んだ。
端の席が空いていた。
彼女はそこに腰を下ろし、鞄を膝に抱え込むようにして座る。
スマホを見つめる人、イヤホンをつけて目を閉じる人。
その中で、麗華だけがただ、窓の外を見つめていた。
夜の街が、ゆっくりと後ろに流れていく。
その光の残像が、窓ガラスにぼんやりと滲んでいた。
堪えていた涙が、再びこぼれ落ちた。嗚咽がとまらない。
音もなく頬を伝うその涙を、麗華は何度も手の甲で拭った。
でも止まらない。どうしても、止まらなかった。
(泣かないって決めたのに……)
(最後まで、ちゃんと笑って終わろうって……)
それでも涙はこぼれる。
それはまるで、心の奥にたまっていた想いが、
ようやく出口を見つけてあふれ出しているようだった。
窓ガラスに映る自分の顔が、少しだけ赤い。
目元は腫れぼったく、鼻も赤く、
けれどそれでも彼女は、
口元だけは静かに笑おうとしていた。
──強がりだった。
でも、それでいいと思った。
もう誰の前でも泣かなくて済むから。
これで、ちゃんと終われたから。
次の駅に着いた時、扉が開く音に合わせて
ふっと、ため息のように小さく呟く。
「……バイバイ、勇真くん」
「しっかりと凜ちゃんとうまくやる事、それをしなきゃ今日の涙の意味がないからね」
その声は、自分の耳にすら届かないほど小さかった。
電車は再び、静かに走り出す。
夜の闇に溶けていくその中で、
麗華はただ静かに、涙の跡が乾くのを待っていた。
その日は、少し肌寒い雨上がりだった。
何かを求めるように麗華は、小さな書店が主催するトークイベントに足を運んでいた。
タイトルは「言葉が救うとき」。
“言葉”──
それは、彼女が今いちばん頼りたいもの。
会場はこぢんまりとした地下のギャラリースペース。
並べられた簡易椅子の中で、麗華がなんとなく腰かけたのは、中央あたりの空席。
数分後、横の席に誰かがそっと腰を下ろす。
「……あ、やっぱり」
横顔を見て、麗華は少しだけ声を漏らした。
「ん?……あ、麗華さん?」
彼もすぐに気づいた。瀬名だった。
前に数度、食事の席を共にしたことがある彼。
それ以来、連絡は取っていなかったけれど──なぜか、ここで隣にいることに違和感はなかった。
「やっぱりイベント、来たんだ」
「……たまたま気になって」
「同じだね」
ふたりは、自然に微笑み合った。
トークが始まり、会場に静けさが広がる。
作家が語る「喪失と再生」──
愛を手放した後でも、人は誰かの言葉で少しずつ歩き出せるという話。
その話に、麗華の胸の奥が、静かに揺れた。
イベントが終わったあと、瀬名が隣で言った。
「……言葉って、ずるいな。救いにもなるけど、同時に刺さるから」
「うん。でも、刺さるってことは、まだ何かが残ってるってことでもあるよね」
「残ってるものがあるなら、きっと次も見つけられると思う。……それが人でも、感情でも」
麗華は驚いたように、瀬名を見た。
その言葉は、まるで今の自分の心を見透かしたようで。
帰り道、駅までの並木道。
木々にかかった街灯の光が、雨に濡れた葉を照らしていた。
信号待ちで、麗華はふと立ち止まる。
「ねえ、瀬名さん」
「ん?」
「もし……私がもう一度、誰かのことを“ちゃんと”好きになりたいって言ったら、どう思う?」
「……それ、もう“始まってる”んじゃないかな」
瀬名は笑わずに言った。
麗華は、ほんの一瞬、息を呑む。
信号が青に変わる。
ふたりはゆっくり歩き出す。
麗華は歩きながら、思い切って、けれど自然に口を開いた。
「……瀬名さん。私と、付き合ってくれませんか?」
「……」
「すぐに完璧になんてなれないけど、それでも……ちゃんと前を向いて、隣にいたいと思ったの。あなたのことが、好きです」
麗華らしい、真正面からの告白。
瀬名は数秒だけ黙って、それから、小さく息をついた。
「じゃあ、これからは俺が、君の“再生”に付き合う番だね」
「いいよ。付き合おう」
雨の残る夜の道。
街灯の下、ふたりの影が並んだ。
週末の夕方。
黄昏色に染まりはじめた街。
賑わい始めたダウンタウンの交差点で、バイクの赤いブレーキランプがふっと灯った。
何気なく顔を上げたその先に、ふたりの姿があった。
勇真と、凜。
まるで偶然という名の運命が、何かを証明するように配置した光景。
麗華の視線はふたりの“手”へと自然と引き寄せられる。
しっかりと、繋がれていた。
麗華の胸の奥に、なにか柔らかいものが降りてきた。
苦しさでも、悔しさでも、未練でもない。
「ちゃんと伝わってたんだ」
そう、思えた。
あの観覧車での決別。
勇真に託した「さようなら」と「いってらっしゃい」。
それが、確かにあの人の未来を動かしていた。
自分がいなくなった場所に、ちゃんと愛してくれる人がいたこと。
そして、勇真もそれをしっかりと握り返していたこと。
「私、ちゃんと……道を譲れたんだね」
麗華は自分の心の声を静かにかみしめた。
過去の痛みが昇華していくような、温かな静けさだった。
視線を合わせる。
麗華はシールドを上げ、二人に向けて、迷いなく右手でサムズアップを送った。
「それで、いいんだよ」
「あなたは、あなたのままで」
勇真の目がわずかに見開き、そして小さく、静かに頷いた。
もう、言葉はいらなかった。
信号が青に変わり、人の流れが動き出す。
麗華のバイクも、ゆっくりと前へ進みはじめる。
後ろから瀬名の腕が、そっと彼女の腰を支えた。
麗華は、ひとつ呼吸を整えた。
胸の奥が、不思議なくらい軽かった。
勇真の手を、自分ではなく“あの子”が握っていること。
それを見てももう、自分は揺れなかった。
むしろ――
誇らしさすらあった。
「あのときの私、ちゃんと強くなれてたんだね」
麗華は、風に消えるように呟いた。
そして、背中を預けるように、瀬名にもたれた。
交差点の先へ。
もう、立ち止まる理由はない。
信号が変わるたびに、人も人生も前に進んでいく。