62話 唄声に包まれて。
流れる旋律に。響き渡る唄声に。
聴衆は皆、身体を緩やかに揺らし、穏やかに浸る。
その導き手は清廉なる、亜麻色の髪を靡かす乙女。
彼女が声を響き渡らせれば、それだけで想いは一つに束ねられてゆく。
そして曲が一つ目の山場を迎えると、また灯りが落ちた。
レベッカの唄声は響き続けたままである。もう一フレーズを歌い終えると、少し長めの間奏に入る。
「ねぇ。皆。忘れちゃってない? アタシが、女の子は『変われる』って、言った事」
間奏と闇の中、響く声はマイアのもの。
そして、これまでは穏やかであった演奏がテンポを徐々に上げてゆく。
重く激しい打楽器が速い鼓動を刻み、金属的な管楽器の音色が鋭く歪んでいった。穏やかだった曲調が情熱的なものに変わってゆく。
そして舞台上を照らすのは、眩いばかりに輝く色とりどりの光。
「さってとー。皆、まだまだ舞台は続くよっ! もっと、もっと! 盛り上がっていこっかー!」
再び響き渡るはレベッカの声。
それまでの柔らかく優しいものでなく、激しく熱の籠った声だった。
そして観客達は見る。舞台の上、元の格好へと戻ったマイアの姿を。
その隣では背中を向けて、アンナをアプリーレへと再び預けたネーヴェが演奏隊の指揮を執っていた。
それだけでなく、ペトラ、リィンと共に十五名の偶像達が並び立っている。
「本当はこれ、アタシが披露する予定だったんだけどね。でも、『変われる』ってのの、今の一番良い見せ方だと思うんだよね」
一際強い光を当てられて、マイアが語り出す。
「このアレンジは、遊牧民の人達と一緒にやったのが元なんだって。お祭りで子供達と遊んでいて、自然と産まれたんだそうだよ。同じ曲。同じ唄。それが、見せ方一つで、まるで違うものになるの」
再びの歌い出しとなるのはもうすぐだ。
「だけどね。本質ってのは、そう変わらないの。いつだって、どんな格好をしてたって。アタシはアタシで、キミはキミ。そして、この子はこの子だよ。それで、良いじゃん」
そしてマイアが身を翻すと、人影が前に踊り出た。
絢爛な光差す舞台には、元の派手な化粧に着崩した服装をした、普段からのレベッカの姿があった。
「——まぁ、だからじゃないけどさっ! せっかくのお祭りなんだもん。皆で一緒に楽しもうよ! お祭りにはピッタリな、飛びっ切りに賑やかな曲を贈るよ。皆も立って! 乗ってきなっ!」
煽るのはレベッカ。そして、総立ちとなった観客達へと贈られる曲もまた、先程と同じく仮題、『亜麻色の髪を揺らす乙女』。
表情を変えただけの同じ唄が、再び紡がれる。
同じ言葉。同じ曲。だが、それは情熱的に編集し直されたものだ。見せ方、聴かせ方が異なった。
舞台上の偶像達の肢体が踊り、同じく躍動するレベッカが、力強い唄声を客席へと奔らせた。
そして曲が結ばれて、もう何度目だかも判らない歓声が湧き上がる。
レベッカに語りは不要だ。元々、正体を追い求められていた亜麻色の髪を揺らす乙女である。充分な印象付けは済んでいた。
レベッカを真ん中に、偶像達は一列に並んで淑女の礼を留めている。
レベッカの横には一人分だけ隙間が空いていた。
歌劇での習いでこそあるが、舞台挨拶では中央には主演が立つ。その左手側に立つのは助演。そして右に立つのは、監督を兼ねる指揮者であった。
そしてこの場合、そこに立つ者は演奏隊に嫋やかに微笑みかけているネーヴェであった。
彼女がレベッカの隣に立つと、隙間が埋まる。そして、再びの淑女礼。
「ありがとうございます。ネーヴェさん」
こっそりとネーヴェへ向けて、礼をするレベッカであった。
彼女達は飛び入りで、ちゃんとした段取りや準備があった訳ではない。ミリアムには持ち歌などないし、ノエミには昔の歌唱や歌劇曲こそあるが、偶像達の舞台に似合う曲ではなかった。
「皆様のご尽力あってこそ。その一助となれた事、誇りと致します。ですが、お礼を言うならば、此方からですよ。ありがとうございます」
そして季節は夏で、この場所はシラクザである。海に近い。
海の巫女でもあるリーナを舞台に立たせるには、準備が必要だった。
だからこそ、その時間を稼ぐ必要があり、その為の二曲であった。
放送広告で流れたものはサビの部分だけで短く、それは讃美歌一曲分にも満たない。だが、この曲自体は昔のものだ。通して流せば、讃美歌二回分に近い時間が稼げる事を知っていた。
この即興劇だらけの舞台構成。調整しているのは、ヌオヴァ・ジェネラッツィオーネの面々である。彼女達にはそれだけの力があった。
「そだよ。フォローは任せてって言ったじゃん」
一曲分だけでは準備が心許ない。
だからこそマイアがこの舞台にて披露し、公募により名前を付けて貰うつもりであったこのアレンジバージョンの唄をレベッカへと託した。
元々は彼女の唄っていた曲である。歌唱力に心配はなかった。
問題があるとすれば、演奏者達が急対応を出来るかだ。伝えこそしたものの、彼等の役割は元々予定された曲を演奏する事にある。
専門家達でこそあるが、それは演奏においての事だ。舞台の流れに合わせて指示を出す、指揮者がいなかった。
その役割を買って出てくれたのがネーヴェであった。謎めいた容姿と抜群の歌唱力を備えた彼女は歌姫として音楽全般に心得があり、指揮もまた嗜みとして習得している。
「アタシからも、ありがと。ネーヴェ。おかげでアタシも殻を破る切っ掛けが出来たと思う」
「それは重畳。ときに妾めも、先程のマイアや今のレベッカ様のような化粧や服装。施してみたいのですが、後程、如何でしょうか?」
「「えっ?」」
舞台裏へ引き上げながらも、意表を突かれる二人。
クスクスと笑うネーヴェであった。
彼女は冗談でございますよ。と言った。
素材が良いので様にはなるのだろうが、レベッカ達のファッションは歌姫などとも呼ばれる彼女のイメージには少々そぐわない。
それに、同グループ内での被りはマイアが困るのだ。
何度も言った『変われる』という言葉。彼女自身に狙いがあっての演出だった。
「ですが、やれやれ。と敢えて申し上げましょう。斯様に盛り上がってしまったこの舞台。引き継ぐ者としては中々骨が折れるものではありませんか? 如何でごさいましょう? 海の巫女様」
ネーヴェが足を止め、語り掛けるのは海の巫女。
リーナは抱えた大量のタオルの隙間から顔を出す。
その後ろには、アンナ、アプリーレ、ノエミ、ミリアムの四人が、やはり大量のタオルや水筒、軽い菓子類などの入ったバスケットを抱えて立っている。
激しい舞踊を披露して、消耗しているであろう仲間達への、労いと補給の為であった。
用意されていたそれらにアンナが目を留めて、手渡しに行こうと言って、叶ったものである。
「あら、あら。ネーヴェお姉様。お気の弱い事を仰るのね。それこそ、望むところですわ。骨なんて、幾らでも折りましょう。それに、面白いのは艱難辛苦にあってこそ。尤も、そういった感覚は温室育ちの紫薔薇姫様には難しい領域のお話かもしれませんわね。はい。タオルをどうぞ」
「ありがとうございます。これは誠に頼もしき。ですが、努努お気をつけなされよ。薔薇の棘などで、お怪我などなさりませぬように」
「くっ!」
売り言葉に買い言葉。リーナが挑発的に返したものの、余裕の笑顔でいなされた。
言わずともがな、リーナは綺麗なお姉様を大好物にしている。だが、負けず嫌いだし、素直でもない面倒臭いご令嬢である。
心配や激励を侮りと捉え、皮肉で返してしまう悪癖があった。これは幼い頃からの実姉であるレーナとの日々の中で染み付いてしまったものである。
「アプリーレ。準備は?」
「もうちょっと。介添人はネーヴェにお願いするからね。もうちょっとだけ、待っててね」
「アンタじゃないの?」
「ちょっと、アンナちゃんに着いとかないとだからね。舞台、頼んだよ」
「アンタこそ、あのおバカの事を、頼んだわよ」
言い合って、アプリーレはレベッカとマイアにタオルや飲み物を差し出しているアンナの元へ向かう。
リーナは舞台袖から、光の落ちた舞台上で忙しなく大道具や小道具を並べてゆく運営スタッフ達を見ている。感謝と、少しの申し訳なさで。
海の巫女が舞を捧げるのは神事における儀式の一貫だ。
そのようなものであるからして、道具や装飾品の配置などにも細かい規律が設けられていた。
人類種は長い歴史の中で、そういうものを蔑ろにすると不利益が多いのだと知っていた。
だからこその、必要性を疑いながらの準備であった。超越種の介入など、避けておきたいものなのだ。
引退を主張したとはいえ、海の巫女であるリーナが歌い踊る為には準備が必要であるのだと、観客達も理解をしている。
だからこその、その僅かな時間。
ミリアムはペトラに、ノエミはリィンにタオルと飲み物を手渡しながら、労いの言葉を送っていた。
アンナとアプリーレは、レベッカとマイアの後には十五名のお姉様達に、とても甲斐甲斐しくタオルや飲み物を手渡してゆく。
ぶっちゃけて言えば、普段より修練を積んでおり、舞台慣れをしている彼女達にはそんなに必要なものではない。
「すっごく! すごかったです!」
「苦手を克服したんだね。本当に凄いよ。でも、まだ左右の筋力が均衡していないからね。怪我には気をつけて」
だが、素直な賞賛や激励は、素直に嬉しいものである。小さなものでも、やる気が沸くものだ。
そして、何故、彼女達が二人一組でなのかといえば、アンナが感激状態にあるからだ。
この状態での彼女はとにかく語彙がない。「すごい、すごい」と喜ぶだけの、可愛いお人形さんでしかなかった。
慣れたレベッカはともかくとして、今日が初対面である他のアイドル達には誤解を産む可能性だってあった。そのフォローにアプリーレが着いている。
尤も、全身で喜こんでいて、その気持ちも届いているようなので杞憂でしかなかったようであるが。
「ん。曲調が少し変わったな。そろそろか」
「リーナ。引退舞台は放送で見たけど、生の方が好きなんだ。素敵な奉納舞、期待しているよ」
「アタシも期待してるよ。あの七冠王者の新たな晴れ舞台。目に焼き付けさせて貰うよ」
ノエミが反応し、リィンとマイアからは期待に満ちた激励をされる。
「リーナ。いってらっしゃい」
「頑張ってねぇ〜」
ミリアムとペトラからも、短くも確かな想いを受け取った。
アイドル達に補給を配り終えたアンナとアプリーレは今度は戻ってきた運営スタッフ達に補給を配っている。そんな彼女達も曲調の変化に気付いたようで、合間を縫って、大きく手を振っていた。
「じゃーさ。リーナ。今日は王者の凱旋らしく、派手にぶっとばして貰おっかな」
「任せなさいな」
リーナは悪戯っぽく笑うレベッカと、パチンと手を叩き合う。
やるからには、徹底的に。それが彼女の信条だ。舞台というリングにおいて、妥協などない。
「では、海の巫女様。お手をどうぞ」
「よろしくお願いいたしますわ」
介添人であるネーヴェに手を取られ、光差すリングへと続く花道を歩み出す。
引退のステージは騒ぎとなってしまい、ある意味なし崩しの有耶無耶となってしまった。
一部のファンやアプリーレ達のように、納得していない者達だっている。
それは、子供だったリーナ自身が、自分の言葉で、先の希望を告げていなかったからだ。
拳闘に打ち込みたいのだから。と素直に伝えてさえいれば、あの時でも騒ぎにはならなっただろうと今では思えた。
作家を目指すので、文学を学びたい。そう伝えて拳闘からの引退を表明した際には応援までされている。
それらは、成長を積んだ今となったからこそ判る事だった。




