表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
揺籠の島で揺蕩う少女達。  作者: カズあっと
5章 夏の祭典。
59/74

54話 事態は一応の解決へ。


 だが、そんな彼等の中にも現状を打開しようと挑む者がいた。

 そう、連絡係である。彼は気が利く男であった。

 彼はいち早くアンナの服が汚れている事に気付き、替えの衣服を用意しようと奔走していた。

 ついでのように有用な物資が集まったのは、ただの偶然でしかない。

 何せ、アンナは子供で小柄である。

 祭典に子供の参加者は少ないし、着替えを持って来ている者など稀であろう。

 仮装の習慣のお陰で大人用のものならば幾つもあるのだが、身体に合わないし、下手をすれば非常に刺激的な姿になってしまう。

 そこで彼が目を付けたのが、ガブちゃん風、魔法少女衣装であった。

 これはその名の通りに御使ガブリエラことガブちゃんを強く意識した衣装で、ピンポイントで露出があるものの、大変清楚で可愛らしい衣装に仕上がっていた。

 素晴らしいデザインなのだがこの衣装は世に出ていない。

 理由は単純で、放送倫理機構の検閲により成人指定が必要で、冒涜的かつ危険な作品として『魔法癒し少女ガブちゃん』の放送がお蔵入りとなったからである。

 本来であれば、今期の安朝枠は『魔法癒し少女ガブちゃん』であったのだ。この区画のこの場所こそが、予定されていたガブちゃんブースであった。

 何故、彼等がこの場所に留まっていたのか。その答えはもう出ている。

 実の所、彼等十一名の紳士達は筋金入りの変態紳士達であった。

 重度、日常生活に支障をきたすレベルのロリーヤコンプレックス即ちロリコンであり、新たな美幼女ヒロインを夢見て生きる夢追い人達でもあった。

 いとも容易くアンナを崇拝した理由もこれにある。

 ビタロサを始めとする大陸諸国においては主に十歳以下の女児のうち、身体的成熟度の低い子供を幼女と呼んでいる。

 厳密な定義はないが定義がない以上、理想の幼女は個々の幻想の中にこそあった。

 彼等はロリコンであるからして、アンナの下着姿のような危険極まりない大量破壊兵器など耐え難いのだ。そんなモノを見せられたら妄想だけで生命力が尽き果てる。


「女神様。お召し物を用意しました。どうか、これにお着替えください」


 そして瀕死の風体でアンナの元へ辿り着いた連絡係はガブちゃん衣装を手渡した。

 礼儀正しくアンナがお礼をすると連絡係は意識を失い倒れる。生命維持の為に、肉体が精神を手放したのだ。

 至近距離で半裸の女神が動くのだ。幼い肢体がプリンと揺れる。アンナは小柄だが、痩せすぎという程ではない。瑞々しい肌や柔らかい肉が芸術的なまでに健康的に震える。しかも、とびきりの笑顔で。

 容易く致死量を超える刺激であった。


「ぅぇぇ?」


 目の前で人が倒れかけていて、手を差しのべぬアンナではない。抱えようと動くが物凄い勢いで連絡係は吹き飛んで離れていく。

 人類種の防衛本能による奇跡であった。

 半裸の美幼女に直接触れられでもしたら、その瞬間に全てが枯れ果ててもおかしくはなかった。それは狂化中のアンナの力量を凌ぐ奇跡であった。


「ここは、俺に任されよ」


 吹き飛んだ連絡係を抑えたのはムンライである。

 アンナの見るところ、服を脱いでからは彼だけがまともであった。

 何度も鼻血を出す事もないし、相変わらず目を瞑ったままのように見えるものの顔を上げてくれていて、会話も成立している。だから素直に称賛を送った。


「ムンライ様は、頼りになる、かっこいい大人の人ですね。レンラク様を、よろしくお願いします」


 だが、これが良くない。鼻血を吹き出したムンライは連絡係を抱えてアンナから距離を取ると、承知したと頷いた。

 ちなみに、アンナは連絡係の名をレンラクだと勘違いしている。何故なら他の者達がそう呼んでいたからだ。

 その後、彼が本来の名を名乗る事はなかった。

 女神様に授けられた名として、以後レンラクへ改名するからである。

 そしてアンナはガブちゃん服を着るのだが、その途中独り言が非常に多かった。ここ、きつい。ここ、緩い。タイツぅ。え? なんで? などである。深い意味を持つ言葉はなかったが、ムンライはまたもや鼻血を吹き出し、うずくまっていた。

 意識的に意識を手放し、生命維持を優先するチャク家流拳法奥義、【死んだフリ】であった。

 そしてガブちゃん風衣装を身に纏ったアンナであるが、とても困惑していた。

 白と蒼、ガブリエラの色調を意識した衣装はとても可愛らしく、少々暑いが袖口の広がっているのは斬新だった。

 後に萌え袖というのだとノエミに教わったのだが、この時は知らない。

 手や身体を揺らすと袖口が可愛らしく揺れるのだ。見た目に楽しい。

 タイツは膝を覆う丈で、スカート丈が短くて絶対領域を形成している。

 アンナには太腿を晒す習性はないのだが、この絶対領域の概念は既知のものである。

 結構人気のあるデザインらしい。そういえば、さっき見た偶像集団【アイドルグループ】も絶対領域を形成していた。

 全体的には清楚で可愛らしいのは確かだ。

 だが何故か、お腹の辺りに布がない。お臍が丸出しになっている。謎のデザインであった。


「服も着ましたし、霊薬作成に入りましょう」


 そう告げれば男達の頭も上がった。

 連絡係も意識を取り戻したようで顔を上げている。

 ムンライも復活を果たしていた。

 そして頭を上げた男達の視線だが、当然のようにアンナのお腹、お臍辺りに集中していた。

 デザイナーが視線誘導効果を狙っていたのだから当然の事だった。

 なお、この衣装をデザインしたのは非公式であるもののあの黄金の左がダウンを奪えなかった老人の直弟子だ。

 同時にノエミの母、ルツの兄弟子でもあるのだが、彼は無類の臍フェチであった。

 彼曰く。臍は性器であるらしい。それを露出させるデザインを好むのだから、大変な変態である。


 歓声を上げる男達。彼等は臍フェチではないので致命傷にまでは至らない。

 何名かはこの時に目覚めたのであるが、それが現れるのは後の話である。アンナが手を上げると、歓声はピタリと止んだ。


「フルゥ様、霍刺穿凡を」

「はっ」


 薬の袋を全て開けておくように、三面犬には指示を出す。

 そして針でスライムの核を抜き取り、体液のみを錬金窯へ流し込んだ。霊木に針を刺して逆さにすると、針の刺さった箇所からは蜜が溢れ出してきた。

 そして薬を指で摘んでは錬金窯に入れていった。

 この時、狂化の強度は非常に高く設定されている。

 元素単位での識別が可能となる程の強度に。

 その後は霊木をひっくり返し、試験管へ蜜を注いだ。

 経口接種する霊薬などは味も重要となる。味の良し悪しも生命力に影響するからだ。

 味が良ければ生命力は回復するし、逆に悪ければ失うだろう。

 メシマズによって命を失った者は数多くいた。


「あとは、錬金窯を発動させるだけです」


 そして試験管へ術力を送り込み、少しの間をおけば完成だ。

 この錬金窯という術具、最初に設定した効果から外れると失敗判定され爆発を起こす。成功失敗が非常に判りやすくなっていた。

 想定外の効果は良くも悪くも失敗とされるので発展性は薄いが、基礎的な勉強の為には非常に有用な術具であった。

 霊薬は無事、爆発する事なく完成している。


「大したものですな。それ程の腕前ならば、特例で資格を授けられはしませんかな」

「うーん。どうでしょうかね? 結構皆さん勘違いしがちなのですが、錬金術は定められた手法で定められた品を作る学問ではありませんので。本来は新たな組み合わせや、効果を作る為にある学問ですから分量が正確に測れても余程の発想力がないと、特例による資格までは難しいと思いますよ」


 難しい学問でございますな。と苦笑するライトニングであった。彼も学究肌だが新たな知見を得るよりも知識を貪欲に集める手合いであり、その博識さもそういった性格から来るものだった。


「液状なのですな。して、どうやって摂取させるおつもりなのでしょうか」

「それが一番難しいのですよね。最善は意識を取り戻して飲んでくれる事ですが。他には、点滴などが行えればと救急隊の到着を期待したのですが、まだのようです。無理矢理飲ませても、気管に入ってしまう可能性がありますし、どなたか覚醒などを扱える方はいますか? 他にも何か上手な方法があれば良いのですが」


 この問題の解決方法はアンナにはなかった。そして覚醒を行使出来る者もない。となれば、せっかく作った霊薬も無駄になりかねない。というのも、この霊薬には消費期限があって、一日も経てば効果を失う。


「女神様にも手段が思い浮かばないとなれば、拙者に考えがございまする」

「何か、手段がおありなのですか?」

「はい。フルゥ、出番だぞ」

「応っ!」


 ライトニングはフルゥを呼ぶと、何事か相談し始める。声は尋常な大きさであるものの、霍刺穿凡や大往生流など、専門用語ばかりでアンナには理解が及ばない。

 これは推測なのだが、三面犬の二人は、それぞれに武術流派を名乗った。加えて三人とも、アンナの狂化による感覚からでも相当な使い手であろう事が察せられた。ならば最後の三面犬であるライトニングも、何某らの流派を修めている可能性が高かった。

 そこに、期待せずにはいられない。


「女神様。名乗りをあげるのが遅れました事をお詫びし申す。拙者の名は、三面犬、大往生流、ライトニング。以後、お見知りおきを」


 そして彼の説明によると、フルゥのビロタ拳では霍刺穿凡で人体のツボとよばれる点を突き、身体操作を可能とする技があるそうだ。

 そこで問題となるのが、老人の筋力低下であるという。それを補う為に、ライトニングの外気功法という技の中にある、一時的に生命力を分け与える術、分身活性を使おうという案だ。

 これは使い手の保有する生命力などを流し込むだけの強化術で、治癒や回復などの特別な機能はないそうだ。聞くだけでは、良案と受け取れた。


「お話では、行使するのに何の問題もないように聞こえますが、私にこの説明をしたという事は何か、欠陥や見落としがあるのでしょうか。その、生命力を譲渡する技には」

「まさしく。流石は女神様。お目が高くあらせられるな。左様。欠陥があるからして、御身の助力を仰ぎたいと思っておるのです」


 そして欠陥の話へ移る。

 ライトニングが言うには、分身活性に技としての欠陥がある訳でなく、遣い手たる自身の未熟にあるという。

 彼が語るにはこの技は力を託すモノであり、基本的には全力が想定されている。長年の修練により結果的に譲渡量にある程度の調整が効くようになったもののまだ甘く、微量に留めるのが難しいのだと言う事だ。

 肉体に見合わぬ生命力の譲渡は回復術式などと同様に身体を蝕む毒となる。薬も過ぎれば毒という言葉の通りに、何事も適量こそが肝心なのだ。


「そこで、私が手伝える事となると、何も思い付くモノがないのですが」


 小首を傾げるアンナであった。

 やはり話を聴く限り、自分に介入の余地はない。既にご老人も身綺麗となり安静にしていて、三面犬を除く七名の紳士達も小ざっぱりとした清潔な水色の服装であった。

 彼等は皆、めいめい好きに過ごしている。

 アンナを眺めていたり、アンナを付し拝んでいたり、アンナへ近づこうと、ジリジリと進んでいたりだ。全てアンナに関わる事だが仕方がない。

 彼女は彼等の求めた美幼女ヒロインである。崇拝から、もう逃れる事は出来ない。


「修行にごさる」

「はい?」

「修行にござる」

「説明を求めます!」

「大事な事なので、二回言い申した。女神様には修行をして、分身活性を身に付けて頂きたい。細かな調整の効かない拙者の技で一か八かの博打を打つよりも、そうした方が成功率が高いと拙者は考えております」

「私が、分身活性を?」

「左様」

「一日以内に?」

「左様。尤も拙者の見立てでは、そう時を要する事はないと考えておりますが」


 それにはまずは、実際に受けられるのが良かろうとライトニングが言うが、思わぬ場所から苦情が入った。マルコ達である。

 彼等は口々に、安全なのか? 危険はないのか? ずるいぞ、俺だって女神様の中に色々流し込みたい。などと言い募る。

 そういえばであるが、最初にご老人の治療に当たろうとした時に否定的な言葉で止めたのも、彼等であった。

 心配という形でも、思い遣りは優しさだ。気持ちが嬉しい。彼等は優しさの表現方法が上手でないだけで、確かな優しさを持っているのだと改めて思えて、更に嬉しさは募った。

 最後の不穏な台詞は頭に入っていない。アンナの頭は大層都合良く出来ていた。


「そこは、信用して頂くしかありませぬな」

「マルコ様、子分様達、ご心配、ありがとうございます。お気持ち嬉しく受け取らせて頂きますが、皆様方が私を信じてくれたように私もまた、皆様方を信じていたいのです。身の我儘を、どうかお許し頂けませんでしょうか」


 そして淑女の礼を一つする。マルコ達は慌てて、もったいねぇ。礼なんてしないでくれろ。と口々に懇願した。


「女神様が良いって言うなら、オイラに文句なんかねぇけどよぉ……。そこの『大往生』のにいちゃん! もしも、女神様に万が一があってみろ。絶対に、許さないからな! だろう? お前達」

「「へいっ!」」


 アンナはわかってくれて良かったと思うと、思わず表情が綻んだ。期待は裏切りたくないという想いを胸に、ライトニングへ頭を下げる。


「まずは身体で感覚を覚えて頂きます。理論はその後にお伝えしましょう」

「お願いします」

「三面犬、大往生流ライトニング。参る!」


 そしてライトニングがアンナの頭に掌を当てると、暖かいモノが体内に流れ込み、そして染み渡っていった。アンナも生命力はかなり消費している。その喪失感が、力強く温かなモノで埋められていく。彼女は心地良さにライトニングの指をゆっくりと握った。

 ゴツゴツして硬く、ガサガサして重い指だ。

 でも、ちっとも怖くない。己と向き合い、長年鍛え上げられてきた強く優しい指だった。

 ライトニングは思いっきり赤面していた。

 謹厳実直な顔をしていながら彼もまた、選ばれし十一名の変態紳士、重度のロリコンの一人である。

 幼女に指をさわさわプレイなどご褒美でしかない。

 あまりの幸福感に発狂しかけたが、長年の研鑽のお陰で耐え切った。手

 を離し、表情は造りなおす。

 緩んだ顔を見られて失望されようものなら、もう立ち直れないとまで考えた。大人には、体面が必要だった。


「いかがですかな。伝わりましたでしょうか」

「ええ。確りと。詠唱は不要なのですね」

「流石に筋がよろしい。確かに、言語や祈りを用いての詠唱は不要ですが、この技の詠唱は絶えず行うものであります。ヒントは我等人類種のみならず、ほぼ全ての生物が無意識にも行っているものです。おわかりになりますかな?」

「……呼吸」


 アンナは少し考えてからそう結論付けて、呟いた。


「ご名答。ただ少しだけ、普通の呼吸法とは違います。そうですな。術式を起動した直後、大気中の術力を吸い上げるイメージで息を吸い、一度止めて全身へ循環させます。その後は術式を停止し、消失させるイメージで息を吐く。これを絶えず続けていく。出来ますかな?」

 言われるままにアンナは試みる。

 その通りにやってみると、自然と呼吸は長く、深くなる。それを繰り返す。

 呼吸が上手くいった時、全身に漲る何かが鮮烈に変わるような不思議な感覚があった。

 その感覚を掴みたくて、呼吸を更に繰り返す。

 無心であった為に彼女は気付かなかったのだが、三面犬を除く七名もまた、この呼吸法に挑戦していた。


 彼等は最初にアンナに叱られた時に、何故、最善を尽くそうとしないのかと問われた。

 解答は簡単で、諦めていたからだ。怠けていたのではない。もっと悪い。

 どうせ出来る事はない。誰かが何とかしてくれる。そういった諦めだ。

 彼等は彼等なりの普通を生きてきた。

 当たり前に優しさや憐れみの気持ちなどは持っている。病人や怪我人を平気で放っておける程冷たくはなれないし、小さな物でも悪事に怒る気持ちはあった。

 だが、その習慣の中で出来る事、出来ない事、無理な事、無駄な事などがあり、その度に味わう無力感や悲しみがやがて諦めとなった。

 それは決して、呪術などのような強制的なものでない。己を護る為の救いであり、赦しでもあった。

 だが同時に、心の中に深々と降り積もる、融ける事のない呪いとなった。

 自ら育み、自らに掛ける、術式のような紛い物ではない、本物の呪いに。

 諦めているから、出来る事を探そうともしない。

 諦めているから、考えない。

 諦めているから、自分を高めようとはしない。

 諦めているから、自分を慰める為の行為に耽る。

 そうして呪いは積み重ねられ、自己を定義するものとなる。


「呼吸とは息吹(ブレス)とも呼ばれ、これは祝福(ブレス)とも重なるものである。この自然に、当然のように行うモノを始めとして、その全てに意義を見出し、考え、模索し、行動する。それは武術の基本であって、最奥とも呼ばれる境地へと繋がり申す。術や式、それぞれ名を変え形を変えようとも、森羅万象へそうあれかしと願う心は不変であると心得られよ」


 朗々と響く声を、言葉を。聞いてもいないのに、聴いている。

 多重思考によってのものではない。ただ自然に、あるがままの心に届くそれは願い、想い、祈り。

 それらがありのままに伝わってくる。


「……繋がりました」


 そして、何かが変わった。


「ご指導、ありがとうございました」


 そして変わらぬ淑女の礼。変わるもの、変わらぬものがある。


「理は、必要でございますかな?」

「今は大丈夫です。興味がありますので、後程ご教授頂けたらと」

「承りました。では、一先ずは実践訓練といきましょう。そこなムンライへ生命力をお渡しくだされ。おわかりかとは思いますが、治癒(キュア)安息(レスト)の要領で上手くいきます。コヤツは頑丈ですし感覚も鋭いので、必ずや女神様のお力となるでしょう」

 そう促されて跪いたムンライの額へ掌を当てる。

 ムンライの鼻からは一筋の紅い雫が垂れ落ちた。鼻血であった。


「あ、あの? ムンライ様? 先程から随分とお鼻から血が出ていますが、大丈夫なのでしょうか? 私、ちょっと心配です」

「ご安心召されよ女神様。俺は生来血の気が多くてな。気が昂ると、鼻血が出る性質なのだ。俺にとっての鼻血は健康の証で、体内に溜まった悪いものを排出しているだけだ。寧ろ、元気な証拠である」


 非常に胡散臭い言葉であった。

 当然だ。なにせ嘘である。口から出任せであった。

 人類種にはそんなおかしな機能は備わっていない。


「そうなのですか? ちょっと変わった体質ですけれど、ムンライ様が仰るのなら、本当なのでしょうね」


 だが、アンナはあっさりと納得してしまった。

 なにせ、血の気の多さを表すようにムンライの禿頭にはビキビキと太い血管が浮き出ている。

 謎理論には、妙な説得力があった。

 アンナはチョロい娘である。だからミリアム達にも心配されるのだ。当然ながら男達も心配になって、心を一つにした。守護らねばいかん。と。


 そんな思惑など知る筈もなく、アンナは息吹の呼吸法を繰り返しながら、優しくムンライの頭を撫でていた。

 その上、いらん事を思い付いてしまっていもた。

 賢いといえ、八歳だ。子供である。子供は、突然に降って湧いて思い付いてしまった良い考えを心の中に留めておける程、理性的な性質を獲得していない。

 アンナもこれが練習である事は理解している。

 練習とは本番を想定した実践訓練だ。

 本番には様々な最適があり、実践はそれを想定しながら練磨するものである。

 理術の徒である彼女にはそういった思想が無意識のうちに染み付いてしまっている。

 とてもムンライの体質は珍しい。万人に向けての最適とは思えないが、術式の行使は最適を目指すものである。

 呼吸により分身活性の発動準備を整える間、今のムンライに対する最適な式を組み上げてしまっていた。


「身体の中に溜まった悪いモノは、全部思いっきり、出しちゃいましょうねっ! 頑張れっ! 頑張れっ! 元気になぁ〜れっ!」


 だから詠唱? のような応援の言葉と共に分身活性を発動させた。この応援、ムンライの耳元で囁くように行った。

 この応援方法は治療院で見たものだった。食中り、つまりは体内に有害なものを取り込んでしまった患者さんへの看護師さんによる励ましだ。

 それを真似たのである。


「ウッ!!!」

「えっ!?」


 だが、ムンライはアンナの手から離れると、顔から倒れ伏す。慌てて抱き起そうとしたアンナであったが他ならぬムンライ自身によって制された。

 倒れ伏したままだが、片手を上げて大丈夫だと示している。


「むぅっ! あれはまさしく、【菩薩活性】」

「知っているのか! 大往生の兄ちゃん!」

「うむ。菩薩活性とは、分身活性の先にある技である。菩薩とは、仏道において衆生を救う、慈悲深き御仏とされておる。分身の段階では己を託すまでの事しか出来ぬが、菩薩ともなれば、深い慈しみと見識により、譲渡相手へ最適量の生命力を施すことが出来るだろう。まさか、あの年齢で、そこまでの境地へ達しているとはな……」

「な、なんだってー!」

「ふ……。どうやら私達は、とんでもない幼女と出会ってしまったようだな」


 いち早く反応したのは、ライトニング、マルコ、フルゥである。ライトニングの解説は非常に便利であった。おかげでアンナは分身活性、否、菩薩活性という技を問題なく行使出来る事が判った。

 だが、そうなると腑に落ちない点がある。何故ムンライが倒れ込んでしまったのかだ。これが解らない。


「俺には少々刺激が強すぎたようだ。女神様。今回は、恐らく応援の言霊までは必要あるまい。あれには、治癒、勇奮、強化の術式が同時展開されているのにも似た気配があった。ご老人に使うには、いささか刺激が強すぎよう」


 地に伏した姿勢から、仰向けとなったムンライが鼻血を拭って言った。当初の位置関係から彼の頭はアンナの足元にあった。


「おいっ! テメェ! ムンライとか言ったかこの野郎! どこに居るんだと思ってやがる! どきやがれっ! 女神様の足元だぞ!」


 マルコの罵声が飛んだ。ムンライはアンナの足元にいる。それも仰向けで。アンナはスカートを履いている。スカートは構造上、下から覗けば下着を遮る布地はない。


「っ!」


 慌ててアンナは後ろに跳んだ。そこにはライトニングが居て、背中を彼の膝小僧にしたたかに打ち付けることとなった。


「ご、ごめんなさぁい……」


 涙目で謝る。先程まで下着一枚で動き回っていたくせに、覗かれたと思えば、やはり恥ずかしかった。冷静さを欠いた行動で、迷惑をかけるのは申し訳ない事だと思った結果であった。


「オラっ! 覚悟しやがれっ! このすっとこどっこいが! テメェが覗いていたのはなぁ! 女神様の、ありがテェおパンティだ! このバチ当たりがよぉ! オメェみてぇな変態なんざ、バチが当たって目が潰れるがいいぜっ!」


 そうマルコがムンライに喰ってかかる。

 恥ずかしかったが、別に怒っている訳ではない。争いなど辞めて欲しかった。

 あと、下着の事をおパンティと呼ぶのも辞めて欲しかった。何故だか、すごく恥ずかしい物に聞こえるからだ。


「マルコ様、落ち着いてください! ムンライ様も、ワザとではありませんので! 不幸な事故ですよっ!」

 なので、叫んで制止する。実際に偶然であった。

 たまたま彼の倒れた場所が、アンナの下着が見える位置にあっただけである。例え頓着はしてなくとも、アンナは視線には敏感だ。

 それに狂化中でもあるので感覚も鋭くなっている。

 もしも覗こうとする意思で見られていたのなら、それに気付かぬはずもない。

 だが、ムンライからはそのような視線を感じ取る事が出来なかった。だからこそ偶然と言い張り、庇う事が出来た。


「で、でも! 女神様っ!」


 マルコは納得いかないようで、怒っている。それには立ち上がったムンライが、ムッツリと黙った事も影響していた。

 恐らくマルコの所属する集団は反社会勢力である鉄の掟の徒だ。本人の申告でもそうだった。

 そういった集団は何より面子を大事にしている。それを傷付けるような真似を許す筈もない。そのような者に対しては死力を尽くすのが、彼等の流儀であった。


「ふぅ……。マルコ殿といったか。貴君は俺が女神様の下着を見ていたと言ったか」

「おうよっ! この変態がっ! オイラの目の黒い内には、女神様を邪な目で見る事なんざ、決して許しはしねぇぜっ!」


 啖呵を切ったマルコであった。

 彼には、あまり優しい言葉を掛けられた記憶がない。

 マルコは元孤児である。彼の時代では現在のような育成制度がなく、孤児は社会に縁を持ちようもない外れ者であった。

 蔑まれ、虐げられて生きてきた。

 やがて生きる為に無頼となり、今では一家を構える親分となってこそいるが、その半生は不遇であった。

 彼が反社集団に所属したのも、その腕っぷしを買った悪漢が寄るべない彼に甘い言葉を囁いて上手く丸め込んだからに過ぎない。

 だからこそ、優しい言葉をかけてくれたアンナへ傾倒していた。尤も、その過去は、彼が重度のロリコンである事とは何も関係ないのだが。

 話の流れとはまったくの無関係に、ムンライも自分がアンナの下着を覗いたと思われている事が、マルコの怒りを買ったのだと気付いた。

 なのでマルコとアンナへ向けて詫びるのだが、マルコの怒りは収まらない。

 実の所ムンライも、自分が悪い事をしたのだとはまったく思ってはいない。

 そして、マルコもそれを感じ取っていた。二人は悪い意味で通じ合っていたのだ。


「済まないが、俺には貴君が、なぜそうも女神様の下着を覗いたと怒るのかがわからん」

「て、テメェ……」


 今にも殴りかからん程にマルコの怒気が膨れ上がる。開き直りに聞こえたのだ。マルコは男一匹、一家を預かる大黒柱として、このような態度が大嫌いであった。学識などなくとも、美学があるのだ。

 だが、ムンライは涼しい顔をしている。馬鹿にされているようだった。マルコは衝動的に、彼へと掴みかかる。拳を振り上げたものの、なんとか抑えた。

 彼にも、子供の前での暴力は御法度だという良識があった。老齢に差し掛かってやっと、激情を抑える理性が働くようになっていた。

 何事かを考え込んでいたムンライであるが、やがて合点がいったというように頷いた。そして彼はクワリと目を見開く。


「見よっ! そして、聞けぃ! このムンライ、生来目が見えぬっ! この俺が、女神様の下着を見たとされて、頷く理由が、どこにあろうかっ!」


 そして叫んだ。その姿と言葉の衝撃に、流石にアンナも言葉に詰まった。先天性盲目の者との邂逅は初めての事だった。


「あ、あの。ムンライ様はお目々が?」

「左様。なので、ご安心召されよ。俺の記憶には女神様の下着など、残念ながら残ってはおらぬ。蒼でフリフリの可愛らしい下着でしたな。くぅっ……。見てみたかった……」


 残念なのか。それ、記憶してますよね。そして見たかったのか。と、ちょっとだけ、というよりも、大層残念な物を見るような顔をしてアンナはムンライの瞳を覗き込む。

 確かに彼の眼球には角膜が存在していない。角膜は複雑な光の屈折を取り込む機能を備えている。それが無かった。


「この瞳では、残念ながら物を見る事は出来ませんでしょう……」

「す、すまねぇ。ムンライ。オイラ、オイラ」


 胸を張るムンライに対し、マルコは男泣きしながら謝罪した。

 思慮が足りず、語彙もなく、流れ流れて、一匹狼の破落戸から、やがて反社会勢力所属にまで身を落としてしまった彼であるが、情に深く、そして篤い。

 鉄の掟の徒は建前上、治癒や洗礼を否定している。

 暴力に身を窶す生活の中で、障害を残した者も少なくない。そんな彼等に絆されて、面倒を見てしまったからこその現在であった。


「いや。すまん。今回は俺が悪い。親分さんが怒るのも無理はないのだ」

「ムンライっ!」


 二人の漢は硬く抱擁を交わしあっていた。仲直りしたようで、よかった。と思ったアンナの側で、跪く者があった。


「分身活性、否、菩薩活性の習得、おめでとうございます。このフルゥめも、準備は整っております」


 フルゥである。修行というには実にあっさりと終わってしまった菩薩活性習得であったが、都合が悪い筈もない。

 それにライトニングの計画の肝はアンナでなく、フルゥである。

 その彼の準備が整っているのならば、アンナに否はない。問い掛けるようにライトニングを見上げれば、彼も深く頷いた。

 これで、全ての準備が整った。アンナ達は担架の上に乗せられて、昏昏と眠る老人の元へ赴いた。

 先ずはライトニングが老人を抱えて起き上がらせた。そしてアンナが菩薩活性により生命力譲渡を行い、霊薬を少しだけ口の中に注ぐ。すかさずフルゥにより霍刺穿凡が放たれると、老人の嚥下する喉の動きが見えた。

 そのまま残りの霊薬を注ぎ続ければ、自然と喉を鳴らし、老人は霊薬をコクリ、コクリと飲み干していった。


「ううっ」


 老人の口から苦悶の声が漏れる。

 痛みによるものだ。だが、この痛みという感覚、決して悪い兆候ではない。

 自然な痛みや苦しみは、術式による治療の初期段階において、肉体や脳が正常な機能を回復し始めた証拠とされていた。


「峠は越えました。あとはお医者様に診せれば、なんとかしてくれるでしょう。皆様方、素晴らしいお仕事を、ありがとうございます。大変お疲れ様でした。シニョーリ、オッティモ ラヴォーロ!」

「シイ、セニョーラ! オッティモ ラヴォーロ!」


 最高の仕事と労って、アンナは十名の勇士達へ作戦終了を告げる。返す彼等もまた、同じ言葉で吠えた。

 アンナはとても安心して、ご老人の隣にペタリと座り込んだ。皆が心配して駆け寄ろうとするのを顔を上げて止める。笑顔を浮かべて。

 身体が辛い訳ではない。むしろライトニングの分身活性により、この場所に辿り着く前よりも元気であった。だから無理なく笑って語る。


「安心して、気が抜けただけです。ちょっと疲れちゃいましたけど、大丈夫ですよ。皆様、お爺様の事をよろしくお願いしますね。私は、おねーちゃん達の所へ帰ります。愛情深く誇り高い、シシリアの紳士達へ。貴方達の未来に、幸多からん事を。父と子と精霊の御名において、そうあれかし」


 そう言って立ち上がり、アンナは男達の前から去っていく。男達は茫然として見送った。

 自慢でしかないが、アンナは笑顔に自信があった。

 お母様の最期を見送った笑顔である。お母さんとお父さんにも、大好きだと言われる笑顔だ。


 とっておきのものだった。別れの時はいつだって、笑顔が良かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ