51話 お祭り。行列に並べば。
あまり読まれないのは寂しいけれど、この夏の祭典編は夏の間に発表したい。
二十話くらいあるのですけどね。
列に並んでいるアンナ達だが、夏の盛りで暑いものの然程の疲れもなく雑談に興じていた。
少しの間を置いて、数歩ずつ列を前へ詰めながら。
ミリアムが大きな日傘を翳してくれていて、陽射しは遮られている。レベッカが甲斐甲斐しく手持ちの送風機で風を送ってくれているので、蒸し暑さも緩和されていた。送られてくる風は冷やしタオル越しなので、冷たくて気持ちが良かった。
リーナは大きめの保冷箱に腰掛けて、時折冷やしタオルを取り替えるよう指示したり、皆に飲み物を勧めたりしていた。
彼女は指揮官なので、常に他の四人の様子へ気を配っているようだった。
保冷箱は大小二つあり、前へ詰める際に片方はリーナ、もう一つはアンナ以外の三人のうち、手空きの者が手に持って運ぶ。大抵はミリアムかレベッカであった。
ちなみに、ノエミには特に役割を与えられていない。彼女は気儘に行列を抜けて各所を見て回っては、スケッチを取っていた。
リーナはこの場でノエミに明確な仕事を割り振り指示するような、愚行を犯す指揮官ではなかった。
この祭典では他に類のない、独自の文化が発展していた。架空人物を模した仮装である。
この場は創作物の即売会場であり、規約上では違法性のない自主制作した物品ならば、何を販売してもよいとされている。
だが、その多くは絵画や小説、絵物語や映像作品などで占められていた。
日用品や遊戯用玩具、小物なども多少はあるもののあくまでもオマケなようなものだ。それらの品は、別の即売会で主力となる事が多いので、棲み分けの結果であった。
いつしかこの祭典には一部の者達が創作上の登場人物に扮して参加するようになった。
それは販売者側の売り子であったり、購入者側の作品愛が為にするものであったりである。
これには、祭典で販売される創作物の七割近くが二次創作作品である事も影響していた。
ビタロサは脳筋も多いが教育水準は高く、文化芸術を愛する気風があった。
物語の登場人物に成り切る遊美は懐かしく、楽しいものである。
その遊美が歓迎される祭典に、色とりどりの仮装をした参加者が集うのは至極自然の成り行きであった。
ノエミの目当ては、そんな参加者たちである。
会場はまるで異界のように、本来の社会とは異なる常識で支配されている。
そこかしこで、日常では決して纏う事はないであろう衣装で着飾った紳士淑女が詰めていた。彼女の興味を引かぬ訳がなかった。
「うー。リーナお姉様、私にも何かお手伝い出来る事はありませんか?」
「いいのよ、アンナ。見なさいよ。ノエミなんて、さっきから遊び呆けているじゃない」
「ノエミお姉さんは遊んでいるようで、なんだかんだでちゃんとお土産を持って帰って来たりして、補給の役割を立派に果たしているじゃないですか。何もしてないのは、私だけですよ」
リーナはノエミの事をよく知っている。
自己中心的で傍若無人な女だが、抜け目がない。その癖、身内意識が強く、寂しがり屋であった。
身内の意図は要らんところまでよく察するし、感覚が鋭い上に賢いので、何も求めずとも必要な時には列に留まっていてくれている。
お土産は抜け出た先で手に入れたものなのだが、丁度身体が欲するような菓子や軽食を持って来てくれていた。
「アンタにはウチのお話相手の重責を与えているんだから、身体は休めておくの。ちんちくりんに出来るお仕事なんてないわよ。悔しかったら、もうちょっと身体を鍛えなさいな」
ビタロサの習慣では昼食を取らない。彼女達も本来ならば食事はいらないのだが、この日は少々事情が異なった。
三日間に渡る祭典の最終日であるこの日。
ミリアム達学園生組の夏期講習が午前中早くで終了する日でもあった。
祭典自体は夜通しで行われているのだが、いずれもしっかりとした家の娘である。日暮前の外出など認められる筈もない。
前の二日間は夕方まで講習があり、彼女達には出撃する機会がなかった。そこで、どちらの意味でも最終日であるこの日に狙いを定めていた。
「そういえばさ、シラクザまであんなに混んでるとは思わなかったよ。いつもなの?」
「まっさかー。今日のは事故渋滞。普段なら、高速馬車なら正午頃には着いてる予定だよー」
シシリア州民としては新参者のミリアムが尋ねると、古参であるレベッカが答える。
高速馬車は強化術式を施した早馬に引かせた馬車だ。値段にもよるが、大体普通の早馬の五倍程の速度が出る。巡行距離の倍率も同じ程度であった。
馬車が走れるのは整地された街道のみだが、複数名で荷物を持ち寄って乗る条件ならば、高速で快適な乗り物である。
彼女達はそれで祭典会場まで向かうつもりであった。当然、余裕を持って出発している。
だがその道中、シラクザ市近郊にまで着いた頃、渋滞に巻き込まれた。
「ついてないねぇ。よくあるの?」
「事故なんて、珍しいんだけどね。シシリアの主な街道は四と一車線が引かれているし、それぞれ車両も侵入規制があるの。御者は専門家ばかりだし、よっぽどの事態でもなければ、事故なんてないんだけどねー」
話していると販売側から、オーガスレイヤーズブレイド最終巻の販売は、現在の最後尾までで締め切ります。と、告げられる。
並ぶ行列からは歓声が、並び損ねた者達からは悲憤が湧き上がる。即売会での販売部数には限りがあるので、こういう事もままあった。
最後尾付近では怨嗟の怒号が響いているが、やがて収まる事だろう。
騒いでいるのは一部の者で、一時の感情で不満を吐き出しているだけだ。大抵は諦めて、新たな獲物を探して離れていった。時間と物品は有限なのだ。
寧ろ、今のように行列の人数から逆算して締め切る販売者は良心的である。酷い場合は散々並ばされた上で、やっと辿り着いたと思ったら、品切れとなっている場合だってあるのだ。
「最近、多いわよ。州政府が観光を打ち出して以来、外から来る人も前より一層増えたしね。今回の事故も、案の定他州の車両らしいわよ。——御者の方々から連絡よ。無事、渋滞を抜けました。会場までは間も無く到着するでしょう。予定どおりの時刻に待機しておきます。だって」
「御者さん達も、やっと渋滞抜けたんだ。降りてなければ、間に合わなかったね」
リーナは簡易交信機を持っている。それで御者と連絡を取り、情報を受け取っていた。交信機は御者、もとい馬車を管理する借馬屋ブッテラより貸し出された物で、連絡用として渡されている。手厚いサービスであった。
「ウチの判断は正しかったわね」
「流石です! リーナお姉様!」
「フフン。もっと褒めていいのよアンナ。それがアンタのお仕事よ」
得意顔をするリーナをアンナはハイ。と元気よく返事して、更に持ち上げる。
先程まで漏らしていた不満などもう忘れたような顔で。さすおね、さすおねと語彙が少ないので、リーナも鼻高々だ。単純な娘達であった。
「私はアンナちゃんにまで無茶させたのを、許してないがな」
ノエミがアンナの口へちょっと大きめの飴玉を押し込んで、リーナをじっとりと睨んだ。
飴玉はハッカ味で、スゥーッとする。生姜は苦手でも、ハッカ飴は平気であった。
「へーひへふひょ」
アンナは平気ですよ。あれくらい。と言いかけて、赤面して黙ってしまう。大きな飴玉を舐めているので、ちゃんと喋れないからだ。
飴玉一つでアンナを黙らすあたり、ノエミも結構な策士であった。リーナはアンナの頭を撫でる。
渋滞に嵌ったアンナ達は、リーナの提案により高速馬車を降り、走って会場であるこの展示場へと向かった。ここは海岸沿いに建っていて、シラクザ市の外れにある。彼女達は荷物を抱え、それなりの距離を走る事になった。
「言うまでもないことだが狂化は強化よりも身体の負担が重いんだ。身体が出来上がっていないのに長時間使うのは怪我の元にもなる。誰もがお前達のように、身体能力に恵まれている訳ではない。それだけは、忘れてくれるなよ」
「そうね。無茶させて、悪かったわねアンナ。何処か痛むところはない?」
アンナは首を横に振る。その様子にノエミも表情を緩めるが、まだ心配そうにしている。
仕方がないのでアンナはノエミのお腹にグリグリと額を押し付けた。喋れないので、大丈夫。心配してくれてありがとう。という意味だ。ノエミは片手でアンナの金色の柔らかい髪を梳く。ノエミの顔は珍しく、大変だらしなく緩んでいた。
「ノエミ。すっごい顔してるけど」
「羨ましいか? まぁ、身体はなんともなさそうだし、許しておくか」
彼女の態度はいつも大概なものなので、あまりアンナに甘えられる事がない。
ノエミは軽々とアンナの事を抱き上げて、ミリアムへ手渡した。アンナは虚無顔になった。脇腹は弱いのだ。ノエミの指は的確にサワサワと動きながら脇腹に触れている。
こういう事をするから、警戒されてあまり甘えられないのである。
「進むぞ。ミリアム、任せた」
「あいよ。アンナちゃん。高い高いだよー」
器用に片手でアンナを受け取り、肩車するミリアムだ。列が進む時には、必ず彼女に肩車されていた。
アンナは小柄なので、人が多いと足ばかりしか見えない。お祭りのようなものなのに視界に映るものが足ばかりである。
視覚情報から、状況が読み取れない。最初アンナは困惑していた。箱入りなので、人混みに慣れていないのだ。最初に列が進んだ時などは、驚き竦んでしまっていた程である。
その様子に気付いたミリアムによってされた肩車が始まりだった。
「たっかーい! いっぱーい」
目に映る情報の数々に、歓声をあげるのだ。
ミリアムの背は高い。その上に乗せられているのだから、アンナの視線も自然と高くなる。
「おー。アレは飛天の仮装ですよ。すっごい、すっごく凝ってますね。お。あの仮装はもしやあの、ねずみーまっくす? なかなかの勇者と見ました」
ねずみーまっくすの仮装者に気付かれて、手を振られる。アンナも元気良く手を振り返した。子供達に大人気のねずみーまっくすは夢の国のヒーローだ。数々の物語に登場し、様々な冒険をする冒険者として描かれている。
この祭典に幼い子供達の参加者は珍しい。
未成年という意味ではリーナ達も子供でこそあるのだが、内実をよく知った上で参加している。無知な子供には当てはまらない。
実はこの祭典、大凡半数の販売物が成人指定の創作物であった。
五人の内それを知らないのはアンナとミリアムだけである。
無論、成人指定の物品を彼女達が閲覧、購入する事など出来ないし、するつもりもない。
会場も別けられているので、直ちに悪影響はなかった。それでも何かの間違いで、子供がそちら側に紛れ込んでしまっては目も当てられない。
そんな事情もあって、子連れで訪れる大人は殆どいなかった。
「あっちの画面のおねーさん達も、かなりの美人さん揃いですけど、うちのおねーちゃん達程ではありませんね」
アンナがかなりの美人さん達と呼んだのは、今をときめく女性偶像集団五人組である。
見た目の良さと、歌唱や踊りの確かな実力で人気を博し、最近の放送では見ない日はない程に出演していた。各国の男女問わずに大人気を得ているが、放送を視聴する事の稀なアンナには知る由もない。
「こらっ! アンナちゃん。人を比べるような事を言っちゃダメ! マリアおねーちゃんやドロテア様にも叱られるよ」
「? でも実際に、おねーちゃん達の方が綺麗だと私は思いますよ?」
ミリアムが嗜めるが、アンナは疑問符いっぱいに問い返した。
この娘、ずっと世間が狭かったせいかこういった機微には疎い所がある。純粋に悪気などなく、思った感想を口に出してしまうのだ。
本人は人を比べているつもりも優劣をつけているつもりもないので、性質が悪かった。
「アンナ。淑女は言葉を秘めるものよ。よく考えてもみなさいな。アンナ、アンタはウチよりも小さいわね。こんな事言われて、アンタは嬉しい? 事実だからといって、ありのままの感想を伝えるのは優雅さに欠けるわ」
ぐぬぬ。と唸ってアンナは頷く。成程、確かに事実だがリーナより小さいと言われて、とても悔しい想いをした。そういう言葉を使ってしまったのだ。反省しなければならない。
同時に、聞こえてはいないであろうが、おねーさん達には、悪い事をしてしまったなと思った。だから、謝罪と共に言い直す。
「ごめんなさい。綺麗なおねーさん達。皆さん美人さん揃いですが、私はミリアムおねーちゃんと、レベッカおねーちゃんと、ノエミおねーさんと、リーナお姉様の方が大好きです」
不意打ちで好意をぶつけられた四人娘も、流石に一瞬固まった。満更でもないのだが、やはり照れ臭い。
年頃ともなると、直球で好意を伝えられる事も減るのだ。それもなんでもない場面でなら尚更であった。
「ま。今はそれでいっか」
「アンナちゃんの教育は任せたぞ。リーナ。私のような真人間に育てるのだ」
「誰が真人間よ。この性格破綻者。それに、教育なんておこがましいわ。マリアお姉様がいるのよ。充分じゃないの」
「いやー。難しいんじゃない? せんせーも大概に天然だしさー。多分?」
なんのかんのと言いながら進む。
穏やかに笑い合い、列を詰めて行く。だが、ミリアムが足を止めたその時、怒号が響き渡った。
「おいっ! 大変だっ! こいつ、倒れやがった! すまん! スタッフさん、来てくれ!」
アンナの耳に響いたのはそんな怒声とも、悲鳴ともつかぬ叫び声だった。そしてアンナには見えていた。
列の遥か先で、フラリと倒れて地面に頭を打ち付けた男性がいる事を。
アンナはすぐさま狂化を用い、ミリアムの肩から飛び降りると駆け出した。
男性は頭を打っている。会場の床は磨き上げられた石畳だ。とても硬い。
直立した高さから、何の抵抗もなく硬い地面にぶつかったのならばその衝撃は大きく、最悪、生命に関わる。
一刻も早く適切な処置をしなければ、なんとしてでも助けなければならない。
その想いで頭がいっぱいになり、思わず動いていた。
「え? ちょっ」
ミリアムにも声は届いていたが、倒れる男性を直接見ていた訳ではない。
突然のアンナの行動に驚き、無意味な声をあげる。
呼ばれたのはスタッフだ。
当然ながらアンナはスタッフではないし、一刻を争う事態であるなどとは思いもしない。
それにミリアムはすぐ様動ける格好ではなかった。
大きな日傘を差しているし、他にも荷物を抱えている。それは送風機を手に持つレベッカも、保冷箱を抱え持っているリーナも同様だった。
「すまん、皆! 私が行く! ここで待っていてくれ!」
唯一手ぶらであったノエミが叫び、駆け出した。
強化は必要ない。アンナは狂化を使っているが、その強度は極端に高くはない。あまり強く狂化をしては、危険だと判断したのだろうとノエミは察した。
ノエミの評価ではアンナはとても賢い子だ。
人混みの中で強度を高めた狂化を用いて人にぶつかれば、アンナ自身はともかくとして、相手は無事では済まない。
その理性的な判断力は素晴らしいものだが、残念な事に身体能力はクソ雑魚だ。
万が一、人にぶつかっても相手が怪我をしないよう抑えられた速度など、ノエミからすれば問題にならない。容易く追い付き、アンナを抱え上げた。
三人の身体能力に対して苦言を呈したノエミだが、彼女も変わらない。
ただ、知っているだけだった。無理をして身体を壊してしまった、多くの未来ある女性達を。
「何処だ!」
「このまま、まっすぐ! 列の途中に切れ目があります! その真ん中辺りっ!」
一言でノエミの意図を察してアンナは告げた。そして詠唱を始める。治癒の詠唱だ。術式維持を行い、即座発動を可能とする為である。
ノエミも同じ事をしていたので、アンナはその意図を一瞬で理解出来たのだ。
やっぱり、ノエミおねーさんは、かっこよくて、優しいお姉さんです。
などと思える余裕まで出来ていた。だが、油断大敵であった。
「おいっ! こっちも倒れたっ! 頭打ってるぞ! 血がっ!」
「チッ」
「おろしてください! ノエミおねーさんは、今の方の元へ! 場所は見えた筈です! 私は先の方へ向かいます。お願いっ! 助けてあげてっ!」
「承知っ!」
別に、列での並びはもっと先でも、倒れた者が出たようだ。舌打ちするノエミに指示を出し、狂化を再び用いた刹那にノエミの腕から離される。
アンナは再び地を蹴り駆け出す。ノエミの速度がぐんと上がり、その背中が瞬く間に遠ざかっていった。
アンナは当初の目的地へと辿り着く。背中を見せる人混みのせいで、怪我人の姿は見えない。
「通してください! 怪我人は!?」
叫ぶ。すると何人かがピクリと震えて振り返る。最初に後ろ。そして下に視線が向かう。
そこ居たのは、小さく綺麗な女の子。アンナであった。ざわつく彼等に再び叫ぶ。
「治療します! 通しなさいっ!」
半信半疑の様子だが、意図を察したのか道が開く。
そこには、横たわり、ビクビクと痙攣する男性がいた。何名かの人が側に付いているようだが、有効な治療を行えているようには見えない。
アンナの声に反応した一人が、そっちまで運ぶと叫んだが、アンナは再び叫ぶ。
「動かさないで! 私が行きます。そこの貴方と貴方は、壁に収納されている担架を組み立てて。他の方は救急箱の用意と、フタッフに動線と病院の確保を要請してください」
道が開く。そしてアンナは怪我人のもとへと辿り着いた。
痙攣は動きで判った。白目を剥き、僅かであるが、瞳孔の散大が見られる。口元には泡。少量であるが鼻血も出ていた。呼吸は浅い。
良くない兆候だ。頭を動かすのは危険な為、患部を直接見れてはいないが、床の接地面との角度から大きく凹んでいるように見えた。
そして男性の胸元にまたがると、術式を展開する。
僅かに呼吸は持ち直し、瞼が降りて、顔が歪んだ。
痙攣も治った。周囲から歓声が上がるが、まだだ。
アンナの維持していた治癒は応急処置の為のものである。
血液と酸素を適切な場所へ運ばせる生命維持、所謂時間稼ぎの為の治癒に過ぎない。
患者を見ることなく、治癒など出来る筈がない。故に、再びの詠唱。
「我はここに集いたる人々の前に、厳かに主に誓わん。我が生涯を清く過ごし、我が任務を忠実に尽くさんことを。我が望みたるは、癒し。地に踊る、強き力の躍動よ。水に宿りし、生命の誕生よ。火に揺れる、熱量の再生よ。風に流れし、息吹の循環よ。天の星々、夜の帷。そして儚き人。森羅万象全てのモノへ、我が愛を捧げよう。慈愛深き、救いのラッパを吹く御使よ。我に御力を貸し与えたまへ。優しき光を賜りたまへ。治癒」
詠唱を終えると、癒しの光に包まれる。主の人と呼ばれる偉大なる御使、ガブリエラの力と同質のものであった。
同時に患者の状態が伝わる。頭蓋骨の骨折に、重度の脳挫傷。脳は繊細な器官であり、僅かな損傷が重大な機能不全を引き起こす。構造も複雑であった。
だが、単なる傷だ。傷の治療法など、どの器官であろうかわ、大きくは変わらない。
繊細な器官から不純物を取り除き、潰され、切断された部位を再生させながら繋ぎ直してゆく。
絶えず全身へ必要な生命力を送り込み、循環させながら活力を与え自然の代謝を促す。
やがて挫傷した脳が健康な状態まで回復し、骨折も癒える。そして男性が意識を取り戻した。
「……女神さま?」
「大袈裟ですよ。ただの街娘です」
「ありがとう。女神さま……」
そして再び意識を失った。疲労によるものだ。治癒は強力な術式だが、決して万能ではない。
傷の治療の代償に、身体の活力、所謂生命力を消費する。怪我が重ければ重い程、その消耗は大きい。
人類種の身体構造上、代謝による自然回復でも生命力を消耗する。
生命力を補給し続けている術式発動中ならばともかくとして、治療が終われば補給は途切れる。
消耗に耐えきれず、自然と肉体は休眠状態へ移行した。一時意識を取り戻したのは
生命力補給が途切れた際に起こる過負荷によるものだ。途切れる直前に多く生命力が送られるのは、術者による保険でしかない。
だが、有用な手段でもあった。意識がある事が確認出来れば、最悪の事態ではないと安心出来るからだ。
なお、生命力補給だが、そのようなモノが勝手に湧き出る筈もない。術者の負担であった。
「皆さん、この方はもう大丈夫です。動かしても問題ありませんので、お医者様にかからせてください。私は、もう一人の方の元へ行きます。お騒がせして、申し訳ありませんでした」
「それには及ばないよ。アンナちゃん。治療は施しておいたわ。打ち所が悪くなかったのか、そう大怪我ではなかったよ」
一礼して駆け出そうとしたアンナの耳元へノエミが囁いた。
治療を終えて、戻ってきたらしい。
やはり手際が良くて、頼もしいお姉さんだとアンナは尊敬の眼差しを向けた。
ノエミは耳を赤くして、ピクピクと震わせている。
ご満悦な証拠であるが、アンナはノエミの耳の秘密をこの時知らない。
ノエミの耳は長い髪に隠れているため、下からは見えない。彼女の耳の秘密に気付けるのは、彼女を喜ばせた状態で、見下ろした事のある者だけだった。
「流石ですね。ノエミおねーさん。我儘に付き合ってもらって、ありがとうございます。列へもどりま……え?」
安心し、礼を言って戻ろうと言った瞬間に耳に入ったのは、悲鳴と怒号。アンナは狂化したままだ。
狂化には、感覚強化も含まれている。その鋭敏化した感覚が、拾ったものだった。
彼女は顔を青褪めさせて強度を上げる。そこかしこから、悲鳴と怒号が響きあっていた。
「ノエミおねーさん! ペン貸して!」
すかさずペンが渡される。アンナはポシェットへ入れていた会場地図を取り出すと、幾つかの場所を丸で囲んだ。
「ノエミおねーさんは、一度みんなの所へ交信しながら戻って、事情を説明してください! その地図はミリアムおねーちゃんに念写して貰ってください。丸を付けた場所に怪我人がいます。私は最初にここへ向かいますので、後はよろしくお願いします!」
アンナは一つの丸をバツで潰すと、地図をノエミに押し付けて駆け出した。
ノエミが止める間もない。だが、止める必要などなかった。
指示は的確だ。アンナは交信が使えない。戻ってからの説明では時間が掛かるだろう。それに、ノエミの方が足はずっと早い。
「まったく。可愛い顔して、とんだじゃじゃ馬娘だな。だが、お姉さんとしては、信頼に応えるしかないか」
アンナの付けた丸印は九。
一つはバツ印で潰されている。残るは八。
それぞれ位置は離れているが、四人で手分けをすれば二回で済む。そしてノエミも同じく駆け出した。
基本は一日に一話から複数話投稿するつもりです。
どうすれば読まれるかな。書き溜めだけは沢山あるのですけどね。
一から書き直した方がマシなのかな。
でも、どういじれば良いのかもわからない。




