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揺籠の島で揺蕩う少女達。  作者: カズあっと
4章 日常と学びに。
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43話 またもや溢れ話 ガリアの姫君と復讐者。


 姫君は教室の扉の前で歓声を挙げている生徒へ何事かと問い質す。

 すると彼女が答えて曰く。

 先生が、プロポーズされたとの事である。

 お相手は姫君が入って来た方の扉とは別の扉の前に立っている。

 担任を持たない、物理学専門の教諭であった。青白い顔に眼鏡を掛けた、ヒョロヒョロした貧弱な体躯の男性だ。

 姫君は男が苦手であるにしても、年若い少女でもあるからして好みの異性像は当然あった。

 彼女の好みは父や兄達、それに王宮の騎士達や拳闘の師のような、筋肉質な逞しい男性である。

 物理学教諭には然程の興味を示さなかった。

 だが、なかなかに肝の座った面構えをしている事だけは認めていた。

 彼の表情は闘う男のモノだった。姫君はそういうのは嫌いではない。

 何故、そんな事態に。などと続けて問えば、女生徒は再び答えて曰く。

 今朝、物理教諭と先生が同じ借り宿から出て来て、しかも一緒に登校したんです。キャー、大胆。との事である。

 続けて曰く。これを目撃した生徒達が騒ぎ立て、囃し立てた為に、責任を取ろうと物理学教諭が態々教室までやって来て、先生に結婚の約束を迫ったのだという。

 実はこの前日。件の借り宿では学園教諭達の親睦会が開かれていた。

 忙しさにかまけて伸びてしまっていた新任達の歓迎会であった。学園長主催である。

 この先は定期考査や夏期講習と更なる多忙が続くので、致し方なく安息日前日でもない平日に催された宴会だった。

 ほぼ全ての教師陣が集ったのだが、その主賓は二人。キリトの幼馴染と物理学教諭であった。

 彼等は高名な学府の修了者だ。

 先輩教師達の中にはその頃から知る者もいて、二人の仲を気に掛ける者までいた。

 二人は先輩達に朝まで散々弄られた挙句、借り宿に二人取り残された。

 先輩教師達は朝の課外活動も請け負っており、その準備の為に早朝からの登校の必要があった。

 これは赴任二年目以後に志願によって請け負うもので、翌年には二人もまた請け負う事になるのだろう。だが、この日はまだそのような役はない。

 時間ギリギリでようやく準備を整えた二人は遅刻をしない為に、揃って登校したという。

 その光景を目撃していた女生徒達が大袈裟に尾鰭を付けて喧伝し、学園内は騒然となった。

 良識ある一部の教諭などは事情を説明し、そっとしといてやれなどと嗜めたが、生徒達の盛り上がりは止まらない。

 なにせ、箸が転げても可笑しい年頃だ。こんな面白そうなイベント。放っておける筈もない。

 更に話を面白おかしく盛りに盛って、収集が付かなくなっていた。

 その事態の収束の為に、物理学教諭は何故だかプロポーズをしたらしい。訳は判らないなりに筋は伝わった。

 そう説明をしてくれた自称、どこにでもいる入り口の傍に立つ、ちょっとだけ噂好きなだけの少女は大変な事情通であった。

 姫君と侍女は、どこにでもはいないだろう。などと思ったものだが、軽く流しておいた。突っ込みは野暮なのだ。

 そして姫君は、そう。ありがとうね。と彼女へ告げると、スタスタと担任と不審な男の元へ寄って命じた。

 その女性を即刻、お離しなさいなと。

 なんでも調書によると彼女は、「聞いたところによれば、その方はたった今プロポーズされたばかりである。見えないとはいえ、他の男性にお乳を揉まれているなど、沽券に関わる。即刻、お離しなさいな」と告げたという。

 何も聞こえず、見えてもいない他の生徒達はひどく困惑した。

 応じるつもりなどないキリトであった。

 せせら笑い、年端もいかない姫君に問い返した。

 それは構わないのだが、では、そうする事に拠って俺にどれ程の利益があるのかと。

 代わりに、君のその豊かなモノでも揉ませてくれるのかと。

 これにブチ切れたのが短気なガリアの姫君であった。彼女は伝家の宝刀を抜く。左拳であった。

 その拳は振り抜かれ、キリトの頭を吹き飛ばす。

 伝わる頭を失った頸部からは止めどなく血液が噴出した。まるで紅き噴水だ。

 拳は再び淑女である姫君の左ポケットに収まっているが、ただそれだけだった。

 たちまちのうちに周囲は騒然とした。

 当然だろう。多くの主観によっては、自分達の教室内に見知らぬ男が立っているのだ。

 しかも首から上の無いその男は、何故だか彼女達の担任の豊満な胸部を両手で揉みしだいている。担任は紅色の液体で濡れており、呆然としていた。

 姫君は担任教師を不審者の手から引き離し、自らの侍女へ洗ってきてあげなさいと命じる。ガリアの忠臣はすぐさま主の言葉へ従った。まさしく阿吽の呼吸であった。

 だかしかし、あまりにも血生臭い光景に失神するものまで出てしまう。

 これはいかぬと仕方なく、姫君は術式を発動する。侍女を遠ざけたのはこの為だ。

 彼女達は、これを使おうとすると五月蝿いのである。その術式こそがガリア王家に伝わる、時空術式の極北であった。

 限定的時間操作。この技術により、ガリアの王族は殺しにくく、擬似的な死者蘇生をも可能とする為に、ある種特別な立ち位置を築いている。

 その効果は、任意の対象か、あるいは範囲の時を操る。代償は効果により様々だが、巻き戻しの場合はその時に対する、割合分の寿命であった。無論術者のだ。

 この割合には個人差があるものの、どのような割合であろうとも、安易に使うべき術式ではない。

 それに時を巻き戻すとは言っても、実証結果としてそうであるとされているだけであって、全容は解明されていない。時空術式にはまだまだ未解明な点が多いのである。

 それでも、判明している事実は幾つかある。

 対象の時を戻しても、起こった事実は変えられない。ましてや理論上可能性が示唆されているとはいえ、世界そのものや特定個人を過去へ戻す事などは出来ない。

 仕方なく、本当に仕方なく姫君は、ガリア王族式時空術式を発動させた。

 真面目でこそあるが、あまり賢くはない彼女の頭では、それ以外に事態を収束させる方法など思い付かなかった為である。


 平和な時代に生きる殆どの学園生にとっては死体などあまり見た事もなく、頭部が弾け飛ぶような凄惨な死体など今まで見る機会もなかった。

 人心に落ち着きを齎すのは、王族の役目である。

 第一、このようなつまらない場で殺人者の汚名を被るなど、誇り高き姫君には許されぬ事であった。

 とはいえこの姫君。この手のやらかしは何も初めてでは無い。何度もやらかしている。その度に、時空術式を用いて揉み消していた。殺人の常習犯である彼女は、決してガリア王夫妻の言うような少々お転婆などという可愛げのある生物ではなかった。

 そうして術式発動と共にキリトの頭部は再現される。彼は見事に蘇生したのだが、先程までの太々しさはどこへやら、大層怯えていた。

 仕方があるまい。彼は一度、死んだのだ。それも頭部への打撃によって。

 肉体が過去へと巻き戻り、蘇生しようとも一度起こった死の記憶は消えない。

 彼は一度時空など関係しない黄泉路へ渡り、死者として裁かれている。死者への裁きは生前の罪を贖う為のものであった。

 散々に人罪を重ねた彼にとっては非常に辛いモノとなる。

 後年までその記憶を他言する事のなかったキリトであるが、この時ばかりは恐怖によって竦み恐れ、失禁迄している。目の前の少女が、自分に死を齎した存在だと悟った為である。

 これも仕方のない醜態であった。

 並の強者では何度か死んでいる事もあるが、要領の良いキリトには死の経験がない。

 例え上級登録されようとも、人口の約半数を占める女性に敵対者と目されようとも、死程度の運命を克服出来ない者は強者とも、超越者とも認められる事はない。彼は初めて陥った死という根源的な恐怖を克服出来る程の強者ではなかった。

 なお、何らかの間違いで仮に彼が死を克服していたのならば、かつての魔王自称者に匹敵する災厄が誕生していた恐れがあった。

 死を克服した者は、強大な力を得る。元々の強者ならば自制が効くが、そうでない者は理性の箍が外れやすい。

 力に振り回されて暴虐を働くようになる。古来より、そういう事は多かった。

 もしもそうなれば、責任など取りようもない。ガリアの姫君はとても幸運な少女でもあった。

 なにはともあれキリトは腰を抜かし、ガクガクと震えている。

 上級冒険者が、成人を迎えてもいない少女にだ。

 扉の傍に立つちょっとだけ噂好きな少女が、これは死という抗い難い恐怖に晒された者によくある反応なのだと、訳知り顔で周囲へと説明していた。

 何故そんな抽象的な感覚を知るのかは判らない。世の中は、判らない事ばかりであった。

 侍女が戻ってきている。

 姫君達の担任はどうやら気を失ったようで、養護教諭と物理学教諭に後を任せ、戻って来たのだとの報告を受けた。見れば、貧弱眼鏡の姿はなかった。

 良いでしょう。と頷く姫君であったが、では、これから如何にしようかとなれば、彼女のツルツルの脳細胞では名案が浮かぶ筈もなかった。

 目の前の男は不審者であるが、どうしてだか酷く怯えている。

 強者の余裕か持つ者の責務なのか。はたまた普通の感性か。彼女には戦意喪失した者を更に虐げるような真似など出来ない。

 困ったように眉を下げる彼女へ、僭越ながら。と侍女が耳打ちした。

 姫君とは違って、優秀な彼女達の脳細胞には各国の要注意人物達の情報が刻まれていて、当然、目の前で情けなくも命乞いをし続ける男の情報も持っていた。

 概要を伝えられた姫君は表情を紅くしたり蒼くしたりと忙しなかったが、やがて落ち着きを取り戻すと厳かに、裁定を下すと宣った。

 私人逮捕や、裁きなどを禁じているのが国際法だ。個人が極端な力を持ち得るこの世界である。

 それが許されてしまえば、社会形成など立ち行かない。

 それが解っているので、多くの人類種は各法規に納得し、従っているのだ。

 日常の崩壊を望む破滅主義者など産み出さない。それこそが、権力と呼ばれるモノの義務であった。

 その見返りと呼ぶには少々語弊があるものの、義務を負う者達には応じて、幾つかの特権が許されている。

 例えば教会による主の名の許に下される赦しや、国家の責任として齎される王権に依る裁定だ。

 ましてや相手は冒険者組合による生死を問わずの指名手配犯。

 ガリアの王族である姫君にはこの場で裁定を下すだけの権限があった。故に、彼女は自ら裁きを下すという判断をしたのだ。

 この選択。実はあまり賢いものではない。

 冒険者組合や各国家間との関係を省みれば、拘束して組合に突き出す事こそが最も角の立たない方法であった。

 仮にガリア式時空術式を用いず、蘇生させずに組合へ遺体を引き渡したとしても苦情は入らなかったであろう。

 実績もない一学生が上級冒険者を制圧するなど、偉業である。何の問題もなく賞賛されていた筈だった。

 だが、姫君はそうしなかった。

 目の前で泣き喚く情けない男が組合職員を手に掛けた二件の殺人犯で、恐らくは醜悪な性犯罪者でもあろう事を知っていて尚、弱者として、憐れみを覚えてしまったのだ。

 これまでの彼女の身の回りには、上から下まで、気高き強者しかおらず、このような振る舞いを見せる者などいなかった。

 大の男が泣き喚き、失禁までしながら許しを請う姿に彼女の背筋は震えた。知らずに、口角まで上がってしまう。大層刺激的な感覚だ。

 理性としては目を背けたい程に醜悪なのに、不思議と眺めていれば心地良い。

 彼女は絶対的権力者の末娘として、大層甘やかされて育った。

 欲しいモノは何不自由なく手に入れてきたのだ。

 傲慢にも、このような新感覚を教えてくれた者を手元に置いてみたいという欲求に抗えなかった。

 故に下した裁定は、彼女の欲求を満たす為だけのものである。

 姫君は凶悪な犯罪者である貴方の命を救う方法なぞ、自分に仕える事しかないと言う。

 妾ならば生命だけは救えるが、職員を二人も殺害され面子を潰された組合はそうではないだろうと。

 するとキリトは床に何度も額を擦り付け、仕えます。仕えさせて下さいと懇願した。

 姫君が傍の侍女へ何事かささやくと、瞬く間に侍女は姿を消し、姫君はキリトへ、それは困難と苦難に満ちた道なるぞ。と念押した。

 とても獰猛な顔付きであるが、床に額付くキリトには見えない。

 余程命が惜しいのか、はたまた先程体験した死がそれ程に恐ろしかったのか。

 なおも翻意を促し、組合への出頭。つまりは死を以てして罪を贖う道を示す姫君に頷くことなく、子供の様に命乞いを続けた。

 これには流石に、教室の女生徒達もドン引きである。無論、姫君にではなく男の方に。

 彼女達は最初、姫君の術式により蘇生されたキリトの姿がちょっと陰のある、酸いも甘いも知る色男に見えていた。

 そんな歳上の男性が酷く怯える様子に、ある種の母性本能が刺激され、ちょっと隠していた性癖や、新たに芽生えた趣味嗜好が首をもたげかけたのだが、それも長く続けば引っ込む。

 瞬間に弱さを垣間見せるのは魅力だが、卑屈で情けない人間性など、相当な特殊性癖の者以外には刺さらなかった。

 彼女達は既にシラけていて、多分自習になるけど、さっさと片付けちゃってね、姫。見苦しいし。

 などと言いながら、退屈な日常へ戻ってゆく。

 お祭り騒ぎは楽しいが、痴漢騒ぎを起こした不審者など面白くもなんともない。

 飽きた少女達にとって、彼はかなりどうでも良い存在となっていた。だがまだまだ。茶番は続く。

 侍女が戻って来ている。

 他校の制服姿の男女二名を伴って。

 侍女は大荷物を抱えており、男女もまた、多少の荷物を携えていた。それらの全てには医療用品を示す刻印がされていた。

 この時にはキリトも、大分落ち着きを取り戻している。

 ならば貴様の命、預かるのもやぶさかではないと姫君が口に出し、その後懇々と優しい声音で自分に仕える者。殊に侍女としての心構えなどを説いたお陰であった。

 憑き物の落ちたような顔でキリトは心を入れ替え、私心を忘れて忠義を尽くしますと誓った。

 ならば禊をしないとね。さぁ立ち上がりなさい。と姫君が優しく言うと、素直にキリトは従った。

 そして姫君は左ポケットに突っ込んであった拳を一閃。

 それは黄金に煌めく光速の拳。

 そしてそれは、拳闘では反則である下腹部への一撃だ。所謂ローブロウと呼ばれる打撃であった。

 姫君が左手を掲げ、侍女がすぐさま付けている手袋を外し、新たな手袋を嵌める。古い手袋は速やかに汚物入れに仕舞われた。

 キリトは猛烈に嫌な予感に襲われて、自身の顔をペタペタと撫でる。頭は有る。痛みなども感じない。

 先程は痛みなど感じる前に冥府にて裁かれた。

 その後の苦痛は彼の中では筆舌に尽くし難い物であったが、命有るようなので一先ず胸を撫で下ろす。下を向く。凄まじいまでの違和感。

 手で股間をまさぐった。無い。痛みはない。だがあるべき筈のモノがない。

 そこには、彼を彼たらしめていたモノがない。

 呆然と顔を上げた彼に姫君は大きく頷いて、侍女によりキリトは首筋へ注射を打たれた。

 精神的衝撃によるものか、薬物の効果か、程なくして彼はその意識を手放した。




 大方の予想通りに職員集会となり、午前中の授業は自習となった。

 教室の後ろの方では様々な術式が展開され、鋭い声音や機械音により少々煩いが、大した事ではないかった。自習の監督に来ていた非常勤講師も落ち着いたものだ。

 この学級ではその程度の騒ぎ。問題とならない。毎日がお祭り騒ぎであった。

 姫君は黙々と、自習用に配られた問題集を解いている。

 彼女の侍女には自習をサボらせ、後ろで作業を任せているが問題ないだろう。侍女は優秀で、学業成績だけならば学年上位五指に入る。

 神妙な顔付きで問題集を片付けていく彼女だが、胸中では浮かれ上がっていた。

 咄嗟の名案を思い付いた己の頭脳への、自画自賛であった。

 この姫君。格好を付けて裁定を下すなどと級友達の前で宣言し、貴方が生命を保つには自分に仕える以外ないだろう。と提案したのだが、その時にはまだ迷いがあった。

 組合の顔を立て、彼等へ突き出さなくても良いのだろうかと。

 だからこそ生きたいと請い願うキリトに対し、罪を償うには組合への出頭が一番でごさいますのよ。と説得したのだが、聞き入れる様子がなかった。

 これは万人の持つ当たり前の生存欲求と、上流階級ならではの、命を惜しむな、名を惜しめ。という哲学の齟齬から来た擦れ違いである。

 姫君は、もしも自分が悪事を働いたのならば、法の元、潔く裁きに身を委ねる事こそが人間らしい行いだと考えていたのだが、どうやら彼の考えは異なるようだと諦めた。

 侍女からの情報によれば、彼は無位無官の農家の育ちである。上級冒険者としての活動もしていない。持つ者の負うべき責務など、身に付いていないようだった。

 彼は、自分自身にしか責任を持たないまま、年齢だけを重ねてしまった憐れな大人であると姫君は判じた。

 そのような境遇の者ならば、自身の生命こそが何より大事だと信じてしまうのも頷ける。それでも、万人皆等しく、尊厳は保たれなくてはならない。

 それで仕方なく、もしもの仮定の上で貴族に仕える者の心構えなどを説いていたのだが、この時にはもう姫君としても彼を手元に置きたいという衝動は消え去っていた。

 そして、その時に覚えた術式へ自然抵抗した感覚も、彼の先天術式。偽恋へのものだろうと看過している。

 侍女から聞いた条件こそ満たしていないが、周囲の反応と併せて見れば推測も立つ。

 術式の条件緩和や効果変動などは珍しい事ではなかった。

 だが、仮にそうだとするならば、この男。相当に気性が悪い。

 かといって、自分に仕えさせるのも難しい。姫君は当然ながら女性であり、キリトは男性だ。祖法によりガリア王族の直臣に、血を残す可能性のある異性は認められていない。かといって、気性難を目の届かぬ場所に置く事も躊躇われた。

 この途中。自分の後見の許に誰かしらに付けるしかないだろうと考えてもいたのだが、やはり気性が悪いのは困る。教育も充分でないのならば尚更だ。

 彼に関する全ての責任は姫君が持つのだ。面倒は御免であった。


 だがここで、姫君の脳裏に天啓閃く。


 彼女はブリテン王女とは大変ウマがあい、共通の趣味を持っていた。そう。競馬である。

 競馬には交配や繁殖により、より優れた競走馬を産み出すという前提がある。

 だが同時に興業であり、博打でもあった。様々な条件の元、数多くの馬が走る。

 その中で昇華された存在の中に、騸馬というものがあった。血を繋ぐ事を諦める見返りに、様々な利点を享受する家畜である。

 この場合、必要により人類種の手によって生み出された、競走馬としてである。

 まずこの騸馬とは、去勢した牡馬の事を言う。

 馬が家畜化された頃には生産調整の為に、既にこの習慣があった。

 利点は多岐に渡る。軍馬としては気性を抑えて扱いやすくなり、捕縛されても繁殖に使わせない。

 発情期に興奮しなくなり、通年で安定した能力を維持出来た。流行により競争数が増大したこの頃では、非常に重宝される存在だった。

 そして姫君は勉強家なので博識で、歴史上にこれと良く似た官吏がいる事を学んでいた。

 その名は宦官。

 生殖機能を引き換えとして、君主に仕える立場を得た者達だ。

 源流は刑罰により去勢され、奴隷として君主やその妻子の為に働く事で一代限りの自由と生命を許された、被征服者達や罪人などである。

 歴史においては権力者の側に侍り、大きな権勢を誇った者までいた。時代が下ると、宗教的な理由で欲望を断つ為に利用する者など良い方で、ついには出世の為に自宮する者までもが出てくる。

 生活水準や社会制度が未熟な時代において、権力の側近くに仕える事はそれ程までの魅力であった。

 つい五百年程前までは、各国の後宮などでよく見られた官吏であった。

 では何故。現在において廃れているかといえば、技術や文化の発展に依るものだ。

 最低限の生活水準は行政によって保証され、教育が普及した。仕事や栄達は他にいくらでも道がある。

 人類種の代表として為政者には力量のみならず、道徳的な聖賢像までもが求められるようになる。

 そういった倫理観からすれば男といえず、女ともいえない異形となる事や創り出す事は、厭わしい習わしだった。

 現代では人口が充分で、後宮の労働力など容易く賄える。政治力学や権力闘争上などからの思惑は別としても、態々宦官を用いる必要などない。

 彼等は需要と供給の兼ね合いから、自然と廃れた存在となっていた。

 姫君は、キリトにはそんな存在になって貰おうと思い付いてしまった。

 政治的な仕事などない彼女には、別に直臣は必要ない。

 だが、側仕えの侍女が増えれば便利であった。お一人様限定何個の特売品など、手の者が多ければ多い程まとめ買いが出来る。

 だからこそ、懇々と侍女の心構えなどを説いたのだ。

 どうやら彼も侍女の仕事には興味があるようで、段々と顔色にも生気が戻ってきたようだった。

 乗り気になってきたキリトの様子に、姫君は無邪気に喜んだ。

 術式には性別転換のものもあるが、それはあくまでも術式発動中の事であるし、あまり強力な術式を掛けて人格に影響があっては問題だ。

 姫君は人道主義者である。非人道的な術式など使えぬし、使うつもりもない。

 考えてみれば彼の犯した一番重い罪状は殺人であるが、性犯罪者でもあるし、宮刑は禍根を残さず禊とするにはなかなかに丁度良い塩梅のお仕置きだと思えた。

 素晴らしい思い付きであるのではと、姫君は考える。

 自分のお手伝いさんは増えるし、キリトは望み通りに生きられて、しかもガリア姫である自分に仕えられる。

 大昔では極刑に次ぐ刑罰とされていたので、冒険者組合の顔を立てるのにも悪くはない。これこそ三方良しで、これ名案なりと、彼女は自画自賛を惜しまなかった。


 まさに、悪魔的発想であった。


 貴人、情を知らず。という。

 姫君は心よりの善意から、この提案をキリトへと持ちかけた。

 是非に。と頷く彼に、殊勝なものよ。と幸福感で満たされた姫君は、手づから刑を下賜してあげようと張り切った。

 昔から、上位貴族などが自ら刑を執行する事は犯罪者にとって、誉であるとされている。

 ましてや王族である姫君だ。

 名誉としては最上位のものであろう。

 それに普通のやり方では長く痛みを伴うのだろうが、彼女の手に掛かれば一瞬で済む。

 切断面も綺麗になるし、痛みなどもない筈だ。何せ、光速の拳である。位置的に振り下ろしになるが、何も問題はなかった。

 問題があるとすれば、男性の股間に触る手袋くらいであった。

 とはいえ、自信満々に見える彼女にも、まったく不安がない訳ではない。

 既に廃れてしまっているが、通常宦官となるのは若い男である。キリトは少々トウが立っている。どのような不具合が生じるかは、未知数でもあった。

 その為に、優秀な癒師を二人も呼んでいる。

 女性は姫君の直臣で、男性は彼女のパートナーであるらしい。

 どちらもガリア国民で、姫君に対する忠誠心にしても、筆頭侍女ほどではないものの高かった。男性の方迄呼んだのは、後で検証したい事があったからである。

 とはいえ、人手が多くて困る事はないだろう。


 そしてキリトを立ち上がらせると、黄金の左を抜き出し撃ち下ろす。再び拳を左ポケットに収めている内に、御使メタトロンによる契約の副音を示す音楽が鳴り響いた。

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