39話 溢れ話 マルテ2
娘の夫、孫の父親が魔獣に襲われ亡くなった。
大戦後である、魔王統治期であった。
それは兄弟と令嬢の孫娘。ミウチャが学府で政治学を学んでいた時期でもある。
父が健在であった頃のミウチャは政治に興味があるのだと、稼業に気を向ける事がなかった。
だが、彼女は母と祖母の姿を見て、学府を辞めてでも手伝おうとしていた節がある。
これは止められたようで、逆に彼女は博士学位を授かる事を求めらた。
やがてミウチャが博士学位を授かる前にして、祖母である令嬢もまた世を去った。
母は家の事は気にせずに好きな仕事をしてみなさいと言い、ミウチャの帰郷を許さなかった。
ミウチャは職を転々としながら旅をして、心に響く素材を探した。それも、服飾デザインの勉強をしながら。
その旅の途中で、彼女は二つの運命と出会う。後の夫、バトリッツィオ。そして『サリカ』との出会いであった。
後の夫となるパトリッツィオは、トスカーナ地方のビジネスマンで、革製品の小物を製作する二つの工場を経営していた。
それらは高級ブランドではないが品質が良く、業界内ではそこそこ高い評価を得ていた。
彼は工場見学を申し込んできたミウチャがマルテの一族だと知ると、マルテは変わらないといけないと力説した。彼はマリオの頃いた職人の息子で、マルテには強い思い入れがあるようだった。
彼曰く。マルテの強みは探究と変化にこそあるのだと。追い求め、造り続けるからこそ心惹かれ、求められるのだと。
この言葉がミウチャの心に響いた。彼女は無職のまま彼とビジネスパートナーとなった。
同行者として手を取り合い、再び素材を探す旅に出る。そしてロストール東部に隣接する小国家シェゾの首都、秘められし都プラガへと辿り着く。この地で彼女はもう一つの運命。サリカと巡り会った。
プラガは学術都市であり、錬金術の研究施設が集まる街だ。錬金術師組合の至宝、賢者の石発見の地でもある。実験、実証用の工場が国によって置かれており、工業も発達していた。
この街で生産されていたのがサリカという化学繊維であった。
薄く、軽く、頑丈な素材だ。摩擦に強く、手触りは滑らかでいて、撥水性も高い。名はサリカ山から取られており、生地としては山籠りのテントや、上空からの降下時に使われていた。
本来、自然界には存在しない。化学的手法により精製されるそれは、石炭と水、そして空気より作られ、鋼鉄より丈夫で、蜘蛛の糸よりも繊細だと謳われている。
天然資源である石油や石炭は過去においてはいずれにせよ枯渇するものとされていて、非常な貴重品であった。それらは自然の中で長い年月をかけて精製される素材であったからだ。
その癖、これらの資源の用途は多岐に渡る。
発術所や機械類、術具などの補助燃料や、薬品、化学化合物などなど、類をあげればキリがない。
稀に異界において採掘される事があるものの、あまりにも危険であった。これらは地層深くに埋もれていて、地を深く掘り、外気にあまり触れさせずに運び出す事が求められたからである。
怪物が跋扈し、危険と隣り合わせで脱出すら困難な異界での採掘など、容易ではないのだ。
それでも、特定の手順を踏めば応じた効果が得られる安定性は人類種の発展において大きな力となった。
だが、石炭や石油は有限の資源である。供給は産出国の政治的、経済的な思惑に左右され、価格も安定しなかった。
それを解決したのが賢者の石だ。
過去に夢見られたような全能ではないが、理論上可能であれば、術式を用いてありとあらゆる物質を精製出来る。まさに、至宝と呼ぶに相応しい。
ミウチャはサリカに惚れ込み、これを素材とした製品を企画した。なにせ最上級の絹のような手触りで、光沢を湛え艶のある質感は高級感があった。
しかも丈夫で破れにくく、型崩れもしにくい。水を弾くので、汚れにも強かった。製法が明確な化学繊維である為、加工も容易く、発展性もある。そして何より、どこででも造れて素材としては比較的安価であった。
ミウチャは同行していたパトリッツィオに、サリカの精製工場を求めた。対価は彼女自身。そしてその未来として。
彼女はその後、いくつかの素材とデザインを携えて新たな発見を求めながら故郷へ戻ろうと旅を続けた。
作品を造るのならば、マルテの工房以外にない。その途中、母が倒れたとの報せが入り、彼女は急ぎ帰郷している。
幸いにも病床の母は命に別状はないようだった。
だが、半身と足に軽い麻痺が残ると医師には宣告され、仕事を控えるように忠告された。
マルテは燻ったままであり、何より母自身の気持ちが折れかけていた。
不自由な身体では今まで以下の仕事しか出来ない。
マルテを手放す事まで検討していた。勢いに乗る他社により、買収の提案を持ちかけられていたのだ。
そこでミウチャは提案する。自分が経営に携わろうと。幾つか新製品の企画があり、それで駄目なら身を引くとも。
そしてミウチャがデザイナー兼経営責任者として就任すると、サリカ生地を用いたブラウスやドレスなどの衣類や、サリカ生地と皮素材とを組み合わせて造られた鞄『サリカ』を発表する。
これはかつてマリオが背負っていた鞄を一回り程小さくし、女性向けに細部をリデザインしたものだ。
無骨さはなく、実用的ながらも華やかに仕上がっている。
これらは数年の後、大ヒットとなる。
当初、これらの製品は社内でも発表を躊躇う声があった。高級鞄の素材といえば皮であり、マルテといえば皮製品が主役である。
斬新なものは受け入れ難く、一歩間違えはブランドに傷をつけかねない危険があった。
燻っているとはいえ、マルテは高級ブランドだ。保守的な空気は根強いものであった。だがミウチャは自分のスタイルを信じて押し通した。
最初の反響は芳しくなかった。
やはり世間、ことに元々の顧客である上流階級では皮革のマルテのイメージが強く、王道でない新素材には懐疑的であった。
また、価格は比較的抑えられたものであるが、元来が上流階級向けである。中流では気軽に手を出すにも躊躇われる額だ。
ミウチャとパトリッツィオには、この初動は想定内であった。二人はこの状況を打破する為の策略を用意している。
これ以前に、パトリッツィオはミラーノで小売店を開いている。取り扱い商品は『サリカ』。商品を発表する以前の話であった。
発表の後マルテは小売店からサリカを引き取り新古品とする。これは、少し前の時期に活躍した商売人であるノルド社長、アントニオの模倣であった。
本来の価格よりも安値となった商品だが、どう扱うのか。ノルドのように国外に販路を求めるのではない。マルテが顧客として定めたのは、芸術の都ミラーノで群れをなす、役者やモデルの女性達であった。
この頃は既に、副業としての冒険者は一般化し始めている。夢こそあるが、役者やモデルなどは不安定な職業である。それなりの活躍程度では、とても食べてはいけなかった。
他の副業をする者もいるが、時間や都合に融通が付けやすい冒険者は人気の副業であった。
ミラーノが治安の良い大都市で、観測されている異界も、難易度の低いものしかないという平和さも手伝っての事だが、常日頃から節制を心掛け、身体を鍛えている彼女達である。冒険者として決して不向きではないし、公共に役立てているという誇りも持てた。
広告塔として、彼女達に目をつけていたミウチャは組合や街角で彼女達に声を掛けてサリカ製品を売り込んだ。彼女には勝算があった。
この役者、あるいはモデル兼女冒険者達は多忙で、荷物も多い。
ミラーノは芸術の都で、絶えず何処かしらで、何かしらの演劇や歌劇、コンサートやファッションショーなどが開催されている。彼女達は人数も多いが、付き人や専属メイクなどを持つ者などほんの一握りの売れっ子で、殆どは自前で用意していた。
その荷物は多岐に渡る。
化粧道具は当然として、必要であれば衣装などはもとより、小道具や、一部の生理生活用品なども携行していなければ不便で仕方がなかった。
冒険者としての活動が加われば荷物は更に増える。収納術式は高難度で、扱える者もそう多くはない。
そうとなれば、彼女達に一番必要とされるのは何であろう。そう、鞄である。
ミウチャは職を転々とする中で、ミラーノでではないがモデルも経験している。付き人や専属メイクのない駆け出しとしてだが。
だからこそ、その需要を理解していた。彼女は収納術式こそ使えるが、それ程の練度ではない。
鞄に荷物を詰め込んで歩いた方が、余程楽であった。ショウビジネスに携わる女性ならば、必ず背負い鞄の需要があるのだ。それも、軽く、丈夫で、汚れに強い、お洒落な背負い鞄の需要が。
果たして、狙いは外れず需要はあった。それも、驚く程に。
ミウチャが主に声をかけようとしていたのは、手提げ鞄をパンパンに膨らませた女性達である。この時期の女性の持つ鞄の流行は、楚々とした印象を与える、可愛らしい手提げ鞄にあった。
これは貴人は大荷物を持たないという習慣からのもので、魔王による各地での放送に映り込む貴人などのファッションから流行したものだ。一時は下火になったもののこの流行、再復権している。
これは魔王統治期終盤に活躍した勇者一行でもある神聖ロウム帝国の姫が、その手の鞄を好んで使っていた為だ。
彼女は同時代に生きる女性達にとってのファッションアイコンだった。
後には違うと知られた事であるが、勇者と剣士は男性だと思われていて、ドロテアは子供扱いされていた。世の女性達が憧れ、自己投影出来るのは当初は姫だけだった。
実際に非常に美しく、育ちから姿勢も良いので華がある。普段の振る舞いは天然ボケで可愛らしい癖に、何事かあれば、理知的で威厳がある振る舞いで、厳粛に場を納めた。
放送を見ている者達にとっては、そんな彼女の影響力は強かった。模倣し、あやかろうと思うのは自然な欲求だ。
格好だけでもと再流行しない筈もない。これに乗ってマルテも、後にはサリカにバリエーションを増やした。
というのは後年後の話で、この時期までは各国の王族がファッションアイコンで、女性は小振りな鞄を持つものがお洒落とされている。
そういった事情もあり、ミラーノの女性達の主流も手提げ鞄であったのだが実の所、彼女達の生活環境にはあまり向いていない。
両手片手の区別なく、あまり大きくても見た目のバランスが悪くなる。
付与術により鞄内部の容積を高めても、元がそれ程ではないので限りがあった。
第一姫自身が、大荷物など想定してはいなかった。彼女達は収納術式が上手に使える上に四人いて、荷物は魔王討伐に必要なものしかないのだ。
彼女が鞄で持ち運ぶものなど、必要最低限の生理生活用品くらいのものだった。
ミラーノの女性達の持つ手提げ鞄の容量は大きくなく、荷物が多いので、自然と鞄は膨らんだ。
鞄は革製か布製ばかりであったので、彼女達の鞄は、いっそ憐れな程型崩れしていた。
ミウチャはミラーノでショウモデルとして参加し、サリカを背負ってそこかしこを宣伝の為に歩き回った。
モデルとしては少々とうが立っていたものの、若造りな美人であった為、それほど浮く事はなかった。
中には彼女が地方でモデルをやっていた事を知る者もいて、苦労してミラーノまでやって来た仲間と思い、親しく声を掛けてくる者までいた。
そんなミウチャが背負うのがサリカである。
手提げに比べれば、背負う為に大きく、従って容量も多い。シルエットは活動的な女性に合わせて、繊細ながらも華やかに仕上げてある。
背が高い訳ではないが、ミウチャは硬質な顔立ちで姿勢もよく、荷物を背負っていても、とても美しい立ち姿をしていた。
鞄を他の女性達の持つ手提げのように膨らます事もないので、とても洗練された印象を与える。
ミウチャはマルテの娘である事を隠さなかった。
彼女を知る者は多いので隠す事に意味がなく、寧ろ稼業が傾きつつある家の為に、中年実業家へ嫁がざるを得ず、その前に憧れだったミラーノで、モデルに携る仕事をしたくて帰ってきたのだとまで喧伝していた。
青年実業家パトリッツィオはミウチャよりも十歳上だし、ランウェイを歩むモデルに憧れないミラーノ娘などいなかった。嘘はない。
周到な自己プロデュースにより、僅かな期間にしてミウチャはモデル仲間達に同志として受け入れられている。
美意識が高く、活動的な女性達である。
ミウチャ、そしてサリカに注目しない筈がない。なにせ、自分達は両手で鞄を抱えて、えっちら、おっちらと街を這いずり回っているというのに、彼女は颯爽と街中を駆けるのだ。
両手が空いているので、歩きながらでも食事が摂れる。特にこれが、目を惹いた。
決して気品ある振る舞いではないのだが、時間の惜しい彼女達には羨ましかった。
ミラーノの屋台はレベルが高く、美味い、早い、安いと三拍子揃っているのだが、多忙な彼女達にはとても、楽しむ余裕などなかった。
立ち止まって鞄を置き、悠長に食事を摂る時間があるのなら、化粧や打ち合わせに時間を割きたい。夢見る乙女達は、非常にストイックであった。
当然のようにサリカへの問い合わせが相次いだ。
これまでの背負い鞄の殆どは、大人向けでは背嚢のような無骨な物か、豪華だが、その分重く嵩張る皮革物ばかりであった。子供向けの可愛らしい布鞄もあるにはあったが、小さく、機能性は知れたものである。
しかも、自立した女性達は恥ずかしがって背負わない。
そこに現れたのが瀟洒な意匠の背負い鞄だ。
それも新素材を用いているという。
新し物好き達は瞳を輝かせた。試しに背負わせて貰えは、嵩張らず、とても軽い。絹のようにすべすべとした生地は柔らかく、背中を痛めなかった。
皮革の場合は馴染むまでは非常に硬く、柔らかくなるまでに手間も時間もかかった。
聞けば、サリカと名付けられたこの肌触りの良い新素材。見た目よりも遥かに頑丈で傷付きにくく、雑に扱っても型崩れしないという。
確かにミウチャは雑に扱っているが、傷もなく、型崩れもしていない。しかも水を弾く為、汚れが付きにくく、洗濯もしやすいときたものだ。
女性達はそんな素敵な鞄、何処で手に入れたのかと次々に問い掛けた。
まさにミウチャの思う壺である。
彼女は、地方でモデルの仕事を貰った時期に、忙しさと荷物の多さが辛く、なんとか楽にならないかと背負い鞄が欲しくなったのだと答えた。だけど、皮では背中が痛んで、布ではすぐに駄目になってしまうとも付け加えて。
モデル仲間達にも覚えのある悩みである。大いに共感する。そこでミウチャは残念そうに語りを入れる。
自分はモデルとしては才能が足らず、向いていない。ならば、モデルの仕事は諦めて、その仕事の助けになるような素材をと探しているうちに、サリカと出会ったのだと。
多少の演技と脚色が入っているものの、概ね事実であった。彼女の背丈は成人女性としては低目で、舞台映えや、画面映えを求められれば物足りない。
実際にミラーノのモデル達と並べば、かなり小柄であった。
一人でいれば均整の取れた肢体と姿勢の良さで映えるのだが、大勢で並ぶ事となる舞台では、はっきりと見劣りしている。
彼女が短期間でモデル仲間達に受け入れられた背景には、自分の立場を脅かさない娘という認識があった事は争えない。
とはいえ、ミウチャも別にモデルが本懐ではない……筈である。
偶々旅先で誘われて、仕事を貰って、ほんの少しだけ、ほんのちょっとだけ、僅かに期待していて、憧れていただけだというのが、本人の談だった。
誰が聞いても未練がましくはあるが、そういう事にしておく事こそが平和であった。
彼女の憧れが本物であったからこそ、周囲も認めたのだろう。
事実、ミウチャは端役や雑用であっても、実に嬉しそうに熟した。彼女は上手く演技していたつもりであったが、どちらにせよ、それぞれの内心を慮るのは野暮である。ともかくとして、サリカは注目を集めたのだ。
デザインや設計が彼女のものだと聞けば尚更だった。
ミウチャがサリカを新作として発表したものの、反応は芳しくなく、社内でも販売に躊躇する声もあり、お蔵入りになるであろう事を伝えると、もったいないとの声があがった。
新作という事は唯一品ではない。現在の在庫は幾つあるのだと問われて返すは、十種三十個ずつの三百個。
化学繊維であるサリカは着色が容易で、様々なカラーバリエーションが用意されていた。ならば。と、求める声があがるのは当然だった。
程なくして、これら初期ロットは全て売れている。
マルテ社側の計らいにより、新古品としてだが。これにより実態価格は三割程割引かれた。それでも決して価格設定は安いものではなかったが、それなりに活躍する者が手の届かない程ではない。
色とりどりのサリカを背負ったモデル達が、颯爽とミラーノの街を駆ける。
膨らんでいない、洗練されたシルエットのままのサリカを背負った役者達が、劇場から劇場へと優美に渡り歩く。
艶のある光沢を煌めかせて、サリカを背負った女冒険者達が、華麗に依頼を片付ける。
目立たぬ筈がない。他のモデルや役者達からも相次いで問い合わせがあり、第五ロットまでが瞬く間に売れた。
その販売総数は千五百。この数字は、当時のミラーノの街に滞在する正式な職業としてのモデルや役者などの総数に、ほぼ相当する。
ひっそりとパトリッツィオの小売店はその役目を終え、円満に畳まれた。
サリカを背負った女性達が、街中を闊歩する。当時でもミラーノは人口百五十万を優に超える大都市だ。
街を行き交う人は数多い。美しく、人目を惹きつける女性達に、目が向かぬ筈がなかった。
自然と、ショウビジネスとは無関係に生活を送る人々にも話題となった。ミラーノは芸術の都である。好奇心旺盛な者が多い。当然のように、その鞄は何かと尋ねるのだった。
尋ねられた彼女達は揃って、マルテの新作よ。私達の仲間、ミウチャが創ったの。と、答えた。
これにより、マルテへの問い合わせと、本店への来訪者が相次いだ。発表より僅か数年にして、サリカは大ヒット商品となった。
この頃ミウチャはモデル業界から足を洗い、パトリッツィオと結婚している。彼女は程なくして長男を産んだ。栗色の髪と琥珀色の瞳が、父親と同じ色彩だった。
サリカの大ヒットにより、マルテは昔日の勢いを取り戻し、貪欲に展開した。
サリカのような新素材を用い、新進気鋭のデザイナーによる新製品を展開するだけでなく、伝統の皮革技術を生かした靴や、かつての紡績業で培った技術と新素材を組み合わせた紳士、婦人服などが代表的だ。
技術の逆輸入により、本来のマルテのものである皮革製品の品質も向上している。
マルテは総合アパレル産業となり、ビタロサ国内外で男女問わず幅広い層にとって、憧れの一品として定着していった。
その後、ミウチャは第二子となる黒髪紅目の娘ルツを産んで程なく、新ブランドのルッツを展開する。マルテの製品は国内では比較的幅広い層に求められたのだが、それでも高級ブランドであるので高額だ。
国外となると、各国の産業保護の観点により高い関税が掛けられて、上流階級の嗜好品となっていた。人気から格式が底上げされてしまっていたのだ。
ミウチャ本人の最初の顧客は、モデル仲間達のような、若く活動的な女性である。彼女達の手に届かないブランドなど、造り甲斐がない。
それはただの意地やこだわりでしかなかったが、彼女にはそれを押し通すだけの手腕があった。経営の安定したマルテを夫や幹部達に任せ、何人かの若手デザイナー達を引き連れて、セカンドラインとなるルッツを立ち上げる。
そのコンセプトは、可憐な貴女の日常に、ささやかな贅沢を。これは、ミウチャのマルテが掲げた、日常を贅沢に飾るというコンセプトからの派生であった。
ミウチャはまず、この新ブランドの想定顧客を若い女性達に絞った。その為には、大幅なコストダウンが求められる。
まず鞄や小物だが、天然皮革の使用をせず、化学素材のみを用いた。この頃既に、サリカなどの生地となる化学繊維や、骨子や装飾となる化学樹脂などは、賢者の石さえ用いれば現地でも安価に調達可能であった。
厳密に採寸された型で作られた生地と部品を専用器具を用い、組み立てるようにして制作する。その過程に難所はなく、裁縫などの技術すら必要としなかった。
そして服や靴だ。これまでの採寸から始め、客の注文に応じて細部まで仕立てる方式を取り止め、大、中、小という三つのサイズ、あるいは足の大まかな大きさに合わせて、同一デザインで販売することにした。
これは安価な大量生産品の販売方法だったが、入念な研究により、狙った客層の多くに合うよう調整されている。購入後の微調整はサービスで行った。
それらの製品はシルエットはマルテのもの同様に洗練されており、規格化された生地などは同じ素材を用いている。従って高品質であった。
衣服の裁縫や靴の組み立てこそ職人による手作業が必要となったが、これらの手法により、大幅なコストダウンが見積もれた。
なにより、素材が現地調達可能ならば現地製作である以上、関税が掛からない。後に各国では商標そのものに関税が掛けられるようになるのだが、それはまだ先の話である。
これらの営業努力により、ルッツの製品は決して安くはないが、マルテよりも遥かに求めやすい価格に設定する事が出来た。
嗜好品であるものの、ビタロサならば学府卒平均初任給でも一通り揃い、他国でも現地生産により極端な高値とならないルッツは程よいモード感と可憐さがミックスされた定番アイテムとして、今も各国の若い女性達の間で確かな支持を得ている。




