37話 クーナとノエミ。
クーナはリーナと話し込んでおり、レベッカはアンナを膝の上に乗せてご満悦だ。
アンナは時折レベッカの口許に、あーんとケーキを運んであげる。
さっきからレベッカが自分のケーキをあーんしてくる事への仕返しである。
放っておいたら、このままではケーキ四つ分、ホールケーキにしてその三分の一を食べる事になる。とても見過ごせぬ事態であった。
とはいえ、レベッカによる暴力的なまでの所謂ところの可愛がりは、いつもの事である。
冷静に対処すれば、それ程の脅威とはなりえない。だが、今日のノエミの態度は別だ。
アンナから見ても普段のノエミは模範的な人格者とはとても言い難い。だがそれでも倫理観は確かで、情が深い優しい女性である。とアンナは信じている。
奇行も多いし、相手によってはピシャリと線を引く冷徹さを併せ持っているものの、とても賢く立ち回り、周囲に不安を感じさせる真似などしないのだ。
それが今は、アンナの不安を煽るような振る舞いをしている。心配するなという方が無理な話であろう。
「ねぇ。ノエミおねーさん。さっきから、一体どうしてしまったのです? ちょっとご様子が変ですよ?」
「ん? アンナちゃんか。さっきから、三人共クーナさんと話しているかのように振る舞っているが、そこの彼女は違うと思うぞ。一体彼女は誰なんだ? 気になってしまってな。感じからすると、悪い人ではなさそうだが……」
「「はい?」」
クーナと共に、アンナも思わず問い返す。
突然そんな事を言われても、戸惑いしかない。話したのは今日が初だが、アンナはクーナを見た事があるし、どう見ても本人としか思えない。
何を言われているかが理解できず、さては偽装系の術式なのかと考えても、そうする理由など、まったくもって判らない。
ましてや、他人だと言われたクーナ本人が驚愕と困惑に包まれているのだから、ますます混乱する。
成済ましは軽犯罪にあたるが、罰金が重い。それは連帯責任として、関係者一堂の人数分科される為だ。
親戚のないクーナの場合は、孤児院や仕事上の付き合いのある人数分の罰金を払わなければならない。
大金であり、この場で態々そのような真似をする理由もなかった。
「え? なんで? ノエミちゃん。私はクーナだよ? 忘れちゃったの?」
そして、当の本人たるクーナも、酷くショックを受けている様子であった。彼女はちょっと涙目である。
「どこのどなたかは存じませんが、成済ましは犯罪ですよ。刑こそ重くないものの、罰金は大変な額になります。今なら、公にしませんので、演技などおやめください」
真面目くさって神妙に言うノエミとは対照的に、クーナはまさしく絶句と呼べる表情をしていた。
とても、リーナ達と話している時に、よしっ! となどと身体全体で朗らかに喋っていたようには思えなかった。少しの間だが、場を沈黙こそが支配した。
「あー」
そしてやがて、まるで耐え切れぬかのように、レベッカがそう嘆息した。
全員の視線が彼女に集まる。それら全ては。
「この状況、なんとかしてくれるのなら、お願い! 早く! もう無理……」
と、嫌に具代的な言葉と想いで語っていた。
「ごめんね。クーナちゃん。ちょっとだけ、動かないでいてね」
そして救世主は動きだす。
最初にアンナを膝から降ろすと、椅子に腰掛けさせる。態々抱き上げなくとも言われれば席に着く。
訳が判らなかった。「あいるびいばっく」など言っている。意味は「帰ってくるよ」だそうだ。レーナ語だ。やはり訳が判らなかった。
そしてレベッカは、クーナの膝下にしゃがみ込み、踝丈のスカートの裾を手に取った。
「クーナちゃん。私を信じて」
上目遣いの懇願。
レベッカは一見蓮っ葉で軽そうな言動をしていてそうは見せないが、顔立ちは母親似で非常に美しい。
彼女の母、マーキュリィ=ビッティ女史は才媛であると同時に、美貌でも知られている。
学生達の悪ふざけではあるが、学歴において、在学期間中の全ての美人投票を制したという魔性の女でもあった。
狷介な性格でいてそうなのだから、その美貌は知れよう。それが、余す事なく娘には受け継がれていた。割と面食いなクーナは抗える程の猛者ではなかった。
レベッカはくるくると、スカートを捲り上げてゆく。クーナの綺麗な踝、健康的な脹脛、丸い膝、そして眩しい太腿が露わになった。
三人娘の視線は釘付けだ。艶と張り、そして太さに申し分ないそれは、健康的でいて色気に溢れる太腿であった。
そしてレベッカは胸元から取り出した髪留めでパチンと留める。お尻が見えかねない程高くで留められたスカートは、ミニスカートと変わらない丈だった。
「レベッカちゃん? 何を……?」
信じてと言われ、そうしたが、疑問が湧かぬはずもない。どう見ても奇行である。ノエミの奇行も酷いが、これだって大概だ。
クーナの普段の服装は、確かに露出の多いものだが、それには理由がある。
同程度の生地の品質では、面積が多い程どうしたって値段が張る。
稼いだ金を出身孤児院や祖国への義援金に使いたい彼女としては、最低限の装備とするしかない。そこから導き出されたのが、急所のみを守る装備であった。
幸いに、高い回避能力によって四肢に傷を負わない自信があった。
例え負ったとしても、治癒や回復は得意なので致命傷よりもマシである。
世間では露出狂の痴女扱いであるクーナだが、それには深く、やむを得ぬ理由があったのだ。実際の彼女は、乙女らしく羞恥心の強い、ごく普通の女性であった。
「ちょっと上着が長いね。半分ならいいかな」
が、そんな事情など知らぬレベッカである。
最早信用してるからでなく、羞恥心によって固まってしまったクーナの上着の裾を取り、折り返すとまた留めた。
そうしたら上着の下弦は、丁度乳首の下にくる。
ブラウス越しに浮き上がる形の良い下乳が、無駄に強調されている。クーナはパクパクと口を動かしたが、言葉が出ない。
普段の服装よりも低い露出だが、この時ばかりは羞恥心が勝った。自分で肌を晒す服を着るのと、肌自体を晒さなくとも他人に服をはだけさせられるのでは、感覚が異なる。
もしも下着を付けていたならば、多少は違ったのかもしれない。だが彼女には下着を付ける習慣がなかった。
「うーん。これはちょっと、迷うよねー。ねーねー、ノエミ。ブラウスをたくしあげるのと、背中で結ぶのなら、どっちが好み?」
「ん? それは正面から見てか?」
「そうだよー」
「綺麗に見せるなら、断然後ろだな。前から見ると、たくしあげの場合、どうしたってたわみが出る」
「そっかー。あんがとね。参考になるよ」
そう言ったレベッカは、クーナのベルトを緩めると、スカートの中へ仕舞ったブラウスの裾を抜き出す。そして再びベルトを締めた。丁度恥骨の高さで。
「じゃぁ、ボタンを外して行くんで、大人しくしててね」
クーナは声も出ない。ただただ頷く。
羞恥心と混乱によるものだが、残念ながらそれを察せる者など此処にはいなかった。
それに、普段のクーナの服装に比べれば、それでも露出は少ない。
「で、どうよノエミ。これでもクーナちゃんじゃないのかな?」
そう言ってレベッカはクーナのお尻を叩く。前へ出ろと言う意味だ。この時には既にボタンを胸の下−−第三ボタンまで開き、背中で纏めている。当然ながら、下乳が露わであった。
薄く割れた腹筋や臍までも。クーナはしっかりと処理をしている為、下の毛までは見えていない。それだけは僥倖であった。
「クーナさんだな」
「でしょ」
「人が悪いなクーナさんも。すみませんでした。でも、覆面なんてされたら、私とて気付けませんよ」
「「は?」」
奇しくも二つの疑問符が重なる。当然、アンナとクーナのものであった。
「何を。白々しい。そんな分厚い布で顔を覆っていられたら、気付くものも気付かんよ。それにしても皆は凄いな。いつからクーナさんだと気づいていたんだ?」
「名乗りましたよね?」
「はい? 分厚い布で顔を覆っていて、信じられますか? 少なくとも、私は無理です」
「は? 最初から顔は見せてたけど?」
「またまたご冗談を。現にレベッカが覆面を外すまで、お顔など拝見しておりませんよ。まったく、おふざけも程々にお願いしますよ」
やれやれと困った子供の前のように語るノエミであった。だが、それは納得出来る態度ではない。アンナとクーナが抗議の声をあげようとして……。
「ちょっとノエミ。そんな言い草はあんまりではなくって? クーナお姉様を本人と気付けなかったのは、貴女の不明でしょ? それをあたかもお姉様の責と言い張る見苦しさ、とても淑女の態度とは思えないわ。それとも何? 貴女は、私達が顔を隠したくらいで判らなくなる程度なの?」
「ふ。舐めるなよリーナ。お前達のサイズなぞ、見えなくとも当てる事造作もないわ。毎日見てるんだ。完璧に把握済みよ。この先、例えどのような姿に変わろうが、一撫ですれば私は必ず見つけ出す」
大層勇ましい返答であった。レベッカが顔を覆って、あちゃーと嘆いていた。
「でも、ノエミおねーさんは、今日のクーナ様は判らなかったんですよね。お知り合いのようですけど、失礼すぎませんか? どうしてだかは知りませんけど」
「そう言われると弱いな。だが、いくら私でも、流石にあまり面識のない人の変装なぞ見破れないよ。だが、確かに失礼だったな」
ノエミは席から立ち上がり、クーナへ向かって謝罪する。クーナとしても、別に怒っている訳ではないのだ。意味が判らないだけで。年長者としても、謝罪を受け入れる他にない。
「ねー。レベッカちゃん。ノエミちゃんって、ここには何度も一緒に来てるよね?」
クーナは再び席へ腰掛けて、チョコレートケーキと生姜湯を堪能し始めたノエミにではなく、レベッカへ問い掛ける。
「うん。……だが、その事実が誰にとっても真実とは限らないのだよ。バートン君」
返事はあった。だが、訳が判らない。クーナの表情には明確なまでに、バートンって誰? もしかして私の事? などと書かれていた。
レベッカは何故だか格子柄のハンチング帽を被り、同じ意匠のケープを羽織っている。その上、唇には古く大ぶりなパイプを咥えていた。
アンナはおおっ! と歓声をあげたがリーナは苦虫を噛み潰すような表情だ。ノエミは得意顔をして、レベッカに向けて親指を立てていた。
やはり訳が判らなくて、益々困惑するのはクーナであった。
「事実と真実は時として異なる事もあるのだよ。覚えているかい、バートン君。ノド村の事件群を」
そしてレベッカがおかしな口調で自称イケオジ風低音ボイスを出しながら問い掛ける。
自称であるので、当然クーナには伝わらない。それを察したアンナは勢いよく挙手して立ち上がり、声を上げた。
「はい! あの村の殆どの人達は、し−−」
「しゃらっぷ!」
が、途中で止められる。
「言葉を慎みたまえ。バートン君。あの事件は既に解決しているが、みだりに話すべき物語ではない。探偵として、配慮は当然のことだろう?」
「えへへ……。そうですね。皆さん! ノド村の事件の事を詳しくお知りになりたいのなら、シーゲルソン=エスコットシリーズの三作目、ザ・クロウをお読みください! シリーズものといってもお話はそれぞれ独立していますので、順番を気にせずに読めますよ! 術式も怪物も出て来ない推理小説ですけど、閉ざされた山村が舞台の物語で、驚くような仕掛けがあります。とても面白いのでお勧めです」
そしてアンナの宣伝であった。しかも、とてもテンションが高い。面白いと思った物語を誰かに推す時の、読書家特有の癖だった。
「あのお話はちょっと設定が苦しいけど、確かに名作ね。まぁ、雑なシーゲルソン物語の中ではだけどね」
ちょっと棘のある言い方でリーナも誉める。
彼女も読書家なので、アンナと似た癖を持っている。というよりも、この癖自体、アンナの場合、彼女からの影響であった。
リーナはガリア王国出身で、灰色の脳細胞の支配者を自称する紳士、エヘキュールを探偵役としたシリーズの大ファンである。
「シーゲルソンのは、雑でもいいんですー」
その為、同じく推理小説界の双頭であるシーゲルソン物語には対抗意識を持っていた。それが棘となって表れているのだから仕方のない話である。
小さな業界とはいえ、派閥や敵対は事欠かないのだ。人の業は真に度し難かった。
「お願いだから、説明してよぉ……」
たまったものではないのがクーナだ。
助けを求めたレベッカは突然寸劇を始めるし、アンナまでそれに便乗して楽しそうにしている。リーナはちょっと不機嫌になるし、ノエミは怖い。彼女が涙目になるのも仕方のない事だった。
「ごめん、ごめん。でも、クーナちゃんに判りやすく説明する為には必要ないことだったんだけど、こーいう風にすると、アンナちゃん喜ぶしさー。ついねー」
「それなら仕方ないか……。え? 必要なかったの!?」
レベッカの巧みな話術に騙されて、納得しかけたクーナであったが、気付いてしまった。
「まーまー。どーどー。よしよし。悲しまないで、落ち着いて。必要ではなかったけど、これを前提にすると話し易いからさ。アンナちゃんも、こう言えばわかるよね?」
「はい。予想に近いものなら」
「うんうん。察しが良いね。それなら、アタシがクーナちゃんにする説明を、補足してね」
「承知しました。お任せください」
二人は通じ合ったように会話を進める。
アンナはザ・クロウを示唆されて、レベッカの主張をある程度までは理解した。だが、それだけでは十全とはいえない。疑問はある。それを含めて、レベッカは説明するつもりだと言外に言っている。ならば、彼女の要請は、願ったり叶ったりでさえあった。
「まず始めに、クーナちゃんは私達との初対面の時の自分の格好、覚えてる?」
「ごく普通に着てる普段着だったわね。面接が終わって早々に貴女達がやって来て、ミリアムちゃんに紹介されたんだっけ」
クーナは冒険者である。採用面接とはいえ、態々ドレスなどに着替える事もない。
官憲や侍女の面接だったらそうする事もあるだろう。しかし、一般的に冒険者の正装は普段着だ。それを咎める者などいなかった。
「だよねー。じゃぁさ、その普段着はどんな格好?」
「動きやすくて、通気性の良い服装に決まっているじゃない」
「だよねー。あの時も今みたいに、大胆にお臍と太腿を出してたもんねー」
「……私の普段着って、そんなに変かな?」
着慣れた装備なので普段は意識しないが、改めて言われると少し恥ずかしいらしく、クーナはモジモシして、おずおずと問い掛ける。
「変じゃないよー。ちょーかわいいよ! クーナちゃんアタシ達のファッションリーダーじゃん! 自信もってよー」
「ファッション界に新たな風を運んでくれたのがクーナさんの普段着だと私達は信じている。その本人が自信を持ってくれなければ、皆が困るよ。誇ってくれていい」
すると、天真爛漫なレベッカの応援と、真面目なノエミの激励が返ってくる。クーナは背筋を伸ばした。表情にも自信が漲っている。やはりシシリアの女はチョロかった。
「今更クーナお姉様が、イメチェンとか路線変更しようとしても難しいでしょうしね。スポンサー様の意向もあるでしょうし」
そして、なんの呵責もなく非情な現実を突き付けるリーナがいた。
「まぁ。もう暫くは今の路線で活躍して貰う事になるだろうな。だが、我々は次のトレンドの旗頭となるのもまた、クーナさんだと目しているよ。その為にいくつかのラインが企画されているし、私も勉強をしている」
ノエミの両親はデザイナーであり、祖父母の展開するファッションブランドの専属でもあった。
ブランド名はマルテ。ビタロサでも有数のラグジュアリーブランドであった。




