36話 クーナとセレーナ。
その日は、冬の訪れを報せるような、冷たい風が吹きはじめた頃だった。
ミリアムから手紙が届いていたので、四人集まってお茶会を開いている。いつものように場所はセレーナだ。
マリアは年末の祝祭に向けての準備の為にドロテアに呼ばれていて不在で、この日の店内にはまた閑古鳥が鳴いていた。
店員の纏う制服も、清楚な正統派侍女服であった。
三人娘も、この時にはまだ正式なセレーナの従業員となってはおらず、純然たる客である。
この日の店員はダイダロを除けば、たったの一名。それで充分対応出来るようだった。
「写真越しとはいえ、まさか私のドレスを着て夜会に立つミリアムの姿を拝めるとはな」
「うんうん。メイクもバッチリ! あ、でも、こっちの写真の時はシャドウの色味変えて欲しかったかも」
「流石に、部屋毎で化粧直しするのは難しいでしょ。ミリアムも大忙しだったみたいだし」
「ミリアムおねーちゃん、すっごく、すっごい綺麗ですね」
「ねー」
パチンと手を合わせ、お互いに頷きあうのはアンナとレベッカであった。二人は牛乳とチョコレートを混ぜ合わせ、ゆっくりと温めたホットショコラを飲んでいる。シンプルだが、甘くて美味しい。
「なぁ。なんでお前達は、態々ホットショコラなんてもの飲んでるんだ? 今日のメインは、チョコレートケーキだぞ?」
生姜湯などという渋い飲料を、暖まるわ。などと言いながら啜るノエミには、チョコにチョコを併せるという発想が理解出来ない様だった。
「美味しいので」
「ねー」
再びパチンと。そして再び頷きあう。
「子供か。……いや、子供だな」
はしゃぐ二人へ思わず突っ込むノエミだが、レベッカはともかくとして、アンナはまだ八歳だ。まだまだ子供であった。
「はいはい。ミリアムの写真が綺麗なのはわかるけど、三人ともはしゃがないの。今日はミリアムの悩みについての相談なんだから」
「私もか?」
「ノリノリではしゃいでるわよ」
諸共に嗜めるリーナであった。
整った顔付きに鋭い目付きと、華美な装い。加えてキンキンと高い声質により誤解されがちだが、リーナはかなりの良識人である。
見た目や印象でしか彼女を判断しない者の中には、意地悪で我儘なご令嬢。などと言う者もいるが、実態は異なるようだった。
「もう。レベッカったら、口の周り! ハンカチは?」
「あげちゃった」
「もー!」
ハンカチを取り出して、せかせかと友人の口許を拭うリーナであった。ハンカチには、ホットショコラがべったりとくっ付いた。
彼女は面倒見が良く、世話焼きな性格をしている。
マナー違反や、だらしのない態度を見ると、つい注意せずにはいられない。
しかも彼女は生粋の近接拳闘士【インファイター】である。まだるっこしい言い方を好まず、直言を好む。言葉を選ばないと言い換えてもよい。
その物言いに高い声質が併さって、彼女の注意は傍目からは、まるで虐めているかのように見えるのだ。
実際に、気の弱い者などは眼光に竦み上がってしまうので、そう見られても仕方がないのだが。
餓狼や狂犬などという物騒な二つ名は、伊達ではないのである。
「誰によ?」
「知らない子ー。新聞配達の少年かな? 男子校の学園制服着た男の子。東広場前の集合住宅から降りてきたんだけど、スッゴイ汗掻いててねー。拭いてあげたの。ほら、あそこってお部屋多いじゃん? 五階建てだから階段の登り降りも大変だしね。今日、風も強いし寒いもん。あんなに走り回って汗も拭かずに外歩いたら、身体冷やして風邪ひいちゃいそうでねー。今日も本当に寒かったなー」
「呆れた。アンタこそ、そんな格好して風邪なんてひくんじゃないわよ」
「レベッカおねーちゃんは、良い行いをしました。きっと、その子も頑張れますね」
「いや。制服で新聞配達だったら、多分私達よりも年上だぞ。奨学生への副業許可は十六歳以上からだ」
ノエミの指摘に、え? マ? と驚くレベッカは、寒い寒いと言いながらも露出が激しい。
格子柄のスカートは極ミニで、惜しげもなく太腿を晒していた。
ブラウスのボタンも殆どが外されており、黒い下着が覗いている。何よりも、お臍を出していた。モコモコとした厚手のカーディガンこそ羽織っているものの、大変に寒々しい服装であった。
「マジだぞ。学業を本分とする学園生の常庸は十六までは禁止されている。新聞配達などを含む時間制労働においては規定も厳しいし、常庸が義務付けられている筈だ」
「労働依頼の可能性は、ありませんか?」
「それも、ほぼないかな。その辺は結構厳しくて、学園生は制服の着用が義務付けられるし、冒険者への労働依頼や、副業としての労働では、それぞれ専用の制服を纏う事が義務となっている。学園としても冒険者登録は嫌がるし、これに違反すると企業側へ罰則が科される為、厳しく指導される筈だ。アンナちゃんにも覚えはない?」
「成程。そういえば、制服が用意出来ないからと、依頼受諾を断られた事が何度かあります」
つい数ヶ月前からであるが、アンナは幾つかの労働依頼を熟した事により、冒険者として自由に依頼を受ける事が可能になっていた。そのまま実績を積んで行き、世間から一定の評価を得る事で若木となる。
とはいえ、本来は保護されるべき年齢の、八歳である。他に類を見ない早さで初級冒険者という立場を手に入れたアンナであるが、組合の要請により、通常の依頼には保護者の承認や同行を必須とされた。
となれば、自由に受けられるのは見習いの時と変わらない、労働依頼であった。
「何故断られたのか、見当もつかなかったのですが、つまりは、そういう事ですか?」
「多分、そういう事よ。アンタみたいな、ちっちゃいチンチクリンの制服なんて、用意してる筈ないもの」
口を挟むのはリーナである。殊更にちっちゃいチンチクリンを強調しながら浮かべる笑顔は、一見の印象を裏切らない、意地悪なご令嬢そのものだった。
「ぐぬぬ……」
通常。習慣と言い換えても良いが、冒険者登録をするのは十五歳以上の年齢である。
その辺りの年齢までは、各国揃って義務教育期間とされており、保護者の庇護下にあるのが当然だった。
それは、特定の保護者のいない孤児とて例外ではない。孤児達には名目上の保護者として、行政や教会などがあった。
「んー。でも、アンナちゃんが知らなかったってのは、ちょっと意外だったかもー」
「はい。マリアにも言われて、冒険者に纏わる法や規則に関しては一通り調べました。依頼により年齢制限などがあることや、年少者保護法からの各種制約も把握していたつもりです。勿論、職務による服装規定だって、知っていましたよ。でも……」
「世間の暗黙の了解にまでは、手が回らなかったのね。あと、気付いていないようだから教えてあげるけど、制服が無いっていうのは、ただの建前だからね。制服の仕立て直しなんて、どこの仕立て屋でもやってる事よ。小人族だっているんだし、少ないとはいえ、働かなきゃいけない子供。孤児達も、確かに存在しているわ」
彼等は必要に迫られて、糧を得る為の労働を求めて就労や冒険者登録を行うが、それでも十二を越してからの事である。
ビタロサを含む各国において、その年齢までは彼等は主と国家の子供と看做されていて、行政による養育が為される。
贅沢こそ出来ないが、衣食住に困る事がなく、教育も施された。こちらは充分な水準であった。
これは当然で、社会へ出て生計を立てられるようにする事こそが、養育の主眼であるからだ。
従って、安全も保証されている。
虐待なども稀だろう。経済は一定の水準を保っており、治安も安定していた。関係者には、高い教養と倫理観が求められる。国教である唯一神教の教えにある、良き人の子を公によって養育せんとする事こそ、この制度の狙いであった。
「まぁ、そんな方々だからこそ、態々専業冒険者なんていう不安定な道を選ぶのは、余程の変人以外いないわね。尤も、お小遣い稼ぎの副業としては、ともかくとしてもね」
そういった元孤児達だ。安定した生活が保障される労働者を目指すのが自然である。
態々危険を対価として報酬を得る専業冒険者になろうなどという物好きは、極稀であった。
「リーナちゃーん。わざと聞こえるように言ったでしょー。その言葉、ひょっとして私への当て付けなのかなー?」
「現れたわね。変わり種が」
「クーナちゃん、ちょりーっす。今日もお勤め、お疲れ様でーす」
四人の座るテーブルに、大きなお盆を持った侍女服姿の女性がやってくる。今日いる一人だけの店員だ。
お盆の上にあるお皿には、チョコレートケーキが乗せられていた。ホールで。
「レベッカちゃん、ちょりーっす。今日もキメキメね! 可愛いよー。生意気ツンデレなリーナは無視無視と……」
「デレないわよ」
「無視無視……」
言いながら、卓上にチョコレートケーキを置くと四人それぞれへ小皿を配る。
リーナの皿だけがないという事もない。ナイフとフォークは予め席に置かれていた。
「お嬢様方、お待たせしましたぁ。本日のスペシャルメニュー。チョコレートケーキワンホール。おまちどうさまですー。ぜひぜひ楽しんで、ご賞味くださいませー」
ノリノリの女性に、アンナはレベッカと共に歓声をあげて拍手を送った。
はぁ。と、ため息を吐いたリーナもペチペチと拍手する。ノエミだけは、女性。クーナの腹回りや太腿の辺りをガン見して、静かにしていた。
「じっつはさ。そのケーキの下拵え、私もお手伝いしたんだよね。真面目にやると、お菓子作りって、結構大変なんだよね。量や時間の正確さが要求されちゃってさ。面白かったけど」
料理を置いた後、四人へ飲み物のおかわりを注いでゆく。最初はリーナ。彼女は紅茶。ウバである。爽やかな酸味と力強い渋味が特徴で、チョコレートにもよくあう筈だ。
次にはノエミ。生姜湯だ。香りが強い生姜湯も、多分あうのだろう。アンナは苦くて鼻がツンとするので、苦手なのだが。
クーナが現れた時は、ティーポットなどを手にしていなかった。収納術式によるものだろう。適温の異なる三種のポットを同時に運んでくるとは、器用なものだとアンナは思った。
「うわー。たのしみー」
そしてホットショコラがやってくる。無邪気なのはレベッカだけだ。
リーナはツンとそっぽを向いてしまったし、ノエミは相変わらずガン見をしている。
アンナも初対面なので、いつ挨拶をすれば良いかと機会を窺っていた。
「はい。ホットショコラ。まだ熱いから、気をつけてね。アンナちゃん」
「え? 私の名前?」
「ん? アンナちゃんで良いんだよね?」
「はい。——じゃ、なくて」
そしてアンナはスクリと立ち上がり、淑女の礼を一つする。
「はじめまして。『刃の海に泳ぎし舞姫』クーナ様。お初にお目にかかります。私、ここカターニア冒険者組合にて、冒険者登録が認められたアンナと申します。私若き若輩者までご存知とは、感服致します。未熟者ではありますが、先達の名に恥じぬべく精進いたしますので、どうぞお見知りおきくだされば、幸いです」
「う、うん。ご丁寧なご挨拶、どうもありがとね。私こそ、よろしくねアンナちゃん」
『刃の海に泳ぎし舞姫』クーナ=シシリアーナ。
二つ名持ちの彼女は、ここシシリアの孤児院の出であり、現在は中級冒険者として登録されている。
姓として名乗っているシシリアーナはシシリアの娘を指す言葉からのもので、孤児院が仮登録した姓でもあった。本来の姓は事情あって、公に名乗っていない。
「よろしくお願い致します。大変不躾とは思いますが……」
「あーっ! そっか! そうじゃん! ごめんね。アンナちゃん。アンナちゃんとは、初対面だったよねー。ごめんね!」
「は、はぁ」
何故名前まで知っているのかと尋ねようかとして、叶わなかった。
クーナが突然、叫び声をあげたからである。しかもどうしてか、平謝りだ。
これには、流石にアンナも面食らう。理由によっては逃走を視野に入れなければならないと構えていた為に、余計に困惑してしまった。
「本当、ごめんねー。まだ子供だから、ギルマスにもちょっと気にかけて欲しいって言われててさ。それに、この子達やレーナからもよく話を聞くでしょ。全然他人のような気がしなくてさ。そういえば、会った事ないもんね」
意味が判らなくて、首を傾げるアンナであった。
言葉自体は理解出来るが、それだけだ。
何を言われているのか判らず、クーナ、リーナ、レベッカへと、くるくると視線を巡らせる。ノエミは相変わらずクーナをガン見して、首を傾げたり、考え込んだりしているので、無視してよいだろう。
「ちょっとクーナちゃん。もっと判りやすく教えてあげてよね。アンナちゃん、驚いて困惑してるじゃないの。……おー、おー。こんなに怯えちゃって、可哀想に。怖くないからねー。よしよし。よしよし」
「お、おう」
「へ、へーきですって!」
頷くクーナ。そして抗議の声のアンナであった。
レベッカの言葉は確かにそうなのだが、彼女に抱え上げられて、よしよしされる程ではない。
クーナもだらしなくなった彼女の態度に引いているようだった。
レベッカはときたま、アンナの事をひどく子供扱いしてくる。実際に年齢としてはそうなのかもしれないが、変に心配されないよう、自分なりだが、出来るだけしっかりとした態度を心掛けているつもりだ。
まるっきり子供扱いでは、面白くない。アンナは結構な負けず嫌いであった。
「ちよっと! レベッカおねーちゃん、いい加減に離してくださいよ。私だって、そんなに子供じゃないんですからね」
なので大きく抗議の声をあげる。最初はちょっとだけ叫んでしまったが、後は落ち着いて言えた筈だ。心の中で、びーくーると三度呟きながら、アンナはイヤイヤをして、拘束から逃れようとしていた。
これはレーナに教わった、心落ち着かせる魔法の言葉である。
「もー。我儘言わないの。クーナちゃんは、怖くない大人だからね。はい、アンナちゃん。息を吸ってー。ゆっくり吐いてー。それ、もう一回。すー。はー。すー。はー」
二回であった。
アンナは言われるがままにする。
そして呼吸を整えると、いくらか気分は軽くなっていた。決して、レベッカが拘束を解き、席へ再び座らされたからではない筈だ。
「アンナ。そういうところよ。もっと余裕を見せなさい。優雅たれ。それは淑女の嗜みよ」
「はーい。リーナお姉様」
「返事は?」
「はい!」
ピシャリと言われて、シュンとしょげかえるアンナである。だがしかし、取り乱した自覚もあった。
醜態を晒さぬようにして、口を開く。
クーナの言葉には、幾つもの聞き捨てられない要素があったからだ。冷静に、判断をしなければらならない。
「ギルドマスターに言われてとなると、新人講習の依頼でしょうか? ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」
「そこまで、大袈裟なものじゃないかなー」
クーナの説明によると、登録制度が制定されて以後、アンナは史上最年少登録者となるらしい。
実力第一主義を標榜する組合としては業腹だが、印象や知名度は馬鹿に出来るものではないという。
それだけで、指名依頼の可能性もあれば、報酬に色がつく事例もあるそうだった。
基本的に、冒険者など、本来ならば社会からの溢れ者だ。まともに就業出来なかった者の受け皿だった過去もある。
現在では副業としての冒険者という習慣が広がった為、それほどではないが、数こそ多くないものの、やはり破落戸や社会不適合者なども一定数いるという。
それで、子供ならば与し易いなどと考える不埒者もあるらしい。
冒険者として最優先されるのは実績であるが、有名人や著名人と組めば、自ずとそれも積みやすい。そういった下心もあり、名が売れた者と組む依頼は美味しいと思われているものなのだ。
「んでさ、そーいう人達に巻き込まれないように、私はアンナちゃんの動向を気にしてたんだよね。ほら、私が誘おうとしてたって言えば、大抵は退いてくれるから」
「まったく、気付いていませんでした」
「流石に、そこまでは油断してないかな。そういえば、なんか他にも観察してる奴らがいてね。邪魔だったから、全員ぶっとばしちゃったんだけど、大丈夫? もしかして、護衛の人達とかだったりする?」
「護衛ですか? 私はごく普通の街娘なので、そういった方々とは縁遠いと思いますけれど」
「嘘? 滅茶苦茶育ち良さそうだし、何処ぞのご令嬢か、どっかのお偉いさんのご落胤かもとか思ってたわ」
ちょっと胃が痛くなるアンナであった。言葉が、微妙に素性に掠っている。
「嘘仰いな。アンナ。アンタのどこが普通の街娘よ」
ちょっと返答に迷ったところで、横から奇襲を受ける。リーナによるものだ。
嘘つき呼ばわりされて、アンナは、嘘じゃないもん。と唇を尖らせた。
「拗ねないの。別に嘘つき扱いしてるつもりはないんだから。でもアンタ、もう一人前の冒険者なんだから、あんまり世間知らずのままでは困るわ。もう少し、自分と周りを客観的に見る癖をつけなさい」
むむー。と頬を膨らませれば、レベッカにプニプニと突かれる。ちょっとくすぐったい。
「クーナお姉様。この子、サルバトーレ様の娘よ。あの防衛大臣、サルバトーレ=ファブリ閣下の一人娘」
「え!? 嘘!? ……リーナちゃんにアンナちゃん、それ本当?」
頷くリーナとアンナであった。否定する要素はどこにもない。そんなに大袈裟に驚かれるとは、流石にアンナもびっくりだった。
「もしかして、私やっちゃった? 公務執行妨害だったりする?」
狼狽えるクーナだが、アンナはその心配はないだろうと考える。
監視はヨアキムの手の者だ。護衛などではないし、公務員でもない。
近頃は監視も遠巻きになり、強度も緩くなってきている。その為、アンナも特に気を留めていなかった。
彼等は見ているだけで、特に有害な存在ではないのだ。それが命令であると思えば、いっそ憐れみを覚えるくらいであった。
彼女にとって、既に日常となり久しい監視の目は、野を行く時に出会う、虫や野鳥の視線と然程変わりのないものとなっていた。
「心配ありませんわ。ウチも鬱陶しいので、顎を撃ち抜かせて頂きましたけど、どこからも苦情はありませんでした。ウチの見るところ、彼等は単なるロリコンでしょう。近頃は、幼女を集団で見守る輩がいるという事案が、多く報告されているようですし」
「ああ。あれね。そっかー。アイツらただの変態だったかー。でも、アンナちゃん。気を付けないと駄目よ。無害な変態が、いつ狼に変わるかなんて、知れたもんじゃないんだからね」
憐れ諜報の専門家達は、麗若き乙女達の間では、ただの変態に堕とされてしまう。
実際に報告されている事案は、レーナと同志達によるものなので、とばっちりである。
とはいえ、リーナの剛拳を知るアンナは、彼等を憐れんで密やかに祈りを捧げた。
あんなモノで顎など撃たれれば、冥府の門が見えるだろう。あんまりな死因なので、門番に追い返されるだろうが。
「確かに家のサルバトーレは州政府により大臣に任じられていて頑張っていますが、それだけですよ。私には何の関係もありません」
「こういうところが不安なのよね」
「アンナちゃんってば、お父さんの事、名前で呼ぶんだね」
「この子のお家の方針でね。そう躾られてるんですって」
「ああ。閣下も男爵だもんね。貴族教育の一貫みたいなものなのかな。確か、旧い習慣にあった気がするわ」
そうなのだろうか。と、アンナは思考する。
サルバトーレは意味のない事しか言わないが、マリアの言葉には必ず意味がある。経験から、それを知っている。
ただ、そういった習慣が貴族特有、それも旧貴族のものであるのならば、余計に解せない。マリアはアンナの立場を成人を迎えるまでは伏せたがっているのに、態々足がつくような真似をするだろうか。はなはだ疑問であった。
「そこまでは判りかねますが、外では極力呼び捨てるように言われていますね。ですけど、家では普通の呼び方ですよ」
「そっかー。なら、いいんじゃないかな。知ってるかもだけど、ほら、私って孤児だからさ。せっかくいるのに、パパとかママとかって呼べないと、もったいなく感じちゃうんだ。すごく自分勝手な意見だから、気にしないでね」
笑うクーナに、アンナの胸がチクリと痛む。
アンナには、マリアがいて、サルバトーレがいて、確かな愛情がそこにあった。だがそれは、幸運に恵まれていたからにすぎない。一つ間違えれば、失いかねない幸福だ。そして、それは想像も及ばない程の恐怖であった。
「クーナ様は、お強いですね」
だが、クーナはそういった恐怖を乗り越えて、今は身を立てている。彼女は変わり種という事もあり、その来歴もよく知られていた。
「そーお? 確かにそれなりに腕に覚えはあるけど、まだまだ研鑽が足りてないよ。まだまだ、両親には及ばないって自覚もあるもん。ここのお仕事だって、腕磨きの為の手段だしね」
『刃の海に泳ぎし舞姫』クーナ。彼女は義務教育前にして、冒険者だった両親を共に失くしている。
産まれる前に故郷は消え去り、頼れる親戚や縁者もなかった。
里親や養子にと望んだ者も数多くいたが、本人の希望により、カターニアの孤児院へと送られた。
「そう考えられる在り方こそが、真の強さだと私は信じております。そしてそれが、より良き明日を造る力となるとも。これは、自分勝手な期待ですので、お気になさらずに」
「移民の娘に、随分とふっかけるね」
「移民の娘などではありません。貴女様のご両親は、元は確かに祖国を離れた移民だったのかもしれません。しかし、ここビタロサ王国がシシリアに根を下ろし、愛を育み、この場所で生きる事を望みました。そしてそれは、認められています。主と、国と島によって祝福されて産まれし貴女様が、ここシシリアの娘でないなどと、誰が言えましょうか」
彼女の両親は、半島国家であるビタロサの対岸に過去にあった、とある連邦国家より流れてきた冒険者達だった。
彼等の国は、七つの国境、六つの国家、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家と称されて、多様性に富んだ連邦国家であった。
偉大な指導者によって統一され、率いられたその国は、複雑さと多様性を武器とし、国際社会の中で確かな地位を築いた。
だが、指導者の死後、風向きは変わった。
偉大な指導者に率いられていた頃は、諸国と伍する為の国家最大の武器であったはずの多様性や複雑性が、やがて身を焼く毒となり、国内へ向けて牙を剥いたのである。
価値観が違い、生活習慣も異なる。かつて肩を並べた同胞同士が、互いに疑いあい恐れあった。
それはやがて怒りとなり、憎しみへと変わり果てる。そして暴力を伴う形として不満が発現するのは、宿命だったのかもしれない。これを利用したのが、一部の民族主義者達だった。
彼等は元々、連邦下にある国家それぞれの重鎮で、かつての指導者に対する潜在的な反対勢力であった。彼等が望むのは、かつて支配者として君臨していた国家の独立で、その為には、ありとあらゆるものを利用した。
これにより、連邦への独立運動が起こり、やがてそれは紛争、そして大規模な内戦へと展開していった。
一時の魔王統治時代こそ大規模な戦闘行為はなかったが、それは僅か十年程の期間でしかない。彼等は兄弟と呼び、同胞と手を握り合った者同士で、変わることなく殺し合いを続けた。
そしてやがて、幾つかの国家の独立が認められることになる。
これは母体である連邦によるものではない。この頃の連邦政府は、既に有名無実の存在で、そのような力など持たなかった。
ならば何処か。それは国際社会であった。
これは凄惨な内戦の幕を引く為の、各国の妥協の産物であった。
そしてやがて、全ての国の独立が承認される。理想的な連邦国家とまで称された一つの国家は、大戦後、僅か四十年足らずと保たず、僅かな残滓を残して完全解体されたのだ。
「随分と買い被ってくれるよね」
「それだけの偉業を成したのだと、私は思っていますから。期待しちゃいます」
「ざぁーんねん。別に偉業なんて成しちゃいないよ。それに、私怨だしね」
「それはあくまでも、組合の基準でですよ。私達、カターニアの民からすれば、偉業であり、貴女様は既に、『英雄』ですので」
「まったく、有名になるのも考えものよね。責任重大だよ」
カラカラと笑うクーナに、アンナは気持ちの良い人だなと好感を持つ。
リーナとレベッカとも知り合いのようで、彼女らと共にキャイキャイと雑談に興じている。チョコレートケーキの香りは高く、甘くて、とても美味しい。
当初は四等分が予定されていたホールケーキだが、ちょっと大きすぎて、お皿に乗せられそうもなかった。
というよりも、八等分してもまだ少し苦しい。では、十六等分ではどうかとなれば、それでは少し物足りなかった。
では、四つの欠片をそれぞれ三分割する十二等分ならばどうかと思い、アンナが押印により線を描いて輝かせるが、その後に問題が発生した。
美しい細工物のようなチョコレートケーキに刃を入れる事に抵抗があったからだ。
アンナは焼き上げたケーキを上手く切れずに押し潰してしまった経験があり、躊躇いがあった。リーナはお嬢様で、ホールケーキなど切った経験はない。レベッカもあまり気が進まないようだった。一番なんの問題も感じずスパスパと切りそうなのはノエミだが、相変わらずクーナの腹回りや太腿辺りばかりに注目している。役には立たない。
「どうしたの? 切らないの?」
準備を整えた三人が動き出さないのを不審に思ったのかクーナに問い掛けられる。
「ごめん! クーナちゃん! アタシには切れないよ!」
「ウチが挑戦しても良いけど、潰してしまうのは忍びないわね」
「その、ちゃんと切れる自信がありません」
「「「お願いします!」」」
そして三人が唱和する。チョコレートケーキには余計なモノが飾られている訳ではない。が、縁を額縁状に繊細に彩り、平坦な上面には可愛らしくデフォルメされた子グマのイラストが、ホワイトチョコレートによって描かれている。
「あー。店長、絵が上手だもんね……」
三人が、やはり揃って頷いた。
それがあるが為に、彼女達は切る事を躊躇ったのだ。どうせ食べればお腹に入り、消えてしまうものである。とはいえ、とても可愛らしいクマちゃんであった。
下手な切り方をして、潰してしまうのはあんまりだというのが、彼女達共通の想いであった。
結局食べるのだから一緒だろうなどと言ってはいけない。乙女心というものは、大変複雑なものなのだ。
「ま、これもサービスかー。線に従って切ればいいのね?」
クーナが風と火の術式を器用に使って切る。やっと程よい大きさとなったチョコレートケーキは皿の上に乗せられて、その後には少女達の胃袋へと収まる事となったのだった。




