35話 お勉強の時間。
「指名依頼の件ですが、どうしてトトは呼ばれてないんでしょうね? 役職といい、能力といい、適任かと思いますけど」
「それでは、アンナお嬢様。戦闘術の、軽いお勉強としましょうか」
「ほう。望むところですよ」
打てば響くとはこの事だ。アンナの何気ない疑問に、マリアは即座に『授業』を始める。
忙しなく各席を行き来しながらも、ノエミのピンと尖った両耳は二人の会話を捉えていた。この女、感覚の鋭さは折り紙つきである。耳も良いし、瞬間的な処理能力が非常に高いのだ。
面白そうだと思うも、今は忙しい時間帯だ。悠長に会話に聞き入る暇はなく、またノエミは戦闘にまったく関心を持たない性質だった。惜しいと思いつつも、気にかける事をやめ、仕事に精を出す。それにしても、マリアお姉様は、大した教育ママさん振りだこと。などと、内心で呟きながら。
「アンナお嬢様は、サルバトーレの戦闘能力について、どれくらい知っていますか?」
改めて聞かれると、アンナも困った。サルバトーレが一人訓練をする光景は見た事あるが、それは基礎的な体力造りだ。力持ちだし、良い動きなのは判るが、戦闘能力は測れない。
たまに訪れる部下や、武芸者などと立ち会いを行う事もあるのだが、だいたいは余裕で一本を取っている。一応は訓練である組み手なので、これで測るのも難しい。
他には捕物や軍事演習などで指揮を取る姿を見た事はある。専ら指揮に専念していた。たまに近場に飛竜などが現れると、跳んで斬り倒すのだが、それだけだ。飛行系の術式などは使わないので、身体能力は高いのだろうと思うのだが、それ以上に測れるものはない。
アンナの見るサルバトーレの動きは、鍛錬であり、訓練であり、蹂躙でしかない。真面な戦闘など、見た事もないような気がする。
「あれ? 私、トトの戦闘って一回も見た事ないのかも?」
「でしょうねぇ」
その回答は織り込み済みであるようだった。
そういえばといえば、アンナはサルバトーレの術式も見た事がないような気がする。偶に術式を褒められたなどと言うのだから、使える事は確かなのだろうが、アンナは見た事がなかった。火起こしもアンナ達は灯火などの術式か術具を使うが、サルバトーレは木と木を擦り合わせたり、剣で鉄を斬ったりして起こす。
「どころか、勘違いでなければ、私。術式の発動さえも見た事ないような気がするんですけど。勘違いですよね?」
「勘違いなどでは、ありませんよ」
「えー」
そんな筈はないと、アンナは狼狽える。
それではまるで、サルバトーレが嘘をついているようではないか。それはあり得ないと、賢いアンナは断言したい。何故なら、マリアがそうであるように、サルバトーレともまた、産まれた頃からの付き合いだ。その経験が物語る。彼には、嘘をつけるような、高度な脳機能は存在しないのだと。
あまりにも狼狽えて、マリアをチラチラと盗み見るようにするアンナに、マリアはつい吹き出してしまった。その姿はまるで小動物のようで、とても可愛い。アンナは言い出し難いようなので、マリアは伝えてあげる事にした。
「サルバトーレには、基礎術式は使えません。あと、複雑な術具も」
「え? あ! う?」
言葉にならない、無意味な文字列を口にするアンナであった。その様子から、大きなショックを受けているのが見て取れた。
「安心しなさい。アンナ。貴女の杞憂です」
マリアが浮かべるのは、まさしく慈母の微笑みだった。それを見ればアンナも落ち着く。あの日メグミちゃんがヤヨイさんに笑いかけられてスヤスヤと眠りについたのも頷けた。お母さんの笑顔は、こんなにも安心するのだ。
なお、アンナが動揺したのは何もサルバトーレに嘘をつかれていたからではない。そんな事は問題にならない。それよりも問題なのは、あの脳の機能に、嘘をつけるような高度な仕組みが備わっているという事だ。それが可能なら、メダカだって人語を理解するだろう。
「いいですか。アンナお嬢様。術式のおさらいです。術式には、発動の三段階がありますよね? 答えてみてください」
「理解。納得。説得の、三段階ですね」
「正解です。では、質問します。サルバトーレの脳で、これら、いえ。これらの中の一つだけでも構いません。可能であると、考える事が出来ますか?」
「……ありません」
僅かな沈黙を置いて、絞り出すように答えるアンナであった。だが、それでは辻褄があわないのだ。そのような知能では、嘘をつくなどという高等技能は難しい。例え口先から産まれて来た輩でも、そのような真似は難しいのだ。思考を何よりも重視する、実に理術使いらしい発想だった。
「それでは、トトは異能者なのですか?」
「いいえ。違います」
思い至った可能性は、すぐさま斬り捨てられる。だが、そうでなければ、辻褄が合わない。アンナにとってはサルバトーレが術式の行使が可能かどうか以前に、あの頭に嘘をつく機能が備わっている事が脅威であった。
「あまり追い詰めても可哀想なので、先にネタバラシしちゃいますけど、あの人は嘘なんてついたつもりはありませんし、そんな能力はありません。それに、ちゃんと術式は使いますよ。ですので、アンナの怖がっている事は杞憂なの。ね? わかってくれて?」
ここで優しくするのは狡いとアンナは思ったが、テーブルの上でおずおずと手を伸ばした。
「怖くないわ。ね? 安心して」
察しの良いマリアは、やんわりとアンナの小さな手を掌で包むとギュッと握りこむ。周囲からは貴い。などどいう謎の声が漏れ出たが、優しい愛情に包まれて、アンナは落ち着く。外野の声など、二人には関係のない事であった。
「それで、一体どういうことなのか、説明して貰えますか?」
ようやく呼吸を平静に戻したアンナが、意を決して尋ねる。二人の手は繋がったままで、やはり周囲の、姉妹百合尊いコールは止んでいなかった。二人は親子なので、まったく無関係の話だろう。
「世界とは広いもので、今まで教えてきたような、様々な術式の常識を覆す術式もまた、存在するのです。その名も、脳筋術式と言います」
「脳筋術式……」
初めて聞く系統の術式に、鸚鵡返ししか出来なかった。
「この術式、解析出来る事があまりにも少なくて、謎に包まれたものです。ですので、正確には術式の定義から外れる可能性もあるのですが、現在、一応は術式流派の一つとして定義されております」
途端にアンナのテンションが上がる。彼女は謎とか可能性が大好きなのだ。それを思考する事に、知的興奮を得る性質なのである。
「まことしやかに伝えられている説によりますと、成立は救世主の生きた時代です。大陸の中央部近くのさる帝国で、東西南北全方不敗を名乗る御仁が、起こした流派であるとされています」
「なんて?」
つい聞き返してしまう。
「東西南北全方不敗です」
はしたない返しであるが、マリアは叱らない。なぜなら彼女もまた、その名を聞いて同じく返したからだ。流石は親子である。尤も、この定義を親子とするのならば、ほぼ全ての人類種は親子関係にある事になるので、大きな間違いである。
「大丈夫です。マリア。まだ、大丈夫です」
握る手にちょっと力が籠ったので、マリアは再び握り返す。すると可愛い娘は、蕩けるように微笑んだ。
「この辺のお話は、あまり大切な事ではありませんし、長くなるので流しましょう。この脳筋術式の名前は、私達の呼び方です。流派の者達はこの術式の事を、熱血術式、あるいは感情術式などと呼んでいます」
「熱血術式、あるいは感情術式……」
またもや鸚鵡返しであった。だが、マリアの体温が伝わっていて、アンナが勇気を失う事はない。
「この流派にも、私達の理解、納得、説得に類似するような、術式発動の三段階が設けられています。それが何なのか、考えてみましょう。ヒントは、脳筋や熱血、感情に繋がるモノで、動詞ではなく、精神的な事柄を表す名詞です。また、言葉としては人類種全てが生来持ち合わせており、決して失ってはならない事柄でもあります。ですが、この問題の正解は非常に難しいので、考える事を優先してください。貴女が考え、導き出した言葉程、尊いものはありませんからね」
この問い掛け方、正答を期待してのものでないのはすぐに判った。考える事こそが大切だというのは、マリアが口癖のように言う事である。だが、せっかくヒント迄出されている。挑戦に燃えない程、アンナは大人しい子共ではなかった。
そして、心地の良い沈黙。この沈黙は、試行錯誤を捗らす。悠然として紅茶を嗜むマリアを驚かせたいという野心が、アンナにはあった。望む未来を希望する事は、大きな力となると信じている。
「わかりましたとは言えません。ですが、解は、導かれました」
「結論からいく? それとも理論から?」
「結論から出します。理論は、その後で。……ちょっとだけ、恥ずかしい感じの答えですけど、笑わない?」
「笑いませんよ。貴女が考えて、見つけた言葉でしょう?」
うん。と笑ったアンナは答える為に、空いている手で軽く拳を握り、挙げる。複数の回答をする時、回答に併せて指を一本ずつ立てていくのは、マリアと同じ癖である。
「愛情」
人差し指を立てる。
「勇気」
中指が立つ。
「希望」
ちょっとだけ親指に引っ掛かったものの、ちゃんと薬指が立った。
「熱血術式においては、これら三つの心理的要素を、起動鍵として術式発動させると仮定します。しかし、これら三つは、理術などとは異なり、絶対的に定義されたものである必要は薄いと推察してもいます。つまりは、類義、類似の言語に置き換える事が可能という事です。これは、名詞という、多種多様かつ、曖昧な概念によって発動させるというヒントから着想を得ました。その結果、熱血術式は、とても概念的で抽象的な術式であると仮定されます。対象を自身の持つ概念的存在に置く以上、性質としては、神聖術式などに代表される、契約術式に近い構造をしている可能性が高いのだろうと、私は推測しました」
人は言いたいことが沢山あると、早口で、切れ目のない長話となるのだ。だが、ちょっと頑張り過ぎた。息を切らしたアンナは、深呼吸をすると、ラッシーで喉を潤した。
マリアはまたニコニコと微笑んで、握る手を優しく揺する。意図は不明だが、その動きは心地が良かった。
「一息に話さなくても大丈夫よ。推測は、なかなか悪くないわね。それじゃ、選んだ言葉の理由を、一つずつ説明して貰いましょうか。落ち着いて、ゆっくりね」
なんとも言い難い口振りであるが、仕方がない。解析されていない、謎の多い存在に対してのモノである。どうしたって曖昧になった。大体、これは授業でもあるが、遊美なのだ。ならば楽しめれば、それで良い。
「愛情は、理術における理解に相当するものです。何故、どうして、そうなっているのか知りたい、理を、解したいという感情は、相手、あるいは対象を受け入れたい、近づきたい、言葉にすれば様々なものがありますが、そういった欲求を満たす為の手段に過ぎません。その感覚に一番近いのは、愛ではないかと思います」
教典や聖句など、様々な場面で表れる愛という言葉を、真に理解する者はいないだろう。理屈などいくらでもつけられる概念だ。だが、感覚としては誰もが持っていて、誰もが知るものでもある。そして、誰もが失ってはならないものだった。
「少しだけ、憧憬とも迷ったんですけど、リーナお姉様に借りた小説に、憧れは、理解とは最も離れた感情だ。という一節があったのです。憧れは、自分の理想を相手に託すものだって。私は、共感しました。じゃぁ、理解に最も近い感情で大きいものはなんだろうなって考えたら、それは愛情なんじゃないかなーって」
色々と考えてはみるものの、感情、しかも愛情などという大きなものの言語化は難しかった。なので、アンナの言葉はつい感覚的なものになってしまう。上手く伝えられないが、確かにある、その気持ちの、もどかしさ。それらを言語化出来ず、優しく包まれた掌に力を込め、握り返す。これが、気持ちだよ。と。
言葉はないが、マリアもとても嬉しそうに微笑んでいる。同じ気持ちが同じ場所で触れ合っているようで、アンナも嬉しくなった。
「ちょっと私には難しかったですけど。それに、殆どは、そうだったらいいなって気持ちです。せっかく感情術式なんて素敵な名前の術式なんですから、やっぱり、愛情が一番に来るのが嬉しいですし」
キッパリと言い切って、笑う。答えなどないだろう。だから気持ちを伝えておくのだ。それが愛情の、表現方法の一つなのだから。
「ふふふ。アンナらしいわね。それじゃ、次は勇気ね。どうして、この言葉を選んだの? こう言ってしまうとなんだけど、あまりアンナらしくない言葉選びよね」
「む。それは、私が臆病者だとでも、言いたいのですか」
「違うわよ」
「ふふーん。マリアは気付いてないでしょうけどね。私だって、夜中でも、一人でお花摘みに行けるようになったんですよ。アンナは日々、成長しているのです」
鼻高々に、胸を逸らして得意げに語るアンナであった。
「アンナお嬢様。はしたない」
「ごめんなさい」
伸ばした鼻は、即座に斬り捨てられたが。
「ですが、確か先月は……」
「はい! ダメ! 終わり! 閉廷!」
マリアが言いかけた言葉を、大声で無理矢理打ち切る。こともあろうにマリアは、先月にやむを得なく晒してしまったアンナの痴態を、このような公共の場で暴露しかけたのだ。
一体どの口が、はしたないなどと言うのか。以前とは違い、セレーナは今や繁盛店だ。他にお客さんだって大勢いるのだ。それを……。
そこまで考えて、アンナははたと気付く。顔を上げて立ち上がり、周囲を見渡す。マリアとは手を繋いだままだ。自分に集まっていた視線が、慌てて逸らされるのを感じた。なぜだかノエミとレベッカは肩を組んで腕を上げ、親指を立てている。暇なのだろうか。
たちまちのうちに、顔へ血が昇るのを感じる。アンナは四方八方へ、腰を折って頭を下げた。五月蝿くして、ごめんなさい。のつもりである。内実は恥ずかしくて、無意味に忙しなく身体を動かしただけでもあった。謝罪の為に頭を下げるのは、万国共通の行為なので、謝意は伝わる筈だが。
修道服を身に纏う男性が、聖水よ……などと呟いていたが、品薄なのだろうか。近頃は暑くなってきていて、熱中症患者なども出る為、聖別した水の需要が高い。アンナも先月は、熱中症予防の為、夜に少々飲み過ぎてしまっていて、そのせいで……。
「マリア。私は酷い臆病者です……」
「もう。誰も、そんな事言ってないでしょ」
テーブルに突っ伏してしまうアンナと、涼しい顔をして、氷菓子を頬張るマリア。
マリアは美味しそうに食べますね。などと見惚れていると、スプーンの上に氷菓子を乗せて差し出される。つい癖でパクリと咥えると、冷たく、爽やかに甘い芳香が口の中に広がった。梨のシャーベットも、大変美味しい。
周囲で喧騒が巻き起こる。口々に、餌付け? や、雛鳥? などという言葉を漏らしている。今年は暑いが、季節柄、雛鳥が孵り、親鳥が餌を運ぶ時季でもある。近くに巣でもあるのだろうか。後で探してみようなどと、アンナは密やかに決意していた。
「それで、勇気なのですが……」
「大丈夫ですか? アンナお嬢様」
顔を上げ、姿勢を正すことにより気を取り直したアンナ。彼女が話の続きを開始しようとすれば、マリアに心配される始末であった。
「大丈夫ですよ。ですけど、丁度良いのかもしれません。勇気とは、このような時のように、心挫け、気持ちが折れかけた時に立ち上がり、再び歩み出す為の原動力を言うのです」
「お嬢様。そこまで思い詰めてらしたのですね……」
「物の例えですって」
「でもそれは、言語としての勇気の説明ですよね。二番目に持って来たという事は、勇気が、納得に相応する感情だと、お嬢様は仰りたいのでしょうか」
「それは、「はい」であり、「いいえ」でもあります。愛情とは異なり、理術で言う納得は、勇気の為の前提条件でしかありません」
「ちょっと面白い視点ですね」
「でしょう? この結びつき、結構相性良さそうですよ」
そして滔々と語り出すアンナである。ちょっとだけ、自信があった。
理術における納得は、理解した事象を、そうであるという形式として組み上げる為の過程である。言葉にすれば、こう繋がれば、そうである。という、未知数である概念と、結果としての事象を等式で繋げる為の、一種の方程式であるとも言えた。神秘的な学問で、事象を数理的に解決しようとする数学でのものとは異なり、必ずしも解を求める必要はない。
「術式発動の最終段階にもかかっちゃう事だから実際の理論は難解になるかもしれないけど、私達の納得、そうであるって信じる為の論理構築って、本当は、絶対に必須であるわけじゃないのかも。って思ったの」
「それは、異能者や霊獣などの事例から?」
「うん。彼等は仕組みや定理など知らなくても術式を行使出来るよね。でも、それは別に彼等のみに許された特権じゃないと私は思うんだ」
アンナは難しい事を考えながら話をすると、言葉遣いが崩れがちだ。論理構築に思考を割き続けている為である。マリアも別に咎めない。礼儀作法や言葉遣いは人として、立場として確かに大切なものであるが、彼女の哲学において人として大切なのは、思考し、選択し、決定し、そして実行する事であった。
「術式の練度でも、壁を越えるとか、殻を破るとかって言葉があるでしょ? 私にはどうしても、そういった経験をした人達が、納得の為の論理構築を突然出来るようになったとは思えないの。どちらかといえば、出来るようになって、結果として式や解の全貌が把握出来たからこそ、納得に足る論理構築が可能になったような気がするんだよね……です」
最後に取って付けたようにです。などと言ったのは、語り終えて言葉遣いに思考を割く余裕が出来たせいである。明らかに失策だった。
マリアはちょっと難しい顔をして眉間を揉んでいる。何事かを考え込んでいるようだ。アンナはマリアの困り顔など見たくない。
ほうと息を吐き、瞳を開いたマリア。言葉を選んでいるようだった。そして口を開く。
「その考えは、書や、誰かの教えから導かれたものですか?」
「いいえ。違いますよ。この考えの切っ掛けは、レベッカおねーちゃんが交信をちゃんと使えるようになった時に閃いて、その後に考えを纏めたものです」
マリアは何かを決めかねているような顔付きだ。名前を出された事が聞こえたのか、こちらを見るレベッカには、両手と顔を振って、違うよと返しておく。レベッカが交信を当然のように使えるようになったのは、やはりなんでもない日常においての事だった。




