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揺籠の島で揺蕩う少女達。  作者: カズあっと
間章 一方その頃。
36/74

間話1 レーナとカロリバ。




「いやー。やっぱり美少女成分は、スーッと胸に効きますなー。元気を分けて貰った所で、お仕事でもしますかねー。でも、その前にぃ〜」


 そう独り言つ事務局長。彼女の独り言はいつもの事である。然程に気を向ける者はいないし、そもそも部屋の中には他に人がない。


「いやー。さっきまで賑やかだった分、静かになると、雑音が気になっちゃうよね。それに、乙女達の会話を盗み聞きなんて、無粋だよ。ね。キミもそう思わない? 盗聴者くん」


 だが、さもそこへ誰かがいるように、天井へ向けて語りかける。言葉遣いは普段通りで表情こそ笑顔だが、声音が冷たい。


「——いやいや。いーよ。別に返答は求めてないって。……ん? あはは。別に、そんな事はしないさ。なんていうか、後ろ暗い事をしてる人達って、発想が物騒だよね」


 病院の各部屋は通常、室外に音が漏れる事がないよう設計されている。

 患者や、その家族への配慮の為だ。

 これは、異界化で、ではない。異界化は最も秘匿性の高い手段だが、任意に異界を創世する技術など、人類種は手に入れては調度品いなかった。

 ここカターニア総合病院の新生児室も、人造異界などと銘打ってはいるが、設備や術具などの技術により、環境を異界の様なものに限りなく望む形へ近づけただけの空間に過ぎない。

 この病院といわず、大抵の建築物の防音は、構造と、設備によってのものだ。

 保護や消音の付与された建材を用い、防諜の術式を施す事が一般的である。それは、この応接室も同様なのだが、この場所の使用目的による都合上、少々特殊な造りとなっていた。


「職員なら記録【ログ】は、ちゃんと申請すれば見れるのに、わざわざそんな所にいるんだもの。自分から不審者です。って、告白しているようなものじゃぁ、ありませんか」


 それは、音声記録としての証拠保存の為に、室内の全音声を録音する為である。

 交渉事の際に、これはかなりの力を持つ。

 声は合成して、限りなく同じモノとして扱えるが、声紋は、神聖術式を始めとする詠唱術式でも重要な意味がある。

 音声としての波形がまったく同一であっても、詠唱者の信仰の度合いによって、効果や規模が異なるのだ。これがあるからこそ、詠唱が必須とされていた。


「ヨアキム様の遣いとして来ているのならば、両手を上げなさい。それ以外ならば、そのままの姿勢で構いません」


 果たして、屋根裏に潜んだ何者かは両手を上げた。

 これは、意識してのものではない。レーナの言霊に依って、強制したものだった。


「良い子ですね。そこでは、術式や術具の発動は阻害される筈です。それらが貴方達にとって、有効に使われたのなら、ワンと言いなさい。そうでないなら、ニャンです。良いですね。わかりましたか?」

「ニャン」


 凄く可愛らしい女、しかもそれ程成長していない子供の声だった。レーナの耳には、もしかしたらアンナちゃんよりも歳下の子なのかも! と、聴こえるほどに。


「ふむ。盗聴者ちゃん。おねーちゃんの前に出でくる事は可能ですか? 呪いとかで何かあるなら、強制はしません。だけど不利益がないのなら、おねーちゃんにお姿を見せてくれると、嬉しいかなーって」


 ゴソゴソと、天井裏で物音が立つ。人が何がしかの動きをする音であった。

 これにはレーナも期待してしまう。声は、女児のものっぽかった。

 聴こえる物音も軽く、彼女の聴覚情報からは、幼い少女が諜報として潜んでいたとの期待がある。

 この世界は、経験よりも、才能が物を言う世界だ。それでも、間諜などという非合法に近い働きをするのは、捨て駒としても問題のない、未熟な者の場合が多い。

 未熟=青い=幼女という方程式が彼女の中には成り立っていた。今更であるが、幼女は彼女の大好物である。主に性癖的な意味で。



「ふふん。可愛子ちゃん。レーナお姉様は、怖くないおねーちゃんですよ。大人しく姿を見せてくれるなら、マナー違反は不問としますよ」


 レーナは得意の絶頂であった。これまでに彼女は、こういった機会に恵まれた事がない。


 彼女は物心付いた頃から優秀で、強い力を当たり前に行使していた。両親を始めとする親族も優秀かつ善良で、他所からの恨みを買うという経験もなかった。

 街道で賊に襲われていた馬車を救おうと、機を穿っていた時でさえ、護衛達が優秀過ぎて出る幕がなかったのだ。

 これでは、恩を着せて、貴族子女からの素敵! 抱いて! の流れに持って行ける筈もない。彼女は大層欲求不満であった。


「いらっしゃいな。子猫ちゃん。おねーちゃんが必ず、相応しいご奉仕を用意してあげますからね」


 レーナの想定では、声の主はアンナと同じくらいの年齢だ。

 声音からは、骨格が固まっていない年頃の発声が偲ばれた。

 しかも、諜報などという任務に着く者は、生地を限界まで排した衣装を纏う事が多い。

 これは暗殺者や忍の習慣である。彼等は実力が上がると、脱げば脱ぐ程強くなる。

 一定以上の実力者ともなると、装備を全裸とすることこそが最強であった。

 並大抵ではない修練が必要で、半端な実力者ではそこまで辿り着く事はない。

 だが、力持つ者が意識して薄着でないはずもなかった。身じろぎの音から察せられる衣擦れが僅かだ。

 露出の多い服装であるという推察があった。興奮しながらも、幼女を向かえ入れる心理的体勢が、レーナには整っていた。


「ふぉぉぉー! 勝ったっ!」


 シュタっと、僅かな物音しか立てずに床へ降り立ったのは、小柄な人影であった。

 人影である。全身を、朧な靄が覆っている。

 これは、蜃気楼(ミラージュ)と呼ばれる術式だ。視覚での印象を薄れさせ、錯覚かと思わせる精神干渉効果があった。

 これに様々な術式を重ねる事により、更に多彩な効果を得られる。

 忍や暗殺者、間諜などが扱う術式としては基本とされているものであり、これらの専門家は、常時発動させている事も多い。


「蜃気楼の解除は可能ですか? 掟や信条により都合が悪ければ、そのままでも構いませんが、そうでないのなら、解除を望みます」


 念の為に聞いておく。レーナにはどういう思想だか理解不能だが、宗派や流派によっては、これを解除した姿を見られるくらいなら、死を選ぶ。というような者がいて、慎重にならざるを得ない。

 果たして支障はないようで、蜃気楼は解除される。顕れたのはピッタリとした忍衣装を纏った、体型に起伏の少ない小柄な女。両拳を床に着けて跪く、ヤボン式の最敬礼を取っている。

 燻んだ灰色の髪の旋毛が見えた。推測はそう遠くなく、どうやら忍であるようだった。


「忍! し・の・び! く・の・い・ち!」


 突然意味不明に叫び出したレーナに驚いたのか、忍の身が僅かに震えた。


「おっと。いけませんね。ご自分の立場はお解りかと思います。何か、言いたい事などがあれば、お聞きしますよ。私は、優しいおねーちゃんですので!」

「ふむ。ならば、一応聞いておこうかの。儂を一体、どうするおつもりじゃ? 官憲に突き出すか、はたまた、始末するつもりかの。どちらにせよ、千言の魔女殿には、容易い事じゃろうがのう」

「ロ、ロリ婆、もしくは、のじゃロリキター! え? マジ? めっちゃ大当たりじゃない。もしかして、合法? 合法なの? いえ、待ってレーナ。クールになるのよ。言葉遣いが特殊なだけで、何も合法とは限らないわ。で、でも、もしも合法なら……。ね、ねぇ、貴女はどっち? 主に性的な、年齢制限的な意味で」

「それに引っ掛かる事はないじゃろな」

「イャっフォー! やったぜ! 第一部完っ! ロリ婆ゲットだぜー!」


 床を踏み鳴らし、両手を振り回しながらも節を付けて謎の歌を歌いだし、大興奮ではしゃぐレーナである。えぃぇぃぇぃぇぃぇーと、一人ハモってまでいる。

 が、浮かれ踊る途中で、相手がある事を思い出す。

 レーナは今年二十歳。成人が十八であるビタロサでは、立派な大人である。年甲斐のなさに気付いた所でコホンと一つ咳払いをすると、キメ顔を晒して宣う。


「どちらでもないわ。貴女は、私に忠誠を誓う、草になるのよ!」


 ついテンションのままに言ってしまって、しまったとレーナは思った。草とは、ヤボンの言葉で、子飼いの忍を指す隠語だが、情報が充分でない現状、この要求は不味い。

 金銭により雇われた忍には問題はないが、忍の中には忠誠心によって働く者がいる。

 その場合、高い職業倫理を備える為に、二君に仕えずという信条で、玉砕覚悟の特攻か、自死を選ぶ者がいる。

 いかに興奮状態にあるとはいえ、ここまで慎重に対話を進めておいて、千言の魔女レーナ・リディア・ナタリア・リーナ=シュペー。痛恨のエラーであった。


「それは、千言の魔女殿が、儂の新たな雇い主になるということかの? まぁ、たいして義理がある訳でなし、時給も安かったしのぅ。別に構わんのだが、時給や条件次第であるかのう」


 が、幸にして杞憂で済んだようだった。彼女、仮称ロリ婆はなんと時給で雇われていたらしい。

 この雇用形態、定められた時間内、雇用主の指揮下に入る事を約束する事によって、賃金が発生する仕組みである。

 単価次第で良い稼ぎとなるが、正式な労働契約や冒険者組合が間に入る労働依頼と異なり、手厚い保障があるわけではない。

 所定の契約時間が過ぎれば、次に雇われるかは雇用主の気分次第となる。

 自然労使の力関係が極端になり、黒き労働と呼ばれる奴隷契約に近い、無茶苦茶な労働契約の温床となっていた。結果として、職に溢れた者の、数少ない選択肢の一つとしかなっていなかった。


「おおう……。裏社会も世知辛いものですね」


 まぁ、今では黒き労働も、表社会では一応は根絶されているのだが。なので、社会の闇を目にしたレーナにとっては衝撃が大きい。忍など、闇そのものの存在でしかないので、今更でこそあった。


「参考までに、今の時給や待遇をお聞きしてもよろしいでしょうか? あまりに高額な場合は諦めますが、それが相場に適うものならば、それ以上をお約束出来る自信はあります」


 なので、高時給や高待遇である場合を恐れた。そう聞けば、素直に答えが帰ってくる。

 そして、それを聞いたレーナは顔を両手で覆い、ドンドンと床を踏み鳴らしながら泣き喚くという狂態を晒すのであった。


「やっすい! 安過ぎます! それって、最低賃金割り込んでるじゃないですか! その上、備品は持ち出しですって!? 労働者、舐めんじゃないわよ! 労基仕事しろ!」


 それ程に、酷い待遇であった。時間単価では定められた最低賃金を下回っており、備品は自己負担。当然ながら福利厚生もない。

 私設の間諜など非合法な存在である為、この場合、厚生省、労働基準監督署ではなく、防衛省、治安維持部隊、つまりはサルバトーレの管轄である。

 フーフーと息を荒げるレーナであるが、既にこの仮称ロリ婆の境遇に、すっかり絆されていた。

 基本的に、平和な島であるシシリアの女はチョロいのだ。それは、千言の魔女と呼ばれるレーナであっても、あまり変わりがなかった。

 そして、彼女の特殊な嗅覚は、この仮称ロリ婆の不幸を捉えている。

 レーナ自身とも、妹や、彼女と仲の良い乙女達とも、フロレンス婦長とも違う。

 婦長の場合は、ちょっと幸か不幸か、判断には困るのだが。とにかく、経験の差があると感じていた。


「失礼。取り乱しました。質問しますが、貴女には、お金を稼がなければならない理由はありますか? 例えば、家族の為に送金しているとか、病気のご家族の為に大金が必要なのだとか。そういったものがあるなら、どんなものでも構いません。正直に仰ってください。今なら、言い得ですよ」


 急に受付や相談員のように、優しい口調で言い出すレーナであった。というよりも、これが彼女の素である。この女、事務局長の癖に、受付や案内などをやりたがり、そして立派に熟す。

 事務局長としての仕事も充分に熟した上でだ。どこからも、文句の付けようがなかった。

 そのせいで、彼女は患者や出入り企業の従業員などからは、新人事務員や、受付のお姉ちゃんだと思われている。

 大人の一年目、二十歳。リーナの姉という事もあり、可愛らしい容姿をしている。しかも妹とは異なり、物腰が暖かく優しげで、初々しく、ちょっと抜けた所がある。ある意味人気が出ない訳がなかった。


「ちょっと甘過ぎはしないかえ。家族など、とうに黄泉路に旅立ってしまった者ばかりじゃよ。とはいえ、儂も生きておる。飯ぐらいは、自分の手で賄えねば恥ずかしいじゃろ。尤も顔も知れぬ血縁が、どこかにおるかもしれんがの。まぁ、そこまでは、望み過ぎじゃわい」


 まるで老婆のように嗄れた声に、レーナの胸は詰まる。仮称ロリ婆の近しい血縁は、殆どが、かなり昔に他界しているというのだ。

 年齢により時の感覚は異なる。十歳にとっての一年と、二十歳にとっての一年は、重みに大きな違いがあるのだと感じたのはつい先程だ。

 昔というのも主観によって、実際の年月とは大きな隔たりがある事を、彼女は意識していた。


「じゃぁ、じゃぁ。条件が良ければ、お姉ちゃんに雇われてくれる? 勿論酷い事なんてしないわ。少なくとも、今の職場よりも、高待遇は約束するよ」


 だが、レーナは勘違いをしている。

 彼女は確かに、合法だと聞いた筈であった。十歳、どころか二十歳までは条件次第で違法であるので、年齢はそれ以上であるはずだ。

 良くて同い年。もしかしたら歳上の可能性だってある。なので、年齢による時間感覚の差にそこまで違いがある筈もないのだが、彼女は冷静さを欠いていた。

 妄想で、不幸な少女を脳内で描いているので仕方がない。こういう思い込みが激しい辺りも、シシリアの女らしい。


「儂としては、口に糊するだけの稼ぎがあれば、問題ないのじゃ」

「うぉーん。健気ぇ……」


 そして感極まって涙と鼻水を垂らしたレーナが、家事は出来るのか尋ねると、一通りは可能じゃ。人並みであろうがな。との返答があった。

 レーナは鼻水を一つチーンとかんで、鼻の周りをゴシゴシと拭った。汚れたちり紙を丸めて、ゴミ箱にポイと放り捨てたが的は外れ、トボトボと歩いて入れ直した。

 王家印のちり紙は、柔らかくてお肌に優しいが、薄くて軽いせいもあり、上手に放れなかった。


「貴女、住む所はあるの?」

「恥ずかしながら、宿無しじゃ。今は雇用主の用意した詰所で、起居しておるがの」

「なら、私の家に来なよ。扱いは、住み込みの侍女みたいなものになるのかな? 同居を条件として、衣食住の保障をするよ。借り家だけど、一人で住むには広くてね。空き部屋もいっぱいあるの。お風呂は温泉よ。無論、嫌じゃなければだけど……。どう?」

「今の雇い主との関係が切れれば、詰所も出なければならんので、儂としても願ったりかなったりなのじゃがのう。良いのか?」

「あったりまえでしょ!」

「お、おう」

「じゃぁ、話が早いかも。したら、労働契約は住み込み女中のものに倣っておきましょうか」


 そう言ってレーナは、術式により契約書を作成し、仮称ロリ婆の目前へ。

 幾つかの箇所で数字は未記入であるが、随分と気の早い事だ。


「で、お賃金なんだけど……」


 そう言って提示した額に、は? などと問い返されてしまい、レーナは焦る。


「ぁぅ……。ウチのメイドさん達のお給金がこのくらいだったんだけど、もしかして安い? あ、一応何かお願いした時の経費はこちら持ちだし、その場合は、お仕事に応じてお手当もあるから、安心してね。その辺は、契約書にも書いてあるよね? 駄目かな?」


 焦るレーナはペラペラと口を回す。だが彼女は忘れている。今の仮称ロリ婆の契約している時給を。


「いや。待ちなされ。安いなどと、不満を言っているのではないのじゃ。むしろ、高い! 高過ぎるんじゃ!」


 つい声が高くなってしまったレーナに合わせるようにして、仮称ロリ婆の声も高くなる。


「え? だって、ウチのメイドさん達のお給金、こんなものだったよ?」


 彼女は幼い頃から数字に明るく、母親のつける家計簿や、シュペー社の決算書を愛読するような、変わった子供であった。

 長じては、それらの作成を手伝う事もあったのだ。そんな彼女からしてみれば、支払ってきた賃金が高過ぎるのだと言われて、素直に頷ける筈もない。


「そういえば、千言の魔女殿は、シュペー社のご令嬢だったのう。世間知らずも、無理はないのかのう」


 そう言われて、ちょっと口を尖らすレーナであった。特に反論する訳ではないが、そうであると頷くにも抵抗があったのだ。


「シュペー程の家で雇用されるメイドなんぞ、殆どは学府出の、上級資格持ちじゃて。それに、ご実家の侍女達の中には、お貴族様だっておったじゃろう」

「いましたねー。いずれの方々も、とっても素敵なお姉様達でした」


 シュペー家は今でこそ出版大手である、所謂商家としての名が高名だが、元来は無役の貧乏子爵家であり、文筆や出版も元は困窮する家計を助ける為に始めたものだ。貴族の副業は禁止されていない。寧ろ奨励されている。


「そんな力ある歴とした身分の方々を、薄給で雇える筈もないじゃろう?」

「たしかに」


 爵位や官位に対する俸給はあるものの、それだけで貴族として振る舞える程の収入にはならない。

 殊に数多い子爵家や男爵家は当然として、権威としては上位に相当する伯爵家でさえ、副業をしなければ貴族の責務さえ果たせなかった。

 かなり旧くから貴族の子女とはいえ、行儀見習いなどの名目で、収入を得る為に働く事は、当然の風潮でもあった。


「儂のように学もなく、資格もない流れ者が女中として雇われても、給金はせいぜい今と変わらぬよ。だからこそ、今の仕事に甘んじておる。この仕事、非合法組織の使いっ走りじゃが、支払いは確かだからのう」

「貴女、戸籍は?」

「あるとお思いかい? 世間知らずのお嬢ちゃん。儂は、無宿人よ。抱えるだけで、両手に枷を嵌められるぞい」


 両手に枷を嵌められるとは、なんらかの罪の疑いありと、官憲により拘束される事を指す隠語である。

 生存権と、人類種としての最低限度の尊厳は守られるものの、自由はない。

 国家により、所謂、社会による基本的人権と呼ばれるものの大半を剥奪された状態でもあった。これは、裁判により判決が出るまで続く。


「それはまぁ、大丈夫だと思うよ。私なら、戸籍くらいは用意してあげられるし」

「そうじゃろうのう……」


 とはいえ、国家にだって限界はある。官憲や軍を超える戦力に対しては、そのような真似が出来る筈もない。

 そうでなくとも、事を構えれば被害が甚大で、何もなければ無害な相手に対しては、遠慮もあれば、配慮もある。それも、法を捻じ曲げる程度には。

 個人が極端な力を持ち得るこの世界においては、ありふれた事だった。そして上級冒険者は、そういった存在の筆頭である。


「ねね。戸籍は用意する。衣食住も保障する。給金は、貴女が妥当だと思う額にするよ。待遇面の詳細は大体契約書通りだと思うけど、それで私の身の回りのお世話や、留守番なんかをしてくれる、専属のメイドさんになってくれないかなぁ?」


 そして、そういった者は得てして傲慢である。自分の望みを叶える為に、遠慮はないのだ。逆説的に言えば、そういった者であるからこそ、それだけの力を得れたのだろう。


「ふむ。良いじゃろう。額はコレでっと……」

「えー。ちょっと少なすぎない? それじゃ今と、税引き後じゃ変わらないよ?」

「良い良い。特に必要なものがある訳でなし、生活に必要な物は保障してくれるんじゃろ?」

「でも、コレじゃ、色々買えなくない?」

「すぐに欲しい物がある訳でもないしの。何かあれば、蓄えて買うだけよ。本は好きじゃが、ビタロサの文字が読めんのよ。覚える頃には、本を買う余裕もあるじゃろ」

「え? 本当? じゃ、おねーちゃんが文字、教えてあげるね! じゃぁ早速、契約結んじゃおっか!」

「ほほほ。それは楽しみな事じゃて。ですが、お嬢様。契約の前に、一つお願いがあります」


 ポンポンと、トントン拍子に話は進んだが、そこで一旦止まる。その理由は、身命を賭けるような、真摯な声音にあった。

 努力もせず、好き勝手に生きてきたせいか、レーナはこういう調子に弱い。

 この先、真剣になる事はあるだろうし、努力が必要となる事もあるだろう。だが、自分が身命を賭ける程に必死になる姿が想像出来ない。だからこそ、そういう想いには応えたい。


「何かな。理由を話してくれると、嬉しいな」


 だが、つい平坦な声になってしまう。


「うむ。今の雇い主に、ちゃんと辞めると伝えなくては、義理に欠けるじゃろ。じゃから契約は、その後にして欲しいんじゃが。やはり、信用出来ぬかの?」


 気にした様子もなく、あっけらかんと言われれば、肯定するより他なかった。


「お嬢様は、心配性じゃの。信用出来ぬのも無理はないか。では、これを渡しておくぞい」


 だが、どうやらレーナの心配に気付いたようで、仮称ロリ婆は長い詠唱を唱える。すると彼女の身体から抜け出るように、火の灯った蝋燭が顕れた。


「命の幻想灯火ですか」

「知っておったか。さすが博識じゃの。それがあれば、魔女殿ならば、儂を探し出す事なぞ容易かろう? 預けておく。担保としては、悪くもなかろう」


 命の幻想灯火は、術者の状態を蝋燭に灯した火に見立て、顕現させる術式である。

 現在の生命力が燃える炎として見立てられており、蝋燭の長さが状況を示す。

 曖昧であるが、炎の勢いが強い程元気で、蝋燭が長い程安全であると解釈される。

 ヤボンで生まれた術式で、人質として送られる子供達が、せめてもの形見にと。親に残した写身が由来であった。

 転じて主従契約を結ぶ際、差し出すものとなった。


「実物は初めて見ますよ。うわ。本当に熱くないし、幻影なんですねー」


 蝋燭や炎を触り、触れられないと判るとシュパシュパと手刀を切ったり、幻影に手を置いてみたりするレーナであった。目が面白い玩具を見つけた子供のものになっている。


「実際に幻影だしのう。千言の魔女殿、遊んでないで、ちゃんと儂と繋がっておるか確認されんかい」


 遊んでいた千言の魔女は叱られる。術式から術者を辿るのは高等技術であるが、上級冒険者であるレーナならば造作もない。


「しっかりと繋がってますね。でも、この蝋燭、一体どうやって運べば良いのでしょう?」

「おっと。忘れておったわ」

 ピンと指を弾いた術者から、何かが放たれた。緩やかな放物線を描いたそれは、両手を開いたレーナの掌の上に、ポテンと落ちた。


「これは、刀の鍔ですか?」

「それを模した、燭台の皿のようなもんじゃな。蝋燭の下に嵌めてみなされ」


 言われるままに中空に浮かぶ蝋燭の底に当てると、皿に引っ張られて幻影の蝋燭が動いた。


「え? なにこれ面白い!」


 皿の動きに併せて動く幻影。幻想灯火に触れてみるも、やはり触れない。だが、やはり、皿を動かすと追従して動く。それが面白くて、振り回したり投げたりするが、幻想灯火の状態に変化はなく、ただ皿に従って移動する。


「原理などは知らぬが、それを使えば持ち運べるはずじゃ。幻想灯火は術者が死亡し、四十九日が経てば消える。所詮はまやかしよ。火を出すわけでも、場所を取るわけでもないので、安心じゃろ」

「生きてる間は消えないんですか? 確か、ヤボンの将は万人単位で兵を抱えますよね?」

「その為に蔵を建てる者もいると聞いたのう。その蝋燭、直接の主従関係において差し出されるものじゃから、一人の将が万単位で所有はせんがな。ついでじゃが、主のほうが放逐を望めば勝手に消えるぞい。まぁ、する者など稀じゃろうがな」


 成程、なんらかの事情があり、従者を放逐する事はあるだろう。

 だが、大雑把にでも生命力や状況を知る事は、大きなアドバンテージである。情報の優位を捨て去る将など、長くはない。

 この術式、一見従者が主人へ一方的に情報を差し出すように見えるが、その実、心理的、実利的には、主人側からの縁切りを抑える効果もあった。あくまでも、一般論ではあるが。


「なるほどー。でも、これ、私とは繋がってはいませんねー」

「うむ。まだ契約なんぞしておらんからの。その蝋燭自体は四十九日後に消えるぞい。儂の生死とは関係なくな」


 ちょっとガッカリするレーナの耳へ、諭すような声音が続く。


「そこは信頼して貰えるとありがたい。儂とて、信用に足る主人に仕える事はありがたいのじゃからのう」

「そっか。うん。信じるよ。無事に、帰ってきてね」

「うむ。そう時はかからん。半刻程で戻る。では、行ってくるぞよ」


 そう言うと、レーナのメイドちゃん候補生は術式を発動させる。蜃気楼(ミラージュ)だ。


「あ! 待って! その前に、せめて先にお名前だけでも、教えて欲しいなっ!」


 更に術式を発動させて、影に潜り込もうとするのは朧を纏いし小柄な女。それが、呵々大笑する。


「おう。久しく名乗りなぞあげてなかったので、忘れておったわ。儂は、生まれながらの無宿人よ。真名なぞ持たぬが、不便じゃて、名乗りはある。誰が呼んだか知らぬが、同業者には、大層な呼ばれ方をしておった時もあるからの。通りの良い、それで良ければ名乗ろうか。儂の名は、カロリバ、影潜りのカロリバじゃ。必ず戻るぞ、主殿」


 そして影の中に、カロリバは消えた。

 一人残されたレーナは、カロリバちゃんかー。何処かで聴いたような気もするけど。などと反芻する。

 手に持った蝋燭と、床に落ちた契約書が淡く輝いている事にも気付かずに。

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