32話 溺愛シリーズ
改稿して、読んで貰えるようにしたい。悪い所とか、教えて貰えたらと思ってしまいます。
アニメーション談義は、まだまだ続く。
ヴァルキリーは大作となって可能性を広げたが、製作委員会の目的はアニメーションの普及にある。ヴァルキリーだけで、終わらせる訳にはいかなかった。
「そして、放送局と製作委員会は、次作以後では基本コンセプトを全面に押し出す事にしたの」
これは彼らの偏見もあるのだが、第一作では戦闘描写に注力し過ぎて、思わぬ層の興味を引いた。
ならば、そういった層が興味を持ち辛い、爽やかで淡い恋愛に焦点を当てればどうだろうかと。
昔から、年齢層を問わず、女性には恋愛物の需要が高い。安朝の企画として、そこに立ち返ろうとしたのは製作者としての彼等の矜持であった。
ヴァルキリーの成功により、他の時間帯で、戦闘描写を全面に押し出した番組枠が確保されているお陰であるが、当初の企画を遂行しようと努めるだけの余裕が彼等には存在していた。
「溺愛シリーズは、ヴァルキリーとは打って変わって、十一歳の女の子が、同い年とか歳の近い男の子に出逢い、そして……という話なの。溺愛シリーズでは、属性の異なる二人の男の子の間で、揺れる乙女心が描かれているのよ。この描写がもう上手で、安朝の度に、キュン死する視聴者が増えたわ」
それは、穏やかな朝の時間を。という趣旨と反するのではないか。とアンナは冷静に指摘する。
だが、熱病に罹ったようにして、レベッカは、甘いよ。アンナちゃんと即座に否定した。
「闇深系訳あり男子の月と、完璧系王子属性の太陽。二人に溺愛される主人公、彼女の名はソフィアというの」
それは、ビタロサで最も多い女の子の名前であった。
「彼女達は学園で同級になるの。ソフィアには、自分が何の特技もない、普通の女の子という自覚があって、二人の美しさに憧れるものの、それで充分幸せだと思っていたの」
だが、十年前のテロによって妻を亡くした商人が、第一話にてソフィアの母と結ばれる。彼女もまた、同じ事件で伴侶を亡くしている。
ソフィアを産んで暫くしての事だ。女手一つで娘を育て、亡夫の残した菓子店を切り盛りしてきた強い女性であった。
そして二人のヒーローは、ソフィアの義父となった人の息子として、彼女の前に現れる。
「この時から、ソフィアのドキドキな家の中での日常と、卒業までの学園でキュンキュンな一年間が始まるのよ。ネタバレだけど、物語中では、彼女はどちらかと結ばれる事はないの。最終回にどちらの愛に応えるか。という形で締めるのが、シリーズの伝統なのよ」
「でも、その後を描いた特別編は賛否両論ね」
成程。敢えて結論を見せずに、可能性で締めるのもお話としては悪い手ではない。
消化不良の気はあるだろうが、それはそれとして、それぞれの想像で幸せな未来を想い描けるのだ。
だが、ノエミが気になる事を言う。鸚鵡返しに特別編? と聞き返すと、ノエミは一つ咳払いして語り出す。
「特別編は、最終回後の未来を描いたお話で、再生機専用として、全部で四話が制作されたの。続き物ではなくて、並行世界ものとして銘打たれていたわ」
製作委員会も、消化不良と呼ばれる事は織り込んでいたらしい。なので、予め四種の真最終回とでも言うべき四話を制作していた。
それは、それぞれと結ばれる二つの話、^_^た『月との未来』、あるいは、『太陽との未来』は当然として、両取りで、両手に花となる『溺愛✖️溺愛。され過ぎちゃって、蕩ける未来』そして、どちらとも結ばれないが、ソフィアの優しい未来を描く、『思い出を胸に、希望の未来へ』の四作だ。公式より、これら四つの話の間には物語上の連続性がなく、並行世界の出来事だと謳われている。
「おー。委員会さん達、すっごく、頑張ったんですね。でも、何の問題があるんです?」
製作委員会へ、素直に賞賛を贈る。レーナが、「いやー、それ程でも」などと照れているが、別に彼女への賞賛ではない。
「問題があったのは、この四作の発表の仕方よ。これらは、会員特典として発表されたの。しかも、アンケートに答えた会員に対してだけのね。アンケートは簡単なもので、その結果によって、どの話が贈られるのかが決まるわ。やり直しも出来るので、望む結果を得るのは簡単よ。でもね、この特典、一会員に対して、一話だけのものだったの」
会員とは、何らかの手段によって特定組織へ所属し、一定の責務を負う事により、そこからの恩恵を受けられる個人の事である。
大きな所では、国や冒険者組合、そして教会や企業が組織であり、国民や冒険者、あるいは信徒や従業員が、会員と呼ばれても支障ない存在であった。
尤も、一般的にこれらは会よりも上位の概念である為、そう呼ばれる事はないのだが。
「製作委員会と、組織名を銘打ったのは、伊達ではありません。視聴者の皆さんと一緒に番組を創り上げる事こそ、製作者の醍醐味です」
急にキメ顔を晒して宣うレーナである。実際に、この方式は利点が多い。営利目的である企業の場合はその性格上、利益を追求せねば存在意義が疑われるが、非営利団体である委員会では必ずしもその必要がなく、行政による介入も緩いものとなる。
委員とは、目的遂行の為に権限を委ねられた者達だ。利益を出さなければ、課税対象からも外れる。
「これは情けない話なのですが、発足当初の製作委員会は、無報酬でした。製作委員会発足から、ヴァルキリー放送までの四年もの間にです。仕方ありませんよね。アニメーションが利益を産む製品であるのか以前に、そんな概念すら存在しなかったのですから」
しみじみと語り出すレーナだ。
彼女の話によれば、製作委員会は有志達により、アニメーションによる物語という存在を、世に産み出す為に結成された組織だという。
それまでも、演劇やドラマなどという物語は数多く存在していたのだが、それらは現実の制約を強く受ける。
派手な演出や、荒唐無稽な表現には、どうしても限界があった。
自然、それらは哲学的、抒情的な表現が多くなり、難解な物語となっていた。
経験の浅い子供には、細かな表情変化による感情の機微や、言葉遊美による皮肉や諧謔などといったモノが理解し難く、演劇やドラマは、大人向けの娯楽であった。
「たまにだけど、挑戦的な番組で、派手な活劇物をやろうとして爆死したってのも、聞く話だしねぇ……」
そういった企画が通る事はあまりない。
通ったとしても、反響が芳しくないのがザラである。
派手な戦闘や冒険が見たいのなら、冒険者の配信を見るか、闘技場にでも行けば良い。
だいたい、勘違いした制作者は忘れてしまうのだが、視聴者の求めるのは物語性であって、制作者の自己満足にも似た挑戦心ではないのだ。
高位の術士の現実に、表現描写が追いつくまでは、その風潮は変わらないだろう。
「でも、私達や子供達の未来には子供向けの、解りやすい放送が必要でした。かつての勇者放送のように物語性と描写を兼ね備えた、極上の娯楽が。それを可能とするのがアニメだと、私と同志達は確信していたんです」
薄々と感じていた事で、明言された事ではないが、レーナは恐らく製作委員会の関係者だとアンナは考える。
根拠は、委員会や作品の事を我が事、我が子の事のように、やけに詳しく語る事と、創作分野では結構有名だという話からだ。
強い証拠とは言えないが、直感は間違いないと囁いている。だが、素直にそれに従うのには僅かな抵抗があった。それは彼女が導き出した計算によってのものだ。
「でもさ、おねーちゃん。その無報酬だった人達だって、今じゃアニメ制作会社として、立派に生活出来てるじゃない。激務だけど、報酬は良いらしいわね。自分達で切り拓いた事業で生計を立てるだなんて、大航海時代でも難しい浪漫よ。初代製作委員会委員長様としては、鼻が高いのではなくって?」
「勿論! あの頃の思い出は、私の宝物の一つです!」
満面の笑みで言い切るレーナが眩しくて、ついアンナは俯いてしまう。リーナにも、ノエミにも、レベッカにも。他の誰にも。今の顔を見られたくなかった。




