27話 譲渡と雑談。
そして病院へ辿り着く。途中、仕立て屋の新居に向かい、マサト=キリュー氏と落ち合った。足は借馬屋ブッテラの馬車である。これら諸々の段取りは、サルバトーレの手によるものだ。彼は正直に喋りさえしなければ、そこそこ有能だった。
受付で来訪の意図を告げると、マサトは病棟へ案内されていった。退院の前に、医師が母子の健康状態を詳しく説明するらしい。さすがに個人情報なので、他人である四人は同行する事は出来ない。だが、彼女達が手持ち無沙汰になる事などなかった。受け付けに再度呼ばれると、応接室へと通された。
「ごきげんよう。アンナお嬢様に、お連れ様方。フロレンス看護婦長は施術の為、手が空いておりませんの。ですので代理として、お話しは当院の事務局長、私、レーナ=シュペーが承ります。僭越ながら、全権を院長及び婦長より委任されておりますので、ご安心くださいまし」
扉を開いた途端に、丁寧な挨拶の口上を受ける。質の良い調度品で彩られた応接室で待っていたのは、あの色違いの看護服を纏い、淑女の礼を恭しくしたレーナであった。なかなか様になっている。
「これはどうもご丁寧に、ありがとうございます。ごきげん麗しゅう。レーナ=シュペー事務局長様。ご多忙な中、お時間を頂き光栄です。カターニアの冒険者アンナ。本日は『御使のおくるみ』の正式譲渡の為に参りました。フロレンス様がご不在なのは残念ですが、レーナお姉様なら、安心ですね。今日は、よろしくお願いします」
そして返すは、同じく淑女の礼。一歩引いた三人も卒なくこなす。その内の誰かが、後手でそっと扉を閉じた。
「ぐへへ。眼福、眼福。本物のカーテシー、またもや頂いちゃいました。アンナちゃんは天使のように可愛いですね。それに、お連れ様方も、いずれも劣らぬ美少女揃いで……」
言葉を止め、目を白黒させ固まるレーナ。
「ちょっとアンナ。どこが安心なのよ」
「レーナお姉様は、ちょっとだけ賑やかですけど、良い方ですよ。それに、とても優秀なんですって。フロレンス婦長様のお墨付きです」
あ。天使。それにマイエンジェルの幻覚まで見えるわ。欲求不満なのかしら。などと呟いて、モジモジ、クネクネと身を悶えさすレーナであった。
それを汚物を見るような視線で見据えるのはリーナ。他の二人も剣呑な視線でこそないが、不思議な生物に出会ったような、驚きと不可解に満ちた眼差しをしていた。
「だってコレ、残姉よ。どう見ても、不安しかないじゃない。アンナ、アンタまさか、コイツに何か変な事とかされてないでしょうね?」
「変な事?」
「……その、……お着替えのお手伝いとか、身体が育つ為のマッサージとか、お医者さんごっことかみたいなことよ……」
「記憶にはありませんが……。あ、でも私がお医者さんにかかっている時は、様子を見てらしたと聞いていますね。あの短時間で明細を仕上げるには、その必要があったそうで」
「はい! たっぷりと堪能させて頂きました。それはもう、隅々までじっくりと……。アンナちゃんは格別として、むっさいおっさん達は邪魔でしたが、看護師達の必死な顔といったらもう……。中でも婦長様のお顔は格別でした。普段のあの取り澄ましたお顔を、あんなにも切なげに歪めて……。ぐふっ」
高揚感たっぷりに宣うレーナだが、言い切る事は出来なかった。身体がくの字に曲がり、汚い吐息が漏れる。彼女の鳩尾には、素早く移動したリーナの拳が突き刺さっていた。
「残姉。アンタ、本当に変な事はしてないんでしょうね。勿論、この子にも、他の子にもよ。誤魔化すようなら、もう一発行くわよ」
「ひゅっ。誓って、してないわよぉ。私は健全な淑女よ。YESロリーヤNOタッチの信条は忘れていないわ。あ。でも、リーナちゃんの拳なら、もう一発くらいなら欲しいかも」
レーナが止まった呼吸を取り戻し、息を吐き切った瞬間に、右脇腹にリーナの拳が突き刺さる。体内にある、肝臓という臓器を狙いすました一撃だ。ぐぼぉと、またも汚い喘ぎ声を漏らし、再びレーナは崩れ落ちた。
「ウチの前で、NOタッチだなんて、よく言うわね。あれが普通のスキンシップじゃない事なんて、もうわかってるんだからね」
「あ、あれは若気の至りというか、情緒不安定な時期の気の迷いというか……。性欲を持て余すというか、それに、大事な所には触ってないもん!」
「「「「そしたら犯罪よ」だ」です」ですね」
語尾だけが異なる言葉が、四つ重なった。
「他の誰にも触ってないわよ。……あ。はーん? もしかして、リーナちゃん嫉妬ね? 大丈夫よ! リーナちゃん。離れていても、レーナおねーちゃんのマイエンジェルは、ただ一人、リーナちゃんだけだからね!」
そして、ワン。とても嬉しそうに笑うレーナの鳩尾に、早く鋭い拳が再び突き刺さる。身体が、再びくの字に折れた。
ツー。間髪入れずに、肝臓打ち。斜め下からの打ち上げには充分に腰が入っており、レーナの足が浮く。
そしてフィニッシュ。床を蹴って間合いを詰め、外から内に巻き込む鋭い打撃。全身の回転を拳に乗せて、丁度良い高さにあるコメカミを撃ち抜いた。
膝から崩れ落ちたレーナは力無く倒れ伏し、床に敷かれた品の良い絨毯と、激しくも情熱的な口付けを交わしあった。
「うわぁー! リーナ! やりすぎ! やりすぎよ! ステイ、リーナ。ブレイク、ブレイク。そう、ダウン! ダウンよ!」
右半身を前に、左半身をやや後ろに引いて拳を構えるリーナに、レベッカが詰め寄って抱き抱える。餓狼のような鋭い連撃にアンナは面食らったが、急いで倒れたレーナに駆け寄った。
ノエミはケラケラと笑いながら、どこからか取り出した鐘を、撥でもってカン、カン、カーンと三度打ち鳴らした。
アンナは手早くレーナの状態を確認する。白目を剥いて痙攣しているものの、僅かに見える瞳孔には、散大が見られない。鼻と口許から出血が見られるが、これは打ち付けた際のものだろう。耳からの出血などはなく、喀血した様子もない。安定はしていないが、呼吸もしっかりとあった。
しかし、表情は痛みによる苦悶に満ちたものである。無意識なのか、痙攣しながらも両手が忙しなく動いていた。横向きにレーナの頭を膝に乗せると、掌で瞼をそっと閉じさせる。
「我が心は、ただ汝に寄り添う。ただ一時の安らぎを——安息」
そして、詠唱。すぐにレーナの呼吸は安定し、痙攣が収まった。所在なさげに動いていた両手からも、ダラリと力が抜けていく。やがて彼女はスヤスヤと穏やかな寝息を立て始めていた。アンナの太腿に頬を擦り付けながら。
それにしても、丈夫な人。と、アンナは思った。まだ未熟であるものの、見診で感知する限りでは、かなり良い打撃が入ったにも関わらず、身体的な損傷はたいして見られない。
肝臓や胃、横隔膜という内臓は既に健康的に機能しており、筋膜から筋肉までに微細な損傷が見られる程度であった。加えて、先程までの症状の多くは身体的に重篤なものではなく、痛みによるショック症状のようにも感じられた。断言は危険だが、ひとまずは大丈夫だろうと、彼女は安堵する。ならば、しなければらならない事がある。
「特に大きな怪我は見受けられません。ですが、リーナお姉様」
「……ごめんなさい」
頭の上に両手の指を立て、とても怒ってますのポーズを取っている。精一杯に怖い顔を作って睨みつけながらリーナの名を呼べば、彼女も解っているようで、しおらしく謝罪した。だが、アンナはプイと顔を背ける。何故ならそれは、思い違いであるのだから。
「謝るのは、私にじゃありません」
「う。……ごめんなさい。おねーちゃん。やり過ぎちゃった。痛かったよね」
「レーナお姉様がお目覚めになりましたら、もう一度、ちゃんと謝りましょうね。冒険者の私が言うのもなんですけど、やっぱり暴力は、あまり良いものではありませんので」
「そうね。ありがとうね。アンナ」
やり過ぎたという自覚はあるのか、しおらしいリーナであった。目を覚さない姉の髪を撫でる彼女の瞳には、微かにだが涙が滲んでいる。
「ねぇ。ノエミ。言わなくていいの?」
「ん? まぁ。いいんじゃないか? 三人共、納得してそうだし」
レベッカは微妙な表情をしているが、ノエミはいつも通りの怜悧なお顔であった。だからこそ、アンナは苦言を呈せねばならない。
「ノエミお姉さんも、ちょっと非道いですよ。怪我人が出てて、どういった容態だか判らないのに、あのおふざけは、何なのですか。一歩間違えば、大変な事になってしまうのですよ」
「……ああ。すまない。深く反省するよ」
「ノエミお姉さんの事、ちょっと見損ないました。アンナは悲しいです……」
アンナが寂しげに呟くと、ノエミはピクリと眉を動かした。が、表情を変える事なく、すまないと一言だけ告げ、俯いた。耳まで萎れているようだった。気まずい沈黙が流れる。
「ぁぁぁぁぁ! 違うのよ! アンナ! ノエミは別に、ふざけてなんかいないのよ!」
「はい?」
「あのね。恥ずかしいから、あんま引かないで欲しいんだけど、ウチ、スイッチ入っちゃうとゴングが鳴るまで止められないのよ!」
それを打ち破ったのは、リーナの叫び声である。ゴング? と首を傾げるアンナだ。聞いた事もない単語であった。
「これよ」
ノエミが先程の鐘を差し出して、レベッカが口を開いた。
「あー。アンナちゃんってば、拳闘とか総合格闘術の試合は見ない?」
「見ないですね。というか、そういった催しがあって、おねーちゃん達は見ているの?」
「うん。アタシん家はパパが好きでスポンサーやってるくらいだから、よく見るんよ」
「私の父もだな。正直、術式制限化での戦闘の何が面白いのかは解らないのだが、余興には見るべき所もある。闘士のキャラ立ちなんかも、面白いしな」
それらの試合は興行だ。対等な条件となるよう、細々な制限の中の一つとして、大体の場合術式は封じられる。己の肉体のみで行う模擬決闘は、人体の有する可能性を魅せ、平和に飽きた男達の闘争本能を刺激した。絶好な鬱憤の発散場所という側面もあり、流行となっていた。
「アタシは格闘術やってるんで、闘士の動きに興味があるから、面白いんだけどね」
「貴女の場合は、闘士の肉体にでしょ。そういえば、推しが引退しちゃったんだっけ」
「なんと! その息子さんがデビューしてまーす。これが、顔付きは甘い癖に、なかなかに練磨された良い筋肉の持ち主で……」
「まぁ。いやらしいわね」
その影響で、女性達の中にも興味を持つ者がいた。ノエミのように闘士の物語性や興行においての余興を楽しむ者からレベッカのように戦闘技術や肉体の練磨を愉しむものまで。試合形式にもよるが、鍛え上げられた半裸の男達が必死に戦う姿は、一部の性癖にも刺さった。
だが、それとリーナに何の関係があるのだろう。アンナには、それが判らない。頷きながらも首を傾げる。
ノエミはアンナちゃんは可愛いですね。と溢しながらリーナの肩を掴む。
「で、この子。学生拳闘大会、無差別級を含む七冠王者。軽量を活かした素早い蓮撃と、急所を打ち抜く重い拳。容赦なく、徹底して止めを刺しにいくファイトスタイルから、餓狼、もしくは狂犬リーナとも呼ばれているな」
「やめてよね。そんな可愛くない二つ名」
「領域っていうんだっけ。それに入っちゃうと、この子、最初はなかなか抜けられなかったらしくてね。で、拳闘部の顧問がなんとか矯正して、試合の勝利を告げるゴングが鳴ると、抜けられるようになったんだよねー」
ノエミの話を引き継いで、レベッカが説明すれば、成程と、アンナは納得した。ノエミのあれはおふざけではなく、術式解除の儀式と似たようなものだった。
「そ。だから、ノエミはふざけてたんじゃなくて、ウチを止めてくれたのよ。だから全責任は、ウチにあるの。わかってくれる?」
「ノエミお姉さん。事情も確かめず、非道い事言って、ごめんなさい。ノエミお姉さんは、友達想いで、とっても優しくて格好良いお姉さんでした」
ノエミは、よくってよ。などと言いながら澄ました顔で頷く。レベッカはノエミの耳を見ている。ピンと立って真っ赤であった。この女、感情を表情に表す事は稀だが耳に出る。レベッカが見る所、大変ご満悦な様子であった。
そしてアンナは、少し高い位置で申し訳なさげにしているリーナを見上げた。彼女の瞳は所在なさげに彷徨っているが、対照的にアンナの瞳は、キラキラと輝いていた。
「リーナお姉様! すごく、すっごいです!」
漏れ出たのは、感嘆と賞賛だ。アンナは歳の割に教養がある方だが、興奮すると語彙力が極端に低下する癖がある。彼女は、自身に虚弱の自覚がある為か、肉体を鍛えている人に対し、ある種の憧憬を抱いていた。
「そ、そう? 人を殴るのが上手だなんて、あんまり自慢にならないけどね」
「いいえ。いいえ。そんな事はありません! 反射神経や動体視力、それに柔軟性は地道な鍛錬こそがものを言いますし、安易に筋力に頼らず、力の入れ方、抜き方を始めとする身体操作によって行う打撃は、華麗にして強烈! 知性と修練が昇華した技、その努力、本当にお見事です。流石ですわ! リーナお姉様!」
「ふ、ふん。まぁ、子供のころから、好きでやっているからね」
キャイキャイと盛り上がる二人であった。拳の握り方から、打ち抜く際の体重移動の仕方まで。片や喜んで、片やはにかんで、詳細に語り合う二人。揃って儚げな美少女だ。会話の内容を別にすれば、とても絵になる光景だった。
ノエミとレベッカも、打撃談義に混ざりつつ、微笑ましく見守っている。物騒な会話をしながらも、絵面だけは穏やかな光景だった。
「「ひゃん!!」」
が、ある時、二人の唇から悲鳴があがった。
向かい合っていた二人は、恐る恐る自分の背中の下の方、つまりはお尻へ視線を向ける。正反対を向いた二人は、揃って同じものを見た。
自分のお尻を撫で摩る、綺麗な指の手であった。その元を辿ってゆくと、幸せそうに涎を垂らし、寝息を立てる一人の女性の顔がある。それは、州立カターニア総合病院事務局長、レーナ=シュペーの法悦に浸った顔であった。
アンナとリーナは視線を交わし、お互い頷く。アンナはソロソロとレーナの頭を膝から下ろし、少しばかり離れる。リーナはすぅっと息を吸い込み、やがて止めると拳を構えた。レーナの胸と腹の間、鳩尾辺りに座ったままで。
そして——。
轟音と共に、悲鳴があがった。
「おはよう。おねーちゃん。良い夢、ご覧になれまして?」
「え、ええ。とても、良い夢だったわ」
「それは、ようございました。ときに、ウチとアンナのお尻の感触は、如何でしたか?」
「それはもう、マロくて、極上でした!」
「それは、ようございました。それで、覚悟はよろしくて?」
そう言って、手首近くまで大理石の床にめり込んだ拳を引き抜くリーナ。レーナはブンブンと顔を横に振っている。
「はいはい。痴話喧嘩なら、他所でやってくださいな。これではアンナちゃんが態々来た意味がない。ご無沙汰しております。レーナさん」
「そうそう。このままじゃ、いつまで経っても話が進まないしね。早くアンナちゃんの用事を片付けて、赤ちゃんに会いに行こうよ。お久しぶりです。レーナさん」
そこに救いはあった。ノエミとレベッカが、口を挟んで止めたのだ。アンナが両手を差し出して、リーナを立たせようとするので、彼女はアンナの手を取った。
「そのクールビューティーなお声と、オタクにも優しいギャルのお声は、ノエミちゃんと、レベッカちゃん! 嬉しい! お姉さんに、会いに来てくれたのね!」
嬌声をあげる事務局長。とても嬉しそうである。実は彼女、最初から二人の事にも気付いていたのだが、あえて触れてはいなかった。
面識はある。だが、妹の友達だ。ほぼ他人である。さも知人風に声を掛けて、「は? どなたですか?」などと言われてしまっては、立ち直れる自信がない。レーナは物理的に非常に打たれ強かったが、精神的には豆腐よりも遥かに脆かった。
「アンナちゃんの付き添いですけどね。私達は退院のお手伝いに来ました」
「キリューさんのね。赤ちゃん見に来ました」
「まぁ。まぁ。リーナのお友達が優しい子達で、おねーちゃん、とても嬉しいですぅ!」
和気藹々と挨拶を交わしあう三人であった。その上で、アンナはリーナの手を真っ赤な顔をして引っ張るのだが、微動だにもしていない。リーナは驚いていた。この子、ちょっと非力過ぎやしないかと。
「リーナちゃん。おねーちゃん、立ち上がりたいから降りて欲しいのだけど……」
「え、ええ。……よいしょっと。アンナ、あんがとね」
リーナがアンナの引っ張る呼吸に合わせ、立ち上がる。何が嬉しいのか、吐息を乱して汗を拭いながらも、アンナは、ぱぁぁとでもいう擬音がつかんばかりの、それはもう輝かんばかりの笑顔でいるのだから堪らない。
リーナはついワシャワシャとその頭や首元を撫で回した。金色の髪の柔らかさが、昔飼っていたワンコの毛足を想い出させる。レーナ達は生暖かい視線で、そんな二人を眺めていた。




