1話 アンナという少女。
ゆっくり改稿中。見限られた人達は帰ってこないかもだけど、良い小説を書く為に頑張りたい。まだ、固有名詞とか、冗長な感じは改善しきれてません。
午後の麗らかな陽射しの下、サラサラと揺れるはオリーブの木。季節柄、愛らしい赤い花が瑞々しい緑の葉と共に薫風の中で踊っている。
ビタロサ王国領シシリア島。
島そのものが一つの州である。第二の都市とされるは古都カターニア。前領主までの気風を色濃く残す、大都市であった。
この場所は都市カターニアと霊峰エトナ火山とを結ぶ、オリヴェートリオと通称される街道である。
道が悪いのか、はたまた車輪の問題か。ギシギシ、ガタゴトと大きな音を立てながらも猛烈な速度で突き進む、一台の荷車があった。
それを曳くのは年若い女。というよりも、幼い少女である。煌めくような金色の髪を後頭部で高く括った可憐な幼女が荷車を曳いて駆けている。
肉体労働向けの丈夫な厚服を身に纏い、急所を革製品で鎧っている様はまさに駆け出し冒険者の基本ともいえる風体だ。
彼女は額に珠の汗を浮かべながらも荷台へ向かい懸命に声を掛け続け、それでも足を止めず駆けている。
「マリア。あともう少しばかりの辛抱ですよ。辛いでしょうが、もうちょっとだけ、頑張りましょう」
息に乱れはない。荷台ではマリアと呼びかけられた女性が白い布に包まれて横たわっていた。
時折、ひどく苦しげに呻き声を漏らすが意識がないようで、荷車が激しく揺れているというのに身じろぎ一つもしない。
側には彼女の身の丈以上に巨大な自然薯が、転がりもせずに鎮座していた。
「夕暮前には街へ戻れますからね。お医者様の手配もお願いしてあります。だから、大丈夫。なのです」
少女は祈るように、自身を鼓舞するかのように言葉を紡ぎ続ける。意識を取り戻さない、マリアへ向けて。
そうでもしていないと、不安なのだろう。
荷車の速度は充分で、確かにこのまま走り続ければ日が高い内に街へと辿り着く。けれども、この速度は制限付きのものなのだと何より彼女自身が知っていた。
野暮ったい衣服に包まれた少女の身体。その姿勢は良い。重い荷車を全身で曳く様は理にかなった動きでもあった。
だが不慣れであるようにも見え、時折バランスを崩し、同時に僅かな間ながらも失速している。それが焦りを誘うようで、少女は歯を食い縛る。
少女の華奢な体躯が原因だった。
背丈は低く、腰が細い。手足も華奢だった。荷車を曳き、駆けるというだけの所作の中からも、時折りであるが体幹のバランスが崩れていることが見て取れた。
まるで造られたように端麗な肢体は、荷車を曳く重労働には不向きな華奢なものだった。
しかし現実には馬の早駆けすらをも凌駕する勢いで荷車は進む。
重量のある荷台を曳いている。人類種よりも遥かに走行に優れた馬や車輌といえども、とても不可能なまでの速度で。
「理に囚われし、愚昧なる信徒が請い願い奉る。意識の下、不可知の海で揺蕩う、偉大なりし狂える大神よ。御身の慈悲深き加護の元、我に、肉の枷を外す不忠を、許したまへ。狂化!」
「我が心は、ただ汝に寄り添う。ただ一時の安らぎを。——安息」
その格差を埋める為に用いられたのが、この二つの詠唱だった。これらから齎される現象は術式と呼ばれている。
前者は自己保存の為にかけられているとされる肉体の制限を外し、人体の潜在能力を顕在化させる術である。
本来。バーサーク、狂化とは、詠唱を必要としない個人技能であった。だが今では効果や発動方法が広く強化術式として一般化されている。
ビタロサでは理術と呼ばれ、各地、各国においては、魔術、法術、神聖術、武術などなど。多種多様に名付けられ、体系付けられたモノの内にある、技術。
また、後者。安息においてはやや、個人技能に近い扱いとして位置付けられている。
一時的にだが、心安らぎ、痛みや苦しみを忘れられるという効果の術式だ。
効能こそささやかなものだが利用価値は高い。
しかも統計上、対象を選ばず、術者にかかる負担も少ないとされていた。
ただし、取得方法が不明であるためか、現在人口一千万を誇るこの島においてさえ、過去百年間、彼女を含め二人しか術者を確認されていない。
「……うう。ここは? アンナ! 無事!?」
小さな呟きだが、肉体の潜在能力を解放した少女の耳には確りと届いた。
自身に狂化と安息。二種の理術をかけ続けると同時に、荷車を曳いたまま駆け続けていたアンナと呼びかけられた少女は徐々にだが、速度を緩めていく。
まるでそれに併せるように、先程までピッタリとマリアを包んでいた白布もハラハラと散る花のように解れていった。
「『御使のおくるみ』……」
「目覚めたようで、何よりです。どこか、痛むところはありますか? それと、ここはまだ街道の途中ですね。もう一つ丘を越えれば、門が見えますよ」
アンナは荷車の速度を徒歩と変わらぬまでへと落とし、同時に自身へかけ続けた理術。狂化の強度を一定までへと落としていく。
街が近い事もあり、街道はしっかりと舗装されている。ここまで速度を落とせば荷車は殆ど揺れることなく進んだ。
「アンナ! ダメよ! ——うっ」
叫び、立ち上がろうとしたマリアの形の良い唇から呻き声が漏れる。
荷車を止めたアンナはマリアの腰へ両手を重ねると、治癒と安息を唱えた。
「確認しますが、記憶に問題はありませんか? 他に頭痛や、気分が悪かったりするのならば教えてくださいね」
両手を優しく握り、縋るように尋ねるアンナへ一度周囲に目を向けた後に、ございません。とマリアは呟き、フルフルと首を横に振った。見つめ合う二人。
アンナが安堵の吐息を漏らすのと、マリアが疲れたような溜息を漏らしたのは、ほぼ同時であった。
「面目もございません。ぎっくり腰とは、情けない。あの時、私めが不覚さえ取らなければ」
今回アンナ達が向かったのは霊峰エトナ火山である。街からは最も近い大異界にして、この島最古最大の異界でもあった。
「申し訳ございません。アンナお嬢様……」
彼女が弱々しく謝罪の言葉を述べると、アンナも一度周囲を伺い毅然として返す。ちらほらとだが、他にも荷馬車が往来している。
「いいえ。貴女は負傷の不利を受けてなお、繁殖期で凶暴化している、霊獣エトナベアを屠りました。おかげで、低層にも脅威ありと示す証拠品を得られたのです。これは、お手柄ですよ」
……それに、最初の一撃は、私を庇ってのものでしたし。ありがとう。と、付け足したアンナだが、その呟きは風に乗る事はなかった。
「しかし、本来の依頼は、低層へ移動したとされる霊獣達の生態調査と、その原因究明です」
マリアは自身の隣に鎮座する巨大な自然薯を見る。とんでもない大物であった。
ただでさえ滋養のある自然薯である。それが低層とはいえ、恵み多い異界で育ったものならば、いかほどのものとなるか。二人とも興味があった。
だからこそ、本格的に調査に着手する前に掘ってみようという事になったのだ。
発見したのは低層の中腹手前辺りであり、薬草が多く自生する区画でもあった。
たまたま周囲に人影は見当たらなかったが、常ならば訪れる冒険者も数多い。
次に二人が訪れた時までに、採取されていない事などないだろうと思われた。
加えて中層まで登った場合、下山にこの場所を通ることはない。
一期一会の誘惑に、二人の好奇心は抗う事が出来なかった。
「本分を疎かにし、欲をかいた挙句の負傷。それも、ぎっくり腰とくれば、情けないやら、恥ずかしいやらでございます……」
マリアの腰を犠牲にし、なんとか自然薯を掘り返した二人ではあったがその直後。調査対象であるエトナベアに襲われたのだ。
エトナベアの生態はヒグマに似る。大きな特徴としては巨体であることがあげられた。
標準的な個体でさえ、平均的なヒグマに比べれば体高は二から三倍、体重は五倍から八倍にも達する。
雑食性なのはヒグマと同様だが、繁殖期である春から初夏にかけての時期では凶暴化し、肉食を好むようになる。非常に危険とされていた。
加えて、霊獣である以上、当然のように彼等は術式を行使する。
用いる術は多彩ではないにしても、詠唱を必要としない天然の術式はそれだけでも大きな脅威であった。
「はぐれかもしれませんが、注意喚起は必要ですね。討伐依頼でも出して貰えれば、多少は安心出来るのですが……」
更にいえば、狩猟の対象としても非常に不人気である。
冒険者組合でも基本的に遭遇時の対応としては逃走を推奨している。
止むを得ず交戦する場合、役割分担をした中級冒険者三名以上が、安全討伐の成功ラインであるとされていた。
「割に合わないと嫌われていますので、いたしかたありません」
危険を冒して討伐したところで、得られる素材は他の獣で充分に代用が効く物だ。従って、市場価値はそれなりのものに収まる。
討伐依頼として懸賞金でも掛からなければ、危険の対価としての実入りは寂しいものだった。
エトナ火山中層において生態系の上位にあり、霊獣エトナベアと称される獣は、人類種からすれば傍迷惑なだけの害獣でしかなかった。
街道にはポツポツとだが他に車両もあり、アンナの曳く荷車は陽光を浴びてゆるゆると進んでゆく。
「はぁ……」
「自分を責めてはなりませんよ。マリア。それに、それ程の大物を仕留められたのです。謂わばそれは、名誉の負傷。恥じる事ではありません。胸を張り、堂々と凱旋と参りましょう」
のどかな風とは裏腹に、沈鬱な吐息を漏らしてしまう侍女服姿の女性と彼女を励ます幼い少女。
「しかし、依頼がまだ……」
「口惜しくはありますが、時に戦略的撤退は必要と教えてくれたのはマリアでしょう。それに、一番大切な情報は託してあります。現状、特に期日の定めがない調査依頼ですし、機会はまたありましょう。第一、負傷した仲間を放っての山狩など、以ての外なのではありませんでしたか?」
恐縮するマリアへアンナは言い切る。その判断は正しいものだった。
「アンナお嬢様……。なんと、もったいないお言葉を。ご立派になられて……。旦那様も奥様も、きっとお喜びのことでしょう……」
「マリア。忘れてはなりませんよ。私は、既にお嬢様などではありません。それに今この時は、ただのアンナ。冒険者である、カターニアのアンナです」
アンナが断固とした口調で言うと、マリアは綺麗なお顔をくしゃくしゃにして、ええ、ええ。そうでございますね。と、頷いた。その表情は、まるで喜びと悲しみの入り混じったような、複雑なものであった。
「……マリア。やはり、まだ、痛みますか?」
「いえ、いえ。ご心配など、もったいない」
「湿布を、替えましょうか?」
「いえ、いえ。アンナお嬢様のおかげで、痛みなど、とうの昔に吹き飛んでおります」
「——安息。街へ戻ったら、お医者様に診て頂きます。その間、私は所用を片付けておきますので、大人しく、安静にしておくのですよ」
その表情を、腰の痛みから来るものだ。と判断したアンナである。
マリアが腰をいわし、身動きの取れない状態でエトナベアは突如として現れた。本来、あり得ないことである。
野生生物は人類種よりも知覚範囲が広く俊敏だ。
その為、山歩きをする者達は一定範囲内の情報を把握し、術者へと伝える探知と名付けられた術式を使う。当然、アンナ達も探知を展開していた。
範囲や把握精度は術者の能力にもよるが、エトナベア程の巨体の動向を自身と、それよりも遥かに練度の高いマリアがまったく知覚出来ないとは考えにくかった。
「聞きそびれていました。あの個体は、マリアの探知範囲からも漏れていましたね?」
尋ねれば、やはり肯定される。
アンナとて原理は知らないが、探知は範囲内の情報だけを術者へ届ける術である。故に擬態や迷彩により術者を欺こうと試みても、擬態や迷彩をしている情報として知覚される。
一見万能である探知と呼ばれる術だが、大きな欠点もあった。
隠蔽と呼ばれる術式などを用いれば、探知術者には情報を隠蔽されているモノとしてしか知覚出来ず、認識する状況は曖昧となる。
更には探知は人類種に対し、自然状態では効果がない。物質や野生生物に対してのみ、効果があるのだ。
装備を固めていようが、人類種そのものの状態を感知する事は出来なかった。周囲の環境や状況からの推測となる。
定説に従えば、これらは人類種があるがままの世界を受け入れていないが為だという。そしてそれは異界内部の観測が、外側からは不可能なのと同様の理屈であるともされていた。
そんな理屈など、学者でないアンナにとってはどうでも良いことだ。
彼女は野生生物が新たなる進化を始めたなどと考える程の空想家ではない。彼女達の探知で認識しなかった以上、別の懸念があった。
「可能性としては、幾つかの予想がありますね。もし仮に、あの個体が転移などで現れたのだとしたら恐ろしい事です」
「そうであれば良くて入山規制。悪ければエトナ火山の封鎖さえ、あり得るかと」
まだ起き上がる事は難しそうだがマリアの顔色は悪くない。アンナは話しかけながらも荷車を曳き続ける。返る声音のしっかりとした響きに安堵を覚えながら。
「先程の転移の仮説についてなのですが、あり得る事だと考えられますか?」
ようやく加減が落ち着いてきたのか荷台に座り直し、散乱した『御使のおくるみ』を集めながら綺麗に畳んでいたマリアへ向けて、ゆっくりとしたペースで荷車を曳くアンナが語りかける。
「アンナお嬢様もご承知の通り、理術に限らず、術式というものは、知性によって構築されます。では、理術における術式発動の三工程とは?」
「理解、納得、説得ですね」
「正解です。故に、高度な知性を持たない者には、術式を扱えないともされています」
「ええ。しかし、例外もありますね。霊獣達や一部の術者のように。あとは、契約術式においても、似たようなものです。が、こちらは原理もある程度は解析されていますので、置いておきましょう。つまりは、理解が及ばない現象を、術【手立て】として式【やり方】として、感覚的に行使する者は珍しくありません」
「ええ。これは仮説に過ぎませんが、彼等は本能、原始的な衝動により理解の工程を省いて納得し、世界を無理矢理に説得しているのだ。ともされておりますね」
前者二つへの仮説である。
他の何かに依存せず、自己のみで術式と同等の結果を発現する者達の事を超能力者、あるいは、異能者とも呼ぶ。人類種には希少であった。
技術として人類種の扱う大抵の術式は細かな調整が可能である。それぞれ制限こそあるが、威力や強度から精度、果ては範囲や代償まで、同じ術を用いても効果を多彩に変化させる事が可能であった。これは、事象と術式そのものを真に理解しているからこそなのだと言われている。
「そして統計上での結論でありますが、彼等の術式は、常に一定の効果を及ぼすモノとされています」
暫しの間。マリアは『御使のおくるみ』を持ち上げると、似ていますね。と呟いた。
「付与師、あるいは調教師などの関与も疑わないといけませんか。頭の痛い話ですね」
少々げんなりとした雰囲気でぼやくアンナには構わず、マリアは畳んだ『御使のおくるみ』を優しく撫でていた。
世に、術具と呼ばれる物は数多く存在する。また、常に一定となる効果を道具に付与する事が可能な職人を付与師と呼び習わした。
意識や自我のない者。または物を包み込み、保護すると共に安定させるという効果を有する『御使のおくるみ』も、そんな職人の手によるものだった。
かつて天才と呼ばれた付与師。マリア達の祖父でもある男の手による、世に二つだけ産まれた唯一品が、『御使のおくるみ』であった。
物を包めば有用な保護具てあり、意識を失った者を包めば生命維持装置へと変わる、伸縮自在の布。その元来の用途は、その名の通りに生後間もない赤子を包む為のものである。
この『御使のおくるみ』はマリアの私物であった。
彼女の祖父が愛する孫娘達の為に、産まれてくる彼女達の子を包み、赤子の自我が芽生えるまでの束の間。
彼女達が我が子を愛し、育む助けとするためにマリアの夫であるサルバトーレに素材調達を頼み込み、約半歳もの間、心血を注ぎ込んで作成した作品であった。
ようやくマリアの臨月に完成し、夫婦に贈られた『御使のおくるみ』は残念なことに、その本来の用途として使われる事はなかった。
「ですが、それらの線よりも、天敵の発生による変異と考える方が妥当でしょう」
いつの間にかマリアはアンナの仮説を肯定している。それが嬉しかったようで、アンナの機嫌は、大幅に持ち直していた。
「むぅ……。と、するならば、早期の調査が必要となりますね」
「ええ。ですからアンナお嬢様は組合への報告の際に別途、調査隊の編成をご依頼ください。再調査に赴く際には主人も同行させようと思いますが、何分、三人では手が足りませんからね」
アンナとしても由々しき事態である。変異種はあくまでも個体としての特徴だ。
しかし、その個性が種として有用である場合、種族全体へと伝播する。
時間は掛かるが種族全体が獲得し、個性が種族特性へと変われば次には他種族にも特性が伝播されていく。
その繰り返しによる、生存競争。
また、それに起因する生態系の変化を体系化したものが、進化論と呼ばれる学説であった。
「エトナベアが、転移などという希少術式を獲得する程の天敵ですか。一体、どれほどの怪物なのでしょうか……」
進化論によれば、変異種の発生は種の絶滅が危惧された時に起こり易いとされている。
生存競争から脱落しない為に必要に迫られて獲得する能力である事が多く、自然、強大な種族である程。また生態系の上位にある種族程、変異種は発生し難い。
霊峰エトナ火山中層における、生態系での最上位種。そんな彼等を変異させる程の脅威を、アンナは想像すら出来なかった。