邪神様のパーティ
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──邪神様のパーティ
夜が来てしまった。
街灯が通りを照らす中で、私とお父様、お母様を乗せた馬車が通りを進んでいる。
がたがたと小さく揺れる馬車の中でお父様は分厚く、とても古い本を読み漁っており、お母様は微笑んだままそんなお父様を見ている。
「お父様、何を読まれているのですか?」
そう尋ねるとお父様ががばっと本から顔を上げて私の方を血走った目で見る。怖い。
「ひひひっ! 興味があるかね、イリス、またはイリリースよ。これは“星なき夜の叡智”と呼ばれる魔導書だ。外なる宇宙の、異端の神々がどのようにして我々人類に崇められてきたかが記されている。もちろん汝の崇拝についても記されているよ。いかなる神話や聖典より古き時代から崇められてきた、おぞましき崇拝についてね……ひひっ!」
多分、私のファンブックみたいなものでしょう。知らんけど。
「今日は大勢の信仰者たちが、魔女たちが訪れる。汝を崇めるために」
お父様がそう不意に語る。
「宴では高らかと汝の名が叫ばれ、崇め立てられるであろう。しかし、それに答えるか否かは汝の裁量。所詮は化学反応と電気で痙攣する愚かな肉の塊が騒いでいるに過ぎないのだから……ひひひっ!」
聞けば聞くほど恐ろしいのだが、いったいどういうものなのだろうか。
私の名前が呼ばれ──。
『イーリース! イーリース! イーリース!』
『イリスー! イリスーちゃーん! きゃー!』
崇め立てられる──。
『今日も推しが可愛くて辛い……! 死ねる……!』
『イリスは宇宙で一番かわいいよ!』
『もうこの可愛さは人間じゃないでしょ! いや人間じゃなかったわ!』
『イリスちゃん、ただただ尊い……! 尊すぎる……!』
何だかアイドルのライブみたいな光景が思い浮かんでしまった。まあ、これなら悪い気はしないんだけどね。多分、実際の光景は違うよね……。
私たちを乗せた馬車は帝都の貧民街の方に進んでいく。帝都に出稼ぎに来ている地方の貧困層や外国人が暮らしている場所だ。
ここら辺は治安が悪い。貧しい人や外国の人が全員犯罪者だとは言わないけど、犯罪に利用されやすいということは否定できない要素だ。それに加えて彼らは政府に見放されている節がある。
そんなことを私が考える中、馬車はその貧民街のとある建物の前で止まった。教会のように見える、高い尖塔が夜空に向けて伸びる建物で、月明かりによってうっすらとその輪郭が浮かび上がっていた。
それは廃墟のようであり、それでいて人の気配を感じさせている。不気味だ。
「こっちだよ、イリス、またはイリリース」
「はい」
お父様とお母様に誘われて、私は教会と思しき建物の中に入った。
教会の中は荒れ果てていた。
礼拝のための椅子は破壊されており、ありがたいはずの聖母像には首がなかった。また壁には何かの文字のようなものがひたすら描かれているが、意味を成す文字の羅列とは思えない。
そんな教会の中ではネズミが走り回っているような小さな物音だけが聞こえる。
「この下だ」
教会の説教台の後ろに地下への扉があり、金属のそれをお父様が開くとかび臭い空気が立ち上ってきた。中には階段が何も見えない地下まで続いている。
「炎を」
お母様がそう唱えると、青白い炎が宙に浮かび、暗闇が照らされた。
「行きましょう」
お母様がそう言い、先頭に立って階段を降りていく。
ぎしぎしと軋む階段をゆっくりと降りていけば、何かの声が聞こえてきた。複数の人間が歌っているようで、どこか不協和音を含んだいくつもの声の連なりだ。
それは間違いなく地下から聞こえている。
私が進むのに僅かな恐怖を覚えたが、お母様と離れると暗闇の中に残されてしまうため、頑張って前に足を進め、地下へ通りた。
地下には無数の白骨死体が収められていた。ああ。これはカタコンベだ。
「かつて彼らは異端として死に、異端として墓地に埋葬することを拒まれた。だが、今はこのものたちと同じ教えを信じるものたちが、考えの異なる他者を異端だと言い、迫害している。人の何と愚かなことか……くひひっひ!」
お父様がカタコンベを進みながら薄気味悪く笑い、お母様も笑っていた。
私はただただ白骨死体とそこに住み着いたクモなどの虫が気味悪くて逃げたいだけです。気持ち悪いよ~。怖いよ~。
そして、カタコンベを抜けると、そこは礼拝堂であった。
ただし、異端の礼拝堂だ。
お父様の書斎にもあった異端の偶像が聖母像の代わりに掲げられ、壁には地上にあったような意味不明な文字の羅列が血で刻まれていた。
そんな礼拝堂内には無数の狂信者たちが呻くように歌っている。不気味な声はときどき合唱のように音程が整うが、ほとんどの場合は破綻した不協和音となっていた。
「皆の者! 見るがいい! 腐肉の女王、玉座に蠢きし闇、そして偉大なる冒涜! イリス、またはイリリースである! ひひひっひひ!」
お父様が礼拝堂の入り口で大きく叫ぶと、狂信者たちが一斉に私の方を見る。
「腐肉の女王! ああ、ああ! 讃えよ、讃えよ! ああ、ああ!」
「玉座に蠢きし闇! ああ、ああ! 崇めよ、崇めよ! ああ、ああ!」
不快な不協和音が礼拝堂にこだまし、狂信者たちが私の方にゾンビのように寄ってくる。お父様と同じように血走った眼をして、その瞳の焦点は合わず、半開きになってよだれを垂らした口からは確かに私への讃美の声が聞こえた。
怖い! とても怖い!
「私に寄るな!」
思わずそう叫ぶと狂信者たちが一斉に後ずさりし、私から距離を取った。
「イリス、イリリース! イリス、イリリース! ああ! ああ!」
そして、弛緩した表情のままに跪いた狂信者たちは、まるでイスラムの礼拝のように頭を地に着けて、そう唱え始めた。
もう近寄ってくる様子はなく、私は内心で安堵の息を吐いた。
そこでぱちぱちと拍手の音が聞こえてくる。
「素晴らしい、素晴らしい。本当にイリスを宿すことができたのだな、アンネリーゼ。我が同胞よ。同じ魔女として賞賛すべきことだ」
そういうのは少女の声。その声の主を私は探す。
いた。
真っ黒なワンピースと古い時代に使用されたていた灰色の軍用外套を羽織った人物。声から想像できた通りに少女だ。
長い黒髪を太ももの辺りまで伸ばし、血のように赤い瞳をした整った顔にはやはり狂気を感じさせる笑み。そして、背丈は私よりも低く、恐らくは年齢も私よりも幼いように感じられる。そんな少女だ。
しかし、彼女からは他の狂信者たちとは異なる空気を感じた。
「クラウディア、クラウディア。恐ろしきカーマーゼンの魔女のひとりよ。君が成し遂げられなかったことを私とアンネリーゼは成し遂げたのだよ。どうだね? まやかしではない真の偉大さを前にした感想は?」
「おぞましい。ここまでのおぞましさは他にあるまい」
その少女はクラウディアと呼ばれていた。
「初めまして、イリス。私はクラウディア・フォン・ヴィンターシュタイン。カーマーゼンの魔女のひとりであり、魔女協会の長だ」
お父様や狂信者のように目に見えて狂っている様子はないが、その表情や瞳には狂気の色を感じる。気がする。
しかし、ゲームにこんな人、出てきたっけ? 記憶にないのですが。
「お前を前にしては全てのものが平伏すであろう。お前は混沌を招き、崩壊を招き、殺戮を招き、狂気を招く。それの何と素晴らしきことか」
くつくつとクラウディアさんは笑い、私の方に歩み寄ってくる。
「汝が永遠に讃えられ続けることを。汝は偉大である」
クラウディアさんはそう言うと同時に私の唇に──唇にとても柔らかいものが触れて、とても甘い香りがした。
え。え。え?
わ、私、キ、キスされた!? された!?
「ふふふ」
クラウディアさんは怪しげに笑っている。
わ、私のファーストキスはこんなことで奪われてしまっていいのか……。
まあ、でも、悪い気はしないです!
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