邪神様の悩み
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──邪神様の悩み
馬車でがたごとと屋敷に戻る。
既にこの世界には自動車は発明されているばかりか、量産されてもいる。
ただ、まだ大勢の人々にとって原理不明で見慣れぬ道具であった。それゆえに私の家でも未だに馬車を使っている。
しかし、通りを進めば自動車はちらほらと見かけられ、古めかしいデザインの自動車がえっちらおっちらと道路を進んでいるのが見えた。
お父様におねだりしたら自動車買ってもらえないかな~などと思っていると、私の屋敷が近づいてきた。
だが、何やら黒い軍服の集団が屋敷の傍にいる。あれは……国家憲兵隊か。
国家憲兵隊はいわゆるこの国の警察である。陸軍などの軍隊ではなく、内務省の隷下にあり、犯罪捜査や治安維持を行う組織だ。
そんな警察の人が私の屋敷のお隣さんに詰め掛けていた。何だろ?
と、思うと救急車──自動車ではなく馬車だが──がやってきて、お隣の前に止まった。そして、屋敷の中から怪我をしたお隣さんたちが出て来る。
「何があったのでしょうか?」
「我々には関係のないことです、お嬢様」
私が首を傾げるのに、メイドさんがそう言った。
そのままお隣さんの家を通り過ぎれば、私たちの屋敷だ。こちらには国家憲兵隊や救急車は来ていない。どうやら本当に事件とは無関係なのかもしれない。
「ただいま戻りました」
屋敷のエントランスを潜り、私はそう言う。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
エントランスにはずらりと使用人が並んで私に頭を下げる。
「お父様とお母様は?」
「ご当主様は書斎にいらっしゃいます。奥方様は会合に出かけられました」
「そうですか」
会合というのは恐らく魔女絡みの話だろう。ろくでもないことに違いない。
お父様は……今も狂気に沈んでいるのだろうが、一応帰宅したことを知らせておかなければならない。狂気に陥っているとしても実の親だし、学園に通うお金も出してもらっているのだから。
「お父様。戻りました」
書斎をノックしてそう告げると、ばんと書斎の扉が開いてお父様が顔を出した。相変わらず血走った眼をしている。怖い。
「イリス、またはイリリース! 戻ったのだね! 学園はどうだったかい? 無知蒙昧なる下等な生き物があさましく知恵を付けようとしている様は汝の目にはさぞ滑稽に映ったことだろう。やつらはこの宇宙のほんの僅かな空間を知っただけで全てを理解したつもりになっている。この宇宙に汝のような真に偉大なる存在がいることも知らずに。人間という獣のなんと浅はかで取るに足らない存在であろうか。ひひっひひひひっ!」
「え、ええ。学園生活は楽しめそうです。ところで、お隣で何か事件でしょうか?」
お父様の話を聞いていると私まで狂気に陥りそうだ。
「事件? ああ。隣の家か。愚かな男が真実に耐えきれなかっただけだ。あの男は汝の存在を知り、己が人間という下等な獣であることに耐えられなくなったのだ。自分が宇宙において全く価値のない肉塊に過ぎないことを知って正気を失ったのだ。そして、散弾銃を握り、妻と子を撃ち、最後には自分を……いひひっひひひひひっひっ!」
ええー! また私のせいなのですかー!?
やめておくれよ~。私が存在するだけで迷惑な存在みたいじゃないか~。部分的にそうなのは否定できないけど~。
「それよりイリス、またはイリリースよ。今日の夜は集会だ。汝を讃える集会だ。大勢の信仰者たちが汝の偉大さを讃えるために集まる。肉と血で汝を讃えよう。行われるのは冒涜、混沌、支配と狂気。ああ。汝を讃えし魔女たちも馳せ参じる。おぞましき混血の魔女たちが汝を讃えるためにヴァルプルギスの夜よりも盛大に汝の下にやってくる。素晴らしい、素晴らしい。ひははっひひっ!」
「そ、それは楽しみです、お父様」
やだーっ! そんな集会に参加したくなーい!
とはっきり言いたいのだが、相手は狂気に陥っている。下手に刺激して襲われたらたまらない。ここは穏便にやり過ごそう。
「夜を楽しみにしているといい。未だに人間は夜の闇におびえる……」
お父様はそう言うと書斎の扉を閉め、また謎の祈りを捧げ始めた。
「困った」
私は自室でそう呟く。
集会がおっかない集まりなのは間違いないだろうが、問題はそこに出席することで、また周辺被害が生じないかである。
私の力による周辺被害は既に無視できない状況だ。多分、私がくしゃみするだけで人が死ぬレベルである。その力がコントロールできていれば便利なのだろうが、全くコントロールなどできていないわけで。
いや。どうすればいいんです……?
死んだのが私なんかを崇めているようなカルトならそこまで心は痛まないのだが、お隣さんはそうではなかったはず。それに学園でも休学したり、退学したりした学生がいると聞いたばかりだ。
ああ。そうか。これが邪神というものなのか。
人に非ざるもの。この宇宙に君臨する高次元の超越的な存在。狂った倫理と理解不能な思考、根底から異なる価値観で動く厄災そのもの。
だから、人が何人死のうと狂おうと気にもしない。
鏡に私の姿が映っている。
綺麗な、綺麗な女の子。お人形さんみたいな作り物のの美しさ。その美しく貼り付けた皮膚の下にあるのは狂気と蠢く血肉。
「まあ、何とかなるよ、きっと……」
私はそう言って鏡に向けて笑顔を浮かべた。
* * * *
*発狂者の日記
ああ。ああ。今、世界は開かれた。
人々は空を見上げ、星々を眺める。そこに何があるのかを知ることはおろか、想像すらできない下等な肉の塊として夜空を見上げる。空を見上げたとき、同時に我々が見下ろされているということを意識すらしていない。
私は事実を知った。おぞましい事実だ。
宇宙には我々以外の高度な存在が存在する。いや、我々など虫けらにすら劣るとする超越者たちが存在がいる。
我々下等な獣は都合のいい事実を信じてきた。古くからの教えとだと称して、人間が作り上げた神という存在を崇めてきた。なんという愚かなことだろうか。なんという無駄なことだろうか。
慈悲を求め、善をなし、秩序を守る。そんな神は存在しない。人間が作り上げた幻想だ。妄想だ。嘘だ。でたらめだ。虚無だ。戯言だ。分裂症の患者が吐いた言葉だ。
私は知った。真に神と呼べる存在を。主と崇められる存在を。
その存在の前では私たち人間は全くの無価値だ。価値なと欠片もない。汚物や死体に湧くウジにも劣る。意味がなく、価値がなく、ただの化学反応と電気刺激で蠢くだけの肉塊に過ぎない。
無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。無価値だ。
価値などない! 意味などない! 私たちが喜びだと感じたことも、幸せに思ったことも、悲しみを覚えたことも、全ての経験が無意味だったのだ!
ああ。ああ。私は家族をこの無意味な生から解放することにした。
きっと事実を知れば大勢がそうするだろう。真に偉大なるものを前にすれば、必ずやこうするだろう。
……事実とは常に恐ろしいものだと知っておくべきであった。
自殺した富豪グスタフ・オーヴァーベックの日記より。
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