邪神様は逃げたい
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──邪神様は逃げたい
「生徒会……?」
何を言っているんだ、この人、と言うように私は首を傾げる。
「書記が空席だ。人手が足りない。今日から放課後は生徒会室に来い」
フェリクスは私の疑問には一切答えず、一方的にそう言い放って去っていった。
「わあ、凄い! フェリクス様から直々のスカウトなんて!」
「え、ええー……? 私は生徒会なんて入るつもりは……」
フリーダが無邪気に喜んでいるが、私には何が何やらです。
「そうなの? 生徒会に入るとコネができるよ? なんたって生徒会長は帝国宰相アレクサンダー閣下のご子息であるクラウス様だし、副会長のフェリクス様は帝国有数の名家シュタルクブルク公爵家の跡取りなんだから!」
「私はただ穏やかに学びの場で過ごせれば、それで十分です……」
「そういう欲のないところがフェリクス様の心に響いたのかな」
欲があるならば、危険地帯である生徒会を避けたいというものです。
「でもね。学園でやることと言ったら将来のコネ作りがメインでしょ? 勉強なら地方の学校でもできるし、何なら家庭教師でもいいしさ。ここに通うってことは、ほとんどの人がコネ作りだと思うよ」
「それはクラウス様のように将来政治家になろうという方が目指しているだけではないのですか?」
「いやいや。政治家だけじゃないよ。商人は取引相手を、芸術家ならばパトロンを、あたしたち女の子ならば結婚相手を探す機会が必要だから」
「結婚」
考えないようにしていたが、私も将来結婚することがあるのだろうか。
でも、私と結婚するような男性って我が父のように異端の狂気に陥っている人ぐらいでは。それを考えるとちょっとぞっとする。男性と結婚ってだけでもあれなのに、狂人属性まで付いてくるとか地獄だよ~。
「それはともあれ、生徒会室に案内するよ。これから行くことになるんだから」
「まだ決まったわけでは……」
「行ったら気が変わるかもだから」
フリーダに押し切られて私たちは生徒会室に向かうことに。
というか、フェリクスという男子は一体何なんだろうか。明らかに私のことが気に入らないという態度を取りながら、何故生徒会に誘ったりしたのだろうか。
はっ! まさか生徒会で私をいじめるため……?
無駄な書類を何百枚とチェックさせたり、残業代なしで残業させたり、お茶を汲みいかせたり、肩を揉ませたり、お尻を触ったりとか。
うわーん! 私の楽しいはずだった学園生活が~!
「そろそろだよ」
などと最悪を想定したら、いつの間にか生徒会室の前に。
貴族様、お金持ち様の生徒会室だが、私の前世の高校の生徒会室とあまり変わらない。ただの空いている教室を利用したものだ。
てっきり金銀ぎらぎらしたものを想像していたが、ちょっと安心した。
「失礼しまーす!」
「あ。フリーダ、待ってください!」
私が制止するのも遅く、フリーダは生徒会室の扉を開いた。
「おや。いらっしゃい!」
そう何かの店みたいに応じるのは他でもない生徒会長のクラウスだ。
「ああ。イリス嬢。話はフェリクスから聞いたよ。書記をやってくれるんだってね。いやあ、本当に人手が足りなくなってたから助かったよ!」
「い、いえ。まだ生徒会に入ると決めたわけでは……」
「で、こっちが書記の席ね。仕事の内容は議事録の作成と口述筆記、スケジュールの作成。タイプライターの使い方知ってる?」
「知りません……」
「はははっ! 大丈夫、俺も知らない!」
「え、ええー……?」
そこは知ってるんじゃないのか。どうしてたんですか、今まで。
「そこら辺はフェリクスに教えてもらおう。あいつ、何でもできるから」
「お前が何もできないだけだろ」
そこで不機嫌そうに姿を見せたのはフェリクスだ。
「お。来た、来た。我が生徒会の副会長兼会計兼暫定書記のフェリクスだ」
「あの、それって生徒会長以外全部なのでは」
「うむ。俺は計算はいまいちだし、タイプライターも使えないからな!」
「威張って言うことじゃないですよ」
そう言えばクラウスってこういうやつでしたね~。ゲームを思い出してきたよ~。
「はああ。まあ、副会長なんて特にすることはないからな。だから雑務をやっている。座れ、イリス嬢」
そう言ってフェリクスが私を書記の席に座らせる。
「タイプライターの使い方を教えてやるから覚えろ」
「は、はい」
びしっと言われて思わず委縮してしまう。
それからタイプライターの使い方を教わったのですが、前世で既にワープロという機械が存在を消し、もっと便利なワープロソフトというものに取って代わられていて私の感想を述べます。
とっても面倒くさいです!
一度打ち間違えたらもう消せないし、改行でインデントもいちいち機械ガチャガチャしないといけないしで。ご先祖様たちは本当にこんな不便極まる機械を使いこなしていたのですかと嘆きたくなる。
「……覚えが早いな」
私が必死にカタカタとタイプライターを叩いているとフェリクスがそう言ってきた。
「どうよ、フェリクス? イリス嬢は使い物になりそう?」
「ああ。書記は務まるだろう」
「そいつはよかった。これからよろしくな、イリス嬢!」
何かもう生徒会入るつもりないですと言えない空気が形成されてしまった。
「お前もこれを機にタイプライターぐらい使えるようになったどうだ、クラウス?」
「いやいや。何のために書記がいるんだよ。俺は生徒会長であって、人を使う立場だ。親父もよく言っていたよ。『いいか。クラウス。政治家たるもの頭を下げてでも自分でやらずに他人を使え』って」
「お前の親父、最低だな……」
私も同意見です、フェリクスさん。
「もちろん褒美はあるぞ。イリス嬢は何が欲しい?」
クラウスは書記のテーブルの腰を下ろしてそう尋ねてくる。
「私はただ穏やかに学園生活が送れればそれで充分です」
「よし。追試免除でどうだ?」
「追試……?」
聞き覚えのある嫌な単語。
「君は知らないだろうが、物理のアドルフ先生と数学のコンラート先生は鬼だぞ。十分な点数に満たなかった生徒は数十回も補講と追試を受けさせられる。貴重な夏休みがそれで飛んだ連中はわんさかいる」
ひえっ……。
「だが、生徒会で書記を務めてくれるならば、俺が適切な政治力を行使しよう!」
「お願いします」
「よろしい」
物理も数学も苦手なんです。数式を見るだけで吐き気がするレベルで。
「よかったな、フェリクス。これで書記の業務から解放だ」
「ああ」
そして、また私をじいいっと言葉数少なく見てくるフェリクス。今の取引が気に入らなかったのですか? 何か言ってくださ~い!
「お前」
そして、フェリクスがずいと私の前に来る。
「本当に何者だ?」
今度は突きつけるような言い方ではなく、本当に疑問に思っている口調。
「私はイリス。それ以上のことはありませんよ、フェリクス様」
笑顔でそう答える私の中で、何かが私と同じように笑ったのを感じた。
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