邪神様と本
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──邪神様と本
私たちは帝都の一番大きな書店だというナコト書店にやってきた。
とても大きな書店だ。学園の図書館よりも大きいだろう。こういう本屋さんにはどんな本が並んでいるだろうか、どんな物語や知識が眠っているだろうかとワクワクしてしまうものです。
「とりあえず売れ筋の商品を見てみましょう。今日は市場調査です。文学は純粋であらねばならず、市場など見るべきではないという方もいますが、やはり多く読まれている本には何かしらの優れた点がありますから」
「そうですね、アルブレヒト様。一緒に調べましょう」
「はい、フリーダ嬢」
フリーダはアルブレヒトにぴったりと付いていきました。もうフリーダが嬉しくてたまらないという顔をしており、友人である私も思わず笑みが浮かんでしまいます。
で、ふたりが去ったあとに残されるは我々生徒会コンビである。
「あの、どうしましょうか、フェリクス様?」
「本屋に来たんだ。本を見ればいい」
「そ、そうですね」
それでは会話が続かないのですよ~。私も気の利いたことのひとつふたつ言えたらいいですけどね~。
「これ、読んだことあるか?」
としばらく沈黙が続いたのちにフェリクスがそう言って一冊の本を示す。
「『僕とアギロ』ですか」
「ひとりの少年が愛犬との冒険を通じて世界を知る話だ。昔、よく読んでいた。母から買ってもらった最初の本でな。何度も、何度も擦り切れるほど読んだ。今でも内容を暗唱できるほどに」
「へえ。面白そうですね。私も読んでみます」
「なら、私からのプレゼントにしよう」
え? 払ってくれるの?
「いいんですか?」
「この本の話ができる仲間がほしいからな。ちゃんと読んでくれればそれでいい」
「その、ありがとうございます」
私がお礼をするのを聞いたのか聞いていないのか、フェリクスは本をカウンターに持っていき、プレゼント用として丁寧に包装してもらっていた。
「ほら」
「大切にしますね」
言葉数少なくフェリクスはそう言って本を渡してくれた。
結構、いい人なのかもしれない。
「しかし、今回はアルブレヒトとフリーダ嬢に頼まれたのか?」
「お気づきでしたか。どうしてもとフリーダに頼まれて。彼女ひとりではアルブレヒト様を誘いにくいからと」
「別に構いはしないさ。予定があったわけでもない」
そこでフェリクスは今日初めて笑って見せた。
「いつもはお忙しいのでしょう?」
「そうだな。公爵家の跡取りとなると、それなりに忙しい。平民同然だった私にはふさわしくないように感じるほどに」
ああ。そうだった。フェリクスはシュタルクブルク公爵家の遠縁の親戚だったのが、養子としてもらわれてきたんでしたね。
「あの、この本を送ってくださったのは、その、公爵家のお義母様ですか?」
「いや。実の母だ」
「そうでしたか」
実の両親から離れて、知らない貴族の家に養子に行くって、どんな感じだったのでしょうか。私にはいまいち想像ができません。
「それからこれを伝えておかなければならなかったな。例の腐肉の書、エーリッヒ館長から盗まれたそうだ。館長室に施錠されて保管されていたはずが、なくなっていたとエーリッヒ館長から学園長に報告されている」
「盗難ですか。学園も少し物騒ですね……」
「それにただの盗難ではないそうだ。現場となった館長室は完全に施錠されており、カギがこじ開けられたような痕跡もなかった。ただ部屋の中には、人間以外の生物の体液と思われるものが残っていたと」
「人間以外の存在が盗みを?」
「驚くべきことなのだろうが、そこまで驚けない。もう今の学園は何が起きても不思議ではないというわけだ」
既に学園で人間以外のものに何度も襲われている私からするとそこまで驚くべきことではないが、これはなかなかに危険な話なのでは? 学園はもう化け物が出没するのが当たり前になっちゃっているんですよね?
まあ、一番の化け物は何を隠そう私なのですが。
「イリス、フェリクス様。お待たせしました」
ここでフリーダとアルブレヒトが戻ってきた。手には本を何冊も抱えている。
「会計が済みましたらお昼にしましょう」
「ええ」
フリーダとアルブレヒトのあの書籍代は部費から出るのだろうかなどと考えながら待つ。これでフリーダとアルブレヒトの関係が進展すれば文句なしなんですけど、見た感じはいい調子ではないですか?
それから私たちはナコト書店のそばにあるレストランに入った。そこまでお値段が張らないが、安くもない店だ。選んだのはフリーダだとすればいいセンスだと思います。
「やはり売れ筋の本というのは勉強になりますね」
「ええ。他者の感性を知るのも創作のうちなのでしょう」
私は食事をしながら、今日のことについて話す。
そこでのフリーダとアルブレヒトの打ち解け具合を見るに、彼女たちは完全に意気投合したようだ。フリーダももう自分の気持ちに素直になっていいと、そう思えるようになったかな。
「じゃあ、また学園で!」
「学園で会いましょう」
昼食も終わり、私たちは帝都中央駅の前で別れた。
「イリス嬢」
「はい?」
最後まで残っていたフェリクスが私の方を見る。
「お前は……いや、何でもない」
フェリクスは意味深なそぶりをしたが、何も言わずに去っていきました。
* * * *
「お帰りなさいませ、フェリクス様」
フェリクスは帝都にあるシュタルクブルク公爵家の屋敷に戻ってきた。
かつて選帝侯の血筋であったシュタルクブルク公爵家は、時代が中央集権化と立憲君主制に移行する中で、その生活の拠点を帝都に移していた。
「ああ。ただいまだ」
使用人たちが頭を下げてフェリクスを出迎えるのに、彼はただそう言う。
「書斎で旦那様がお待ちです」
「分かった」
執事がそう言い、フェリクスは父親であるフリードリヒの書斎に向かう。
「戻りました、義父上」
「おお。友達の街歩きは楽しめたか?」
「ええ」
フリードリヒは気のよさそうな好々爺で、フェリクスの姿を見ると笑みを浮かべた。
しかし、元気そうなフリードリヒであるが、フェリクスの年齢からするとフリードリヒはかなりの高齢だ。60、70代だろう。分厚い老眼鏡がなければ本を読むこともできないという様子だった。
「友達は多ければ多いほどいいものだからな。お前には私のわがままを聞いてくれた分、幸せになってほしいんだ」
「わがままなど仰らないでください。名誉あるシュタルクブルク公爵を継げることを私は名誉に感じています」
フェリクスが養子になったのは、フリードリヒのたっての願いゆえだった。
「いや。私のわがままにほからないさ。ただ私の代で家を途絶えさせたくないばかりに、お前を親元から引き剥がし、窮屈な礼儀作法などを教え込み……」
そこで深くフリードリヒはため息を吐いた。
「だが、お前はそれに応えてくれた。公爵家の跡取りとして立派に育ってくれた。だから、私もお前に甘えてしまったのだろう。大人が情けないことだ」
「義父上……」
「私の我がままに応えてくれたのだから、お前も我がままを言っていいのだぞ。お前は勉強もできるし、礼儀作法も完璧だ。あとはご婦人のひとりでも隣にいれば、すぐにでも公爵家の当主として社交界の場に立てよう」
ああ。その話かとフェリクスは内心でため息。
「いいご婦人がいるのだ。少し年上だが、器量もよく、家柄もいい。どうだ。今度一緒に会ってみないか?」
「義父上。我がままを聞いてくださると仰りましたね」
「ああ。何かあるのかい?」
フリードリヒは嬉しそうにそう尋ねた。
フェリクスはこれまで愚痴にひとつも言わずに、必死に公爵家を継ぐにふさわしい人間になろうと努力してきた。そして、ほぼそれを成し遂げた。そんな彼をフリードリヒは実の息子のように思っていたのだ。
そんなフェリクスが言う。
「実はもう内心で思いを寄せている女性はいるのです」
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