2-1.極光のライエ登場!
チカは、巧田によりすぐに教室を連れ出された。校長室で待機した後、迎えにきた母と共に帰宅する。あれだけ存在を主張していたステッキは、教室を出た時点で姿を消した。だから、「あれは何かの間違いだったのでは」とチカは期待した。しかし、その期待はすぐに砕け散ることになる。
千野家ダイニング。
「……うちの子が魔法少女?」
急遽仕事を早退した父と母に挟まれ、チカはダイニングの椅子に座る。ぼんやりと目の前のスーツ姿の三人を眺めた。
「魔法少女局局長の後藤」と名乗った年配の男が、「そうです」と答え、呼応するかのように虹色のステッキがチカの目の前に現れた。母が息を飲む。
「本当に……?」
非現実的な事態に混乱する両親に向かい、後藤が頭を下げた。
「お気持ちはお察しします。ですが、まずは我々の話をお聞きいただきたい」
「それは……、はい、よろしくお願いします」
父の返事に、後藤が頷く。彼の隣に座る――石橋と名乗った中年の女性が、書類を取り出し、父と母の前に並べた。
「お手数ですが、先にこちらに署名をお願いします」
「これは?」
「機密情報の漏洩防止のための誓約書です。ここからの会話は国家機密に関わりますので」
石橋の言葉に、父と母が躊躇いがちに署名する。チカも「とんでもないことになった」という不安に怯えつつ、指示された数箇所に自身の名前を書いた。
三人分の署名を確認した後藤が、もう一人の人物へ声を掛ける。
「狗神、チカさんには君から説明を。……チカさん、君の部屋を借りられるかな?」
後藤の言葉にチカは頷く。狗神という名の年若い男――見ず知らずの他人を部屋に入れることに抵抗はあるが、ここで「いいえ」と答える強さはない。
チカは男を案内し、自室へ向かう。部屋の扉を開け、「どうぞ」と背後を振り返った。目の前をステッキが通り過ぎ、部屋の中央でピタリと静止する。
『ふーん。ザ・中学生って感じの部屋だな』
「っ!?」
ステッキから聞こえた男性の声。チカは驚いて狗神を振り返る。長めの前髪、黒髪の下から覗く瞳に温度はなく、チカの様子を観察するようにジッと見つめていた。
「い、今……」
しゃべったのは貴方かと尋ねたかったチカだが、答えは聞く前から分かっていた気がする。
『俺だよ、俺。俺が話してんの』
チカは再び振り返る。宙に浮くステッキが明滅していた。
「……貴方が?」
『ああ。学校で習っただろ? 魔法少女はステッキと魔力の繋がりができる。それを通して意思疎通してんだよ。まぁ、魔法の一種だと思え』
「……学校で習ったのは、『魔法少女はステッキが選ぶ』って」
チカの言葉に、ステッキが「それそれ」と答えた。
『魔力の相性が一番いい相手、一番繋がりやすいやつを選んでる。今回はお前だった』
言って、ステッキはユラユラと左右に揺れた。
『魔力量も相性もそこそこだな。ああ、俺の名前は「極光のライエ」、ライエでいい』
名乗ったステッキ――ライエに、チカは混乱したまま名乗り返す。
「あ、えっと、千野チカ、です」
『チカか。まぁ、これから頑張れよ』
軽く励ましただけで、ライエは「後のことは狗神に聞け」と告げる。
『顕現するだけでも魔力を消費するんだ。人間の生涯魔力量は限られてるから、必要な時以外は呼ぶなよ』
言って、ライエは姿を消した。茫然と見送ったチカに、背後から声が掛かる。
「……ライエと話はできましたか?」
さも当然のように問われ、チカは更に困惑した。唖然としたまま頷くと、狗神は「良かった」と呟く。
「どうやら、貴女が魔法少女に選ばれたのは間違いないようですね。接続も上手くいっている」
狗神が、胸のポケットから名刺入れを取り出す。抜き取った名刺を一枚差し出した。
「防衛省魔法少女局、光の魔法少女担当の狗神ハジメです。今後、チカさんのサポートを担当します」
チカは惰性で受け取った名刺を眺める。狗神が、僅かに眉尻を下げた。
「まだ混乱しているとは思いますが、少しだけ、私の話を聞いてくれますか?」
先ほどの後藤と同じような台詞に、チカは頷くしかなかった。狗神が「では」と語り出す。
「魔法少女に関して、一般にあまり知られていないことがいくつかあります。まず一つ目、今、チカさんが体験したように、魔法少女は繋がりを得たステッキの声を聞くことができます」
そう言って、狗神は「おかげで」と続けた。
「我々は魔獣や並行世界に関する情報を得ることができました」
チカはぼんやりと、「そうだったのか」と得心する。狗神が「二つ目は」と告げた。
「魔法少女の変身は防護のため、魔獣からの攻撃を軽減する力があります。ですので、実際の戦闘で魔法少女が怪我をすることは稀。歴史上、魔法少女の殉職事故はゼロです」
過去二十年の間、数年で入れ替わる魔法少女を務めたのは総勢で三十名ほど。チカが思いつくだけでも十名ほどはいる。そして、確かに、彼女らは誰一人欠けることなく卒業、引退していった。
「最後に、これは魔法少女の功労に対する報酬の話になりますが……」
狗神はスマホを取り出し、開いた画面がチカに見えるよう提示する。
「魔法少女は特別国家公務員という扱いになります。公務による授業の欠席は出席扱いになりますし、進学時の内申評価にも反映されます。後は……」
言って、彼は画面をスクロールした。
「魔法少女活動期間は給与が発生し、退任後は生涯に渡り年金が支給されます」
画面を最後までスクロールした狗神は、スマホの画面を消した。そして「どうですか?」と問う。
「魔法少女になることは義務ですが、これだけの特権が用意されている。チカさんの人生を全て補填するには足りませんが、魔法少女になること、前向きに考えてもらえませんか?」
狗神の言葉に、チカは答えられない。いや、答えは「はい」しかないと分かっているが、それを言葉にすることができなかった。
怖い。それにどうせ――
「義務、なんですよね……?」
チカの声が掠れた。狗神を直視できずに顔を伏せたまま、湧き上がる「理不尽だ」という思いをぶつける。
「やりたくないって言っても、やらなくちゃなんですよね? だって……」
義務だから。
チカの八つ当たりに、目の前の男は小さく嘆息した。チカの心臓がバクバクと嫌な音を立てる。言ってはならないことを口にした。逆らっていい相手ではないのに。
後悔するチカに対し、狗神は「顔を上げてください」と告げる。
チカがソロリと顔を上げると、先ほどまで感情の見えなかった男の顔に苦笑が浮かんでいた。優しい笑みだった。チカの心臓が小さく跳ねる。「防衛省の偉い人」というアイコンだった男が、「狗神ハジメ」という一人の人間になった。
「チカさん、あのね。確かに、魔法少女は義務だけど、戦いたくなければ戦わなくていい」
「え……?」
チカが驚きに小さな声を上げる。同時に、目の前が光ってライエが姿を現した。彼の呆れたような声が聞こえる。
『なにを甘いこと言ってんだ、こいつは。……おい、チカ。お前、こんなやつの話聞いてんじゃないぞ』
「あ、え……」
戸惑うチカは、ライエと狗神を交互に眺める。狗神がまた苦笑して言う。
「ライエはなんて? そんなの駄目だって?」
「あ、はい。あの、『甘い』って……」
「まぁ、そうだね。だけど……」
狗神がライエをジッと見つめた。また、感情の見えない顔に戻っている。
「僕は、魔法少女が多ければ多いほどいいとは思わない。本人の意思と関係なく選ばれるんだ。そこに『逃げ』があるのは悪いことではないと思うよ」
真剣な表情。今日、家を訪れた三人の中では最年少の狗神だが、チカにとっては十分「大人」である彼の言葉に、チカは目の奥が熱くなる。
「逃げてもいいんですか? だって、そんなことしたら……」
「そうだね。確かに、魔法少女が一人もいなくなったら大変だけど、幸い、今は他の三人がとてもやる気だから」
狗神は「知っているかもしれないけれど」と続ける。
「最初期の魔法少女は三人だったんだ。雷のステッキは他から十年遅れてこちらの世界に来たからね。最初の十年、魔法少女は三人で世界を守っていた。守れていたんだ」
既知の情報にチカが頷くと、狗神が「だから」と告げた。
「まずは魔法少女がどういうものかを知ってほしい。それから、戦うかどうかはチカさん自身が決めればいい。どちらにしろ、僕が君をサポートするから大丈夫」
「っ!」
チカは、狗神の言葉に何度も頷く。嬉しかった。ずっと現実味のない不安の中、漸く「大丈夫だ」と言ってくれる人がいた。しかも、本来ならチカを鼓舞すべき立場の人が。
チカの中に一つの思いが生まれる。
「……か、考えてみます。私、ちゃんと魔法少女になれるか。ちゃんと戦えるのか」
だから少しだけ、時間がほしい。
願いと共にチカが見上げた先、狗神が頷いて返す。彼の僅かに弛んだ口元に、チカの心臓がまた小さく跳ねた。