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5-1.悪意の拡散

週明けの月曜日。

何も考えたくなかったし、何もしたくなかったけれど、チカは制服に着替えて家を出た。ベッドの上、布団にくるまっていても、蘇る記憶からは逃げられない。心配した母に「カウンセリングを受けよう」としつこく言われるのもしんどかった。

そっとしておいて欲しい。けれど、一人になるのは怖い。

それならいっそ、学校で友達に囲まれているほうが楽だ。授業を受けるほうが気も紛れる。何より、「学校へ通う」という当たり前から外れることが怖かった。だから、チカはいつも通りに登校した。

「……おはよう」

教室に入ってすぐ、後ろの扉近くの席の宮田に挨拶をする。ここ最近、休み時間におしゃべりすることの増えていた彼女は、けれど、チカの登場にうろたえた。

「おはよう……」

返事は返してもらえたものの、明らかにぎこちない。チカはサッと教室内を見回す。そして直ぐに気づいた。

(また……)

チカへの敵意を露わにする視線、それに気付いていて知らん顔をする背中。魔法少女になって以来、何度目かの排他的な空気に、チカの足は動かなくなる。

(どうして……)

また、ハブられるんだろう。自分が何をしたのか。自分の何が気に入らないのか。

嘆きはするが、理由なんて、本当は知りたくもない。みんなの視線なんて知らんふりして、気付かないふりして、自分の机で今日一日をやり過ごせれば――

「あ。勘違い女じゃん」

不意に、背後から声がした。振り返るより先に、肩をドンと押された。

「じゃっま。どいて」

ユウリがチカの身体を押しのけて教室へ入る。友人たちと明るく挨拶を交わした彼女が、チカを振り返った。

「あんたさぁ、一高のタクマ先輩に迫ったんだって? なに? イケると思ったわけ? 魔法少女になれたからって勘違いした?」

「な、に……、何の話……」

突然の言葉に、チカは混乱する。同時に嫌な予感を覚えた。「一高」、「先輩」という単語はもしかしたら――

「井出タクマ先輩。私のお姉ちゃん、友達なんだよね。先輩、あんたに魔法少女の恰好で迫られてキモかったってさ」

「し、してない、そんなこと……!」

言われた内容を理解して、嫌悪と屈辱を覚える。男から向けられた性的な視線を思い出し怖気が走った。同時に、自分が魔法少女を利用して振られたかのように言われ、顔が熱くなる。

「してない! 私、そんなこと、絶対……!」

否定するが、興奮しすぎて声が震えた。抑え切れない涙が浮かぶ。ユウリが「はぁ?」と馬鹿にしたような声を上げた。

「じゃあ、タクマ先輩が嘘ついてるって言いたいの? いっとくけど、タクマ先輩、メチャクチャモテるからね。あんたみたいなの、わざわざ相手にする意味ある?」

「そんなの……!」

知らない。あの男が何を考えているのかなんて。

ただ、分かっているのは「好意ではなかった」ということ。あったのは一方的に向けられた好奇心のようなもの。チカを慮ることのない、ただの我欲。

(でも……)

それを言葉にすることはできない。誰かに話すにはまだ生々しすぎる痛み。口にして、更に傷つくのは自分自身だという確信があった。

チカは周囲を見回す。向けられる視線はチカを責めるようなものではなかったが、距離をとられている。不審に思う人もいるのだろう。いつかと違い、チカの味方になってくれる人は現れそうもない。

不意に、前の扉から見慣れた少女が教室へ入ってきた。

「ココナ……!」

思わず、彼女の名を呼ぶ。縋る声に、鋭い一瞥が返ってきた。

「なによ。今更すり寄らないでくれる? ……痴女のくせに」

「!?」

チカは胸にドンと思い衝撃を受けた。生まれて初めて向けられた言葉。予想もしていなかった侮蔑的な言葉に、頭の中が真っ白になる。

追い詰められたチカは、周囲を見回す。何かしらを期待して向けた視線に、けれど、救いも助けも得られない。気まずそうに目を逸らすクラスメイトの姿に、チカはクルリと身を翻した。

「千野さんっ!」

呼び止める声を無視し、廊下に飛び出した。

「待って! 千野さん、待って!」

走るチカの背後から、声が追ってくる。逃げるか、振り返るか。迷った末、チカは廊下の端――階段の手前で足を止めた。振り返ると、声の主――宮田が困り顔で立っていた。

「あの……」

言い淀み、宮田はスカートのポケットからスマホを取り出した。

「……昨日、クラスの新しいメッセージグループができて。そこに、井出先輩のSNSリンクが貼られたんだけど……」

(新しいグループ……)

そんなの、チカは知らない。誰も教えてくれなかった。誰も招待してくれなかった。目の前の宮田だって――

(……ああ、そうか……)

教室だけではなかった。SNSでも、チカはハブられている。知らない内に、知らない理由で。

チカの心臓がキュッと苦しくなる。

宮田が、スマホの画面を差し出した。表示されたSNSの投稿をのぞき見て、チカは息を呑む。

『魔法少女(変身済)に迫られた。貴重な体験。正直、断りづらいよね。断ったけどwwww』

文章に続き、少し焦点のズレたライエの画像が投稿されている。幸いにもチカの姿は映っていないが、プライベートで撮ったと分かる写真には信憑性があるのだろう。多くのコメントがついていた。

『断ったんだ!?』

『もったいない!』

チカの告白を「真」とする前提で、驚きのコメントが続く。それに、男が返信していた。

『付き合うなら好きな子と付き合う。魔法少女とか関係なくね?』

『タクマくんかっこよ!』

『先輩と付き合える人 幸せですね』

『かっこつけ過ぎw ……で、本音は?』

男を持ち上げるような茶化すような言葉が並び、男もふざけた調子でコメントしている。

『本音? アドバンテージ(魔法少女)あっても越えられないものはあるwww』

そのコメントには多くの高評価がついていた。チカはクラリと眩暈を覚える。宮田がスマホをオフにし、口を開いた。

「井出先輩のこと、私もお兄ちゃんから聞いて。……『嘘つくような人じゃない』って言われて、でも、千野さんも変なことするわけないって思ってるから、その、何か誤解があったのかなって」

懸命に言葉を探す宮田に、チカは唇を噛む。彼女はチカを糾弾しない。でも、百パーセント味方になってくれるわけでもなかった。

悔しくて、悲しくて、チカは宮田に背中を向けた。そのまま、階段を駆け下りていく。背後で名を呼ばれるが、今度は足を止めることはなかった。

一階まで駆け下り、靴箱へ向かう廊下の角、出会い頭にぶつかりそうになり、すんでのところで足を止めた。殺し切れなかった勢いは、ぶつかりそうになった相手――巧田が受け止めてくれた。

「千野さん?」

チカを受け止めるため、両肩に置かれた手。俯くチカの顔を覗き込むように、巧田が身を屈めた。

「どうしたの? ……教室で何かあった?」

チカは口を噤む。情けなさと格好悪さで何も言えなかった。「言ったところで」という漠然とした不信もある。

沈黙するチカに、巧田は静かに問いかけた。

「公務じゃないのね? 魔獣が出たわけではない?」

「……はい」

「そう。……ちょっと、相談室に行きましょうか」

促され、チカは巧田の後に続いた。行きたくない――何も話したくなかったが、教師の言葉を拒絶する強さもない。チカに出来るのは、泣き出さないよう、下を向いて唇を噛むことだけだった。

「……お茶、飲む?」

相談室についた巧田が尋ねる。それに、チカは首を横に振った。

「そっか。……じゃあ、少しだけ待っててくれる?」

部屋に置かれたテーブルと、向き合うように置かれた椅子。その内の一つにチカを座らせてから、巧田は部屋を出ていった。既に朝礼が始まる時間。喧騒は遠く、室内に静かな時間が流れる。チカは鞄からスマホを取り出す気力もなく、ただじっと机の上を見つめていた。

十分が過ぎ、部屋の扉が開かれる。「お待たせ」の言葉と共に巧田が姿を現した。向かい合う席に腰を下ろした彼女が告げる。

「今日はカウンセラーの先生が居なくて。……先生でよければ、話を聞かせてくれる?」

再びの問いかけに、それでもチカは口を開くことができない。

抱えていても自分で解決できる見込みはない。でも、大人の力を借りたところで――

「井出タクマくん」

「!」

巧田が口にした名に、チカは顔を上げた。「なんで?」と言葉にできないチカの視線に、巧田が「うん」と頷く。

「さっきね。宮田さんから少しだけ聞いた。……言いにくい話かもしれないけど、話してくれる?」

問いかける巧田の声は淡々としている。いつもの彼女の、けれど、その眼差しは優しい。多分、きっと、チカのことを案じてくれている。それに宮田も。

(……味方、してくれてる)

チカを苦しめている問題は、彼女だって手に負えないもの。それを見ない振りせずに、彼女にとってのできる限りで何とかしようとしてくれているのだ。

チカの唇が震える。

「先生……」

情けないくらい小さな声が出た。

「助けて、先生……、お願い!」

巧田が頷く。チカの涙腺が決壊した。嗚咽交じりに、必死に、チカは言葉を紡ぐ。支離滅裂の訴えに、巧田は「うん、うん」と頷いて返した。

そうして、全てをぶちまけたチカに、巧田は尋ねる。

「……それで、千野さんはどうしたい?」

チカは、自分でも「ひどい」と分かる顔で巧田を見上げた。

「消してほしい! SNSも噂も、全部!」

できるかどうかは分からない。だって、一度ネットに上げられたものは消えないと教えられてきた。それでも、チカは助けてほしかった。何とかしてほしかった。

巧田が静かに頷き返す。



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