4-2.それぞれの傷
夜。千野家ダイニング。
父が仕事から帰宅した午後十時、千野家のダイニングは張り詰めた空気に包まれていた。ダイニングテーブルに皆が座り、一連の騒動を母から聞いた父は難しい顔をして黙り込む。
沈黙に耐えかねたのか、タイキが口を開いた。
「……姉ちゃん、ごめん」
タイキ自身もショックを受けているのだろう。落ち込んだ様子の彼が、チカに向かって謝罪の言葉を口にした。彼に悪気がなかったのは分かる。タクマがあんな暴挙に出るなんて、彼もきっと予想していなかった。それでも、チカは「いいよ」とは言えない。今は未だ、タイキの迂闊さを許す気にはなれなかった。
沈黙するチカの代わりに、母が口を開く。
「大体、言われてたでしょう。変な人が寄ってくるって。どうして知らない人を家にあげたの」
「……別に、知らない人じゃない。一年の時の先輩だし、大山先輩が連れてきて、良い人だからって」
それからタイキはポツリポツリと経緯を語った。今までにも何度か「家につれていけ」と言われ、断るにも限界が来ていたというのだ。彼の主張に、母が怒気を強める。
「どうして、その時点でお母さんに言わないの! 狗神さんに対応をお願いするとか、色々できたでしょう!?」
「はぁ? 相手、友達と先輩だよ? そんなんできるわけないじゃん!」
「だったら、最後まで責任を持ちなさい! なんで、知らない人を一人にしたの!」
母にやり込められ、タイキはグッと言葉をのみこむ。それから「仕方ないだろ」と呟いた。
「『トイレ行く』って言って、その後、戻ってきてないの気付かなくて……」
その言葉に、チカは改めてゾッとした。あの男はタイキまで騙して利用したのだ。計画的、とまでは言わないが、こちらの隙に付け込むやり方が悍ましかった。
タイキの不貞腐れた態度に憤慨した母が、父に話を振る。
「お父さんもちゃんと叱って!」
父が疲れたようにため息をついた。
「もういいだろう。タイキが迂闊だったのは確かだが、こんなことが起きるなんて予想できない」
「それはそうかもしれないけど、そうならないようにしようって話でしょう!?」
母の険のある言葉にムッとした父が、「タイキ」と弟の名を呼ぶ。
「お前も、もう家に人を連れてくるな」
「……友達も?」
タイキの恨みがましい目に、父が頷く。
「父さんも母さんもいない時は駄目だ。大人がいる時だけにしろ」
「……分かった」
全く納得していない様子で、タイキは頷いて席を立つ。乱暴に椅子を戻し、足音荒く部屋を出ていった。不快を残して去った彼に、母が「ああ、もう」と苛立ちの声を上げる。
「チカはどうする? 今日のこと、警察に届けることもできるけど」
母の言葉に、チカはビクリと身体を震わす。狗神にも問われたことだが、警察なんて――
「要らんだろ」
チカの代わりに、父が答えた。
「あまり大事にするな」
「大事にするなって、大事でしょう! チカが傷つけられたんだから!」
母の言葉に父が嫌そうに眉間に皺を寄せた。険悪な雰囲気に、チカは口を挟めなくなる。父が再び「要らん」と繰り返した。
「チカのことを考えろ。……変な噂にでもなったらどうする」
「それは! ……でも」
母が不安そうにチカを見る。途方に暮れた様子で口を開いた。
「チカはどうしたい?」
母の問いに、チカは首を横に振る。
「何もしなくていい。……してほしくない」
「そう……」
ため息で応えた母は、席を立った。
「……確か、カンタ君も来てたのよね」
呟くように、弟の友達の名前を挙げる。
「変な噂にならないよう。川多さんのところにも連絡いれておかないと」
部屋を出ていく母の背を見送る。席を立つタイミングを失ったチカは父と二人きりで残された。気まずい雰囲気に、先に動いたのは父だった。
「風呂、入ってくる」
そう言って席を離れる。
テーブルに残された父の夕食。チカも黙って席を立った。
部屋に戻ったチカは、ベッドの上で布団を被る。安心するが、同時に気持ち悪さが蘇った。嫌な思いを吐き出したくて、スマホの画面を開く。メッセージアプリを立ち上げて逡巡するが、連絡できる相手は一人しか浮かばない。
雨嶋ココナ――
言い争ったきり。教室でも会話をしなくなった彼女へのメッセージを打つ。
『今、電話してもいい?』
打ったメッセージをジッと見つめる。既読はすぐについた。けれど、返信のメッセージはいつまで待っても送られてこない。チカは再び膝に顔を埋めた。
『……おい』
ライエの声が聞こえたが、それに答える気力がない。
『っとに、めんどくせぇなぁ』
呆れたような声が聞こえる。
『あんなやつ、さっさと魔法でぶっ飛ばせばよかったのに』
最後にため息のようなものが聞こえて、それきり、ライエは沈黙する。ベッドの上、チカは一人きりになった。