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4-1.理不尽なエゴ

演習場からの帰り道。

狗神(いぬがみ)の運転する車の中、チカは悄然と黙り込んでいた。初めての訓練は思い通りの成果を上げられず、初めて知ったライエの正体が重く心に圧し掛かる。訓練後にウイやイスミと立ち話をしたものの、アカリはチカの存在を完全に無視して立ち去った。

(……なんか、上手くいかない)

チカの中に生まれたやる気とパワーが、その発露の先を探して迷走しているようだった。

チカが黙り込んでいたせいだろうか。母がやけにはしゃいだ声で話し続ける。狗神に愚痴ってスッキリしたのか、行きとは違う声のトーンだった。

「あ、そうだ。狗神さん、帰り、駅前のスーパーで私だけ落としてくれる? 買い物して帰りたいのよね」

休日だが、父は仕事に出ている。車を運転しない母は、買い物も徒歩か自転車だ。狗神がバックミラー越しに後部座席を見た。

「私が車を出します。一旦、チカさんを家に下ろしてから向かいましょう」

「え!? それは助かるけど、でも、いいのかしら? 公務中、ってやつでしょう?」

「チカさんの訓練に同行をお願いしたのはこちらですから。お時間いただいた分、送迎くらいはしますよ」

淡々と答える狗神に、母は大袈裟に「助かる!」とはしゃいだ声を上げる。礼を言う母の姿に、チカは何だかモヤモヤとしたものを感じた。

八つ当たりだ。

一人だけスッキリした様子で、自分だけ悩みを解決した様子の母が妬ましかった。


帰宅後、チカは一人きりでリビングのソファに座る。テレビをつけるが、夕方のどうでもいい情報番組しかやっていない。何度かチャンネルを変えて、一応、それらしいニュースを流している番組で手を止めた。

ボーっと眺める内に、いくつかのトピックが流れて終わる。キャスターが「さて」という顔でカメラに顔を向けた。表情が固いものに切り替わる。

「……先月二十日、魔法少女を卒業した虹夢(にじゆめ)リコさんですが、動画投稿サイトの誹謗中傷騒動に関して、新たな動きがありました」

(? リコちゃんの誹謗中傷?)

知らない情報に、チカはテレビに意識を集中する。それと同時に、玄関からガチャリと鍵の回る音が聞こえた。母が帰ってきたのかと、チカは玄関とリビングの間にある扉へ視線を向ける。が、続く話し声と複数の足音に、急いでテレビを消した。そのまま二階へ逃げてしまいたかったが、すんでで間に合わす、開いた扉から複数の男子が雪崩れ込んでくる。

「ただいま! 姉ちゃん帰ってきてんだ。母さんは?」

「……買い物」

部活帰りのタイキに続いて、彼の友人や部活の先輩――チカも顔を知る三年生が、我が物顔でリビングを占拠する。居づらい空気に、チカはソファを離れて階段へ向かおうとした。

その進行方向を阻むように、明るい髪色の男子がチカの前に立つ。

「こんにちはー、タイキのお姉さん。チカちゃんだっけ、よろしくね」

チカより十センチは高い長身。白シャツに薄手のカーディガンを合わせたスタイルは大人っぽく、つけている香水が鼻腔に届く。見下ろす彼の瞳には好奇心が覗くが、近すぎる距離、馴れ馴れしい態度にチカは嫌悪を覚えた。小さく頭を下げ、さっさと階段へ向かう。二階へ駆け上がり部屋に逃げ込んだ。ベッドに身を投げ出して一息つく。

(……あ、そうだ)

ニュースを見損ねたことを思い出し、チカはスマホの画面を開く。検索画面で「虹夢リコ 炎上」と入力し、検索をタップした。ずらりと表示された検索結果を見るに、どうやら本当に何かしらの炎上騒動があったらしい。

チカは、リストの一番上のニュースサイトを開いた。

『虹夢リコ 誹謗中傷に涙の抗議』

何が起きたのかいまいち分からないタイトルの記事は、要約すると、「動画投稿に沸いたアンチコメに対してリコが抗議動画を上げた」ということだった。その中で気持ちの高ぶった彼女が涙を見せたため、アンチとファンがぶつかりコメント欄が更に荒れてしまったらしい。

(なんで、頑張ってる人のこと悪く書くんだろう。……リコちゃん、可哀そう)

ニュースで取り上げられているアンチコメントは、本当に酷いものだった。「オワコン」や、「魔法少女を商売にするな」など、リコの活動を曲解して捻じ曲げて邪魔するものばかり。

ただ、その動画が上げられたのは数日前で、ニュースで言っていた「新たな動き」というのが良く分からない。

新しい情報を求めて、チカはリコの投稿動画を探した。昨日上げられたばかりの最新動画を見つけて再生する。疲れた表情のリコが話し出すのを確認した途端、何の前触れもなく、チカの自室のドアが開いた。

「え」

「あ。チカちゃん居た居た。なんで勝手に居なくなんの?」

無遠慮に開かれたドアの前に、先ほどの男が立っていた。許可もなしに部屋に侵入してくる男に、チカはゾッとする。

寝転がっていたベッドの上に身を起こした。

「や、止めてください。入ってこないで!」

(この人、足音もしなかった……)

忍んできたのだろうか。そう思うと更に恐怖が増す。ベッドから下りようとしたが、それより先に男がベッドに腰を下ろしたため、チカの逃げ場がない。男から距離を取ろうと壁際に身を寄せる。男はそんなチカを見て笑った。

「ごめんごめん。そんなに警戒しないでよ。俺の事、タイキとかハルトに聞いてない? 前にチカちゃん紹介してって頼んだんだけど」

チカの脳裏に、教室前で話をした野球部員の姿が浮かぶ。確か、卒業生の紹介をしたいと言っていた。名前は――

「井出タクマ。去年までS中野球部だったの、知らないか。チカちゃんの学年だと、本庄ユウリとか、斎田コウキとか仲いいんだけどなぁ」

男――タクマはニコニコと笑いながら、チカの顔を覗き込んでくる。チカが身を引くと、彼の視線がベッドの上に放り投げたままのチカのスマホに向いた。

「動画見てたんだ。チカちゃんもやっぱ虹夢リコのファン?」

世間話を始めようとするタクマに警戒を解くことなく、チカは「出て行ってください」と繰り返した。しかし、男はチカの言葉を無視して勝手に話を続ける。

「リコも昔は可愛かったんだけど、やっぱり、劣化がなぁ。魔法少女としての実力は認めるけど、アイドルではないよね」

(っ! 最低……!)

ウェブニュースで見たのと同じような台詞にチカは憤る。魔法少女の努力は知らずとも、彼女らの献身は知っている――目にはせずとも想像できるはずなのに。魔法少女として活動していれば、当然、アイドル活動に専念することはできない。自らの時間を代償に戦ってきた人に向ける言葉ではなかった。

「見てて痛々しいんだよね」

暴言を止めないタクマが、チカを見た。

「やっぱ、チカちゃんのほうが可愛いよ。ねぇ、チカちゃん、俺ら付き合わない?」

「っ!」

彼の湿度の高い視線、言葉にできない不快さに、チカは再び恐怖を覚える。必死で首を横に振るが、タクマがベッドの上で距離を詰めてくる。

「じゃあさ、友達なろうよ」

「い、いや……!」

チカは壁にピタリと背中をつけて拒絶する。その姿に、タクマは一瞬ムッとした表情を浮かべたが、すぐに笑顔を取り戻した。

「じゃあ、変身するとこ撮らせてよ。それで妥協するから、ね?」

チカは再び首を横に振る。見ず知らずの人間に無防備な姿を曝すなんて絶対に嫌だ。

タクマは不満げに「えー」と声をもらす。

「なんでよ。俺、チカちゃんのことすっげぇ好みなのに。大人しくて可愛いとか最高。一緒に動画撮るくらいいいじゃん」

言って、彼が手を伸ばす。その手がチカの肩に触れた。息遣いの届く距離、チカはギュッと目を閉じて口を開いた。

「ライエ!」

閉じた瞼の向こうで激しい光を感じる。「うわっ!?」という驚きの声と共に、タクマの手が離れた。チカは目を開き、目の前に顕現したライエを握り締める。タクマとの間に――武器としてライエを構えた。

膝立ちになったタクマは茫然としていたが、ずぐに相好を崩す。

「すっげ、本物じゃん! えー、マジでいきなり出てきたんだけど。手品とかのレベルじゃないね、あ、ちょっと触らせてよ」

「止めて!」

伸びてきた手を拒むように、ライエが強い光を放った。熱いわけでも痛いわけでもない。ただの威嚇だが、怯んだタクマは手を引っ込める。

ライエの不機嫌な声が『チカ』と呼んだ。

『シャインウェーブで吹き飛ばせ。こんな馬鹿』

(で、できないよ……)

どれだけ威力を加減しても攻撃魔法は攻撃魔法。相手を殺す可能性のある力を人に向けて放つなどできない。ライエを呼んだはいいが、ここからどうするか。ライエを握るチカの手に、嫌な汗が浮かんだ。

動かないチカを見て、タクマの顔に余裕の笑みが戻る。

「いいの? 魔法少女が一般人にステッキ向けて。ケガさせたら駄目なんじゃない?」

「っ!」

「魔獣出現した時も、一般人の避難優先だもんね」

タクマがスマホを取り出し、チカに向けた。

「ね、いいじゃん。ちょっと変身してみせてよ。……大丈夫だって。俺、優しいから。酷いこととかしないし」

(やだ、やだやだやだっ!)

男の目に見える欲望。チカは生理的嫌悪に身震いする。ライエの苛立った声が聞こえた。

『おい、チカ。さっさとやれ。ぶちのめせばいいだろ、こんなの』

(無理! 無理だよっ!)

男が怖い。けれど、魔法の力も怖い。未熟な自分では男を殺してしまうかもしれないのだから。

混乱したチカは大声を上げた。

「誰か、助っ!」

最後まで言い切る前に、タクマの手で口を塞がれる。

「騒ぐのは止めろよ。下のやつら来るだろ」

(助けてっ!)

知らない男の手が、唇と頬に触れている。生暖かく湿った感触が気持ち悪い。チカの目に涙が浮かんだ。

その時、階段を駆け上ってくる足音が聞こえた。

「あー、タイキにばれた?」

然して焦る様子もなく、タクマはチカから手を離す。ベッドから下りて扉へ向かう彼の背中を、チカは茫然と見送る。部屋の扉が外から開いた。飛び込んできた男――タクマより更に長身のスーツ姿に、チカの身体から力が抜けた。

「……狗神さん」

「チカさん?」

状況を理解するように、チカとタクマを交互に観察した彼は、チカの側に歩み寄る。入れ替わるように、タクマがヒラヒラと手を振った。

「じゃあね、チカちゃん。また遊ぼう」

部屋を出ていく彼を、チカは何も言わずに見送った。緊張が解けたためか、身体が恐怖に震える。

狗神がしゃがみ込み、躊躇いがちに声をかけてきた。

「……大丈夫ですか?」

囁くような声に、チカは小さく首肯する。少しの間があって、狗神が再び問いかけた。

「……警察を呼びますか?」

「っ!」

チカは勢いよく首を横に振った。警察なんて呼ばなくていい。そんな大事は起きていない。何もなかった。何も起きなかった。けど――

抱えた両膝に、チカは顔を伏せる。狗神が立ち上がる気配を感じた。

「お母さんを迎えにいってきます。お店に置いてきてしまったので。……タイキくんの友達には帰ってもらいましょう」

チカはノロノロと顔を上げた。一人になるのは怖い。けれど、そっとしておいて欲しいとも思う。

チカの迷う視線に、狗神が優しく笑った。

「大丈夫、すぐに戻ってきます。家に鍵をかけて、誰も入れないようにしますから」

その言葉に、チカは安堵を覚えた。無理に傍にいようとしない狗神に、チカは小さく頷いて返す。

彼が部屋から出ていくのを見送って、チカはベッドに転がった。布団を被り、目を閉じる。浮かんできた顔に吐きそうになり、すぐに目を開いた。それから、なるべくボーっと、何も思い出さないようにしてベッドの皺を見つめ続ける。

どれくらいそうしていたのだろうか。下の階で慌ただしい人の気配を感じた。

階段をドタドタと駆け上がってくる足音が聞こえる。チカが身を起こすのと同時、部屋の扉が開かれた。

「チカ!」

飛び込んできた母の顔。鬼気迫る中に、こちらを案じる瞳を向けられ、チカの涙腺が決壊する。

「お、母さん……」

耐えていた涙が溢れ出し、声が震えた。駆け寄ってきた母に抱き締められ、チカはその温かさに縋る。漸く与えられた安全な場所。抱えた不安と恐怖の吐き出し口に、チカは声を上げて泣き続けた。


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