3-2.魔法のステッキの正体
休日。走る車の中。
チカは、母と共に狗神の運転する車に乗っていた。向かう先は防衛省の施設。魔法少女のための演習場だ。
チカは窓の外を眺め続ける。頭を占めるのは先日のココナの言葉だった。
――あんただって、ずっとユウリのこと羨ましいって思ってたでしょ。本心では見返してやったって思ってるくせに。
胸の奥がざわつく。図星とまではいかないが、チカは彼女の言葉を完全に否定することができなかった。
ユウリはいつでもクラスの中心で、明るく強い。彼女に対する羨望や疎ましさが「全くない」というと嘘になる。彼女になりたいわけではない。だけど――
「チカは学校で何か言われた?」
母の声がチカの思考を断ち切る。視線を向けると、眉間に薄く皺を刻んだ母がチカを見ていた。
「ごめん、聞いてなかった」
「もう! 最近、ご近所さんに声かけられたり、チカが小学生だった時のママ友から連絡入ったりが増えたっていう話」
言って、母は「覚悟はしてたけど」と嘆息する。
「チカのことおめでとうとか、頑張ってとか。そういうのはまぁ、有難いんだけど……」
「うん」
「前の魔法少女の子、リコちゃんだっけ? あの子の後じゃ大変ねぇとか、明らかに嫌味言ってくる人もいて。そんなの、うちのチカのほうが可愛いに決まってるじゃない!」
「可愛いとか関係ないし、リコちゃんのほうが可愛いよ」
「いいや、絶対、チカのほうが可愛い!」
声を荒げる母に、チカは思わず運転席の狗神を見た。親バカでしかない発言に、彼は表情を変える様子もなく真っすぐに前を向いている。
「あと、タカコおばちゃん分かる? お父さんのお姉さん」
母の言葉に、チカは頷く。
「普段は全然関わりないし、実家の行事もこっちに丸投げのくせに、いきなり『手伝えることはあるか』、『そっちに行こうか』って」
母はわざとらしく、「ハァ」と嘆息してみせる。
「気持ちは有難いけど、来てもらったところで、ねぇ?」
かなり溜め込んでいたらしく、母の愚痴は止まらない。
「お父さんに断ってもらってるけど、お父さん自身が全然分かってないのよ。『好意に甘えとけ』とか、『お祝いだけもらっとけ』とか、お祝いもらうだけで済むわけないじゃない!」
「お母さん……」
父の愚痴まで言い出した母が恥ずかしい。チカは運転席にチラリと視線を向けた。気付いた母が、「ああ」と前を向いた。
「ごめんなさい、狗神さん。こんな話聞かせて」
「いえ」
言葉少なに返した彼に、母は「そう言えば」と尋ねる。
「他のご家庭はどんな感じですか? 魔法少女の保護者の方と連絡取り合うのは駄目ですかね?」
暫しの沈黙の後、狗神は「すみません」と答えた。
「直接のやり取りはできれば遠慮してほしいです。……過去にトラブルがありましたので」
「ああ。そっちはそっちで色々あるんですね」
納得した様子の母は、「難しいわね」と呟く。
「面倒なこと増えたのに、対処法が分からないのがねぇ」
零した言葉に、チカは何も返せない。車の中に静かな時間が流れた。
演習場。
到着したのは、チカの知らない山の中にある広場のような場所だった。ゲートをくぐり、駐車場で車を降りる。すぐに防衛省の人らしき迷彩服の男性が近づいてきた。気付いた狗神が、彼のほうへチカを促す。
「ここから先は、訓練担当者の指示に従ってください」
チカが迷彩服の男性へおずと視線を向けると、綺麗な敬礼が返ってきた。狗神が母を振り向く。
「千野さんはこちらへ」
案内しつつ、狗神が言い添える。
「先ほどのお話しですが、私でよければお聞きしますし、ご希望であれば局のカウンセラーを手配します」
「えっ!?」
母が慌てて「いえいえ!」と否定する。
「カウンセラーは大袈裟! 話を聞いてもらうだけで十分です」
二人は視界に映るプレハブに向かって歩き出す。その背を見送って、チカも担当者の誘導に従った。
説明を聞きつつ辿り着いた演習場は、土の露出した採掘場のようだった。遠くに大きな的が見える。
「チカちゃん!」
声のした方へ視線を向けると、衝立のような壁の向こうからウイが顔を覗かせている。よく見ると、数十メートル間隔で同じような仕切りがいくつも並んでいた。手を振るウイに、チカも手を振り返す。ウイの向こうの仕切りから炎の塊が、続いて水の塊が的に向かって飛んでいった。アカリもイスミも既に演習を始めているらしい。
チカも同じような仕切りの一つに案内される。担当者の説明は、簡単に言うと自主練。自身の魔法の杖の指示に従い、魔法の扱いに慣れろというものだった。
担当者がその場を離れると、入れ替わりでライエが姿を現す。
『お前はまず、補助魔法の練習からな。ほら、さっさと変身しろ』
前置きもなくそう言われ、心の準備も整わない内にチカはメイクプロテクションを唱えた。一瞬の発光。慣れつつある光に目を閉じて開くと、虹色に輝くドレスが視界に映る。
『よし。んじゃ、まずはテレポートからな。落とさないようにちゃんと俺を持て』
言われるまま、ライエを両手で握る。
『テレポートで重要なのは、目的地か対象魔力の指定。後者は魔力感知できないお前には無理だ。とりあえず、そこのベンチ。指定して跳んでみろ』
「指定って言っても、……跳ぶってどういうこと?」
『目視できる範囲に移動するんだよ。ベンチ見て、テレポート唱えてみろ』
言われたことを言われた通りに。チカがテレポートを唱えた瞬間、視界が変わった。数メートル離れていたベンチが目の前にある。
「で、できた?」
『ああ。まぁ、見えてりゃ当然だな。次は目ぇ閉じてやるぞ』
初めての魔法に成功して感動するチカに対し、ライエはおざなりな返事を寄越す。感慨もなにもなく、「次だ次」という彼に対し、チカは僅かに気落ちした。
『ほら、さっさとしろ』
「……うん」
急かされるのは気持ちの良いものではないが仕方ない。チカは目を閉じて、元の場所に戻ることを意識する。仕切りの中、目にしていたものを頭の中でイメージしてテレポートを唱えた。が――
「……あれ?」
目を開けても視界が変わらない。
『駄目だな』
ライエが嘆息した。
『もう一回、目を開けてやってみろ』
「う、うん」
チカは焦りつつもう一度ライエを構える。一度目が想像以上に上手くいった分、二度目の失敗は思いの外、堪えた。しかし、チカの落ち込みに気付く様子もなくライエはどんどん訓練を進めていく。
それから何度か試行を繰り返したが、結局、目を閉じてのテレポートは成功しなかった。一時間、同じ訓練を行い、ライエがとうとう「駄目だ」と投げ出す。
『お前、本当どんくさいな』
「……ごめんなさい」
傷つく言葉で責められても、チカには謝ることしかできない。ライエがもう一度深々とため息をついた後、「次だ」と言った。
『攻撃力上昇と防御力上昇の魔法、せめてそれくらい使えるようになれ』
「うん。分かった」
ライエの指示に従い、チカはまず自身に防御力上昇の魔法をかける。ライエを頭上に高く掲げた。
「インクリースプロテクション!」
先端の宝石が光を放ち、雨のようにチカに降り注ぐ。キラキラと虹色の光に包まれ、チカは幻想的な光景に目を奪われた。
光が消えた後、チカは自身の左手の甲を摘まんでみる。感覚が鈍い気はするが、これで果たして成功なのか。
「ライエ、これでいいの? 防御力上がったとか、良く分からないんだけど」
『あー? まぁ、魔法自体は成功ってか、失敗しようがないだろ。問題は、これを補助として使えるかって話だよ』
ライエは「今度は的当てだ」と続ける。
『今のを、あの的に当てろ』
「え、いきなり? あんなとこ、届くかな」
的は数百メートル先にある。四、五メートル四方はありそうな板だが、当てられる気がしない。
『届かせんだよ。てか、当てろ』
素っ気なく言われ、チカは躊躇いがちにライエを構えた。やり方も良く分からぬまま、先端を的に向ける。
「インクリースプロテクション!」
宝石が強く光り、次の瞬間、虹色の光の筋が的に向かって飛んでいった。しかし――
「あ……」
失速した光は的の根元に突き刺さって霧散した。
『……まぁ、思ったよりましか。後は練習あるのみだな』
ライエの言葉に、落ち込みかけていたチカは気持ちを持ち直す。
(そうだ。練習しよう。練習すれば、私だって)
つい先日、クラスの子たちにもらった言葉を思い出す。
(頑張ろう……)
戦う覚悟はまだできない。狗神が上手く立ち回ってくれているようで、戦闘にチカが参加を強要されることもなかった。でも、これ以上「見ているだけ」も嫌だった。
チカはライエを握り直す。大きく息を吸って、的に向かってステッキを構えた。
「……インクリースプロテクション!」
それから二時間、チカは休憩も忘れて訓練に没頭した。最初に比べて、魔法が的に届くようになったし、大きく外すこともなくなった。それでも、百発百中ではない。もう一度、もう一度と繰り返す内に、時間の感覚は失われていった。
そうして何度目かの魔法を放とうとした時、チカは急激な立ち眩みを覚えた。
「っ!」
『……今日はここまでだな。座ってろ、チカ』
訓練の中止を告げるライエに、チカは「でも」と返す。ライエが鼻で笑って応えた。
『魔力切れだよ。一日寝たら回復するが、今日はもう無理だ』
「……」
悔しかった。隣のブースではウイたちがまだ魔法――しかも、明らかに高火力――の訓練を続けていた。
一際大きな炎の塊が放たれ、的に当たって大爆発を起こす。ここまで爆風を感じそうなほどの砂埃を巻き上げた後、大きく抉られた地面が露出した。
「……すごい」
ポツリと零したチカに、ライエが「まぁ」と返した。
『ヴィクトールのやつは、火力馬鹿だからな』
彼の口にした名に、チカは「そう言えば」と思い出した疑問を口にする。
「ライエたちの名前って誰が決めたの? もともと並行世界でそういう名前がついてたの?」
チカはライエ達の由来を尋ねた。並行世界でも名の知れた魔法の杖。そういうものだとしたらすごい。好奇心からの問いに、ライエは「は?」と小馬鹿にした声を上げた。
『お前、魔法のステッキが何か知らないの? 秘匿されてるわけじゃあないし、一応、専門書レベルなら載ってる話だろ』
無知を指摘され、チカは恥ずかしさを覚えた。しかし、友人たちとの会話でそんな話題になったことはないし、テレビやネットで目にした記憶もない。流石に専門書など触れたこともないから、知らなくて当然ではないかという思いもある。
チカは正直に「知らない」と告げた。ライエがまた馬鹿にしたように「ハッ」と嗤った。
『俺たちは元々、並行世界の人間だ』
「え……」
チカは絶句した。どういうことか、意味が分からない。何かの比喩、冗談だろうかと、マジマジとライエを見つめた。
『簡単な話だろ。あっちでも、異世界へ渡るってのは至難の業。魔獣みたいな魔力の塊ならともかく、肉体を並行世界へ送る技術は確立していなかった」
ライエを握る手――手袋の中の掌に汗が滲む。
『で、だ。あっちの連中は考えたんだよ。魔道具を作って、人間の魂だけ込めてこっちへ送る。こっちの活動に必要な魔力は現地調達、魔力の相性が合う人間から得りゃいいってな』
「じゃ、じゃあ、ライエは本当に人間だったってこと?」
『そう言ってんだろ』
チカは驚愕に目を見開く。汗をかいた掌が気持ち悪い。ライエから手を離したくて仕方なかった。
(……元は人間。私と同じ。それが、魂を抜かれてステッキに?)
俄かには受け入れがたい話。それまで平気だったライエが得体の知れない何かになって、不快が募る。
そもそも、自分は彼を何だと思っていたのか――
魔法のステッキ。意思持つ「物体」、マスコット的な何かと勘違いしていたのだ。声が「男性」だと認識していたのに。それがステッキの外見と似合わないと齟齬を感じていたのに。
チカの忌避感に気付いたのか、ライエが腹立たしげに「おい」と声を上げる。
『今更、嫌だ止めるはなしだ。最初に言っただろ、俺はお前の相棒、味方だ。諦めて受け入れろ』
「そ、れは……」
『言っとくけどな、こっちだって魔力の相性いいやつなんてそう簡単に見つからない。お前が逃げたら、次が見つかるまで俺は動けねぇんだよ』
「……分かってる。逃げないよ」
言って、チカは視線をウイたちの方へ向ける。晴れた空に雷撃が走り、大雨が地面を濡らした。
「……ウイちゃんたちのステッキも、元は人間、魂が入ってるの?」
『当然だろ』
ライエが答えた。
『イスミのステッキは水聖のティア、ウイのは神雷のヴォルトってのが入ってる。で、アカリのが豪炎のヴィクトールだな。どいつもこいつも、片道切符で並行世界に渡ろうなんて思う頭がいかれた連中だ』
彼の言葉に、チカはハッとする。
「片道切符って……。ライエたちはもう、帰れないの?」
恐る恐る口にした問いに、ライエは淡々と答えた。
『並行世界への転移は国家事業なんだよ。個人でどうこうなるレベルじゃない魔法陣組んで、国でトップレベルの魔導師が何人も魔力消費してやっと発動する。送り込める数も限られるし、帰る方法なんてのは最初からない』
「そんな! そんなのって……!」
知った事実に衝撃を覚えた。
酷い――
チカは自分が魔法少女に選ばれた時に、「なぜ、自分が」と嘆いた。けれど、ライエの話はそれ以上に残酷だ。「死」が前提。身体を失い、知らない世界で朽ち果てるのが絶対だなんて――
『おい。勘違いすんなよ』
チカの愁嘆を、ライエの苛立たしげな声が断ち切る。
『俺がステッキに成ったのは自分の意思。こちらに来ることを自分で決めた。まぁ、他のやつらも立候補みたいなもんだ。来たいやつらが来ただけ』
虚勢でもなんでもなく、本気でそう口にしている様子のライエに、チカはまた別の衝撃を覚えた。
「……どうして?」
『は?』
「なんで、そこまでして。だって、命懸けってことでしょう? 自分が犠牲になってまで、こっちの世界を救おうなんて……』
ライエだけではない。少なくとも四人、この世界のために、命を捧げてくれた人たちがいるのだ。
理解の及ばない世界にチカが身を震わせていると、ライエが嗤った。
『ハハ! お前って、ほんっと馬鹿な』
嘲りと分かる。その表情まで伝わるような笑い声。
『そんな殊勝なもんじゃねぇよ。並行世界ってのは少しずれただけの元は同じ世界、一蓮托生ってやつだ。こっちの世界が亡ぶとあっちの世界も滅ぶってのは知ってんだろ』
「うん」
だが、だとしても、「自分が」命を懸ける必要などない。だって、きっと他の「誰か」がやってくれるだろうから――
『同位存在』
「え?」
『繋がってんだよ、あっちの自分とこっちの自分の命が』
凄みのある声に、チカは押し黙った。
『こっちの世界の自分が死ねば、あっちの自分が死ぬ。そういうのが許せない利己的で傲慢で、「俺なら世界を救える」って自意識過剰な馬鹿が、世界を渡ったんだ』
吐き捨てられた言葉は誰に向けたものなのだろう。
目にするステッキは変わらず華やかな美しさで輝いているのに、そこから聞こえる男の声はほの暗く、怒りが滲んで聞こえる。
チカは、沈黙したライエを見つめる。言葉がなかった。彼自身は何を考え、何を望んでこちらの世界へやってきたのか。知りたくはあるが、知るのが怖い。
結局、チカは最後まで、彼の抱える怒りに似た何かに触れることができなかった。