つばき
義満様がお産まれになって百日が経つ頃、屋敷の紅葉も色付き始め、部屋は銀杏のなんとも言えない匂いがし始めました。
雪姫様が義満様を抱いて、無姫様へお顔を見せにいらしました。
「まぁ。母上に似て目の大きいこと。少し抱かせていただけるかしら。」
と無姫様がおっしゃったので、雪姫様はもちろんです、と言って義満様を差し出しました。目は雪姫様に似ておりましたが、くっきりとした鼻筋や薄紅色の血色の良い唇は俊光様によく似ておりました。無姫様は義満様を抱かれると、
「良い子に育つわ。」
と言って尻の方を三、四回なでると、慣れない手つきで雪姫様にお返しになりました。無姫様が温かい笑顔でお話なさるので、侍女たちは皆顔を合わせて、それから胸の内では心配もしながら、ただじっと座っておりました。
そこへ、慌てふためいた様子で侍女が来て、
「俊光様のお渡りでございます。」
と言うので、皆目をぱっと開いて、これはまずい、と思っていたことでしょう。されど無姫様は、あらほんと、とおっしゃって何もお気になさらないので、雪姫様はつばきに戻るべきか否かで戸惑われて、その様子を見た無姫様が
「今はちょうど雪姫様もいらっしゃるゆえ。」
とおっしゃったので雪姫様は少し浮かせていた尻を元に戻して、軽く頭をおさげになりました。
俊光様は雪姫様のお顔を見て大変驚かれましたが、すぐに普段のお顔に戻って、上座にお掛けになりました。
「半年ぶりのお渡り、光栄なことと存じます。」
と無姫様がおっしゃって皆頭を下げたので、俊光様は
「五か月ぶりであろう。今日は一つ頼みがあって来た。」
とにこりとも笑わず冷たいお顔でおっしゃりました。
「お前の衣装の三分の一ほどを、雪姫に譲ってもらいたいと思うておる。」
と俊光様がおっしゃったので、侍女たちは、絶対にありえぬ、と言わんばかりの顔をして、雪姫様は居心地が悪そうに下ばかりを見て、無姫様は一切お顔色を変えることなくまっすぐ俊光様の目を見ていて、雪姫様が
「私はそのようなこと、欲しておりませぬ、俊光様。」
と呟かれましたが、俊光様はそれをお気にも留めず、
「では、明日までにまとめておけ。」
とおっしゃりました。無姫様は
「承知致しました。」
と深く頭をおさげになったので、俊光様はすっとお立ちになって、部屋を出ていかれました。初はすぐに無姫様のそばに寄って、
「このようなこと、あってはなりませぬ。いくらご寵愛を受けているからとはいえ、正室の衣装を譲るなど、あり得ませぬ。俊光様は間違っておられます。」
と早口で言ったので、無姫様は小さな声で
「雪姫様もおるゆえ、あまり言うでない。」
と注意されましたが、初は
「関係ありませぬ。これでは無姫様が可哀想でなりません。私と浅井殿へお戻りになることも悪くはないと存じます。」
と何としてでも無姫様を守りたいという想いが相当に表れておりました。無姫様は微笑まれて、首を横に振り、
「大丈夫よ、初。」
とだけおっしゃりました。初は深くため息をついて、雪姫様をふと見ましたが、雪姫様はそれにはお気づきにならず、無姫様の方を見て、
「衣装をいただくことはとても出来ませぬ。どうかお許しください。」
と頭をお下げになったので、無姫様は
「いいのよ。明日の昼までに、つばきまで持っていかせるわ。」
とおっしゃって優しく微笑まれました。
その日の夜、無姫様は朝光様のお部屋を訪ねて、そのことをお話になりました。朝光様は呆れたお顔をなさって、
「兄上は本当に雪姫様へのひいきがすごいなぁ。」
とおっしゃったので、無姫様は
「あそこまで言われたら私だって意地ですわ。」
と口先を少し尖らせておっしゃりました。
翌日の朝、無姫様の衣装のうち、古く、色の暗いものが何着かまとめられ、つばきへ持っていかれました。雪姫様はこれを見て、恐れ多いことでございます、とだけ言って、丁寧に受け取りました。一人の侍女が、
「このような物ばかりを持っていったこと、無姫様が知ったらどうなるのでございましょう。」
と初に言ったので、初は
「俊光様がやり過ぎであろう。」
と言い切りました。