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毒蜜をなめる  作者: 国語だけ受験したい15歳
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赤松屋敷

 無子が十二になる頃、赤松殿のご嫡男のもとへ、嫁入りが決まりました。あまりにも突然でありましたので、嫁ぐ手回しなど何一つできていなく、また無子自身の気構えも持っておりませんでした。故に、当然ながら相手方の顔も知らなければ名さえ聞いたことのないような具合でありました。


 名は俊光としみつ様といって、無子と四つばかり年の離れた赤松家のご嫡男でありました。俊光様は無子にからっきり関心のない冷たい方で、初めて無子が顔合わせに行ったときでさえ、おごそかなお顔をなさって、何もおっしゃられませんでした。無子は、こんな方のために家を離れて暮らすなど、耐え難いと思いましたが、父上が決めたことでありますので、この期に及んで嫁入りを取り消すことなど、許されませんでした。

 赤松殿は、大変勢いのある戦国大名の名家でありました。俊光様は、父である御大将様と正室とのご子息で、他に姉が一人と弟が一人おりました。

 赤松殿の屋敷と、無子の住む浅井家の屋敷はそう遠くなく、一日で屋敷を行き来できるほどの場所にありましたが、そうは言っても、赤松殿の屋敷にはざっと三百は下らないほどの使用人が仕えておりましたし、屋敷そのものの大きさというのも、浅井家の屋敷の倍ほどはありましたので、気兼ねなく出入りできるほどの具合ではありませんでした。


 「初。お前は昔、私に上に立つ者の心得をよく話したが、私が赤松殿に嫁ぐことを知っていたのか。」

と無子は初に尋ねました。初は少し驚いた顔をして、でもすぐに微笑んで、

「そんなことはありませんよ。ただ、無子様がいずれ誰かの上に立ち、誰かを導くことになるだろうということは、薄々思っていたのやもしれません。」

と言うので、無子は

「私は女子であるし、人々を導くのは俊光様であって、私ではないわ。」

と無子は強気に、でも少し思案顔で返答しました。すると初は、無子の髪をとかす手も止めずに、口だけ笑って頷いて、いずれわかりましょう、とだけ言いました。


 そして、俊光様との二度目のお顔合わせの時になって、今回は初めてのお顔合わせとは違って、無子は屋敷へ着いたら初とふたりで俊光様へ訪れることとなっておりました。

 無子は普段の青色の着物ではなくて、鮮やかな赤に少し桃色や黄が入った綺麗な打掛に着替えて、屋敷を出ていきました。赤松殿の用意してくださった女乗物は大変派手で豪華なものでありました。無子の父上は、そのようなものに金を使うような方ではありませんので、無子を含め浅井家の屋敷の多くの者たちがその乗物にたいそう驚きました。


 赤松殿の屋敷に着くと、既に三人の侍女たちが立っていて、そのうちの一人がは無子とみつ以外の使用人たちを案内し、またそのうちの一人はただ頭を下げて、よくいらっしゃいました、と歓迎の挨拶をしており、そして最後の一人が、無子と初を部屋へ案内しました。その部屋にも、四人の侍女がいて、無子と初の身だしなみを整え、最後に紅を少し塗ると、俊光様のところへ案内しました。

 しかしその部屋に俊光様はまだお見えになっておられず、案内役の侍女が、しばしお待ちを、と言うので、無子と初は少々待つこととなりました。部屋のすぐ前の廊下に、六人の侍女が三に分かれて両脇に座っておりましたので、無子と初はあまり普段のような会話はできず、ただただ俊光様がいらっしゃるのをじっと待っておりました。

 しばらくして俊光様がお見えになりました。初めてのお顔合わせの時は、なにせ俊光様と無子の他に大勢おりましたから、近くでよくお顔を見ることも出来ませんでしたし、二人でお話というのも、してはおられませんでした。近くで見る俊光様のお顔は大変端正で、お美しくあられました。

「我が家の乗物は気に入ったか。」

と俊光様がお尋ねになると、無子は

「あのようなものを用意してくださり、恐れ多いことでございます。」

と言うと、深々と頭を下げました。

「お前はいくつになるのだ。」

と俊光様がお尋ねになると、無子は

「十二になります。」

と答えました。すると俊光様は、

「十二のお前に、赤松家の正室となる覚悟はあるか。」

とお尋ねになったので、無子は返答の仕方に困って、しばらく黙り込んでしまいましたが、ついに意を決して、

「覚悟はついております。」

と答えました。このお二方の会話に、初は大変感心しました。俊光様が最後まで刀を置かなかったのは初にとって気がかりでしたが、赤松殿のご嫡男ともあれば、得心がいくことでありましょう。

 帰る前に少し屋敷の中を見物すると良いと言われたので、無子と初は御殿空間を一通り見物することとしました。藩主一家や女中が生活する奥御殿は無子の嫁入りの支度で騒がしく、皆ばたばたとしておりました。無子の打掛を見て、皆は廊下の脇によけて頭を下げると、ひそひそと何か言っている様子でありした。

 これ以上は屋敷の者たちの邪魔になると思ったので、無子と初が帰ろうかとした時、不意に背後から声をかけられました。声をかけたのは無子と同じくらいか少し上ほどの年の男でありました。既に元服は済んでおり、藍色の地味な袴を身に着けておりました。 

「お前が俊光殿の婚約者であるか。」

特に隠すことでもないと思ったので、無子は

「はい。浅井家 香姫こうひめの四女、無子、無姫なしひめでございます。」

と答えました。

「無姫か、おかしな名前であるな。あいつは本当に頑固であるばかりか女子の気持ちがわかる性でもないのに、ここまで賢そうな女子を手に入れて、鼻につくわい。」

と両手を頭の後ろに組んで、二人の使用人を後ろにひいて、とことこと歩いていきました。無子は褒めているふりをして自分の名を馬鹿にしていると思い、歩く男の背中に睨みをきかせ、振り向いて、反対へ歩いていきました。

 帰り際、三十ほどの侍女たちが一列に並んで見送りをしました。使用人の他に侍女がこんなにも多くいる屋敷を、初は見たことがありませんでした。侍女というのはある程度高貴な家柄の者がなりますので、このような力の強い大名や武家の屋敷では侍女の数が家の力を示しておりました。


 屋敷へ帰って、普段の青色の打掛に着替えると、四番目の姉である夏姫なつひめが無子の部屋をお尋ねになりました。

「赤松殿には多くの色男がおるのでしょう。どんな男がいたの。」

薄笑いを浮かべながら無子に聞かれたので、無子は

「そのような男はおりません。」

と呆れながら返答しました。その後、俊光様について尋ねられたので、

「俊光様は赤松殿のご嫡男に相応しい男であることは確かでしたわ。」

と言うと、

「やはり男というのは後ろから抱いてくるような大胆さがなければだめね。」

と姉が言ったので、二人は顔を合わせて笑い合われました。

「いいえ。男というのは富と地位がすべてだと思いますけど。」

と先ほどまでいらっしゃらなかったお方様が二人の会話に入っておっしゃりましたので、

「その点、五人の姉妹の中で無子は一番良い家の男を手にしたわね。」

と夏姫様が言われると、無子は少し顔を赤くして、

「それが男の全てだと思ったことはございません。」

と言ったので、二人は顔を合わせて笑い合われました。


 婚礼の儀式をあと五日ほどに迫った日、初雪が降り大変冷え込みました。

 屋敷内は相変わらず忙しそうな使用人ばかりでありました。庭の桜はすっかり葉が落ちて、裸の枝の上に白い雪がかすかに積もっておりました。その様子を無子は部屋から眺めていると、父上がお見えになって、

「婚礼まで風邪をひかぬようにしろよ。」

とおっしゃったので、無子は

「はい。」

とだけ答えました。

「なぜ末娘のお前を赤松殿に嫁がせたか分かるか。」

と父上がみすぼらしい桜を見ながらおっしゃったので、無子は

「分かりませぬ。」

とだけ答えました。

「お前は五人の中で、最も人望が厚いと思うておる。人というのは、美しいだけでも賢いだけでも性根が良いだけでもだめなのだ。お前には思いやりや強い心がある。赤松殿でも生き延びていけるだろうと思う。」

いまだかつてないほどの父上の優しい声を聞いて、無子は少し安心し、

「はい。」

とだけ答えました。





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