第3話 魔術迷宮
40日ほど経った。
”例の迷宮”と彼らの中で呼称されているその迷宮の前に立っている。
いつからあるのかわからないが、森の中に突如姿を現し、蔦が絡み緑の海に沈むかのように静かにそこにあるのが例の迷宮への門だ。
実は潜る前に周辺を調べてみたが、多分ここは全体として城壁に囲まれた古代都市で、元々その高台にそびえたった王族や貴族の邸宅かあるいは城だったのだと思われる。
それが人々に放棄された後何かの拍子に迷宮化し、同時進行で緑に飲み込まれ今に至る、そんなところだろう。
「私は迷宮なんて入ったことはないのだけど、どういうところ?」
「んー、そうだな。俺たちもそんなにたくさん入ったわけじゃないが、魔物は多いし、罠もあるし、何かしらの謎解きがある場合もある」
「へぇ……で、ここは?」
三人ともその問いには答えられず、首を振る。
「わからない。全然奥まで行けないんだ。入って割とすぐの大廊下が抜けられない。力づくで抜けようとしても身動きが取れなくなるんだ。滝のように魔術を撃たれて」
「私が一応対魔術結界を張っていくんだけど、あっという間に許容量を超えちゃって、秒ごとに張りなおしていたら私の魔力が尽きちゃうって話」
「なるほどね。飛び道具とかはないの?」
カーターに視線を送る。
「ああ、実は試したことはあるんだが、弓矢や投石は魔物にたどり着く前に叩き落されてしまうんだ。それにちまちま倒していっても正直意味があるとは思えないほどの物量差がある」
「へー」
「その上カーターとは違って俺は剣しか使えないから完全に置物でさ、防御の対象が増えてしまう分いない方がマシって状態だ」
アレクはうなだれる。
これまでの旅でもフェリナの聖女としての力は隔絶したものがあるというのはわかっている。神託を受けたという事実を担保するかのように。そのフェリナがなすすべなく物量にやられる量の魔術が撃ちこまれるわけだ。
「ま、とりあえず覗いてみましょう」
足を踏み入れるが、彼らの足取りは少々重い。
「どうしたの?」
「ああ、いこう、みんな」
前衛の二人が先にでて、フェリナが続き、私が最後尾から。
さて、どんな魔物が待ち構えているのか。
大広間の魔物は魔術こそ撃ってくるが、1体しかいない。だからポンポンと撃ってくる火球や石弾を避けながら前衛二人で掃除完了。
そして大廊下へと足を踏み入れる。
大廊下は奥に終点が見える。
両脇が階層構造になっていて、ベランダというのかわからないが、壁から通路がせり出していてあたかも3階や4階建の建物の間を抜けていくような、そんな印象を受ける。
そして大廊下の3分の1も進んだところで、そのテラス部分に青黒や紫色を中心とした光が多数出現し、その光の中から魔物が一斉に姿を現した。
なるほど、魔道具か何かで隠れていたタイプの魔物達か。
やつらは一斉に手や杖をこちらに向け、反射的にフェリナが結界を張り、張り終わるのとほぼ同時に、魔術を発動する多数の光が大廊下を満たした。
***
前日、夜営地にて。
「ねえ、貴女の結界が物量で押しつぶされたって話だけど、ざっと何秒持つの?」
「……15秒」
「へぇ……」
フェリナがこれまで見せていた結界の神聖術は相当なものだ。フェリナの聖女としての力は確かに魔王に挑むのにふさわしい。
だからそこらの”上級”魔術を食らっても十分耐えて見せるだろう。
それがたったの15秒しか持たないと。
「で、魔物達が撃ってくる魔術は上級?」
「いえ、ほとんどが初級だと思う。中級も少しは混ざっていた気がするけどそこまで見ている余裕はなかったわ」
上級でも耐えられるであろう結界を中級と初級の魔術の混成で、しかも15秒で押しつぶす。
すると想定される魔術の量は……
「どう?正直ジュリナには期待してるの。……期待していいのよね?」
「……ええ」
迷宮に存在しうる魔術のことばかり考えていた私の気のない返事はさぞ頼りないものに映っただろう。
ここに来るまで魔物とは何度か遭遇した際、私の魔術も見せたと言えば見せたが魔物単体にする魔術は私でもその辺の魔術師でも大差ない。
だから半ば上の空で答えた私に対する彼らの表情には確かな一抹の不安があったと後で気づいたのだった。
だが気づいていたとしても、彼らの不満などに大した興味もなかったのだが。
***
そんなことがあったが、一つだけ言っておいたことがある。
”5秒でいいから敵の攻撃を見せてほしい”と注文を付けている。
別に魔物達が姿を見せた瞬間に一掃しても構わないのだが、興味本位だ。大聖女であるフェリナの防御が為すすべなく破られる魔術の量とはどの程度なのだろうと。
そしてその程度は私の予想とどう違うのだろうと。
フェリナは了承していて、それは2秒でわかった。
「うわー」
思わずやる気のない声が出た。
これは魔術の滝だ。周りが全く見えない。
全周から襲い掛かる夥しい魔術によって、堅牢なフェリナの結界がゴリゴリ削られていく。フェリナは魔力を全開に出して結界を維持しようとするがあっという間に飽和状態に追い込まれ、再構築が追い付かず徐々に結界がひび割れていく。
繰り返し敗退したというけれど、これは離脱できたのが奇跡だろう。
なるほど、理解した。きわめて想定通りだ。
満足したから期待に応えることにしよう。
杖に強力に魔力をこめる。
「……アブソリュート・フリーズ」
きっちり6秒目には魔力を込めた杖を一振り。選択したのは上級水魔術の派生に当たる通称絶対零度と呼ばれるもの。
範囲は私達が立っている範囲、つまりフェリナの結界の内側を除く大廊下一帯全部。床も壁も天井も。
数えきれないほどいた魔物が放つ魔術を半ば跳ね返して、私の魔術が全てを制圧。
一瞬前まで魔術の滝がもたらす轟音で満たされていた空間に、静寂が満ちた。代わりに急激に低下した気温も相まって冬のような凛とした空気が満ちていく。
3人とも、突如生じた周りの変化に唖然としている。そう、私達の足元以外はすべて凍て付いていたのだ。
フェリナが結界を解除したのを見届けてから、指を鳴らす。
わずかな音の変化で、凍り付いていた魔物はすべて乾いた音を立てて粉々に砕け、破片となって崩れ落ちた。
もう私達を妨げる魔物はここにいない。
終わったと思ったが、同時にやりすぎたと思った。私達の進行方向も氷漬けだからだ。これでは滑って進めないじゃないか。
一歩前に出て杖を向け、火と風の魔術を混合させて進むべき足場を解凍し瞬時に乾燥させる。すると一筋の歩ける道が出来た。
「さ、これでいいかしら?」
振り向いて皆の顔を見回す。
「ああ」
唖然としたままのアレク。
「悪い、思った以上だった」
頭がいい分私のことを多少舐めていたであろうカーター。
「今の、上級魔術?氷の?」
私の魔術をみて正確な観測をしていたであろうフェリナ。フェリナに限って言えば驚きの感情はない。
「ええ、そうよ」
「すごい。こんな魔術見たことないよ」
それはそうだろう。魔術師自体は多くいるが、上級魔術まで使おうとする者はまずいない。普通の戦闘ならば初級でいいし、中級で普通はオーバーキルだ。
もちろんある程度広さのある面制圧をしようとすると中級では物足りない。上級が必要となる。
とはいえ、面制圧が必要な場合なんてものはあまりないからやはり上級魔術を覚えようとすることは効率が悪い。
その結果、苦労して上級魔術を覚えるよりは中級魔術を増やした方が効率がいいというのが魔術師の一般的な考え方だ。おおよそ中級の時点で既に個に対してかなりの威力を誇り、対象とした個を中心とした一定範囲にそれなりの打撃を与えられるのだから。
だから見たことなくて当然だろう。
ついでを言うと、私の上級魔術はそこらの熟練魔術師が使う同じ上級魔術よりも遥かに高密度で高威力だ。同じ魔術でも行使する者の力量によりいくらでも強弱が出る。
「お気に召したかしら?私の力に不安があったのでしょう?」
「ええ、想像以上だったわ」
「悪かった。甘く見てた」
「魔術師なんてそんなものらしいからいいわよ。さ、行きましょう?」
最近の私は、正直楽しさを感じている。彼らについていって時には戦い時には他愛もない話をするだけだが、そんな日々が楽しい。
一人きりの生活が何だったのかと思うほどに。




