第2話 黒髪の少女
結界の中央と思われる方向に歩いてゆくと、不意に小さくひらけた空間が出現した。
木の根が張っていることもない草地とそこに立つ一軒の木造の家。
煙突からは煙が出ていて、少し薬品のようなにおいがする。
「ここか。結界の中央部は。森の奥にこんな家が……」
そんな異質な光景に、アレクが警戒の息を漏らす。
その警戒心は正しいものだ。何故ならその家の中には相当強力な魔力を持っている何かがいるのがここからでもわかるからだ。
「さて、どうする?中には結構な魔力を感じるわ」
「ここまで来たんだ。躊躇してもしょうがない。行こう」
アレクはずかずかとその家に近づき、木組みでできた数段の段差の先にある細めの丸太でできた扉を開け、中に入っていく。
「え?アレク!?危ないわ!」
フェリナが慌てて追随したが、幸いにして戦う必要はなかった。
「いいわよ。別に取って食おうなんて思わないわ。後ろの二人もどうぞ」
内部から聞こえてきたのはそんな声。その声の主を一足先に目の当たりにしたアレクとフェリナに続き、私とカーターも足を踏み入れる。
「全員ね。いらっしゃい。ここに人が来るのは何年振りかしら」
拍子抜けした。
そこにいたのは椅子に座ってテーブルに置かれたお茶を飲む少々小柄な黒髪の少女。18歳になった私より年下に見える。
しかし感じるのだ。その少女の体から漏れ出すおぞましいほどの量の魔力を。
「あんたは?」
「さあ?あんた達が私に用があるんでしょ?あんた達が自己紹介しなさいよ」
「僕達は魔王を倒すために旅をしている一行だ。僕はアレク。こちらはカーター、フェリナとジュリナ」
ふーんという値踏みするような顔で頬杖を突き、やや半目でやる気なさげに私達を見るその少女。
「近くの街で少女が行方不明になりその後抜け殻のようになって発見される事件が多発している。僕達はその犯人を追いかけてここに来た。心当たりはないか?」
少女はその黒い目を、私達をもう一度一巡させるように向けて最後に向いたアレクに対してこう言い放った。
「心当たりしかないわ。帰ってきた子達の件は多分全部私の仕業よ。だから犯人は私。で、どうするの?私を殺す?」
自分を殺すのかと問うた少女は、そんな内容とは裏腹に楽しそうな目をしていた。何があっても殺されるどころか不利益すらないぞという目だ。
「どうしてそんなことを?」
「あら、動機が大事なの?」
「ああ。できれば殺したくはない。でも罰は受けるべきだ」
「へー、不思議な考えをする子なのねえ」
クスクスと笑みをこぼしながら年上のはずのアレクを不思議な子扱い。背もたれにもたれかかり顎肘をついてマトモに取り合う様子ではない。
「いいわ。教えてあげる。どうしても人様の魔力と精力が必要だったのよ。ほら、そこにあるでしょ?瓶に入った青い薬が。あれを作るのにどうしても必要だったの。だから攫ってきたのよ」
「なら自分の魔力を使えばいいじゃない。貴女、強力な魔力を持っているのでしょう?」
フェリナが敵意を持ったように詰問する。
「ええ。でも私自身の魔力じゃダメなのよぉ。技術の進歩に犠牲はつきもの。別に殺してきたわけじゃないんだし、いいでしょう?……それが私の答え。どうするの?私を殺す?……そして殺せる?」
ぽつりぽつりと少女が呟いたその一言一言が喉の奥をつんとさせると同時に、心の奥底を威圧するかのように体の芯を打つ。
敵に対し凛とした態度を崩すことがないはずのフェリナがたじろいだのを見てしまった。
アレクもカーターも、この件をどうしたものかとフェリナに注目していたから、まさかフェリナがそんな態度をとるなんて思ってもみなかったのだ。
フェリナはアレクの視線に気づいたのか、首を振る。
「無理……きっと4人がかりでもこの女を殺せないわ」
フェリナは聖女だ。悪は討たれるべきという認識を当然のものとしている。そのフェリナをしてこうまで言わせるのだ。
そしてそれは私と全く同意見でもある。この女はやばい。あれこれ理由はあるが、やばいの一言で片づけられるほど力の差がある。
「あら?残念ね。私ね、私を殺してくれる相手とは長らく出会っていないの。自分で死ぬ気はないのだけれど、そうしてくれる相手と戦うことは大歓迎なのよ?貴方達がそうならなくて残念だわぁ」
その一言を聞いて、記憶に何かが引っ掛かった。いや、実はこの家に入った瞬間から何か引っかかるものを感じていた。
なんだっけ?なんだ?
ややにらみ合いに近い形……いや、どちらかと言えば猫に睨まれた鼠のようになっている3人と、強者の立場で私達を威圧する少女の中に囲まれ、一人記憶をひっくり返すようにたぐっている私とはかなり温度感に差があった。
そんな中、ふと窓の脇に置いてあった酒瓶が記憶の糸口となった。
そうだ、師匠が珍しく泥酔した時に聞いた話だ。
師匠は確か……
「思い出した」
「は?」
突如そんなことを言った私に全員の意識がこちらに向く。
「そうよ、あんた、”魔女”ね。お師匠様が言っていたわ!世界で一番魔術を使いこなすのに引きこもってる実験好きの変態女がいるって」
女は眉をひそめ、眉間に皺を寄せる。
「誰が変態よ。あんたの師匠とやらは誰?」
「シモンよ」
「シモ…ぷっ…くすくすくす……あはははは!!!」
お師匠様の名前を聞いた魔女は吹きだして高笑いを始めた。
「シモン!知ってるわ!あの長くてだらしない黒髪のがきんちょでしょ?いっちょ前に弟子なんかとっていたの?あの子面白いのよーあんなに出来が悪いのにどうやったのか私の居場所を突き止めて弟子にしてくださいって!」
「どういうこと?師匠は60年は前の生まれよ。あんたが知ってるはずがない」
「なに?シモンは肝心なことは何も話さなかったの?せっかく話してあげたのに、ほんっと抜けてるわねあの子。私はね、悠久の時を生きているわ。気ままに。誰にも支配されず。老いず、病まず」
「不老不死?まさか」
15歳そこそこくらいの見た目をしている相手が、実はとんでもない相手なのか?
「違うわよぉ。本来は不老じゃないし、不死でもないわ。私の護りの魔術を突破できるなら1秒後にだって殺せるし、治癒の暇もないほどすぐに殺してくれる病気なんてものがあったりしても私は死ぬわよ?体の成長は止めてあるから老いが止まってるだけ」
成長を止める?そんなことが可能なの?
「あんた、何年生きてるのよ」
「そうねぇ…4、500歳くらいまでは数えてたかしら。もう年齢とかどうでもいいからぜーんぜん数えてないわ。そうね、強いて言えばトシを数えるのをやめた後にとある薬の経過観察を500年くらい続けていたから合計1000歳は余裕で越えてるわねー」
どうでもいいことを投げやり気味に話した魔女は、私に向かって少々身を乗り出す。
「あんた、シモンの弟子なんでしょ?あいつは今何をやっているの?」
「……死んだわよ。もう4年になるわ」
それを聞いた魔女は、やや勢いを失ったかのように乗り出した身を元に戻して、また頬杖を突きながらため息をついた。
「そう……つまんないわね。本当に終始つまらない子だったわ」
「は?」
確かに師匠は明るい性格ではなかったけどあの人が魔術に積み上げてきたものは嘘じゃなかった。大嫌いだったけど、それでもその実績と実力に関して言えば私は師匠を正面から認めていたのだ。
それがつまらない?つまらないだと?
「魔術は下手くそだし、努力のやり方も知らないし。一を聞いて一を知る事すら出来ない。その上臆病者だったし、折角弟子にしてやったのにここを突然出て行ってから最初に得た消息が死にましたって?どこまでつまらないのあの子」
未熟だった頃の師匠の話だったとしても、師匠に対する文字通りの悪口だ。
それを聞いて、頭のどこかが”カチン”ときた。




