第7章 エピローグ1 勇者の物語
一行を見えなくなるまで見送り、座り込んで泣きわめいているアベリーの手当をトーマスに命じて、気疲れのまま椅子に深々と腰かけ、ため息をついた。
偶然の一致なのだろうか。
ジュリナという名前自体この一帯で使われる名前ではない。しかしその名前には心当たりがあった。
今書庫の奥から出してきた、くたびれ何度も補修が施された書物が小机に置かれている。
若い頃に熱中し、幾度も幾度も読んだ冒険の記録。
海の向こうの更に遠方から到来したという古い書物にその名前があった。
外に出たいと考えているのがわかり切っていたレベッカには絶対に見せなかったし、存在すら教えることなく書庫の奥底に仕舞われていた、魔王殺しの勇者一行の物語を記した本だ。
かつて人類を恐怖の渦に叩き落した魔王というものがいたという。
その魔王を倒した一行の一人がジュリナという名前だと、記されている。
聖女のみが用いることのできる魔術以外のほぼすべてを、最高の水準で使えた若い娘だったという。
その意味で、魔王が倒されたという年代も含めさっきあの娘が言っていたことと一致している。
そして、実戦に重きを置いた剣術もその辺の兵士以上に使ってのけた。ジュリナは剣士カーターと結ばれたとも書かれている。そうであれば多少の剣を学んでいても不思議はない。
一方で、吟遊詩人が伝える魔王殺しの物語や、最近出回っているこの冒険譚を記した書物は、「ジュリーン」という魔女が魔王殺しの一行にいたことを唄っている。
ただ、我が家に伝わるこの書物は魔王が倒された間もない時期にはるか遠くから伝わってきたものだ。当時の一豪族に過ぎなかった何十代も前の先祖がこの書物を高い金を出し入手したことを自慢するメモが最後の白紙の頁に残されていて、吟遊詩人が唄うために後年編纂成立した物語より確実に古いものだということがわかる。
この古びた本には、原本から直接書き写された一次写本であるとも記されていて、少なくともこれは紛れもなくその年代のものだ。そして著者はカルラと言う人物で、魔王殺しの勇者一行と知己があったと奥付に記しているが、ジュリナが魔女だった、あるいは魔女と呼ばれていたことを示すものは何一つここには記されていない。
この書物と吟遊詩人が唄う勇者の物語を比べれば、あたかも後年後付けされたかのように、この古い書物には魔女の記述がないのだ。
どちらが本当のことを記しているのだろうか、それとも古い物語にありがちな表現の揺れに過ぎないのだろうか。初めて酒場で吟遊詩人の詩を聞いた時に浮かんだ疑問がこんな形で再び現れるとは。
あの一行が竜殺しという途方もないことを成し遂げたのも、そういうことなら理解はできる。
もっとも、その真実を質すことももうない。
娘を本当に失った悲しみとともに、このことも心に秘めておかねばならないのだろう。
ただ、それでもあの少女の安全を願わずにはいられない。
願わくば彼女らの行く先が良き旅路であらんことを。




