第3話 二度目の家出、そしてそれは永遠に
ロベルの目をテーブル越しに正面から見据えて、切り出した。
「私を、自由にしてくれるのなら、真実を話してもいいわ。ただし話をしたらもう戻れない。私とカイルもエスタも、この家の誰よりも強いから。噂くらいは耳にしているでしょう?龍殺しは、嘘じゃないわよ」
エスタは厳密には違うが、そこはハッタリをかます。
かつては武人として盛名を馳せたファルシオン家当主の父。
彼がエスタをどう見たかはわからないが、少なくともカイルを見てその強さを悟ることができないほど耄碌したとは思えない。
現に彼の眼はまだ澱んではいないのだから。
「そうらしいな。レベッカは魔術を使えなかった。どう調べても才能がなかったんだ。レベッカが剣を嫌がっていたのは知っていたから我々も手を尽くしたのに、魔術は使えなかった。なのにレベッカ……いや、貴女は魔術を自由自在に使えるという。それならば貴女は娘ではない」
魔術を使えるかどうかは生まれ持った才能だ。少しでも才能が有ればそれを後天的に伸ばしてやることはできるが、全く才能がない者に才能を与えることは不可能だ。
それがこの世界の理。
もし魔術を使えない人物がいきなり使えるようになって姿を現したというならば、それはその人物ではなくなったということを意味している。
だからその紡ぎだす言葉は、諦観とでも言うのだろうか。
諦めと悲しみと絶望と、そんなものが混じり合って聞こえる。そして、少し震えている。
そして思い出した。レベッカは魔術が使えず、やむを得ず長女としてこの家を継ぐために剣を学ぶ羽目になっていたんだ。
せめて魔術が使えれば、そうレベッカは繰り返し自身の才能の無さを呪いながら嫌いな剣を振り続けていた。レベッカが家出を決意する出発点がそこだったのかもしれない。
「だが貴女はレベッカでもあるのだ。これもまた事実だ。なぜこんなことになったんだ。構わない。貴女は娘ではないから、自由にすればいい。だが、レベッカがどうしてこうなってしまったのか、それは教えてくれないか」
「……ふぅ、わかったわ。教えてあげる」
この人と争うことにならず良かった。そう安堵し、告げるべきであろうことから切り出した。
「……レベッカは、半年くらい前、山中の高い崖から落ちて死んだわ」
眼前にいる3人の顔全てが困惑した顔に変わった。
「だが生きている。まさか、死人を動かす禁忌にでも触れたか?」
「違う。でも禁忌と言われたらそうかもしれない」
その顔に怒りや苛立ちが混じる。
「じゃあなんだ!お前は悪魔か何かか?」
「違うわ。人よ。転生術で魂だけ入れ替わった。いや、死んで抜け殻になったレベッカの体に入ったと表現した方が正しいかもしれない。私の魂は、今この体にいる魂は、約700年前から来た魔術師のものよ」
数秒の空白。
「転生術だと?意味が分からん。そんなものが実在するのか?」
「ええ。出処は言えないけどね。私には前世がある。前世の記憶を持ったままこの体に入り込んでいた。同時に、レベッカの記憶を知識として得たの」
「前世……とは?」
「言葉の通りよ。私にはかつて65歳くらいまで生きた記憶があると同時に、レベッカの記憶がある。エダの誕生日が7月8日なのも知っているし、二人目の妹が早逝したことも、母もその時に亡くなったのも、貴方が私に最初に買い与えた赤い宝石が付いたナイフのことも知っている。だからこの体は紛れもなく貴方の娘、レベッカのものよ」
目を閉じて、胸に手を当てレベッカの記憶を手繰り寄せる。
「レベッカは10歳の半ば頃にこの家を飛び出した。持ち出した宝石を対価に商人のところに入り込んだ。それから商人見習いとして旅を始めたわ」
「……」
「上手くいかないことの方が多かったけど、レベッカはその暮らしを悪いものとは思っていなかった。家の都合ではなく自分のした結果や相場が自分を決し、運は最後のスパイスみたいなもの」
「……」
「そんな、自分が自分の意思で生きているということを、失敗が続いてもレベッカは誇りに思い始めていた。隊商での立場も良くなり、一部の商いを具体的に任されて楽しみも覚えていた」
「でも彼女のツキは5年持たず終わった。隊商が魔物の群れに襲われ、仲間が全滅する中彼女は貴方達から教わった剣を頼りに何とか逃げ延びようとした。でも追い詰められたそこは崖だった。そして彼女は城より高い崖から落ちて、死んだ」
「……」
「それがレベッカが持つ最後の記憶。地面に叩きつけられるその瞬間まで、レベッカは意識を切らすことはなかった。気を失うことなく、最期まで自分の運命を直視していた」
そこまで続けてから、目を開け、一息ついてから最後に告げた。
「レベッカは、強い子よ」
「そうか、ありがとう」
「どうしてお礼を言うの?私は貴方の娘の体を乗っ取った魔物か何かじゃないの?」
「娘のことは、諦めていた。生きていた、帰ってきてくれたのだと最初は大いに喜んだ。だが、そうではなかった。娘は、死んだのだ。その後を伝えてくれたことに、感謝する」
はぁ……と一つ深いため息をつき、半ば崩れるように上座の椅子に座りこんだロベルは、額に手を当て視線を床に向けたまま言葉を絞り出すように言った。
「もう何処へでも行くがいい。引き留めはしない」
「そう、じゃあ、行くわね」
「待て」
踵を返した私は、呼び止められ数歩目を踏み出そうとしていた足を止めた。
上半身だけ振り返ってみたそこには、再び目を向けるロベルの姿が。
「娘の体を使う貴女の名は何という?700年前は何と名乗っていた?」
「……ジュリナよ」
ロベルはわずかに瞠目したかと思うと視線を外し、数瞬してまたこちらに戻した
「そうか……そうか、ジュリナか。さぞや名のある魔術師だったのだろうな」
魔王殺しの勇者一行の一人だ。そんな言葉が喉元まで出かかり、やめた。
「そうね、聖女だけが使うような魔術以外は何でも使えたわ。今でいう古代魔術も含めてね。それじゃ」
荷物を持ち、部屋を出る。
部屋を出ようとするとき、ドタドタと何かが走ってくる音が聞こえた気がしたが、気にせず扉を開け退出した。
「お姉様!」
一瞥したそこには、記憶の中では丸くて可愛らしい少女だった妹の姿。成長した彼女は凛々しい顔つきを覗かせ、いい意味で父親に似ている。確か、アベリーと言ったか。
事をこれ以上面倒にしたいわけではないから、無視して階段を下りる。
「お姉様!なんで無視するの!?ねえ!ねえってば!!」
そんな声は気にすることなくもうここを出るだけだ。階段を降り、玄関ホールにいた二人と合流する。
「さ、お待たせ。話は付いたから、行きましょう」
「なんだ。案外あっさりだったね。今走っていったあの子は良いのかい?」
「ええ、別にいいわ」
本当に良かった。”私”としては正直なところ最悪どっちでもよかったが、レベッカの記憶を抱えている中で、この家で大立ち回り、少なくとも先日ユーリィムの屋敷を出るときのように死体の山を築くような事は絶対にしたくなかったからだ。
玄関を出て外に向かい始めたエスタやカイルに続いて歩き出す。
「待て!」
門まで半ば近くまで歩いたとき、背後から興奮したような声が響いた。
「お姉さまを返せ!」
振り返った門扉のところにいたのはさっきすれ違ったアベリーだ。
私をにらみつけ、真剣を抜き、今にも襲い掛かってきそうな気配を漂わせている。
父親からざっくりとした話を聞いたというところだろうか。
アベリーはやる気がなくやっつけで剣を振るっていた姉とは違い、やる気と剣の才能に恵まれた3つ下の妹。
末妹は早逝したから、唯一の姉妹ということになる。
「ねえカイル、その剣、一度貸してくれないかしら?あとこの杖、預かっていてくれる?」
「ああいいぜ。どうしたんだ?」
剣を受け取り、杖を預ける。
「ちょっとね。あと門の外で待っててくれない?」
カイルは妹を一瞥し
「手加減してやれよ?」
と、肩をすくめながら忠告してくれた。
「ええ、もちろんよ」
二人は遠ざかった。背後の妹もおそらく仲間がいない方が都合がいいと思っているのだろう。律儀に二人が遠ざかるまでの時間を待った。
そしてカイルもエスタも門から出た。そして門の外からこちらの様子を伺っている。
だまって風を吹かせ、木々や草花の擦れる音で空間を満たす。こうすればあの場所ならここで多少の大声を出しても聞こえないだろう。
「……アベリー。聞いたのでしょう?貴方のお姉さんは死んだの」
「嘘だ!お姉さまを乗っ取った悪魔め!」
私の帰還を知り、慌てて鍛錬場から帰ってきて、私とすれ違い父親から大まかな経緯を聞いた、そんなところだろう。そう解釈されるのも当然だ。
「どう思ってもらっても構わないけど、私は生きているレベッカを乗っ取ったわけでもないし、私は貴方の姉じゃない。それを教えてあげる」
「何を?」
「この剣で相手をしてあげると言っているの」
白銀に光る剣を抜く。
「なっ!?」
「貴女の知っているレベッカは、剣が好きだった?そうじゃないわよね。言われなければ剣を持たない人だった。アベリーはそれを知っているはずよ」
「だから何だというんだ?」
「私が貴女の知っている姉より剣を使えたら、私は貴女の姉じゃない。貴女の姉はここを出て行っても剣を振るうような人じゃない」
「……っ!」
「来なさい。もし私を倒したら貴女の知っているレベッカが戻ってくるかもしれないわよ?」
「言われなくても!どのみちお姉さまが本当に死んだのなら、ここで亡骸を取り返す!」
アベリーは距離を詰め鋭く剣を薙ぎに振るってきた。
私はそれをバックステップで回避しつつ、一歩さらに踏み込んで振るわれた返しの逆薙ぎの剣を受けとめ、はじき返す。
休む間もなくアベリーは上から、横から、下から、あるいは刺突と次々と剣を繰り出してくる、私はそれを受け止め、はじき返す。
それがしばらく続いた。
ああ、よく訓練されている。
そして剣に迷いがない。
アベリーは着実に剣の腕を上げていた。レベッカの記憶にあるよりもはるかに上達している。
ただそれでも12歳に行くかどうかの女の子の腕では根本的に力が足りない。経験もない。技術も足りない。
そして何より、お行儀のいい剣捌きの域を一歩も出ていない。
この剣の太刀筋は、私ですら見たことがあるものばかりだ。
実戦を経験する前の、稽古場でしか通用しない剣。本当の命のやり取りを全く知らない、無垢で無邪気な剣。
前世でカーターの相手をしていた時の何をしてくるかわからない剣と比べたらその出先が読めるし、見える。
だからこの子の剣は綺麗だが、弱い。
もちろん基本的な技術は私より優れているかもしれないが、それは私が何もしていなければだ。
アベリーはそんな私を見ていけると思ったのかもしれない。大振りになり、決めようとする。だが、私はそれよりも強い剣を受け続けてきたのだ。
「はぁっ!!」
鋭いがわかりやすい軌道で振り下ろされたその剣を、弾き飛ばした。
「なっ!?」
弾かれた剣に視線がとられ隙を曝け出した顔面を剣の腹で殴りつけ、よろけた続け様に腹に蹴りを入れ、耐えられず倒れた彼女の胸元を踏みつけ首筋に剣を突きつけた。
「どうし…がはっ…なん…で?」
かつて前世若い頃カーターに教えられた後の先を制するカウンター攻撃。ジュリナは強いが何があるかわからないからこれだけは身に着けておけと言われていた剣技だ。アベリーにとっては押していたはずの相手が突如鍛え上げられた大男に化けた。そんな気持ちでいるだろう。
「どう?私はレベッカじゃない。わかった?」
剣の腹で殴りつけられた。剣の角度が違えば自身の頭は上下に分かれていただろう。要するに、惨敗した。私がその気ならとっくに殺せていた。その事実が、今アベリーに姉が死んだのだと突き付けているだろう。
「あ……ああ……」
「そうよね、あなたの知ってるお姉さんなら、こんなことはしないもんね。貴女には甘かったもの」
間近で見たアベリーの恐怖と悲しみが交じり合った顔。だがその顔を見ていると、とあるレベッカの記憶が浮かび上がってきた。
ああ、そうか。レベッカはアベリーを……
そんな思いを意識したら、自然と口が開いた。
「最後に、貴女のお姉さんからの伝言……いえ、貴女のお姉さんが貴女に伝えられなかった気持ちを教えてあげる」
「……」
「私と違って才能もある。剣と家に対する気持ちもある。そんな貴女が眩しかった。貴女なら、きっとファルシオン家を引き継いでいける。頑張りなさい。そして、こんな姉を好きでいてくれて、ありがとう。愛しているわ」
それは、家出を決行しようとしたある夜、たまたまトーマスが近くにいたために届けられなかったアベリーへの手紙と同じ内容。
伝えられなかった悔しさと共に、レベッカの記憶に焼き付いていた。
レベッカの偽らざる本当の気持ち。
それを口に出したのは私の意思なのか、それとも。
いつの間にか涙と鼻水で塗れたアベリーの顔は、もう戦う顔をしていなかった。
剣を納めて外へと足を向ける。
「待って…待ってよ、お姉ちゃん…」
か細い声がレベッカを呼び止めようとする。ただもうアベリーは私を襲うことはない。
「お待たせ。行きましょう」
門を出て、カイルに剣を返し杖を受け取りながら、歩き出す。
レベッカの記憶はやや寂しがっている気もする。
だけど、ここは私がいるべき場所じゃない。
ただ……
門扉が遠ざかる前に振り返る。
鈍い音と共に閉ざされた門と遠目に見える館。
その2階には、確かに私を見送る父親の姿が見える。
深く一礼をして、踵を返した。
もう振り返ることはない。
今度こそ、レベッカへの義理は果たしたように思えた。
この先少しはレベッカの知識に頼る日が来るかもしれないが、基本的にレベッカの物語は終わりだ。
ここからは、私の第二の物語だ。




