第2話 ファルシオン家にて
兵士に囲まれながら”知っている”道を歩き、見るからに頑丈で、ユーリィムの邸宅のそれと比べても武骨さが際立つ塀に囲まれた邸宅に到着した。
ああ、ここは私の、レベッカの家だ。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
門扉の前では、知っている別の使用人にうやうやしく出迎えられた。たしか父親の傍付きの男だったはず。そしてその隣にはエドという女の使用人。見知らぬメイド服姿の女性も数名。
ここは私の家であってそうではない。
変わっていなければ私の部屋はこの二階建ての館の二階へ上がり左に曲がった奥だ。
「ええ、今帰ったわ。長居するつもりはないけれどね」
「そんなことを仰られますな。旦那様がお怒りになられます」
父の名はロベルという。
まだ生きていたのか。まあ、40半ばくらいの歳だったはずだからまだ若いか。
「お父様は息災で?」
「もちろんでございます。お嬢様の御帰還の報に接し殊の外お喜びでお嬢様をお待ちしておられます」
「そう」
「なあレベッカ。どうする……というかどうなるんだ?これから」
「さあ?」
カイルに耳打ちする。
(いつでも出られるようにしておいてね。ここに長居する気はないわ。場合によっては実力行使で逃げ出すから)
(わかった)
カイルがエスタにそれを伝える様を見ながら門を通る。
正面に見える邸宅までの左右に広がる庭園は、5年前と比べて若干樹木の成長がみられたり、植栽が入れ替わっているが基本的には記憶のままだ。
そしてその先。青みがかった灰色のレンガを基調としたつくりの邸宅の玄関。分厚い木材で作られた重厚な玄関を入り、そこに広がる空間は正面に2階へと続く大きな階段があり、階段や各所に向かう場所には絨毯が整えられて貴族の邸宅としての威厳を備えている。。
「彼らは私の大切な友人よ。丁重にもてなして」
「かしこまりました。さ、どうぞ」
二人は階段を上った先にある応接室に通される。
私は別室に。いや、私の部屋に半ば連れていかれた。
うん、”私”としては何の感情もわかない自室は5年前のまま。10歳前後の少女にふさわしい装飾が施されたベッドや兵法や計算の基礎を学ぶための書物、そして壁には木刀がかけられていた。レベッカなりに使い込んだ跡が、その持ち手の部分の黒ずみに現れている。
「お嬢様、お召し物の大きさが合うものがございません。至急寸法を測らせていただきたく存じます」
「不要よ」
「はい?」
「不要だと言ったの。私はここに長居はしないわ」
「いや、しかし」
「捕まってしまった以上、お父様に挨拶はするわ。それだけよ」
それを聞いたトーマスはやれやれ仕方ないと言わんばかりに左右の侍女に目くばせし、背後の初めて顔を見る使用人の男と総出で私を押さえつけ、無理矢理寸法を測ろうとする。
だが、流されるわけにはいかないのだ。
手のひらに火球を作り間を遮るように横に一閃。赤い光が彼らの目を横切っただろう。
火を飛ばすのではない。ただの拒絶の意思表示だ。
「長居はしないから不要だと言ったわ。無理矢理やろうとするなら、容赦しない」
一度これ見よがしに燃え上がらせた火を握りつぶすように消した私を、信じられないという顔をした初老の執事は震えた言葉を絞り出す。
「お嬢様…それは…魔術でございますか?」
「それ以外の何に見えたの?」
侍女二人も訳知りなのだろう。口を手で押さえながら目を見合わせている。
「お嬢様、まさか……そしてその長物は槍ではなく、杖?」
「そうね。工房の人から何も聞いてない?」
「聞いてはおりましたが、まさか……」
彼は明らかに狼狽の色を強くしている。魔術の何が問題なのだろう。魔術という言葉に引っかかりは感じているのだが……
「不本意とはいえここにきてしまった以上、お父様に挨拶はするわ。手早く済ませたいの。呼んできてくれる?……いえ、私の方から行くわ。お父様は書斎?鍛錬場?」
「書斎でございます。先にご意向をお伝えしてまいりますのでお連れ様方とお待ちください」
「あらそう?わかったわ」
どうも彼らの想定した展開とは違うようだ。恐らく仕切りなおそうとするだろう。ただこの程度の展開は予想しないのだろうか?
なんだろう、何か忘れている気がする。レベッカの記憶に何か重要なことがあるのだろうけど、どれをどう掘り出したらいいのかわからないから彼らが何を考えているのかもいまいちよくわからないのだ。
そして2階すぐの応接室。
そこに入るとカイルとエスタが紅茶を片手に寛いでいた。
「おお、早かったな」
入ってきた私を見るなりもう終わったかのような顔をするから訂正した。
「まだ終わってないからね。これからお父様と会うわ」
「まだ会ってなかったんだね。それにしても立派なお家だね。武門の家なんだっけ?この家の人達みんな強そうだからびっくりしたよ」
「二人の方が強いわよ」
「まあ流石にな」
カイルもこの家の衛兵達の力の見定めはしていたらしい。正直カイルは前世のアレクやカーターには及ばないものの、その辺の凄腕の兵士よりは強い。
「僕は剣は無理だよ?」
「エスタなら剣を交えるまでもなく遠くからやれるでしょ?」
「もちろん。不用意な接近戦はしない主義だし。だけどこんな屋内で立ち回る羽目になったらちょっときついかな」
そんな物騒な雑談をしていたら、部屋の外に複数人の気配がしたから身を正す。
「レベッカ!」
父ロベルがトーマスやメイドらを引き連れて入ってきた。記憶にあるその姿よりも少々年老いているが、5年も経っているのだからそうなるだろう。
「お久しぶりです。お父様」
この冒険者の装いで貴族に対する礼というものはどうするんだろうと思いながらも、それらしく頭を下げる。
「無事でよかった」
「これまでのご無礼をお許しください。お父様」
「いや、いい。それよりも、トーマスから話を聞いた」
「はい」
「魔術を、私の前でも見せてくれないか?」
これまでの話でも、家族のことでもない、本来家族の再会と言う場面において話されるべき話題ではなく、真っ先に発せられたその問いに、そしてトーマス達が見せた態度に、頭の中で全てが繋がった。
ああ、そうか、レベッカは魔術が使えなかったんだと。
一瞬だけ逡巡したが、隠し立ても何もないかとあきらめることにした。
部屋の隅にあった火が灯されていない燭台を指さし、明るさだけを少し強調した小さな火球を蝋燭の数だけ飛ばし、過たずそれらに火をつけた。
ファルシオン家の一同がそれを見届けたタイミングで、次は小さな水弾を、やはり蝋燭の数だけ飛ばしてこれを消火。
「これでいいかしら?」
少しだけ水で濡れた燭台から私に視線を移したファルシオン家当主の顔は、ひどくゆがんでみえた。
そしてしばしの沈黙。
理屈が出した結論を、感情が否定し続ける。そんな心中が透けて見えた。
「なあレベッカ、本当にレベッカか?」
沈黙を破ったロベルの問いは、私が彼に感じていたことをそのまま肯定するものだった。
「ええ」
「いや、違う」
「違わないわ。何なら、体の特徴でも調べてみる?エダなら、私のどこにほくろがあったとか、わかるでしょ?」
「ロベル様、ここは私が」
「いや、いい」
エダを制したロベル。
少しまずい流れだ。二人に聞かれたい会話ではないかもしれない。
「カイル、エスタ、お父様達と、家族だけで話したいことがあるの。下の玄関で少しだけ待っていてくれる?」
「ああ、それはいいが……」
カイルもエスタも心配そうな顔をする。
「大丈夫。私は貴方達とこれからも旅をつづけるから」
「そうか、わかった」
「無理はしないでね」
「ええ、ありがとう」
二人は出て行き、扉が閉まるのを見届けてから私はレベッカの父に向き直った。部屋には私と、レベッカの父、かつて私にも仕えてくれていたメイドのエダと執事のトーマスだけが残されている。
この人は、愛する娘を失ったのだ。レベッカの記憶をたぐってみても、日々の生活がレベッカの意思に反していたとはいえ、家族に愛されていなかったとまで彼女は父を嫌っていたわけじゃなかった。
彼がレベッカに寄せていた愛情は、嘘でもまやかしでもない。
だから、この人は真実を知る権利がある。




