第1話 朝の訪問者
朝日の明るさに誘われるように目が覚め、伸びをする。
「ん……」
やはりベッドで寝るのは目覚めがいい。草を敷き詰めた寝床も悪くはないのだがやはりきちんと造られたベッドに勝るものではないからだ。
覚醒しつつある頭で今日の予定を思い返す。
森の賊から宝剣を取り返してギルドに納め、今はギルドと依頼人の検品待ちだ。
偽物を用意してあたかも依頼をこなしてきたかのように振舞うことを防止するためらしい。逆に偽物だったことにされて依頼料をちょろまかされないか心配したが、ギルドはそういうことには厳しい上に、もし万が一そんなことをされたらお礼参りに行けばいいとのこと。
Aランクの依頼となると受託する冒険者も相当な腕前なのが普通だという。
だからギルドの信用を壊しそんな強者のパーティーからの報復を覚悟してまでそんな不正をする心配はないようだし、実際そんなことをされたら私としてもお礼参りをするにやぶさかでない。
昨晩中にやるとのことだったから朝の支度を整え朝食を摂ったらギルドに赴いて依頼料をもらい、杖を受け取り街を出よう。
そんな予定になっている。
魔術で作った水で顔を洗い、髪を整え、寝間着から着替えて準備はできた。
荷物と共に食堂に移動するともうカイルとエスタの二人が朝食に手を付けていた。
「やあレベッカ、おはよう」
「おはよう」
「二人とも、おはよう」
「二日酔いはない?大丈夫?」
「大丈夫。あれくらいじゃそこまで悪酔いしないわよ」
いつぞやの宿場町で安いお酒を大層飲んだ結果、その翌日大変なことになってしまったのは苦い思い出だ。でもあれのおかげでこの体の酒に対する耐性がどれくらいかを知ることができたからその辺は抜かりなく調整出来たつもりだ。
席に着く。四人がけのテーブルだから空いてる椅子に鞄を置いてあと数時間の付き合いとなる歩行用の杖を立て掛け用意されていた食事に私も手をつけた。
「いただきます」
丸いパンと芋に何の葉かよくわからない野菜が入った塩味スープ。
正直美味しくはないが、旅人の朝食なんてこれで十分だ。前世でもそうだったし。
先ずはとパンにかじりついたが、エスタが不思議そうな目をしながらこちらを見ていることに気が付いた。
「どうしたの?食べにくいんだけど」
「それ、どこの習慣?」
「……は?」
「ああ、俺も気になっていた。食事をする前に恵みをもたらしてくれた神に祈ったりする人は多いが、その”いただきます”ってなんだ?」
……何だと言われても。
そういえばこの習慣は何なのだろうか。
前世の物心つくくらいにはやっていたような。
すると大元は顔もイマイチ憶えていない両親か?それとも師匠だろうか?
しかし一つ言えるのは、この一帯の習慣ではないということだ。慌てて掘り出したレベッカの記憶には神に祈ることはあってもこのような習慣はない。
私の故郷か師匠の故郷から魔王がいた地域に跨って存在していた習慣ということになる。
一瞬、レベッカの両親からの教え……と言うことにしようとして、やめた。
「さ、さあ?なんとなくよ。ほら、パンでも野菜でもお肉でも、命を頂いて暮らしているわけでしょ?だからなんとなくやってるのよ」
とぼけることにした。少なくともこの街にいる間は。どんなボロが出てしまうかわからないからだ。そして思った。少なくともレベッカにはこんな習慣があったという記憶はない。
今の私の無意識の行動はすべて前世から私が持ってきたものだ。
こういうところも気をつけないとなあ。
***
「ああカイルさん、お待たせしました。準備できていますよ」
ギルドに行くと、約束の報酬が用意されていた。
「お渡し方法はどうされますか?」
「クレムが通じる南限はどこだ?」
クレムとは、この一帯の通貨だ。少し前までいたヴェルドを中心に流通している通貨で、この国でも貨幣としての価値を持っている。
「そうですね、二つ南のザラームまでなら間違いなく使えますがそこから先は両替をされた方がよろしいかと」
「なるほど。なら半分はクレムで。半分は宝石類で頼みたい。概ね南に向かう予定だから南方で価値が高めのものがいい」
「なるほど。相場についての最新の情報はないのですが、南方には目立った金山はありません。金では如何でしょうか」
「少し重いが無難だな、そうしてくれ」
「かしこまりました。用意してきますので少々お待ちください」
係の女性の方がバックヤードに消えていった。
「お待たせいたしました。どうぞ、ご確認を」
「……よし、額面通りだ。世話になったな」
「はい、ありがとうございました」
こうして無事に依頼は終了した。
「でも本当に助かりました。あんな依頼、大丈夫だとはわかっているんですが貼っておきたくなかったので」
受付のお姉さんが肩の荷が下りたかのようにぼやいた。
「あんな賊をみたら誰でもそう思うよ。僕なんかずっと捕まっててひどい目に遭ったもん」
「それは災難でしたね。でもよく宝剣を取り返せましたね。どうやったのですか?」
「話し合いよ、話し合い」
「話し合い!?」
「まあいろいろとな」
皆で顔を見合わせ頷き合う。
「パーティー独自のノウハウは教えていただけませんものね。今度もよろしくお願いいたします」
彼女は私達の態度をそう解釈したらしい。ありがたいことだ。
「じゃあ今度は工房に行きましょ。早く動きたいもの」
「そうだな」
私達はギルドを出て工房に向けて歩き出した。
***
ギルドの玄関から3人組が出てくる。
男二人と女一人。
女はスカーフで頭を覆っているがあのお姿は間違いない。
「エダ、どうだ?」
「トーマス様、間違いございません」
そして長く我が家の長女に仕えていたエダというメイドも同じ意見だ。
私から見ても間違いないと思う。
10年ほど前に亡くなった奥様に似ている。
「ではエダは先に戻り準備を」
「かしこまりました」
静かにメイドはこの場を離れ、先に屋敷へと帰っていく。
報告から一人増えているが、新たにパーティーに加入した男がいたというから人数は合う。そして次のあの3人が向かう場所は工房だ。
なぜ今突然現れたのかわからないが、これで当家の一つの懸案事項が解決に向かうだろう。
当主のぼやきを聞くことも減ってくれるに違いない。
「では、諸君、行こうか」
背後にいた十数名の兵士を引き連れ、ゆっくりと工房に向けて歩き出した。
***
工房に到着し、表にいた作業着姿の女性に要件を伝えて、その女性が奥に引っ込んで数分。
「カイルさん、お待ちしておりました。さあこちらです」
先日対応してくれた職人が私の背丈くらいあるものを裏から持ってきた。先端は布に包まれていてまだわからない。
そして同時に持ってきた小さな瓶。そこには若干の粉末に近い赤紫色の粒子が入っている。量としてはスプーン一杯くらいか。
「自信作です。どうぞご覧ください」
そう胸を張りながら先端を覆っていた布を取る。
「わあ……!」
思わず感嘆の声を漏らしてしまった。真紅の魔石。
龍の内臓から回収して洗っただけの曇った魔石が見違えるほどつやつやに磨かれてほぼ真球に近い形に研摩成形されている。
「どうでしょうか?」
「手に取っても?」
「もちろんです」
手に取り、魔術にするのではない無色透明の魔力を流してみて、すぐにやめた。
びっくりした。流した魔力が瞬時に何倍にもなる感覚。魔力を流し続けるのだけでも危険を感じてしまったくらいだ。
「すごい……」
前世で使っていた杖と比べるとどうだろう。フェンリルの魔石で作られたという前世の杖も強力だったが、それ以上かもしれない。
「気に入ったか?」
カイルの興味津々という目つきに何と返したものかと思ったが、これにはわかりやすい言葉があった。
「ええ、でもこいつはじゃじゃ馬ね。乗りこなすのに時間がかかるわ」
初級魔術を行使するのに杖の補助なんか本当はいらないが、これを使えばひょっとしたら中・上級魔術が使えるようになるかもしれない。
前世での私もこれは欲しいと思える杖で、そんな期待感を持たせるのには十分な出来栄えだった。魔術師として再出発できた気もする。
「ちなみにご懸念の研磨してでた魔石のかけらや粉末ですがこのくらいで…何か問題ありましたでしょうか?」
小瓶の底にうっすらと積もる赤い粉末を見せてきた。この程度であの大きさの魔石を整えてくれたのだからいい腕だと思う。
「いや、ない。いい仕事だな」
「ありがとうございます!」
こうして私はいい感じの杖を手に入れることができた。ちなみに、これまで使っていた歩行用の杖はエスタが引き取った。長くて丈夫な木材は持っていても損はないからということらしい。
杖の魔石は多少知識があればかなり価値があると見ただけでわかってしまうので、使わないときは布を被せておくことにした。
ちょうど頭を隠しているスカーフがあるからこれでいいか。もう街から出るから用済みだ。
頭からスカーフを外して杖の上部に巻いてみる。
よし。これなら槍みたいな武器と見分けがつかないだろう。
ふと、そんな私を見ていた職人がほっとした顔をしたのが気になった。
「何?どうかしたの?」
「え?いや、いい仕事をさせてもらってよかったと思っただけですよ」
「……?そう、ならいいけど。ありがとう。満足したわ」
「ええ、ではお気をつけて」
そして工房を出て街道を目指そうと外に出たときだった。
先頭で出たカイルが突如剣を抜く。
何の警戒もしていなかった私は驚きながら見渡したが、完全武装の兵士たちが武器屋の出口を取り囲んでいたのだ。
警戒心むき出しのカイルと、何が起きたのかわからない私とエスタ。
ただ、その疑問はすぐに氷解した。
間から執事風の装いをした人が知らない出てきて……いや、この人は知っている。
「レベッカお嬢様。ご無事で何よりでございます。お迎えに上がりました。御父君がお待ちでございます」
ファルシオン家に仕える執事のトーマスだ。
カイルとエスタ。二人の視線が私に刺さる。
予期していたとはいえ、遅かった。いや、背後の工房から生じる申し訳なさそうな気配から察するにこうなるのは避けられなかっただろう。きっと情報が行っていたんだ。
「賊から家宝を取り戻されたとか。その武勇にこのトーマス、感嘆致しました。さすがはわがファルシオン家のご長女。祝いの席もご用意しておりますので、どうぞ。お連れ様もご一緒に」
ああ、あの剣はウチのだったのか。何処かで見たことがあると思ったけど気のせいじゃなかった。
カイルも、エスタも、どうするんだという視線を向けてくる。
ただ、相手は賊じゃない。
この一帯で力を持つ貴族だ。そして武門の家。そこに仕えるここにいる彼ら一人一人はユーリィムが抱えていた普通の兵士たちよりも力を持っているだろう。
力づくで脱出するような選択は、とれなかった。
「わかったわ。行きましょう。二人とも、一度私についてきてくれる?」
トーマスに続いて、歩き出した。この子の家へと。




