第12話 最初の手がかり
「さあこっちだ。着いてきて」
地面から張り出す木の根や藪は彼にとっては存在しないのと同じなのだろうか?速い、速すぎる。
さっきは比較的至近から聞こえてきていた賊の追跡の足音や怒号はもう大分遠ざかり危険は遠のきつつあるように思う。
エスタは私達も走りやすく、それでいて足跡が付きにくくて足音も立ちにくい、そんな絶妙なルートを選択して森の中を疾走している。
足元はあまり見えないからついていくので精いっぱいだ。
背後を走るカイルも今日ばかりはまず走り抜けるのが大変でしょうがないという状況で、体力面というよりいくら進路選択が適切でも森である以上存在しないはずがない、地面から飛び出た木の根や低いところに張り出した弦等、障害物は沢山ある。
エスタが適切に飛び越えたり乗り越えたりしているからその通りに行けばいいのだが、だからこそ正解を知るための集中力が要求された。
「ほら!もう少しだよ!頑張って!」
「はあっはあっはあっ!」
ああもう!外歩きだけはしていたレベッカは体力だけは前世並みにあるつもりだったけどもうそろそろ限界だ。第一、さっき使った身体強化の魔術。
ぎりぎりまで絞って使ったとはいえ、アレのせいで疲労が蓄積している。
ちょっと休ませて、そう口に出しそうになったその時、ようやくエスタの足が止まった。
追いついてみると少しだけひらけていて石を思いっきり投げたら対岸に届くくらいの幅の川が流れていた。
エスタはゆっくりとその川辺に歩き川の中ほどを指さした。
その指差した先は澄んだ水の向こうに砂利の川底が見えていて、だいぶ白んできた空の色を映している。
「この瀬を越えたらまず追ってこない。あの賊の痕跡はこの川を境に切れているんだ」
なんでそんなことがわかるのかわからないが、言われた通り一筋の浅瀬になっているそこを促されて渡っていく。見たところ大きな石もない。砂地に近い浅瀬を裸足になって進む。
川の流れは遅くはないが、しっかり川底の砂地を踏みしめて歩く分には差し支えない程度の速さだ。
たっぷり2分くらいかけただろうか。ようやく対岸に渡り切り、振り返るとカイルが続いて渡河して最後にエスタが川底の足跡を消しながら到着した。
「今日は結構暖かいし乾燥してるからね。この水跡は消さなくて大丈夫だからほら、行くよ。もう少しだ」
濡れ跡のついた川石をそのままに、今度はゆっくりと森の中に歩き出す。
溜まりに溜まりつつあった疲労を癒せる枯れた大木の室を見つけて休息を得たのはそれから十数分後のことだった。
「あ”ー疲れたー」
「お疲れ様。頑張ったね」
「さすがに堪えたな。お前は疲れないのか?」
下手な小屋よりも広い大木の室。おそらく枯れてまだ間もないのだろう。上部はまだ朽ちておらず多分雨が降ってもしのげるだろうし、出入口に使った人二人が並んで歩ける程度の隙間を除けばおよそ風も入って来なさそうだ。
そんな中、私もカイルも、疲労困憊という態度を隠せないのにエスタはケロッとしている。
「僕はエルフだからね。森の中は疲れにくいのさ」
エルフとは初めての接点といっていい。彼らの種族的特性は全くわからないが、そんな特性があるのか。
「さすが、うわさに聞いた通りの森の民だな」
「ふふ、疲れたでしょ?ここはもう大丈夫だからちょっと待っててね。食べられるものを獲ってくるよ。二人はここから出ないでね?この辺りは迷いやすそうだから」
「ええ、ありがとう」
エスタは軽く手を振って出て行った。
あの賊の拠点から宝剣を回収して追撃を断つべく走り続けて数時間。
どこに向かって走っていたのかすらもはやよくわからない。
ここから出るなと言われたが出てもどうしようもないし出る気力もないのだから、ここで休んでいるしかない。
カイルも額に浮いた汗を拭き、流石に疲労の色を隠せないでいる。
「こんなもののためにまさかこんな大ごとになるとはな」
カイルは背負っていた宝剣を手に取り、恨めしそうに眺めている。
「ホントね」
なんとなく既視感があるその宝剣を見ながら頷く。剣自体はなまくらだ。宝飾的価値しかないと言ってもいい。
今使える治癒魔術に疲労回復の効果がほとんどないのはつらいところ。頑張って使うだけ無駄というものだろうから、だらしなく足を延ばして自然に疲労が抜けるのを待つしかない。
***
気づいたら、少しうとうとしていた。エスタが戻ってきた物音で意識が戻る。
「あ、起こしちゃったね。ごめんごめん」
「いえ、いいわ」
エスタは目を覚ました私達の足元にすぐに食べられるようにだろうか、綺麗に洗われた林檎のような赤い果実と手のひら一杯分くらいの豆を、大き目の葉をお皿にして用意してくれた。
そしてその腰には動かない兎が3羽。洗われた形跡はあるものの、赤く色のついた部分があるからきっとエスタが矢で仕留めたのだろう。
「お腹すいたでしょ。とりあえずそれを食べておいて。僕は兎を焼くから」
「ああ、悪いな」
「いや~、助けてもらったお礼だよ」
エスタは外であらかじめ準備しておいたのだろうかまどの上に皮をはいで内臓を取った兎を吊るし、多分魔術で火をつける。
ゆっくりと火が強くなり、パチパチと弾ける音がする中用意された果物を口に運ぶ。
シャク……シャク……
甘い。美味しい。少し苦みのある豆と交互に食べると相互の美味しさが引き立ちより美味しく食べられる。
走り続けた後でもあり、ゆっくりと完食したころ、次は軽く塩と香草がふられた兎の肉が出てきた。
さっきから兎が焼ける香ばしい匂いが鼻をくすぐっていたわけだから、私もカイルも同じことを考えていただろう。”お肉が食べたい”と。
「さ、どうぞ」
それぞれに1羽分ずつ。
食べるところがない頭とかそういうところは除かれた美味しい所だけ。
もぐ!もぐ!もぐ!
「ぷっ……はぁ!たまんねえな!」
「これよ、動いた後はやっぱりこれよ!」
心情的には鹿一頭に齧り付きたいほどだ。
塩と何かの香草による香りづけがなされただけの簡単なものだったが何よりの御馳走になった。
あっという間に完食。
お腹が満たされ、魔術で作った水を飲み干して口の中をすっきりさせて、ようやく落ち着きを得た。
「今晩はここで昼間くらいまで過ごそうか。この辺は魔物の気配も薄いからね」
「そうだな。さすがに疲れた」
「私も」
そんなこんなでここで休息をとることとなり、エスタがとってきた豆類をポリポリと食べながらゆっくりと話す時間ができた。
お互いのことを知る時間だ。
***
「エスタは、エルフなのよね。すごく若く見えるけど、何歳なの?」
彼はカイルよりは年上に見えるが人間でいう25歳よりは若く見える。20前後の年頃の男性といったところだ。
「んーと、900歳ってところかな。正確には……何歳だっけ?里に帰ればわかるけど」
カイルと顔を見合わせる。15歳の私からすれば60倍、前世込みでも10倍以上生きているわけだ。前世ではほとんど縁がなかったが、私達とそう歳が離れているようには見えないのに900歳。エルフとはすごい生き物だ。
確率は低いというが人間と交配も可能な種族だというのにこの差は凄まじいと思う。
「改めて私は15歳。カイルは…18歳だっけ?」
「ああ。もう18歳のはずだが、正直年齢はどうでもいいな。エルフを前にしたらどうしようもない」
「ふふ、そうなんだ。ところで二人はどんな組み合わせなんだい?恋人?夫婦?」
…は?何言ってんの?。
「違うわよ。私には目的があって旅をしているんだけど、彼はそれについてきてくれているの」
彼にも何か目的があるようだが内容は知らない。
「へえ、目的?よければ聞いてもいいかな」
「別にいいわよ。私は古代魔術に属する魔術が失われてしまった理由を知りたいの」
古代魔術という分類さえカイルから聞いたことだからそれが正確なのかすらわからない。でもいまそれが失われていることは確かなのだ。だから、その理由を知りたい。
「古代魔術?……えーっと、なんだっけ。ジャイアント・クエイクとかギガントトルネードとかそういうやつだっけ。見たことあるよ」
首を傾げながら視線を天井に向けた思い出すしぐさをして、彼は私の探しているものを見事に言い当てた。
!!!!
「そう!そういうやつよ!貴方、見たことあるのね?」
聞いたことがある魔術の名に思わず身を乗り出した。
「うん。僕が生まれて100年?200年?それくらいの時代までは里の大人たちが使って見せてくれたことがあるのを覚えているよ。今ある魔術と比べたらすごい威力だったよね。最後は使う人によるけどうっかりしたら里が滅びるから使っちゃダメって言われたっけ」
「エスタは900歳くらいって言ったわよね。なら、7,800年前は古代魔術があったの?」
「うん、あったよ」
「その大人たちは死んじゃったの?」
「まさか。長寿の一族なんだから今でもみんな元気だよ。年寄りになっちゃった人はさすがにいるけど」
「え、じゃあ今は?」
「誰も使えない。知らないかい?700年くらい前に”神々の闘争”って呼ばれてる事件……みたいなものが世界中で起きて、一斉に古代魔術が使えなくなったんだ」
神々の闘争
初めて耳にする言葉だ。
「神々の闘争?神が何かしたのか?」
あまり興味がなさそうにしていたカイルが身を乗り出す。
「いや、あくまでも比喩的な呼び方なんだ」
「比喩?」
「うん、あの時起きたのは世界中を光が駆け抜けた。観測可能だったことはそれだけなんだ。だけどその後、今でいう古代魔術を誰も使うことができなくなった。僕も光が駆け抜けた瞬間は見ていたよ。遠くから雷光に近い光の帯……膜?今でもどう表現すればいいのかわからないけどとにかく光がすごい速度で世界を駆け抜け、僕の体も突き抜けていったんだ」
想像がつかない。
光が駆け抜けていく?
そして人を突き抜ける?
「最初は誰もが天変地異や、あるいは魔王の復活すら想像して身構えたさ。だけどそんなことは何も起きなかった。大地崩壊したり、天が落ちてきたりとか、魔物がやたら強くなるとか数が増えたとかね、でもそんなことは一切なくて、人々は恐怖を覚えながらも少しずつ元の生活に戻っていった。そしておそらく世界中で、魔術師達が異変に気が付いた」
「古代魔術が使えなくなったのね」
「そう、例えばアブソリュート・フリーズ。あれをやろうとしてもその辺の小さな池を凍らせるくらいしかできない。発動するのは初級魔術。大地震を起こそうとしてもその辺の地面が崩れるだけ。城を燃やそうと頑張っても燃やせたのは櫓一つだけ……いろんな人が検証して数年後には古代魔術。当時の分類でいう中級以上の魔術が使えなくなったことが明らかになった。歴史上の大事件さ。こんなことは神々くらいしかできないだろうから神々が大喧嘩した腹いせなのかもしれないって誰かが言い始めて、そんな事件名が付いたわけさ」
「ちなみに僕が歴史に興味を持ったのはそれがきっかけの一つかな」
そうエスタは付け加えて話を終えた。結論としては何もわからない。だけど一つだけ分かったことがある。
「ところでその魔王って、ハルファーって名前だったっけ?」
魔王という単語が出てきたから、聞かずにはいられなかった。
「お、大分前の話なのによく知っているね。そう、ハルファー。神々の闘争の何十年か前に勇者たちに倒されたと言われるやつだ」
「エスタは900歳くらいだったわね。つまり魔王が倒されたのは…」
「ああ、700年ちょい前かな。正確なところはちょっとわからないけど。僕が200歳くらい?うーん、大分前だからちょっと記憶が曖昧だけど、神々の闘争から数十年前くらいの時期に魔王が倒されたって情報が伝わってきたんだ。同時期に魔物が少し弱体化したり魔族が姿を消したりしたから何か起きたんじゃないかって話はしていたんだけど。少なくとも古代魔術が使えなくなる数十年前だったのは確かだよ」
「……」
「ん?レベッカ、どうしたの?」
思わず涙をこらえていた。目頭が熱くなっているのに気づかれないように、目頭をを掌で隠す。
ああ、そうなんだ。ここは、私が生きていた世界と同じ世界なんだ。
そして、魔王は確かに倒されていたんだ。復活もしていないんだ。
だから、私達がやったことは無駄ではなかったし、人々のためになっていたのだ。
700年の時を経ても、確かにそのことは世界に残っていたんだ。
「ううん、すごい話をたくさん聞いたから頭を整理してるの」
「なるほど」
少しうるっとした目は隠し通した。同時にあの世にいるであろう親友3人に心の中で報告した。私達は間違いなくやったんだよって。
***
その日の夜、代わる代わる見張りをしながら休む中、星を見ながら今日わかったことを一人整理する。
この世界は、私が前世で生きていた時代の700年ほど先の時代だ。
そして魔王が倒されてから何十年か経ったときに”神々の闘争”と呼ばれている謎の事件が起きた。
それと関連があるかはわからないが、ほぼ同時期ともいえる時代に初級以外の魔術が使えなくなった。
私が前世に別れを告げたのは魔王を倒してから40年ほど経ってからだ。最後に魔王城で上位魔術を使うことは問題なくできたし、世界を駆け抜ける光なんてものは見ていないし聞いたこともない。
だから何かがあったとすればその後。そして魔王の死はおそらく無関係。時間がたちすぎている。
私が転生術を使ったせい?時期的にはほぼ完全に一致するがいやまさかそんな。
魂か精神かはわからないが、未来に渡るような転生術だったとしても、たった一人を送っただけでこんな大事件になるとは思えない。大げさすぎる。
まあ、考えてもわからないか。駆け抜けたという光の正体もわからないし。
それでも地に足が付いた気がした。
今が前世と繋がっていることがわかったからだ。
かつて前世でみたものと同じ空だとわかった夜空は、少しだけ明るく見えた。




