第8話 遺跡に侵入しよう
さっきから地面に伏せて様子を伺い続けている。
森の中を半日ほど進み、獣道から逸れた藪の中。
ここに数時間。
視線の先には森の中に急にひらけた広い土地と、そこにそびえている石造りの神殿とも王宮ともとれる、石造りの苔むした建築物。階層ごとに段々と高くなっていて頂点には細長い石が佇立している。
一見するとただの遺跡だが、よく見ると窓のような開口部からは賊の姿が見え隠れしているし、上部の見晴らしがいいであろう部分には見張りが立っている。
「あそこに忍び込むのは骨が折れるな」
「ええ、そうみたいね」
遺跡の四方の一方向に少なくとも常時3~4人の眼が向いている状況だ。まだ明るいうちに目を盗んで忍び込むことはおそらく無理だろう。
こういうとき、前世ならフェリナが幻惑の魔術や眠りの魔術を使ってさっさと侵入してしまうところだろうが、聖女でもない私に神聖魔術は使えないからその手段はとれない。
強行突破してもいいのだが、その場合この周囲に点在していた小規模な拠点にいる賊が次々と集まってくるだろうし、毒や罠を使われる可能性もある。賊の一人一人はあの龍と比べたら全く大したことないが、統制されある程度訓練された集団としての人間は恐るべき脅威なのだ。相手にしなくて済むならそれに越したことはないし、相手にしなければならなくなったとしても、用が済んだ後でなければならない。
様子を見ながら数時間。隙らしい隙は見当たらない。まあそうだろう。簡単に隙を見せるような賊ならとっくの昔に討伐されているはずだから。
「魔術師もいるらしい。厄介だ。夜を待つか」
夕刻に差し掛かったせいだろうか。
燭台に魔術で火をつけて回る男がいるのが目に入っていた。
「それが無難ね。じゃあ一度下がりましょう」
「了解」
ふっと、黙って魔術を行使し風向きを変える。
賊の側からこちら側に吹くように。
音はどうやら風上から風下に向かう方が聞こえやすいらしい。
前世のどこかで知った知識だが、細心の注意を払っても消すことができない足音を誤魔化せるならやっておくに越したことはない。
「ホント器用だな、お前」
「あら?気づいたの?」
「風はいきなり逆には吹かないんだぜ。天気が荒れてればあり得るが今日みたいな穏やかな日にはな」
思いのほか敏感だったカイルに舌を巻きながらも、あらかじめ目をつけていた潜伏場所へと密かに進んでいった。
***
10分ほどの距離にある窪地まで下がって、夜を待つ。
目と鼻の先の距離にある獣道を何度か賊が通過していったが私達に気づくこともない。
私はもちろん前世で気配を消し潜伏する方法を学んでいたが、カイルもその心得があるらしく、おそらく視界の端に私達を捉えただけでは気にもされないだろう。
ただ、横を通過した賊の一人が最近侵入者がいたらしいという話をしていたのは気になるところだ。
そのせいで警戒が強化されているとするならば迷惑な話だ。侵入者がいるなら私達の用が済んだ後にしてほしい。
「困ったものね。巡り合わせが悪いというか」
「そうだな。まあこういうこともあるさ。俺たち以外にあの依頼を受けたやつはいないらしいから、宝剣そのものの警戒までは強化されていないことを祈ろうぜ」
「ええ。ところで、夜と言ってもいつ頃踏み込むつもり?」
内部の情報もない。入ってすぐに出てこられるとは限らないし、むしろ時間がかかることを覚悟しておかなければならないだろう。
「ああいう手合いは夜は大抵酒盛りをするだろう。夜というよりも深夜だな。夜も半ばが過ぎた辺りで忍び込もう」
「わかった。じゃあ、今休んでおいた方がいいわね。」
「そうだな。どっちから休む?」
「じゃあ私から」
「ああ」
私達は、交代で見張りをしながら夜を待ち、夜の帳が落ちてさらにたっぷり時間を潰してから動き出した。
***
夜になり、自然の風が吹いている。夜行性の猛禽類が鳴き、虫の声が響き渡る。
昼と比べれば好都合な条件が揃い、再び遺跡を見通せる場所まで進出を果たす。
もう日付も変わった頃だろう。流石に宴会が行われているような喧騒はなく、賊の拠点は静まり返っていて、賊の多くは寝入っているだろう。
遺跡の周りにはかがり火が炊かれて辺り一帯を照らしているし見張りも立っているが、昼間のそれと比べれば大したことではないだろう。必ず穴はある。ただ、穴があることを期待するよりも穴を作った方がいい。
「逆側にどうにかできるか?」
「ええ、任せて」
未だに、今の私に何ができるのか正確なところはよくわからない。だけどこれまでやったことの応用ならばできるはずだ。
すっと地面に両手を置き、魔力を遺跡の逆側、だいぶ先まで伸ばしていく。伸ばした先にあるのは遺跡の敷地からたっぷり50歩くらい森に入ったところにある、明るいうちから目をつけていた大木。かがり火の明かりが辛うじて届いているその根元。土魔術を利用して木を倒す。
内部構造がわからない遺跡を迂回し、遺跡の反対側に。
「くっ…!」
遺跡はあのユーリィムの邸宅に匹敵するくらいの大きさがある。
そんな先まで魔術を伸ばすのは正直きつい。ただ、風が吹いていて木々のさざめく音があるから風系統の魔術では効果が薄く、水球や火球といった何かを飛ばす魔術ではこちらの居場所がバレるおそれが高すぎる。
そもそも火球といった延焼する恐れのある魔術を森の中で使うことはできない。撤退の場面ならともかく、私達はそこで仕事があるのだ。変なリスクは冒せない。
だからこんな迂遠な方法を選んだが、魔力を伸ばせば伸ばすほど消費魔力が倍々に増えていく。他のやり方を考えればよかったが、もう引き返せない。
「はぁ……っ。行くわよ、いいわね?」
精神が擦り切れるような負荷を受けていると自覚しながら、開始を告げる。
「ああ」
「アースホール!」
それはシンプルに穴を掘る魔術。木々の足元にかなり緩めに成型した、しかも結構巨大な穴を出現させる。
ーメキメキッ!…ドォォォォォン!
大木が足元の支えを失い倒れ、周囲の木々を巻き込み巨大な音を立てた。周囲の鳥たちが慌ててねぐらから飛び立ち逃げ惑い、眠りを妨げられたであろう大型の動物と思しき咆哮が更にそれを加速する。
たちまち大騒ぎになった森の中。遺跡から何人もの賊が大きな音がした反対側に向かって駆け出していく。
大混乱を続ける動物たちと警戒を促す賊の一党。
大木とは逆の私達がいる側への注意がわずかな間手薄になるのは当然のこと。
「よし、いくぞ、いいか?」
「はあっ……ええ、行きましょう」
「大丈夫か?」
「これくらいなら大丈夫。すぐに落ち着くわ」
できるだけ静かに、そして素早く走り出す。
視界にいた見張りが逆側へ注意を取られている隙を狙い、暗がりを縫うようにして走り遺跡の開口部から内部に侵入することに成功した。
侵入した空間の安全を確認してから再び地面に魔力を込める。
侵入してきた経路の足跡をきれいに元通りに。
これで周囲の探索をされても簡単にはバレない。後は内部での私達の立ち回り次第だ。
後は内部を捜して例の宝剣を回収し、陽が上る少し前くらいに遺跡を離脱できれば最高だが、上手くいってほしい。最低でも50名はいるだろう。そいつら全員を不慣れな遺跡内部で相手にしなければならないのは悪夢でしかないからだ。




