第7話 とある歴史学者の不注意
この一帯には軽く1000年は経つと言われる遺跡が点在している。
何らかの理由で人々が去り、森の力が強いこの一帯は人の手が入らなくなってほどなくして木々が生い茂る大森林地帯と化した。
当地に人が戻ってくることはなく、わずかに古くからある街道筋沿いにできた大きな街や村々の燃料や資材のために木材が切り出されるという程度でしかない。
この森林の力はすさまじく、日々相応の量の木材が切り出されているにもかかわらずその面積はほとんど減少していない。
切り株だらけになった一帯はほんの数年で若木が生い茂り、15年も経てば元通りに近い状態になってしまう。
むしろ人間側の方が森に飲まれるのではないかと心配しているほどだ。
僕はエスタという。種族はエルフだ。ざっと900歳。
エルフは耳が長いから長耳族とも羽耳族とも言われているけど非常に長寿で、13歳くらいまでは人間くらいの速さで成長していくが、そこからは非常にゆっくりになる。
皺が増えるといった老化が始まるのは1500歳とも2000歳とも言われ、寿命は2500年から3000年程度だ。つまり人間が現役時代とも表現する時間はほぼ2000年。
もっとも、衰えている期間も長いから2000歳を過ぎたらどこかで病死してしまうらしいが。
今日は、この一帯の遺跡に調査に来ている。
理由は、2000歳を目前にした村の婆さんから、”この辺りに亡き夫と過ごした痕跡があるはずだからどうなっているか見てきてほしい”と言われたからだ。1500年前くらいに付き合っていた夫と過ごした思い出の地らしい。
他の若い衆は嫌がったが、遺跡と聞いたら行くしかない。
久々に里に帰った僕だったけど、すぐさま行くと名乗り出て、落ち着く間もなく一族の集落を出て旅立ったのだ。エルフ族の暮らす地から何か月も離れたこの地についたのはつい最近。
エルフは森の中で方向感覚を失わないという種族的特性を持っている。
樹海という言い方さえされる海のように広いこの大森林の中でも、どこにいるかを見失うことはない。
老婆から聞いた大まかな手掛かりを頼りに森の中を捜していると、ついに目的の遺跡を発見したのだ!
……とまあここまではよかった。
問題は、その遺跡が賊のアジトになっていて、それを知らずに入り込んでしまった僕は無事賊に捕らえられてしまった、そういうわけだ。
一つ幸いだったことは、賊にとって僕は使い道に悩む存在だったことだ。
エルフはこの辺りでは珍しいから奴隷として売り払うこともできるし、一方で直接奴隷としてこき使えば森林地帯では圧倒的に便利なのは言うまでもない。地図なしでこの大森林を平然と歩ける特技は彼らにはない。
だから僕の使い道が決まらず、結果、商品価値維持のためにそれなりの食事が提供され、横になって寝られる部屋に軟禁されたのだ。日当たりは無いと言ったら嘘になる程度に良く無い半地下の空間。
部屋の外に出られないことと、用を足す環境が良くない以外は囚われの身として概ね好待遇にいると言っていいだろう。
「はー、どうしようか」
命の危険はどうやらなさそうだけど、このまま奴隷とかに身を落とされるのは困る。
僕の人生はその辺の賊と比べても長いから彼らの隙を見つけるまで長年粘っても別にいいのだが、気分がいいものではない。
魔術も使えるが、鉄格子がされ硬度の高い岩石造りの壁に囲まれたこの空間から確実に逃げられる魔術を僕は使えない。
物心ついた頃に村の大人が使っていたような家くらいなら簡単に吹き飛ばす強力な魔術さえあれば別なのだろうが。
やってみてもいいのだが、さすがに失敗した時のリスクが高すぎる。商品価値があると言っても抵抗する相手に容赦してくれるほど賊は甘くないだろう。
森の中での絶対的な移動速度は僕と森に慣れた賊とでさほど変わらない。でも方角の一貫性とか、知らぬ領域に踏み込んだ後では僕の方が圧倒的に有利だ。
隙を見て逃げ出せさえすれば、僕が逃げたと賊の間で知らせが伝播するより早く賊の中から逃げ出せるし、森の中を最短で脱出できる。何なら人の手の入っていない奥の奥まで進んで振り切ったっていい。
奥で何か月かしてほとぼりが冷めたら遠めの場所から森を抜ければいいだけだ。エルフにはそれができる。
というわけで慌てないで様子見しているのだが、そのせいで暇だ。やることがない。
最初はこんな粗末な部屋にも楽しみがあった。
壁の一部に文字が描かれていたのだ。これは時期は不明だが古代に使われていたという今や誰も解する者がいない古い文字だ。
古い文字の解読は、解読が済んでいる古い文字との比較で行われることが多い。
上手いこと文字の移り変わる過渡期にきちんとした記録がなされていれば、その両者が併記されて国の文書に使われていることが多いのだ。
そう言った記録を見つければ、解読は一気に進む。
もっとも、異なる文字を用いているということは、その文明や国、あるいは民族の支配階級が交代することと同義であることも少なくない。
この場合、既存体制は崩壊し新体制が支配を始めるから古いものは焚書の対象となりそもそも残らないことの方が多いのだ。
そうして、誰も用いることがなくなった文字はただその形のみを留めながら、その解釈を後世に委ねるだけの存在になる。
「くぅ~、こんなものもあるのになんで僕はこんなところに閉じ込められているんだ!」
遺跡の全部を調査したい。
もうこの部屋は隅から隅まで調べつくした。
壁の文字が頭に焼き付くほど眺めた。
エルフは丸一日目を瞑っていることもできる時間には緩い種族だが、暇なものは暇なのだ。
この暇から、一転して魅力的な旅に供することになったのは3日後の夜のことだった。




