第2話 不穏な噂と出会い
5年後。
「怖い人もいるものね」
手元にあるのは、隣国で出現したという凄腕魔術師の話が書かれた情報板だ。
連絡を取り合っている隣国の聖職者達からの定期連絡に書かれていたのだ。なんでも、その隣国を挟んで反対側一帯の国々にある魔術学校やそれらの国々の宮廷魔術師を荒らしまわっている凄腕魔術師がいるらしい。
魔術師といえばシモンという人が有名だったがその人ではなさそうだ。その人には死亡説すら流れているから違うだろうし、そもそも権威を確立した彼が道場破りみたいなことをする必要もないだろう。
ちなみに荒らされた魔術学校や宮廷魔術師は権威失墜。政情不安に結びついた事例さえあるという。
そんな野蛮な魔術師がこの国に来ないことを願うばかりだ。
「それはいいから勇者の情報はないの?」
私が探している勇者は剣を使う人物であり魔術師ではないのだ。
あれから数年。強い人の情報に気を配りながら聖女として研鑽を積みながら暮らしていた。
自分としても何ができるのか確認していたが、聖堂の地下に古い文献が多くありそこに記載された神聖魔術は自身の神聖魔術に対する認識を一変させるに十分なものだった。
聖女長である老婆に聞いたが、もはや名も伝わっていない神に愛されたといわれた古代の聖女が書き残した本で、聖女長も一度だけこれを見つけて読んだことがあるがそれ以後長らく行方不明になっていたという。
しかしながらその本は堂々と棚に置かれていた。
神の奇跡を目の当たりにした以上、おそらくこの本は私を待っていたのだろう。
治癒や解毒、解呪と冠婚葬祭の取り仕切りが聖女の仕事。そう思っていた私の聖女観はすでに霧散していた。そこに書かれていたのはまるで剣士の盾としての役割をする聖女の姿だったのだ。
相手が放つ魔術やブレスを受け止め阻止し、前衛として戦う剣士を援護する。時には幻惑の術を用いて敵をかく乱する。
それは後方支援ではなく直接の戦闘支援だ。剣士の後ろを守るのではなく、直接剣士をすぐ後ろから守る。そんな姿が描かれている。
そして最後のページに書かれていたのが、停魔の神聖魔術。詠唱が記載されていて、そのはしがきにはこれが聖女の用いる最上位の神聖魔術だと書かれている。
詠唱は覚えた。多分、使える。使う相手がいるのかどうかはわからないが、多分使える。
しかし魔王が相手となると、使うことになるだろう。
先日、北方の国から魔王軍襲来の報が届いた。北の大陸から押し寄せてきた魔族の軍勢と交戦状態になったという。
かつて神から聞いたことが現実になり始めている。同時に、近隣の魔物が狂暴化しつつあるとの知らせが次々と舞い込んでいる。討伐に向かった者が帰ってこない事例も続出していた。
急がないといけない。
「ここで黙って待っているだけじゃ、駄目ね」
それからしばらく、手頃な魔物を見つける度に試し続けた神聖魔術の多くが実用の域に達したから旅立つことを決意した。
おそらく時は待ってくれないと確信したから。
それは私が15歳になろうかというときであり、アレクと出会う半年ほど前のことだった。そしてその頃には私は魔物と戦う兵士からは女神と言われ、けがや病気で苦しむ人々からは天使と称えられ、それらが総じて若くして大聖女と呼ばれるようになって周辺各国に噂が広がっていたのだった。
***
それから勇者というからには北方の魔族、いや、魔王軍が襲来した国々にいるだろうと思い北方を目指した。
北に行けば行くほど暖かくなる。そんなこの大陸。
神から言われてから調べてみて知ったのだが、この世界には大陸がいくつかあるらしい。そのうち最も南にあるのがこの大陸だ。
魔王の本拠地はどうやら北側に接する大陸にあり、噂によれば既に多くの国が滅ぼされたり服属させられたりしているとのこと。
神が言っていたことは本当らしい。それならばやはり魔王討伐をやらなければならないのだろう。
そんな中訪れた彼との出会いは、勇者を求める私が北に向かう中乗り合いの馬車が魔物の襲撃を受けたときだった。
「よしっ、みんな無事で何よりっ!」
目にもとまらぬ剣技で襲ってきていた魔物を薙ぎ払い、瞬く間に魔物を一掃した彼は御者と馬車の中にいた私と数名を確認してそんな屈託のない笑顔を見せた。
私は遅滞の神聖魔術を念のために準備していたけど必要なく戦いが終わり、そんな彼の姿を見て確かに命は助けられたし、腕も立つなと思った。
だけどなんか、こう、勇者っていうのはもう少し修行を一生懸命やってる寡黙な人で、もっときちっとした凛々しい人を想像していたんだけど……
「ん?君は」
私と目が合った。
そして次の瞬間目にも止まらぬ速さで傍まで寄られて
「どうだろう?今夜一緒に食事でも……げぶっ!」
私の手を取りそんなナンパをしてきた彼を、気が付いたらぶんなぐっていた。
ドサッという音を立てて街道の脇の草むらに倒れこみ、動かない。
「御者さん、出して」
こいつは外れだ。違う。こんなチャラい男は勇者じゃない。
「は……はい」
この馬車を雇っていたのは私だ。だからそれでいいのかという顔をしながらも、御者は馬車を出す。
背後では気絶している剣士の姿があるが、なに、魔物はさっき彼自身が倒したのだから問題ないだろう。
それがアレクとの最初の出会い。名乗り合うことすらなくもう会うこともないだろうと思った。
だけどそんな彼とはその次の危機でも出会い、あるいは人助けの際にも現れた。そしてその都度、アレクがしていたふるまいは勇者がするそのもののように見えていた。
次第に、私の中で彼が勇者なのかもしれないという気持ちが確たるものとなっていく。最初の出会いが良くなかったから何度否定してもその気持ちが湧き出すのを抑えきれないほどに。
そして最初の出会いから数か月後、私たちは完全に顔馴染みになった。仕組まれているんじゃないかというくらい、私の聖女としての活動と彼の行動が本当に偶然に重なっていたからだ。
そんな中、運命が決まる時がやってきた。
それは魔王軍に襲われていたとある村を救った後、休憩で川べりに二人並んで座っていた時だ。
「なあフェリナ」
「何よ」
もうアレクを殴ることはない。アレクも私をナンパすることもない。
既に魔物から皆を救うという目的のために共に戦うパートナーになっていたからだ。
「俺の国には勇者の伝説っていうのがある。世界が危機に陥った時に悪を挫いてみんなを救うってやつだ」
これまで人から聞いたことのない勇者という言葉に背筋がゾクっとした。アレクは立ち上がる。
「……」
立ち上がった彼は夕日を浴びて、光り輝いて見えた。そんな姿に背筋のつんとした痺れが抜けないまま、半ば呆然として見上げる私と見下ろす彼。
「俺は勇者として魔王を倒す旅に出る。付いてきてほしい。フェリナが必要だ」
差し出された右手。
心が震えた。
そして、私の意識に関係なく私の右手は彼の手を取った。
それは神の御意思なのか、私の本心か。
だけどそれは確かに後の勇者アレクの最初の一歩であり、魔王を倒す物語の最初の1ページ目だったのだ。




