第2話 かつて住んでいた場所
「あれがクローネの街」
街道を進み、峠を越えて見えてきたそこは前世のころとはだいぶ様変わりしている。遠目に見える山並みなんかをみればあの頃と大して変わっていないのだが、視線を落とせば街道は整備されていて前世の時代よりも移動しやすくなっている。
あの頃は視界にある一帯は村だった。いくつかの小さく開けた場所に家を建てた集落が点在する程度で城壁もなく、人口も数百人程度だったはず。
それが今は大規模に開発されて万単位の人口を誇る一大都市へと変貌を遂げていた。今はクローネという街の名前になっているようだ。
立派な城壁や立ち並ぶ建物。あのころの面影は周囲にある山々を除いて存在していない。
いや、ひとつだけあった。
「ほらみんな、見て」
今日は天気がいい。空気も澄んでいる。
だから見えるのだ。ここから反対側の山々の一角を占めている威容が。
「ひょっとしてあれが……」
「おお、すげえな」
私が指をさした先、エスタは感動を隠しきれないように感嘆の息を漏らし、ギルもその威容に感じるものがあったらしい。
「魔王城だな」
一方、大した感動もなさそうにそう呟いたのはカイルだ。
ちょっとその反応は寂しいなと思いながらも700年前と変わらない光景に少し安堵するところがあった。もし結界が破られて壊されていたらどうしようなんて思ってもいたからだ。
そしてもう一つ。魔王城よりはだいぶ近くに見える街の城門。
あれはその手前くらいにあったはずだ。
「ねえ、街に入る前に寄り道したいところがあるんだけどいいかしら?」
「あん?どこに行くんだ?」
「前の宿のマスターに聞いたんだけどね……」
***
さっきいた場所から城門まで中ほどというところ、わき道を入って少しの場所にそれはあった。
木々に囲まれ静寂が漂うそこは、もう古くなって苔むしていて、それでもある程度手入れはされているらしい。記憶にあるそれと比べていくつか墓石が増えているが、名前を見る限りそれは私の子孫の墓だろう。
その真ん中の最も手前、目立つところにある二つの墓石。
”カーター””ジュリナ”
私と夫の名前が刻まれている。
「なるほどな、勇者パーティーの内の二人の墓か」
カイルが脇に立っている説明書きの木札を読んでいる。その書き方を見ると観光資源の一つとして利用されているらしい。
なるほど、世界に伝わる勇者パーティーの物語。その聖地というわけだ。
(久しぶり、カーター)
そう呟きながら小さく手を合わせた。そして後ろの子供たちの名前が刻まれている墓には年数が書いてある。
どの子も、ある程度年老いるまで生きていたようだ。うれしいね。
「あれ?ジュリナって書いてあるね」
おや、エスタが気づいた!
「そうね、それが?」
「よく聞く勇者の物語ってジュリーンって名前だったよね。間違いなのかな」
「……長年経ってるんだし、変な伝わり方でもしたんじゃないかしら。ほら、カーターだってカールっていう名前だったじゃない」
エスタはかすれて読めなくなりかけているカーターの墓石の文字を見て頷いた。
「うん。確かにそうだね。でもよくこれ読めたね。言われてみないとカー…くらいまでしか読めないよ」
「そ、そうかしら?」
まずい、平常心が保てていない。
おちつけ、私。
ふわふわした気持ちが収まらない。だから表情の筋肉を引き締め、わからないように手をぎゅっと握る。
ああ、早く魔王城に行きたい。
正直、今や「貴女は転生者ですか?」なんて聞かれたら「はいそうです!」と答える用意くらいはあるのだ。どうしてそんなこと聞くのとは聞き返すかもしれないが、その意味で積極的に隠しているわけではない。
つまり聞かれて答えないとは思っていないというのがここ最近の私なのだ。
だけどこのことを何年も一緒にいる彼らにいつまでも黙っているのは違うんじゃないかと思っていたのも正直なところ。
だから、このもどかしい気持ちを早く何とかしたい。私の正体をみんなに話したかった。
***
お昼過ぎ。
身分証明書代わりの冒険者カードを見せながらクローネの街の城門を通過。
城門をくぐったら早速”魔王城への行き方”なんていう掲示が出ているくらいだ。世界全体を見ても無二の観光資源でもあるわけだからこうなるか。
勇者の物語は世界中で愛されているわけだから。
そして今はかつて魔王城に行く際に通っていた道がある程度歩きやすく整備されていることを示している。例えばやや急だった坂道には簡易的ながら石階段が設置されているらしい。これは便利だ。前は獣道とまではいかないにしても雨が降ればぬかるんだ土が滑るような道だったし。
そんな掲示をみんなで見ていたら背後から声をかけられた。
「皆さま旅人の方ですか?もしかして魔王城に向かわれるご予定はございますでしょうか?」
声をかけてきたのは長いウェーブのかかった金髪で、元気さとはつらつとした印象を持つ女性だった。聖女の服を着ているから聖女なのだろう。
「ええ、そうよ。どこかで宿を取ったら向かうつもりでいるわ」
そう返したら聖女は接客の受付嬢のようなニマッとした顔をしながら恭しくお辞儀をしつつ、自己紹介を始めたのだった。
「私はこの街で観光案内人をしております、聖女のニースと申します。4名様ですね?宿にご案内します。男女別のお部屋の方がよろしいですか?」
へえ、今の聖女はそんな副業もこなすものなのか。
「じゃあそうしてくれる?」
「かしこまりました!ではどうぞ!」
一応周囲の反応を確認しているが、城門にいた兵士なんか”いつもご苦労様です”みたいな顔をしていたから悪しきぼったくりというわけでもないのだろう。
前世のころとは様変わりしていて全く街の中はわからないからついていくことにした。
街並みは通行人も多く賑わっている。ニールセン付近でよく見た琥珀の雑貨なんかも並んでいて、平和な物流が維持されているのが分かる。
これは前世の終盤に入ってくるようになったものだから、そこからずっと続いているんだと思うと少しうれしくなってくる。
「皆さまどちらからいらっしゃったのですか?」
「どこからだと思う?あたしたちはどこから来たでしょう?」
「えー、難しいですね。でもエルフの方とドワーフの方の組み合わせは珍しいですね。ということは別の大陸からいらしたのですか?」
「おお!正解!あたしたちはマゼルの港から渡ってきたんだ。みんな出身は東の大陸だぜ」
「まあ!そんな遠いところからわざわざ!皆さまも勇者の物語の大ファンなのですか?」
「あたしは好きだぜ。みんなも好きだろ?」
「うん!僕は900歳だから魔王が倒される前から生きていたけど、僕が森で遊んでいる間にあんな勇者がいたんだってワクワクしたよ。旅に駆り立ててくれた一つのきっかけかな」
「そうなんですか!もうお二方もそうなんですか?」
「あん?俺は……そうだな。お話としては面白いと思うぜ」
聖女は「おや、珍しい反応だ」とも言わんばかりだ。
「そうですか。でも中にはいらっしゃるんですよね、”俺の方がもっと強い!”って方々が。きっとそういうことなんでしょう?わざわざ大陸北部のここまでいらっしゃったんですから」
「ああ、まあな」
カイルは相手をするのが面倒くさいという反応を隠さないが、聖女はそんなもの見ないふりと言わんばかりにこちらを見た。
「私?私は……そうね、ああそうだ。ここに来る前に剣士と魔術師のお墓を見てきたの。吟遊詩人が唄うものだとジュリーンとかカールっていう登場人物名なんだけど、ジュリナとカーターって書いてあったわね。どちらが正しいの?」
物語をまとめた張本人として感想を述べたくない私の苦肉の質問だった。私は答えを知っているから知ったかぶりを決め込んだ形にもなる。
「素晴らしい!」
「へっ!?」
思った以上の効果があった。驚きと感動が混ざった色の声を上げてしまったニースは通行人から注目を集めてしまい、少しばつが悪そうな顔をして一度気を引き締めるためだろうか、自身の頬を軽くぺしっと叩いて気を取り直したかのように続けた。
「そうなんです!勇者パーティー4人の本名はアレク、フェリナ、カーター、そしてジュリナなんです!」
おお!ここには正しく名前が伝わってるんだ!さすが住まいの地!
「へえ、どうして変わっちゃったの?」
「はい、そもそも勇者の物語はそのうちの二人、カーターとジュリナが残した手記が元になっているんです。原本や一次写本は正しい名前だったことはわかるんですけどどうも二次写本くらいから記載がおかしくなっちゃってるみたいなんですよね」
うんうん、そうそう!
「だからたぶん、腕が悪かったりいたずらを抑えきれない写本師が何かしたんじゃないでしょうか?」
それは魔女がちょっかいを出したからね。言わないけど!
「そうなの。いいことを聞いたわ。ありがとね」
「いえ、どう致しまして!」
ニースは歩くのを再開。またさっきの問いを投げかけられることはなく、やった、ごまかせた!という気持ちになった。
ふんふふーんと鼻歌を歌いながら先頭を歩く彼女。大丈夫かと思うくらい人懐っこくて明るい性格なのがわかる。
でも不思議だ。この後姿を見ていると、明るさというより懐かしさを感じる。
きっと、前世で住んでいたところに帰ってきたからなんだろうな。
「ところで、剣士と魔術師のお墓はあったんだけど、他二人のお墓はどこにあるのかしら?」
もちろんアレクのお墓の所在地は知っている。改葬でもして場所が変わっていなければここから二日の距離だ。フェリナはどこに葬られたんだろうか。
「ああ、わた……えっと、その二人のお墓は二日の距離にある隣町です。ぜひご訪問くださいね。ああ見えてきました、今日はいくつか空室があるはずです。代わりに手続きさせていただきますのでどうぞ!ところでお名前は?」
「俺がカイル、こちらがレベッカ、エルフがエスタでドワーフの彼女がギルディーネだ」
「承知しました!少々お待ちくださいね!」
ちょうど宿に到着し、名前を聞いて宿に私たちを誘い入れた彼女は、見知った顔なのだろう。フロントの若い男(店主らしい)とにこやかに手続きを進めているようだ。さっきから不思議だ。どうも彼女を見ていると落ち着く気がする。
「働き者だね、彼女は」
「そうみたいね。そそっかしいようにも思うけど」
彼女と店主のやりとりは数分で終わった。ニースは鍵を二つぶら下げて私とカイルに手渡した。
「2階のお部屋をお取りしました!料金はあの表のとおりです。朝食はあちらになりますので朝早いうちにお願いします!それではごゆっくりどうぞ!」
鍵を私とカイルに押し付けて彼女は去っていった。私とカイルは目を見合わせ、互いになんだかその勢いに暴風雨にあったかのような疲労感も覚えたのだった。