第15話 女将軍クリシュナ
次の日の夜、私たちはレオンやその側近数名と隣の陣に密かに足を運んでいた。フード付きの外套を身に着け、可能な限り顔を見られないように注意を払いながらここまで来た。雨が降り出したのは幸いだったかもしれない。
私たち4人は形式上レオンの護衛兵という建付けになっているが、これはトラブルなく奥に進むための方便でもある。
「止まれ!誰か!」
丸一日をかけ到着した陣を守る兵が私達を止め、誰何する。
「ケラーか。雨の中役目ご苦労」
「はあ?」
突然自分の名を呼ばれた衛兵は困惑と共に、フードを脱いで露になったレオンの顔を見て思わず大声を出しそうになったが、レオンは口に指をあてそれをすんでのところで制した。
「クリシュナに急用だ。お前らのボスはいるか?」
***
付近の邸宅を使ったクリシュナの本陣。ろうそくの明かりに照らされた室内が私達を照らし出す。
「こんな夜に何なの一体」
ろうそくの光にもその色を失わない深く青みがかった紫色の長い髪をした、引き締まった体型をした女性がそこにいた。
移動の最中に聞いたことだが、クリシュナ・トリグラフ侯爵令嬢は侯爵令嬢としての典型的な将来を好まず軍部への道を進み、その上幼年学校と士官学校をどちらも首席で卒業し、一人娘であることも相まって次期トリグラフ侯爵家当主となることも決まっている。
そして文武共に有数の才を持ちその整った美貌も相まって羨望の的にもなっているという。
将軍という地位を持ってはいるが、ここが戦場とはいえ、寝る時まで甲冑姿というわけにはいかない。ましてや皇統に連なる家柄の令嬢ともなればだ。
それでもその気になれば上から甲冑を纏えるような薄い帷子を纏いその上からマントを羽織る姿に、彼女にとって突然の来客であった事が伺える。
「いやー、すまんな。どうしても直接話さなきゃならんことがあってな」
「明日早いんだから手短に頼むわ。後、そこの二人はいつもの顔だけどその人たちは誰?…エルフなんて貴方の部下にいたかしら?」
エスタは肩をすくめる。どこに行ってもまずエルフの長い耳が目に入ってしまうのは仕方ないことだろう。
「わかっている。だがクリシュナ、彼らはウィル爺さんからの使いなんだ」
「えっ……?ウィル爺さん?」
ややむすっとしていたクリシュナの顔がやや明るくなった。ウィルヘルムという人物はどれだけ存在感があるのだろう。
「ああ」
「あの方、生きていらっしゃったの?今どちらに?」
「そのことで少々問題があってね。レベッカ、説明してくれ」
促されて一歩前に出る。
「はい。ウィルヘルム様はマールでご健在です」
「マール?敵方?」
少し驚いた顔をするのはレオンと一緒か。
「戦いたい風ではなかったので敵かというとわかりませんが、そのウィルヘルム様は帝室の現在について、レオン様に調べて頂くよう伝えてほしいと私たちに依頼されました」
「現在の帝室……」
「はい。ここ数年、それまでの帝室の行う軍務や政務はおかしいと。まるで人が変わってしまったかのように」
「そうね。私もそう思っているわ。だけど、だからと言って帝室がおかしいということにはならないわよ。ヘスカル陛下は聡明でいらっしゃるもの。何かお考えがあるのでしょう」
ああ、全く一緒だ。ニールセン伯爵と出会う前にベルン王国を通過していた時のベルン王国内の国王に対する認識と。
「皇帝陛下に関しては存じ上げませんが、700年前も当事者たちはそう思っていました」
「え……?」
「700年前、当時のベルン王国はクリスタルブルクの名のごとく公明正大な治世により安定を得ていました。しかしそれがおかしくなった時、誰もが今クリシュナ様が仰られたとおりに思っていました。あの国王陛下がなさることなのだから何かがあるに違いないと」
「……」
「しかし現実は違いました。ベルン王国王室はことごとく魔族に殺され、そして魔族に成り代わられた結果だったのです。王室のそれまでの良き治世は人々が異変に気が付くのを遅らせるものでしかありませんでした」
「へえ……よく知ってるわね。レオン、貴方が話したの?」
レオンは首を振る。
「いや、ウィル爺さんが話したらしい」
「そうなの。確かに、そういった歴史があったわね。この国には。……ちなみにね、明日の用事っていうのは、私、クリスタルブルクに呼ばれているから帝都に赴くことにしているの。遅々として進まない戦況に対する説明を求めるって。先任で軍の序列で言えば私より上のフェルトじゃなくて私を呼びつけた理由がわかるわね」
「つまりどういうことだ?」
「もし、もしもウィル爺さんの懸念がそういうことであるならば、私を排除しようとしているのかもしれないってことよ」
「何?」
「私が自分で言うのもなんだけど、私は国民からも人気があるし将来有望だし。客観的に見て私以上に将来宰相にふさわしい人材っていないでしょ?少なくとも私たちの世代とその前後の世代には。だから私がいるときっと邪魔なのよ」
ずいぶんな自信だと思うところもあるが、周囲が全く変な反応をしていないので事実なのだろう。実際、美貌だけではなく相当の気品を感じるのだ。国民に人気だというのも頷けるし、同時に、彼女は個人として大いに利用価値があることが初対面の目から見ても明らかだった。
だから、呼ばれた理由はわかる。
「よろしいでしょうか、クリシュナ様がそれほどのお方ならば、おそらくクリシュナ様に成り代わることが目的だと考えます」
「成り代わる?確かレベッカとか言ったわね、そう考える理由は何?」
「700年前、当時のベルン王族は皆魔族に殺され、その姿を奪われて成り代わられました。当時のニールセン伯爵の妹もそうです。王城にいたがためにその牙にかかり王族と同様に成り代わられたと聞いております」
「……」
「つまり、もし魔族がしている結果であるならばその狙いは人に成り代わって統治することにあります。その場合クリシュナ様は格好の標的です。他の将軍にはその価値はありません。だからレオン様や他の将軍ではなくあえてクリシュナ様を呼びつけたのです。その人気や人望を利用するために」
「面白い意見だし、魔族がしているという前提なら合理的な考えね。私が魔族の立場でもそうするかもしれない。でもね……」
クリシュナは立ち上がり、壁に掛けてあった剣を取るとそれを抜いて私ののど元に突きつけた。その動作は無駄がなく、カイルらがその剣を止める隙もなかったのだ。
「過去にそういう歴史があったとしても、私は今の話をしているの。何の根拠もなくまた魔族が同じことをやりに来た?そんなことを信じる馬鹿がいると思う?不敬が過ぎるわよ」
「レベッカ!?」
カイルが腰の剣に手をかけるが、私は待てをするようにそれを制する。
「根拠なら、ございます」
「へえ」
クリシュナは目を細める。根拠があるというだけでなく、おそらく剣を突き付けられてもなお微動だにしていない私を心底不思議に思っているのだろう。
「じゃあ見せてもらおう、その根拠とやらを」
「もちろんです。ギル」
ギルに持たせていた防水性のある動物の皮でできた袋。
そこにはあれが仕舞ってある。
「失礼するぜ」
ギルはその袋を抱えてクリシュナの前に立ち、その足元で袋をひっくり返した。
ベチャベチャベチャ…ゴロッ…グチャッ
青黒い液体と共に袋から出てきたのは、魔族の頭。
「つっ……!?これは!?」
あってはならないものを見てしまったかの如く、二人の将軍はもちろん傍にいた従者達も戦慄の顔をした。
もちろんこれは先日レオンの陣に向かう際に倒した魔族の死骸からとったものだ。
「先日、レオン様の陣を訪問する際、その直前に見つけ倒した魔族です。伝令か何かに成り代わっていたようで、殺したところ兵士の姿からこの姿に」
「なんと……」
「ちなみにその伝令というのはどんな顔をしていた」
レオンの陣に行っていたのならレオンにも見覚えがあるはずだ。彼は腕組みをしながら眉間に皺をよせる。
「レオン様に近いブロンドの髪にやや日焼けした面長でやせ型の男です」
「ちっ!くそっ、あいつか」
舌打ちの音が響いた。
「レオン、その兵士に心当たりが?」
「ああ、レベッカ達がウチの陣に来る少し前に総参謀長からの命令書を持ってきた男だ。間違いない」
「つまり一昨日の話ね」
「はい」
クリシュナは剣をしまってから魔族の生首を調べて、頷いた。
「作りものじゃないわね。なるほど、確かにそうみたいね……根拠としては無視できない…か。魔族なんてこの辺にはいないはずだもの」
「じゃあクリスタルブルクに潜入するか。700年前のように」
レオンはそう決まったかのように考えていたし、私もそうだった。でも目の前にいる女将軍は別のことを考えていたらしい。
「いえ、こそこそ行くなんて性に合わないわ。せっかくお呼ばれしているんですもの。堂々と正面から行きましょう。無理を言って皆を引き連れていけば、ヘスカル様の真ん前まで簡単に辿り着けるわ。そこから問いただせば話が早いじゃない」
「あん?」
「レオンとそのお付きは城に面が割れているから仕方ないけど、レベッカ達は私のお付きとして登城してもらうわ。いいわね。焚きつけた以上最後まで付き合いなさいよ?私はまだ完全に信じたわけじゃないんだから」
「はい」
そう返事をしてちらりと後ろを振り返ると3人の仲間たちがまた昨日のような苦笑いをしていた。普段は相談して決めるようなことを独断で進めてしまっている感もある。ごめんね。
「出発は明朝。馬で行くけど帝都まで5日よ。準備しておくように。レベッカ達には空いている天幕を使ってもらうわ。連れて行ってあげて。あとせっかくのお客様だし、きちんと警護もしておいてね」
「はっ。それではお客人方はこちらへ」
クリシュナに指示を受けた兵士に外へと促され退出する。警護というよりは監視だろうな。
「そうそう、レオンはここに残るように。じっくりと話をさせてもらうわ」
「マジかよ」
退出する際にそんな会話が背後から聞こえてきた。この一晩で彼らが何を話していたのかはわからないが、翌朝レオンがとても疲れた顔をしていたのは印象的だった。
***
翌日、帝都と皇帝の居城クリスタルブルクを目指して進む私達だったが、その道中一つ気になる事が出来たからエスタの肩を叩いた。
「そうだエスタ、聞きたいことがあるんだけど」
「なんだい?」
「例の、神々の闘争って呼ばれている事件の後は古代魔術とか3系統以上の魔術が使えなくなったって話でしょ?」
「うん」
「それって人間だけなの?人間以外はどうなるのかしら。例えば魔族とか魔物とか」
エスタは顎に曲げた人差し指をあてて少し考えこんだが
「魔族も魔物も使えないはずだよ。たしかいつだったかそういう報告があったって資料を見たことがある。魔族と戦ったことなんて900年生きていても数えるほどしかないし、そのほとんどは魔王がいた時代の話だから実体験としてはわからないけど。でも確かに魔物も中級以上の魔術を撃たなくなったね」
「そうなの。ありがとう」
そういえばこの件について魔女は何かしら言っていた気がする。なんだったか……
”「貴女が追い求める魔術は失われたわけではないわ。失われたのではなくこの世に存在し得なくなった、そういうこと」”
とかなんとか言っていたっけ。
未だに意味がつかみかねているけど、あの女がこの世に存在し得なくなったという言葉を選んで使ったのなら、多分魔族が使えるということはないわよね。魔女はそこで言葉を間違える人ではないだろうし。
それなら、あの魔族とも戦える。きっと同じ条件での魔術の撃ち合いになるに違いない。
そんな確信を持ち帝都へと歩みを進めるのだった。




