第12話 この国をもう一度
前世のことを思い出しているうちに、老兵の話が一通り終わった。
曰く、レオンは大昔に皇統から分離した系統の一男爵。
曰く、その気鋭ぶりはレオン・ニールセンの再来と言われている。
曰く、老兵はレオンとは見知った仲だから儂の手紙を持っていけば邪険にはされない。
とのことだ。
ボケてるんじゃないかとか、やや行動に鈍さがみられる老人だから話は本当なのかと疑いたくなる部分はあるが、何はともあれその依頼、受けることにした。
ただし、もしレオンから相手にされなければその旨を老兵に伝える手紙を送った時点で依頼は終了。私たちは戦場を迂回して先に行くことを了承してもらった。
そんなわけでウィルヘルムという老人から手紙と伝言を依頼されて現在の前線地区に到着した。
道中の宿場町は後送された多くの負傷兵で埋まっていて、私たちは7日ほどの道中の半ば以降をすべて野宿で過ごすこととなってしまった。そのため早く依頼を終わらせたい気持ちが大きくなっていたが本番はこれからだった。
「もうそろそろ警戒しないといけないよ」
「なんでだ?」
「ここが両軍がぶつかる戦場ならどちらも殺気立っているはずさ。下手に見つかったらすぐに矢の雨が降ってくるよ。気配は消していこう」
「隠密みたいな仕事だものね。仕方ないか」
「えー、そういうの苦手なんだよな」
「大丈夫。静かに、穏やかな気持ちでいればそうなるさ」
ギルは細かいことに苦手意識を勝手に持っているだけで、実はやればできる子だ。時折すれ違う両軍の斥候から見つかることもないまま奥へと進む。
***
マール軍側の配置はある程度情報を得ておおよその予測は立っていたから第一にそれを避けるように進む。
そして最前線を追い抜いて、帝国軍側の勢力圏である占領地に。
もうここからは絶対に見つかるわけにはいかない。その上、レオンの本陣がどこにあるかわからないのだ。
不審者でしかない我々はとにかく見つからないように!
そして万が一見つかったら……申し訳ないが相応の対処をさせてもらおう。
(マール軍の配置と地形図からすると、帝国軍はおおよそこういう配置のはず。数は多いから少し広めに…)
(すると比較的手薄なルートはここをこう通ってこっちに抜ける感じね)
(そうだね。配置と伝達を考えると本陣はきっとこの辺……)
そんな打ち合わせを繰り返し、しばらくは予測をもとにレオンの本陣を捜し歩いていたが見つからず、また草陰で作戦会議を行っている。
この一帯は農地が多いはずだが、春先からずっと戦争で耕作がされていないために背の高い草が多い茂って身を隠すには便利な場所が多い。
私達が今いるのはそんな背の高い草むらの真ん中あたりだ。
エスタがマール軍の配置を思い出しながら地形図を足元の地面に書き、配置として石を置く。
帝国軍の多くがいる場所は元々マール領内だったこともあり地図はある。
マール軍は帝国軍の侵攻に対応した防御陣地を敷いているならばそれと地形図とを照合して、おおよその位置を割り出すのだ。
(…さっき探したここの台地には本陣はなかったから…するとここか。ここ以外だと適地は大分後ろになっちゃう)
(本陣ってもう少し後ろにあるものなんじゃないのか?)
(指揮する人によるよ。レオンは割と猛将型の人なのかもね)
(じゃあ戻らないといけないよな)
(うん)
私たちはおそらく本陣を通り過ぎたらしい。だから戻ろうと草むらを抜け山に入り、獣道に沿って歩き始めた。
「草木が深いからいいけど戦争真っ最中の軍の後ろでこそこそするのは痺れるね」
「見つからないことを祈りましょう」
それから歩くこと1時間ほど。
目指す台地状の地形になった場所まで尾根をあと一つ超えればいいはずだ。そんな場所まで来た時だった。
一番前を歩いていたカイルが膝を地につけ姿勢を落とし、右手を挙げる。
私達も瞬時に反応して周辺の草木よりも低く腰を落とした。
これは何か気配を感じたときの合図だ。
私たちはより一層気配を消しながら全周に注意を向ける。
ーがさっ、がさっ
前方から誰か歩いてきた。あれは…帝国兵。見張りか?
その帝国兵は、もうちょっとで私達が越えようとしていた尾根の先から現れ、獣道を進んでいる。見張りにしては荷物が多いように思える。おそらくは伝令か何かの帰り道だろう。
それならやり過ごしていればいい。休憩だと思ってしばらく待とう。
しかし尾根を越えた彼は一度振り返り尾根の反対側を確認するような動きを見せた後、伸びをするような動きを見せ、そして今度はその逆、進行方向であり私達が歩いてきた方向を遠くまで見るように見通して、頷いた。
その次の彼がしたことに、私たちは目を疑った。
彼が黒い靄で包まれたかと思うと、そこには魔物の姿があったのだ。いや、こんな芸当ができるのは魔族だ。まだこんな魔族が生き残っているなんて!
「あー、命令とはいえ人の姿は疲れる。やれやれ」
そう呟いたかと思うと体操をするように数秒間体を動かし、そして再び黒い靄に包まれた
かと思うと、先ほどの兵士の姿に戻って何食わぬ顔をして歩き始めた。
戦慄した空気が私たちの間を駆け巡る。魔族が兵士に成り代わっていたのだ。背中しか見えないカイルとギルの表情はわからないが、直接顔が見えるエスタは目を見開き口元が引きつっているし、よく見ればギルも背に汗がにじんでいる。カイルは剣に手をやりいつでも仕掛けられる態勢。
帝国兵に見つかったり遭遇したパターンはいくつか想定し対応策を考えていたがこれは想定外だ。どうしようか決められない間に、魔族は気配を消して潜伏している私たちに気づかぬまま、私たちの潜む草むらの脇を通過しようとする。
この瞬間、脳裏をよぎったのは前世のあの事件最後の光景だ。
取り逃がしたあの魔族とは明らかに別の個体だというのはわかるが、もうあんなことは繰り返したくなかった。
だから体が動いていた。
地面に手を当てて待つ。杖のような長物を使えば草葉に当たり音が出るかもしれない。だから両手を地面に。杖なしでやる。
魔族が最も近い距離に来た瞬間、この数秒脳内で練り上げた魔術を独断で仕掛けた。
同時にやったことは4つ。
いつものように風を吹かせて草木が茂る山中を雑音で満たし、アースランサーで四方から魔族を突き刺し拘束。その上突き刺した部分の地面を石槍ごと陥没させ水魔術と土魔術の混合で作った泥濘に引きずり込み逃がさない。
「なんだっ!?」
唐突な攻撃に魔族は反射的に視界の下端から襲い掛かった土槍は回避したものの、死角の背後や側方からのそれを回避することはできず、串刺しにした石槍ごと陥没した地面に半身が飲み込まれた。
「仕掛けるなら先に言え!」
カイルが飛び出し跳躍。
半身が埋まりもがく魔族の頭に恐るべき速度で突き出されたカイルの剣が突き刺さった。魔族は為す術もなかっただろう。
兵士の姿は黒い靄と共に消え失せ、魔族は肩から上の部分が地面から生えるようにして魔族の姿で息絶えた。
少々騒音を出してしまったがゆえに、魔物の死骸の確認は後回しとして、周囲を警戒。
これに気づいた帝国軍はいないようだ。
「ったく、レベッカ、頼むぜ本当に」
「ごめんなさい。でも無視できないと思って」
「そうかもしれないけどなあ、魔族っていうのはかなりやばい強さを持つ奴もいるんだからな」
「ええ、そうね。気を付けるわ」
怒られてしまったし、カイルの言うことは正しい。でも倒さないということはできなかった。
だってきっとこれは偶然じゃない。
また、あの時のことが起きている。それにウィルヘルムさんは気づいているのだろうか。だから私達みたいな相手にこの依頼を?
今更それを聞きに戻ることはできない。だけど、前世のやり残しをどうにかできる機会を得られるならば、その時は……。




