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Contorno 付け合わせ 季節野菜のごろごろ煮込み


「お待たせいたしました。本日の付け合せ、季節野菜のごろごろ煮込みです」

 紳士然とした所作の少年がやや深さのある皿を持ってきた。

 緑や橙、赤に黄色。盛り付けられた野菜の色合い楽しく、その旨味が溶け出しているであろうスープも皿に並々と注がれている。

 まだ肉料理を楽しんでいる途中ではあるが、ちょうど野菜を食べたくなっていたところだ。

 まずは一つ、野菜を口に運ぶと、それはほろりと崩れた。優しい味わいの中に感じる確かな旨味が味蕾を駆け巡った。

 付け合せと言われるだけあって、この料理はまさに名脇役だ。先程の刺激的なパスタに塊の肉。消化器官の酷使を前提で訪れていたのは前提ではあるが、この優しい味わいが心から愛おしい。

 また切った肉を一口頬張る。美味い。そして付け合せの野菜。

 今度はほろりと崩れることなく、しゃきしゃきと楽しい食感で飽きさせなかった。

 この店はどこまで楽しませてくれるのだろう。

 半ば過ぎ程度に満たされてきた腹が、もっともっとと声を上げていた。





 ツェツィーリアは驚いていた。昨日の夜、これ以上ないほど忙しいと思っていた営業風景はまったくの日常だったのだ。

 サルーテ一家の朝は早い。日の出とともに汲み上げられた井戸水で大量の野菜を洗う母。

 店を開けることはないが、得意先からの注文で入る朝食のパニーノを作って置いておき、時間が来れば配達屋が馬車に乗ってやってくる。

 相乗りで市場に向かうのはトラットリアだ。家族から取った注文をもとに財布を任され、その極まった審美眼によって新鮮かつ美味な食材を見分ける。

 オステリアは父とともに裏山にあるという畑に出かけていた。店内で提供する柑橘類はほとんどすべてが自家製なのだという。

 背負った籠いっぱいにレモンやオレンジを摘み取り、今度は得意先の牧場に赴いた。馬車から大きな陶器樽を積み下ろすと空となった樽を返し、牛乳で満たされた樽を積み込んで再び馬車を出す。

 馬車に揺られながら牛乳とパニーノで一服し、店に戻る頃には仕込みが始まるのだ。

 そして始まる、サルーテの昼営業(プランゾ)が。

 夜の営業とは比べ物にならないほどの目まぐるしさで、料理が提供されてゆく。

食器の片付けと卓の掃除のみに徹していたツェツィーリアは、それだけでも音を上げそうなほど堪えていた。

 最後の客が去り、店内にようやく静寂が戻ってきた。今日の賄い当番はオステリアだ。家族みんなで食事を取ると、しばしの休憩だ。トラットリアは母と一緒に屋根裏に上がり、開け放った窓から風を感じて昼寝をしていた。

「つ、つかれた……!」

「お疲れ様です」

 思わず脱力するツェツィーリアのもとに、オステリアが小さなグラスをことんと置いた。

「ありがとう。これは……?」

「自家製のはちみつレモン水です。疲れが取れますよ」

 一口含むと、キレの良い酸味が体中を突き抜ける。思わず口をすぼめてしまいそうだったが、じわりと訪れるはちみつのまろやかさがそれを癒やしていた。

「美味しい!絶妙な酸味だね」

「ありがとうございます、僕が漬けたんですよ」

 オステリアは嬉しそうに微笑んだ。

「オステリアは休憩しないの?」

「もちろんしますよ。でも、もう少し研究したいんです。完成まで、あと一歩な気がして」

「研究?」

「ええ、調理する肉や魚にとって最適なスパイスの調合を研究しているんです。もっとも、ツェツィーリアさんのような学術的なものではなく、極めて主観的な飯事(ままごと)のようなものですが」

 そう言うと、オステリアは戸棚からいくつもの小瓶を取り出した。

「ツェツィーリアさんは、学園で薬品調合を行っていると姉さんから聞いています。もしよかったら、ご意見もらえないかと」

「構わないけど、味覚に関しては君やトトのほうが優れているんじゃない?」

 謙遜した様子のツェツィーリアだったが、内心は頼られたことに喜びを感じていた。加えて普段見ることのない異国のスパイスなどがふんだんに蓄えられているオステリアの「研究室」には純粋な関心があったのだ。

「これは、もしかして花椒(ホワジャオ)?すごい!初めて見たよ!」

「分かりますか、この珍しさが!少量でも十分刺激になりうるこのスパイス、肉厚な白身魚によく合うんです!」

「なるほど、スパイスの調合で味や風味に変化をつけているんだね」

「はい、僕は姉さんみたいに何でも作れるわけじゃない。だからこそ、こだわりの一品で勝負するんです」

 オステリアは静かな決意を口にした。それを聞いたツェツィーリアは、昨晩のトラットリアとの会話を思い出す。

「姉弟で料理対決なんて、まさかあんなに盛り上がるとは思わなかったよ」

「えへへ、すごいでしょ!毎年わたしが帰るときにオステリアがいるといつもこうなるんだ!」

「そういえば、対決って言ってたけど、作戦とかはあるの?」

「作戦?んー、無い!」

 あまりにもさらりと答えるトラットリアに、ツェツィーリアは面食らった。

「勝負に負けちゃうかもしれないよ?」

「うん、もちろん勝負には勝つつもり。でも、お客さんが喜ぶ料理を作るのは当たり前!だから、やることもいつもと変わらないよ!」

 トラットリアは弾ける笑顔でそう言った。

「だって、お客さんが美味しく食べてくれればそれで良いでしょ?料理するのも食べるのも、楽しまなくっちゃ!」

 少女が笑う。その笑顔は決して勝負事に手を抜いたり、準備不足を感じさせる楽観主義者のそれとは違っていた。誰よりも食べることが大好きな少女が、美味しい料理を作るための不断の努力。

 その余裕こそがオステリアには不気味に映り、そして焦燥をつのらせているのだろう。

「この一週間の勝負、おそらく僕は姉さんに先行されます。姉さんの作るパスタは提供が早くて、単価も安いから皆が注文する。対して僕の料理は提供に時間がかかるし、パスタのように無限の親和性を持つ食材じゃない」

 オステリアは冷静に分析した。それは一見悲観的なものにも感じられたが、「でも」という強い逆説とともに顔を上げ、再び口を開いた。

「今回は間違いなく僕が勝つ。姉さんにはズルだと言われるかもれないけど、僕は一月前から秘策を仕込んでいるんだ」

「秘策?」

 ツェツィーリアが眉をひそめる。

 オステリアの静かな自信に、興味が湧かないはずがなかった。

「これを味見してみてください」

「これは……」

 オステリアが取り出したのは、先程のスパイスの小瓶よりも二周り以上大きな陶製の壺だった。小さなレードルから少量を小皿に取り、ツェツィーリアへ差し出す。

「岩塩、か。胡椒とにんにく、タイムにナツメグ、そして砂糖と唐辛子が少々……」

「すごい、一目でそこまで見抜くなんて!そうです、僕の最高傑作の調合塩です」

「確かに脱水効果はもちろん、殺菌から臭み消しまで……よく考えているんだね」

「あ、ありがとうございます!こんなにスパイスの話ができる人、初めてですよ」

「私も嬉しいよ。トトには薬効を説明しても構わず食べられてばっかりだから」

「奇遇ですね、僕もです」

 顔を見合わせて、二人は笑っていた。窓から吹き込む風が、ふわりと頬を撫でる。

「僕も少しだけ休みます。夜にはいよいよ本番が待ち受けていますから」

「そうだね、頑張って、オステリア。応援してる」

「はい!」

 嬉しそうに返事をして、オステリアは厨房を後にした。今夜は姉弟料理対決の初日だ。

 自身もささやかながらお店の助けになるべく、ツェツィーリアは休息に努めた。

 ツェツィーリアが経験した二日目の営業風景は、前日のそれとは一線を画すほどの繁忙だった。

 姉弟対決に決まった形式はないが、事前に金額を決めたメニューで売上を累計し、最終的にそれが高かった方の勝ち、というのが通例だ。

 もともとは両親が勝負していたのだが、トラットリアが店を手伝うようになり、加えてオステリアが厨房に出るようになってからは姉弟の対決へと代わっていった。

 そんな料理勝負はこれまでの三年間、姉であるトラットリアの勝利に終わっている。だが今年はどうか。オステリアは前半戦の遅れを許しつつも、相当な自信を持っているようにうかがえる。

 奇しくも、初日の売上で先行したのはトラットリアではなくオステリアだった。

 その日は上質な白ワインが入ったということもあり、ハーブで仕上げた白身魚のアクアパッツァが好評だったのだ。

 もちろんトラットリアも負けてはいない。

 厨房にこもって料理に専念するオステリアに対し、トラットリアは積極的にお客さんと会話をしながらパスタを提供する。

 そうやって食事を「楽しんで」もらうのだ。

 トラットリアが提供する「看板娘の気まぐれパスタ」はその名の通り、提供されるまでどんなものが来るのか分からない。だが確実に、その時に注文している、あるいはこれから注文するワインや料理に合い、客はみな口を揃えて「注文してよかった」と言う。

 日が進むにつれてその評判が評判を呼び、店を訪れたものは必ずと言っていいほどトラットリアのパスタを注文するようになっていた。

 年に一度の一大行事、姉弟料理対決。

 その折り返し地点となった四日目の晩、思うようにいかない売れ行きに悩むオステリアは閉店後の厨房にひとり残っていた。

 無論、閉め作業はすでに終了しており、その占有はもっぱら彼の研究に用いられていた。

「あえて岩塩の分量を減らしてオニオンで旨味を……だめだ、今度はクローブが強すぎる」

「こんなに遅くまで研究?あまり無理すると体に障るよ」

「ツェツィーリアさん」

 初日の昼休みのような余裕は無く、オステリアは儚げに返答した。

「私の通う学園の先生も過労で倒れて大変だったよ。若いからと言って無理は禁物」

「分かっています。――僕の見立ては甘かった。姉さんにはやっぱり敵わないな」

「まだ勝敗は決していないよ。『秘策』も残っているじゃない」

「確かに、それはそうなんですが、こんなに水をあけられると自信も無くなりそうです」

 オステリアは力なく呟く。そんなオステリアの額を、少女の指がつんとつついた。

「なっ――!」

「弱気にならないの、男の子でしょ!」

 ツェツィーリアは腰に手を当て、わざとらしい言葉を浴びせてみせた。

 驚いたように顔を上げるオステリアの隣に腰掛けたツェツィーリアは、今度は自分の番と言わんばかりに自身の調合道具を広げていた。

「トトがすごいのは私も分かるよ。あの子、学園でも人と何気なく話すだけでその人が求めているものとか、悩んでいる事とか見抜いちゃうんだから」

「あの姉さんが、ですか?」

「うん、食い意地だけはとてつもないけどね」

 そう言ってツェツィーリアは笑う。それにつられてオステリアも笑った。

「さあ、出来ました」

 乳鉢を置いたツェツィーリアは、練り切った丸薬を薬包紙にくるむと、オステリアに差し出した。

「これは……?」

「自信がつくサプリメント。東方の医学書によればれっきとした薬なんだけど、帝国学会が薬効を認めてくれないんだよね。だから分類上は栄養食品」

「……頂いても?」

「ええ、もちろん」

 オステリアはその丸薬を一口放り込むと、やはりその味わいを確かめたいのかローマの料理長と同じように噛み潰しては苦さに悶絶していた。

「言い忘れてたよ。苦いから噛まずに飲み込んでね」

「遅いですよ!」

 水を飲み干したオステリアが、声を張り上げた。

 それを聞いたツェツィーリアは、いたずらっぽく笑う。

「自信、つきましたか?」

「――ええ、おかげさまで」

 ため息をついたオステリアは、吹っ切れたように笑った。

「ありがとう、ツェツィーリアさん。僕もお礼をできれば良いのですが」

「気にしないで。君はわたしの命の恩人なんだから」

 ツェツィーリアが優しく笑いかける。つられて笑ったオステリアは、彼女が道具を片付ける際に転がした黄色の物体を見逃さなかった。

「それは……?」

「これ?おそらく黄水晶。ナポリの温泉でトトがくれたんだ。綺麗だよね」

「綺麗です、すごく」

 オステリアは少し考え込むような素振りを見せると、もう一度顔を上げた。

「よかったら、それ、一日預けていただけませんか?」

「これを?何に使うの?」

「先程のお礼です。あなたにはこの宝石を使った髪飾りが似合いそうだ。自分で言うのもなんだけど、僕は手先が器用なんだ。ぜひ作らせてください」

 ツェツィーリアは驚いたように目を見開くと、目を細めて笑った。

「それじゃあお願いしようかな」

「ありがとうございます。きっと素敵な髪飾りになります」

「うん、楽しみにしてる。おやすみ、オステリア」

「おやすみなさい」

 濃紺が空に透き通り、星がまばらに輝く頃。「サルーテ」を灯す光が、ようやく落ちていた。




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