後編
次の休日に警察署に行き、あの時担当だった伊田さんを呼んでもらった。
伊田さんは直ぐに俺が分かったようで「お久しぶりですね」と声を掛けてくれた。
「なにかありましたか?」
「いえ、あの・・・あの時の動画を削除してもいいのかお聞きしたくて」
「あの時の動画ですか?」
一瞬考える間があり「ああ、残して置けるのなら残しておいてもらえますか?」
ちょっとがっかりして肩を落とす。
「すいません。こちらでも保存していますが、原本とコピーとでは証拠能力も違うことがありますので」
「そうですか・・・あの・・・」
「何か?」
見覚えのある刑事さんが目の前にお茶を差し出してくれる。
「ありがとうございます」
お茶を出してくれた刑事さんも私の向かい側に腰を下ろす。
「あの・・・事件現場で幽霊が出るって言う噂があるのを知ってますか?」
「幽霊ですか?」
「・・・はい。頻繁に見られているようなんですが・・・」
刑事の二人は顔を見合わせ、俺をまた見た。
「いやに詳細でグレーのパンツスーツの女性で横座りに座っていて項垂れているって噂が・・・」
「ほー」
伊田さんは顎に手をやり少し考え込む。
「誰から聞いたんですか?」
「両隣の奥さん二人が私の家の前で立ち話をしていて、ご飯ごしらえをしている時に聞こえたんです」
「なるほど」
「横向きに倒れている姿なら沢山の人が見ていると思うんですけど、横座りに座っている姿は私と長沢さんご夫婦だけだと思うんですよ」
「そうですな」
「ちょっと気になっただけなんですけど・・・」
「分かりました。私もちょっとだけ気になりますので調べてみますね」
俺はほっとして「お願いします」と言ってその場を後にした。
その足で新しいスマホを買って帰った。
データーは移し替えずに一つ一つ必要なものだけを移動させた。
古いスマホは買って来た箱の中に入れて押し入れの目につかない奥へと押し込んだ。
事件現場にまた花が増えている。
お茶やジュースも増えている。
事件から日が経っているのになぜ増えていくのか不思議に思っていると、ある日、長沢さんのご主人と同じ電車で出会した。
「最近また花やお茶がお供えされていますよね?」
「そうですね。見る人が増えているんだと思います」
「見る人?」
長沢さんが胸の前で手首をだらりと垂らした。
「幽霊を見たという人が異様に多いらしいです」
「その話なら聞いたことがあります。女性は見ないとか」
「最近は見るらしいですよ」
「長沢さんは見られたんですか?」
「一度も見ていません」
目で問われて、慌てて首を振る。
「私も見たことありません」
「無念だったんでしょうか?」
「そう・・・かもしれませんね」
電車が停まり、一緒に降りる。
改札をくぐりまた並んで歩く。
「はっきり言って気分のいいものではありませんね」
「この間、刑事さんに会いに行ってきました」
「何かあったんですか?」
「あの時の動画がスマホに残っていて、消してもいいか聞きに行ったんです」
「あぁ、そう言えば動画がどうとか言ってましたな」
「あの時、嫌な予感がして、スマホで録画していたんです」
「そうだったんですか」
「その画像を消したくて・・・」
「当然でしょうな」
「生憎、裁判が終わるまでは残しておいて欲しいと言われました」
「気分のいいものではないですな」
「スマホを買い替えました」
「痛い出費ですな」
「本当に。その時、ついでに幽霊話も刑事さんにしておきました」
「相手にしてくれましたか?」
「わりと真面目に聞いてくれました。刑事さんに話して少し、ほっとしました」
「そうですか」
長沢さんの家の前に付き、二人で事件現場を見たが女性の姿は見えなかった。
「では、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
花束が積まれた場所を足早に通り過ぎた。
スマホの振動に電話に出ると伊田さんからの電話だった。
『今よろしいですか?』
「あ、はい」
席を離れ、田宮に休憩所に向かうことを手で合図する。
『幽霊話を少し調べました』
「そうですか」
『ちょっと異様な雰囲気になっていますね』
「そうなんです。事件から大分経つのに日に日にお供物が増えていくし、噂話はどんどん広がっているらしくて・・・」
『ええ。町外からも見物に来て実際見たと言う話が出回っています。おかしなことに幽霊話の定番の誰々が見た。ではなく、実際に見たと言うんですよ』
「そうですか・・・」
『川辺さんは見られましたか?』
「見ていません。長沢さんのご主人も見ていないそうです」
『態々聞きに行かれたんですか?』
「いえ、昨日たまたま電車で一緒になりまして」
『あーなるほど。・・・言いにくいんですが、先日夜に事件現場に行ったんですが、私も見ました』
「えっ?」
『私は人間の仕業じゃないかと思っていましたが、長沢さんの家の近くで立って現場を見ていたら影が濃くなったように現れて、グレーのスーツ姿の被害者が横座りして項垂れていました。近づいて行くとその存在は透き通って向こうの景色が見えていましたが被害者だとはっきり分かりました』
「本当ですか?」
『1mほどの距離で消えるまでずっと見ていましたから間違いありません』
何と返事していいのか分からない。
『何かされるわけでもありません。人の仕業でもないと思われるので、もう、調べることはないとお伝えしておこうと思いまして電話しました』
「調べない?」
『警察の分野ではないと断言しておきましょう』
「そうですか」
『気になるようなら引っ越されたらいいですよ。その際には引越し先を連絡下さい』
「分かりました・・・」
なんとか返事を絞り出し、電話を切った。
俺は休憩室に座り込み、田宮が呼びに来るまでそのまま座っていた。
その夜上司の芝井に誘われ駅近くの居酒屋に腰を下ろした。
「昼からどうしたんだ?仕事が手についていないみたいだったが」
「実は・・・」
説明が終わると芝井は唸った。
「刑事さんに幽霊間違いなしと太鼓判を押されたわけか?」
「そうなりますね。毎日その場所を通るのかと思うと気が重くて」
「だろうな。刑事さんの言うように引っ越せば?」
「はい、そうしようかと・・・」
「だったら気持ち切り替えていけ」
バンと背中を叩かれ「努力します」と返事した。
芝井と飲んだお酒は気持ちがいい所で終りを迎えふわふわと浮いた気分だった。
電車に揺られ、気持ちよくてうとうとする。
自分の家がある駅に着き、ハッと目が覚め慌てて降りる。
ちょっと心臓がバクバクいっててゆっくり歩く。
長沢さんの家の前を通り過ぎ、自販の前を通り過ぎる。
事件現場に四〜五人の人だかりができている。
「どうかしたんですか?」
声を掛けるとその場にいた全員がビクッと体を震わせた。
「幽霊が出たんだよ!!」
「えっ?」
「グレーのパンツスーツを来た女が座り込んでいたんだよ!!」
「俺写真とった!!」
俺も混ざってカメラを覗き込む。
そこにはなにも映っていなかった。
よかった・・・。
俺はその場を逃げるように立ち去った。
引っ越しは確定だな。
また痛い出費になるなと思った。
でも引っ越せるだけ俺はまだいいよな。
長沢さんみたいに持ち家じゃどこにも行けない。
その日の晩から引越し先を探すのに忙しくなった。
「沢渡!!ちょっと」
芝井に呼ばれて休憩室へ入る。
「この間引っ越しの話ししてただろう?」
「はい」
「引っ越しついでに転勤してくれるか?」
「転勤ですか?」
「ああ。五年尼崎支社に行ってくれるか?」
「はぁ、まぁいいですけど」
「社宅あるけど入るか?」
「家賃は?」
「三万だ」
「間取りは?」
「二DKで駅から六分、支社まで自転車で十五分。電車で三十五分だそうだ」
「なんで電車のほうが時間掛かるんですか?」
「不思議だな。社宅押さえるか?」
「お願いします」
「じゃぁ、来月末までこっちで頼むよ」
「分かりました」
家賃の安い所に住めることと今の家から引っ越せることに安心した。
その日から、行き帰りの時間が苦にならなくなった。
いつか見るかもと毎日怯えていたのが嘘のようだった。
仕事の段取りも順調に進み、引っ越しの準備も着々と進んだ。
送別会が終わり、小さな花束と社宅に行ったら配りなさいと沢渡と書かれたのし紙がついた食器洗剤が十個入った袋を渡された。
地味に重いんだけどと思いながら感謝を告げた。
駅に着いて降りる時、今日でこの電車ともお別れかと思って、いや、明日も乗るんだったと思い出す。
改札を出ると、まだそんなに遅い時間じゃないのに何だか辺りが静かな気がする。
雪の夜のように何の音もしない。
自分が地面を踏みしめる音がやけに響く。
背筋がぞくぞくする。
俺の前方をグレーのスーツを着た女の人が歩いている。
なんか嫌な感じだ。
手に持つ洗剤の重量が増した気がする。
なんか嫌だ。変な感じがする。
これ以上先に進んではいけない気がする。
こわい・・・。
長沢さんの家の前、俺はインターフォンを二度押した。
「はい?」
「沢渡です」
「あら、ちょっと待ってね」
奥さんとご主人が二人一緒に出てくる。
「今度もなにか?」
「いえ・・・仕事の転勤で明日引っ越すことになりまして・・・」
「まぁ、それをわざわざ?」
持っていた花束を奥さんに差し出す。
「貰い物なんですが、貰って下さい」
「あら、ありがとう」
「どうかしたのかね?顔色が悪いよ」
俺の後方を伺うようにご主人が見る。
「何だか怖くて・・・」
俺は見栄も張れずに自分が感じている恐怖を口に出す。
「怖い?」
奥さんの不思議そうな顔と、ご主人の訳知り顔に戸惑う。
「改札を出たくらいからなんだか静かで嫌な感じがするんです・・・」
「上がりなさい」
「いいんですか?」
「泊まっていくかね?」
「さすがにそこまでご迷惑は・・・」
「帰れないんなら仕方ないだろう?」
「すみません・・・」
ほとんど面識もない人の家に上がり込む居心地の悪さを感じながらも、俺は長沢さんの家から出ることはできなかった。
ご主人の寝間着を借り、和室の一室でゆっくり休みなさいと長沢さんに言われて、たった五分の距離を帰れず、俺は本当に長沢さんの家に泊まった。
翌朝は休日だったのに、俺を泊めたためにご夫婦で早々に起きてくれたみたいだった。
「どうもすみませんでした」
今考えると子供みたいなことを言ったと恥ずかしくて仕方ない。
「危機管理がちゃんとできてていいことだと思いますよ。実を言うと昨夜は私も嫌な感じがしてました」
「そうなんですか?」
「私も改札を出たら、いつもの道がいつもの道で無いように感じましたよ」
奥さんが驚いた顔をしている。
俺は同じように感じていた人が居て安堵する。
「朝ごはんを用意するから食べていって」
「いえ、冷蔵庫を空にしないといけないのでこれで帰ります。本当に長沢さんには迷惑ばかりかけて申し訳ありませんでした」
「近くに来ることがあったらまた声を掛けて下さい」
「はい。ありがとうございました」
玄関の扉を開けるのに勇気がいった。
長沢さんご夫婦も息を詰めている。
カチャという音がして扉を押し開ける。
日常の音がした。
三人で息を吐き出し、もう一度別れの挨拶をして長澤家を後にした。
自販機を通り過ぎて事故現場。
昨夜ここを通っていたら何が起きたのか。
異様に増えたお花や缶ジュース。
このお供えが増えていくのはどういうことなのだろうか?
今日を最後にここを離れられることに安心する。
足早に事故現場を走り抜け今日が最後の我が家の戸を開けた。
引越荷物を業者が積み込むのを眺めながらあの動画を取ったスマホを手にする。
暗証番号を0000にして動画以外全てを削除して伊田さん宛に送ることにした。
朝帰ると両隣のおばちゃんが二人揃って我が家の前で立ち話をしていた。
よく話すことがあるものだと思って挨拶をするとおばちゃんが俺に言い辛そうに話し始めた。
昨夜一晩中ずっとガタガタと俺の家から音がしていたと。
あまりにうるさくて文句を言いに出ても俺の家は電気が消えていてシーンとしている。
そして何も音がしない。
部屋に戻るとまた音がし始める。
一晩中眠れなかったのよと文句を言われた。
俺は昨夜は泊まってきていたことと、今帰ってきた所だと話した。
おばちゃん二人は顔を見合わせ、気味悪そうにする。
「何か盗まれていないか見たほうがいいんじゃない?」と言われ、鍵を開けて中を覗いてもダンボールの山で昨日朝と何も変わりなかった。
たった一つ心当たりがあったのが動画を撮った古いスマホだった。
おばちゃん2人に今日引っ越しすることを伝え、お世話になりましたと挨拶をしてその場を辞した。
引越屋の車が来て荷物を次々に積み込んでいく。
最後の荷物が積み込まれ、軽く掃除をして大家さんに「お世話になりました」と鍵を返す。
事件現場に供えられた花やジュースを見て、自販機の前を通り過ぎ、長沢さんの家の前を通り過ぎる。
昨夜の異常さはどこにもなく、スズメがチュンチュンと鳴いている。
駅前のクリーニング店で宅配便の受付をしているのでそこで伝票をもらい、スマホの箱に貼り付けて料金を支払い、俺はこの町を後にした。
Fin




