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八識の蛇  作者: 緋那真意
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草を薙ぐ者

 現れたのは平凡な若者。腕力はようやく人並み、知恵もなく、容姿も冴えない。一体何をしに来たのかと結弐もいぶかしんだくらいだった。ただ一点、彼女が彼に感心したことがある。



「奴は開口一番、儂にこう言いおった『私と共に生きてほしい』とな。何の作為もなく、恐れも迷いもない。しかもその後に白蛇の身である儂を美しいとさえ言ってみせた」


 これには流石に面食らったよ、と結弐は困ったように笑って言った。それを聞いた識は複雑な気持ちになる。


「……私とは似ているようで違うのですね」

「それは比べられぬ。時も役割も異なる故にな」



 男には名はなく、ただ草刈りを生業とする下層の民であるとだけ語った。結弐のもとに送られたのも他に適当な人間が居なかったからという雑な理由で、要は厄介払いである。

 しかし、結弐はその男を気に入った。男の身の上に同情したのでなければ遊び半分でもなく、ただ「共に生きてほしい」という言葉を信じてみたくなったのである。

 結弐はその場で男とちぎりを交わす。名の通りに自らと男を結びつけるように。



「ただ。憎むべき人間と契を結ぶなど他の兄弟が許す訳もない。儂は男と共に他の兄弟と立ち向かうことになった……」

「一体どうやって……」

「まともに戦っては勝てんよ。当然計を案じてな」


 白髪の女は黒髪の少女に片目をつぶってみせる。



 まず結弐は男の手を軽く咬む。野平の子供達はそれぞれ牙に神毒しんどくを秘める。彼女のそれは「同化」、咬んだもの全てを己の一部とする力だった。

 かすかに神毒に侵された男の体は髪が白く変色し瞳が人のものから蛇のものへと変わるが、代わりに力と知恵の一部を得る。

 力を得た男と結弐はあしの生い茂る湿地に他の兄弟を呼び出した。二人を殺そうと目論んでいた兄弟たちはこれ幸いと呼び出しに応じて葦原にやって来る。

 兄弟の長に当たる零家が「今すぐにその男を完全に同化させて取り込むのなら罪を許そう」と告げるが、結弐は「人の男をそれほど恐れるか。意気地なしめ!」と逆に挑発した。その言葉に怒り狂う兄弟達は次々と葦の下へと潜り込み二人を狙う。

 それも二人の計算のうちだった。あらかじめ男が葦に傷をつけており、傷をつけられた葦は蛇の兄弟達が動くとたやすく折り倒され、そこから位置を測った結弐が弓矢を用いて次々と射抜いていく。



「それだけで地の大蛇とは死ぬものなのでしょうか?」

「無論、その程度では倒れぬ。でなければ、儂の兄弟とは言えぬよ」


 結弐は努めて感情を表に出さぬように話しているように識には見えた。兄弟と争わねばならなかった苦しみは彼女にとっても並大抵のものではなかったのだろう。



 頭を射抜かれてなお蛇の兄弟は執念深く二人に迫って来たが、そこで男は葦原に大量に敷き詰めておいた枯れ草に火を放つ。湿地とはいえ大量の枯れ草はすぐに燃え上がり、蛇の兄弟達は炎に焼かれて次々に焼け死んでいく。

 しかし、それを免れたものもあった。末弟の七草である。草の力を帯びる彼は兄達の力に助けられ、無事だった葦を盾として火を凌ぐと二人を討たんと一気に迫った。

 結弐は用意した矢を既に撃ち尽くし、周囲は火で囲まれていて七草の強襲に為すすべはないかに見えた。

 しかし七草が姿をみせたその時、男が結弐の前に飛び出すと、手に持った鎌で七草の頭を薙ぎ切る。かすかとはいえ結弐の力を帯びた斬撃を受けた七草は頭と胴を寸断されるが、止めを刺すまでには至らず残された頭はそのまま男に噛みついて果てていった。

 七草の持つ神毒の力は「喪失」、意識と記憶を奪い死に至らしめる。全力の噛みつきをつけた男は瞬時に毒に侵されその場に倒れ込んだ。



 そこで結弐は言葉を終える。識には聞きたいことがいくつもあったが、結弐の顔を見ると何も言えなくなり口をつぐむ。必死に言葉を探し、たった一つだけ言葉を発した。


「結弐様はどう過ごされていたのですか」

「静かに暮らしていたさ。一時期を除いてな」



 戦いのあと、ひっそりと巣穴に引きこもっていた結弐は数カ月後に一つの卵を産む。卵はみるみる大きくなり、孵化した赤子は何故か人の姿をしていた。

 しばらくは独りで我が子を育てていたものの、人として生を受けたのなら人のもとに行くのが幸せであろうと考えた母親は、素性を隠しゆうと名乗って村へと赴き、人との交わりを子に教える。その上で自らの正体を子に告げて密かに村を離れていった。自分を探すことはならぬ、とだけ言い残して。



「……儂はそのことを後悔しておらぬ。人は人、蛇は蛇。互いの領分を侵すことなく静かに暮らすことが一番良いと今でも思う」

「ですが、結弐様は……」

「分かっておるよ。識、そなたが今日この日に訪れたと言うことはそういうことなのだろう」


 え、と識が目を見開くと結弐は識の肩を掴み真っ直ぐにその瞳を視線で射る。途端に識の体がドクンと大きく内側から震えた。目の奥から閉じ込められていた何かが飛び出したような気がする。体はなおも震えようとするが、結弐がそれを優しく抑え、ややあってようやく収まった。


「私は……一体……」

「そなたは眠っていたのだ。長きに渡り、人の中でな」


 言葉の意味が分からないままの少女を白髪の女は川辺へと導く。水面に映る己の瞳は蛇の目に変わり、髪は白く染まっていた。


「私……私は……」

「……この程度の運命さだめすら見抜けぬ儂が蛇神などとはとても名乗れぬ」


 時を経てもなお衰えぬこの力がただ一人の男を愛した証であり、大切なひとを救うことのできなかった罪のしるしだと、結弐は自嘲する。


「そんなことはございませぬ! 私は……こうして結弐様の元に訪れなければ何も知らずにいたかも知れませぬ!」

「何も知らぬほうが良かった。そなたがここに来なければ蛇身じゃしんに目覚めることもなく、儂もそれに気づくこともなかった」

「それなら私は、私の両親は、私に連なる全ての血族は呪われし者なのですか? そんなことを何も知らずにただ生きていただけだと言うのに!」


 識だった少女は涙を流して訴える。自分たちは呪いを子孫に残すために命脈をつないできたのかと。それに対し蛇神の化身は何も言わず、ただ少女の涙をそっと拭う。



「……そなたが呪いなどであるものか。ただ、その身のままではもはや人とは交われぬ。儂が呪うとすれば己自身の愚かさのみよ」

「……」

「先の世を生きるであろうそなたに伝えるべきことが二つだけある」


 涙を止め、その名と姿を失った少女は、己の母たる力を持つ白蛇の言葉を待った。

 結弐は静かに告げる。


「野平の力を受け継ぐものは儂を除けばそなたのみ。故に、新たに野平に連なる血を継ぐそなたの名は八識やしき

「八識……私の名……」

「そして、そなたの父祖にして儂がただ一人愛した名もなき勇者は、死の間際に草薙くさなきと己を称した」


 未知の草野を薙ぎ平らげる力。そうした者の力となり生きるようにと古き蛇は告げる。


「そなたには儂の毒は不要であろう。思うように生きてゆけ」

「結弐様は、これから……」

「ただの蛇に戻るとするよ。いつかどこかで草薙と穏やかな世を生きられると願ってな……」


 結弐はそう言うと静かに白蛇の姿に戻り、やおら川に身を投じると八識の方をちらっと見たあと何処かへ流されていってしまった。


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