エピローグ
「二人でどこかに出掛けるなんて、なんていうか……デートみたいだよね」
「ふふっ、そうですね」
アッシュはもう何度も話しているものの、メルシィと上手く話すことができなかった。
推しが目の前にいて、普段通りに話せる人間はそうはいない。
心臓はバクバクで、鼓動は激しくなり、全力戦闘をしている時などよりも酸欠になってくる。
そして隣を歩くメルシィの方も、上手く話せる状態ではなかった。
彼女は別に人見知りというわけではないのだが……アッシュと話していると武闘会の時のモノのことを思い出してしまい、どうにも緊張してしまっていたのだ。
ついさっきも、助けてくれたその英雄的な行動と、モノの姿が重なり、ついかつての偽名の方で呼んでしまいそうになった。
(いけないいけない、アッシュさんに失礼なことなんかしてはいけないもの)
結果として自縄自縛に陥り、彼女の方も上手く話すことができなかった。
かたや推し、かたや憧れ。
抱える思いは違えど、互いのことを悪しからず思っているのは間違いない。
「……」
「……」
沈黙が続く。
けれど二人とも、気まずさは感じてはいなかった。
心地よい静けさ――ゆっくりと流れる二人の間の空気感は、決して悪いものではなかった。
唖然とする学院生達の中を抜けて学院を抜け出した二人は、制服のまま王都の大通りを歩いていた。
ダンジョン探索が解禁されたおかげで、平日の日中から歩いていても、誰かに見咎められるようなこともない。
「なんだか悪いことしてる気分です」
そう言って、メルシィが笑う。
それは先ほど公爵令嬢としての仮面を剥がされてしまったが故に表に現れた、彼女の素顔。 その飾らなくて素朴な笑みに、アッシュの胸が高鳴った。
これ以上直視していられなくなり、彼はそのまま虎茶へと向かう。
「いらっしゃいませ……おおこれはこれは、お久しぶりです」
「マスターも元気そうで何より。テーブル席、いいかな?」
「おやおや、ふふふ……もちろん構いませんとも」
本来なら一見さんお断りであり、顔なじみの紹介がなければ入れないアッシュが何気なく入ることができるのには理由がある。
アッシュはリンドバーグ辺境伯の子飼い(という名目で)各地を飛び回っていた。
彼は基本的に、困っている人間がいれば自分のできる範囲で手を差し伸べるよう心がけていた。
そんな風に彼が助けた人の中に、虎茶のマスターがいたというわけだ。
「――という感じで、私はアッシュさんに助けてもらったのです。以後はお代はいただかず、好きな時に来てくれるように言ったのですが、最近はあまり来てはもらえておらず……」
「なるほど……」
アシストをしているつもりなのかアッシュが魔物から馬車を助け出した際のエピソードを、五割増しくらいに盛って話すマスター。メルシィは真剣に話を聞き、こくこくと頷いている。
自分の活躍を他人目線で話されることほど、気まずいものはない。
それが特に、自分が気になっている異性を相手にすれば尚のことである。
「アッシュさんはいつも、誰かを助けずにはいられないんですね」
「俺個人としては、そんなつもりはないんだけど……結果的には、そうなっちゃってるよね」
メルシィに微笑まれ、アッシュは言葉を失った。
俯きながらマスターになんとかメニューを告げ、気持ちを落ち着ける。
「私も助けられました。それも一度だけじゃなく、二度もです。もしかしたら……いやきっと、また助けてもらってしまうかも」
「……だって」
「え?」
「何度だって、助けるよ。だから困ったことがあれば、教えてほしい。俺にできることなら、なんでもするからさ」
「……はいっ!」
二人はお互いに視線を交わし、どちらからともなく噴き出した。
はにかみ合っている二人は、傍から見るとお似合いのカップルのようで。
その様子を側で見守っているマスターはにこやかな笑みを浮かべながら、頷いていた。
良い雰囲気な二人の仲は良好で、マスターが出す紅茶と生菓子に舌鼓を打ちながら、二人は色々な話をした。
お互いの話をして、関係ない雑談に花を咲かせ。
そして良い雰囲気になってきたというところで――。
「――げえっ!?」
ムードをぶち壊す、この場所に相応しくない叫び声が聞こえてくる。
見ればそこには、アッシュを指さしてわなわなと震えているイライザと、
「あー……やあ」
「どもです」
アッシュのお邪魔をしてしまったと察し、気まずそうにしているライエンとスゥの姿があった。
報告を終えてから学院に戻る気にもならず、ティータイムにこの店を利用しようとしていたのだろう。
「まあ折角だし、皆で話すか。いいかな、メルシィ?」
メルシィと話すのも楽しいが、ライエン達と勝利の余韻を味わうというのも悪くない。
であればするのは当然、両方取りだ。
「――ええ、もちろんですわ」
悪役令嬢っぽい言葉遣いに戻ってしまったメルシィに笑いながら、ライエン達を招き寄せる。
今までの人生には、筋書きがあった。
けれどそのシナリオを他ならぬアッシュが壊したことで、ここから先の未来には、真っさらな白紙のページばかりが広がっている。
ここから先に人生という物語を紡いでいくのは、アッシュ自身。
死の運命をねじ伏せた今この場所からが、本当の意味でのスタートだ。
彼の物語は、まだまだ始まったばかり――。